第20話 ふしぎな出会い

 無人の街で育ったタローにとって、ピラミーダは大都会だ。

 こんな夜中なのに、人、人、人。

 老若男女が右へ左へ、絶え間なく歩いて行く。

 足下には空き瓶や紙くず。

 路肩に名状しがたい汚物がまき散らされているのも新鮮だ。

 アビゲイルは第一層に捕らわれている。

 そして、セリーヌたちと落ち合う予定のピラミーダ・エキスプレスは第四層にある。

 そして、ここは第五層。

 上の階層に行くためには、真ん中にあるエレベーターに乗らなければいけない。

 エレベーターは十本ほどあって、発着場は『駅』と呼ばれているようだ。

 建材は例によって安価な物だが、大きくて立派な建物だ。

 そのエレベーターは深夜零時で最終便が出てしまう。

 今は閉まっているが、売店や食堂も建物の中にあるようだ。

 つまり、タローは始発までどうにかして時間を潰さなければならない。

 なお、一層あたりの高さは一四〇メートルほどあるようだ。


「ふぁ~あ」


 タローは電気のない生活を続けてきたため、日が暮れるとすぐに寝てしまう。

 だからもう、眠たくて仕方がないのだ。

 強化プラスチックのベンチが空いていたので、タローはそこに横になった。

 多少冷えるが、やむを得ない。


「……ちょっと落ち着かないけどさ。おやすみなさ~い」


 コソコソ隠れて休むより、人がたくさん居るほうがいきなり襲われる可能性は低いだろう、という判断だ。

 目を閉じると、ふわっと浮かび上がるような感覚がして、すぐにタローは夢の世界に旅立っていった。

 夢の中では、なぜかタチアナが下着姿で拳銃を磨いていた。

 しこしこ、と。

 タローに気がつくとニコッと笑い、ナイフで切ったリンゴを差し出してくる。

 すごく美味しそうだった。

 いつの間にか下着姿のアビゲイルが横にいて、タチアナを押しのけてタローにリンゴを出してくれていた。


「あはは、タチアナ悔しそう」


 タローはアビゲイルのリンゴに手を伸ばそうとするが、肩を誰かが後ろから叩いてきた。

 振り返ると、そこにいたのはセリーヌだ。

 やたらめったらセクシーな下着を着けている。

 色々透けていて、何も隠せていなかった。

 セリーヌはリンゴの載った皿を持って、ものすごい笑顔だ。

 少し怖かった。

 そのままタローの顔に、叩きつけるようにしてリンゴを――。


「うおっ!?」


 思わず飛び起きる。


「……危ない危ない。あのままじゃ鼻が折れてたよ。夢でよかった~! また寝たら続きが見られるかな。……あれっ?」


 一千万クレジットを入れたカバンが無くなっていた。

 大きさは辞書ほどで、肩から掛けられるストラップが付いた黒いナイロン製だ。


「って、あれが無いと詰みじゃないか!」


 あのお金でセリーヌたちと契約して、アビゲイルを取り返すはずだったのだ。

 もちろん気をつけてはいた。

 素肌に直接付けて、その上からシャツを着ていたのだ。おかげで多少臭ったが。


「誰が!? どうやって? あっ――!」


 男の子だ。

 粗末な服を着ていて、歳はたぶん十歳くらい。

 胸に抱えている黒いカバンからは、端っこが切れたストラップが飛び出ている。

 タローのカバンだ。

 立ち上がって追いかけると、男の子はビクッと震えて走り出した。

 あたりの人混みはすっかりはけていて、ほぼ無人の街の通りを男の子は走って行く。

 このままでは逃げられてしまうだろう。

 タローは子供よりは足が速いつもりだったが、こちらは土地勘が全く無い。

 大通りに出た。道が開けたので、全力で加速する。


「都会のもやしっ子め、ぼくは徒歩でイノシシを捕まえた事があるんだぞ! 小さいうり坊だけど!」


 タローは男の子に全力でタックルした。

 勢い余ってゴロゴロと転がりながらも犯人を捕らえる事に成功した。


「きゃあっ!」


 マウントポジションを取り、カバンをむしるようにして取り返す。

 触った感じでは、中身は無事のようだ。


「……あ、危なかった! きゃあじゃないよ、人の物盗んじゃダメだろ! ……あれ?」


 何だろうか。この子の胸は、ぷにぷにと柔らかい。

 何だろうか。この子の顔は、すごく真っ赤になっている。

 何だろうか。この子の股間にはタローの膝が当たってるが、そこにあるべきモノが……無い。


「うぐっ、えぐっ……」


 その子は顔を押さえて泣き始めた。路地の陰からヒソヒソと声がしはじめた。


「いやだ、強姦魔よ。あんな小さな子を!」


「治安警察に通報するわ。だれか男の人呼んできて!」


 タローは真っ青になった。


「違うよ! 違うのに!」


「やだ……やめて……乱暴しないで……ううっ。うええぇ~ん!」


「わぁ~。これ、どこからどう見てもぼくが悪者だよね」


 しかしタローは強姦魔ではない。

 泥棒を追いかけて、盗まれたカバンを取り返しただけだ。

 本当にそれだけだ。


「おい! お前何やってる! その子を放せ!」


「やばい!」


 やたら強そうでイカツイ顔をしたおじさんが、腕まくりしながら走ってくる!

 話せばわかってもらえるだろうが、その頃にはタローの骨は何本か折れているだろう。


「仕方ない……!」


 タローはその子を担ぎ上げると、路地のほうに駆け込んだ。

 空き缶や空き瓶がゴロゴロ転がっていて走りにくかったが、それは追手側も同じ事だ。

 少し大きな通りに出て、目に入ったのは黄色の大きな箱。

 躊躇無く蓋を開け、中に飛び込む。


「……ああもう! これもゴミ箱だ! またかよ!」


「く、くさい!」


「声を出すんじゃない! 治安警察とやらが来たら、困るのは君だからな!」


「うぐっ」


 女の子の口を押さえる。

 全身が密着しているが、感覚を楽しむような状況ではない。

 声を出されたら終わりだ。

 本当の事を言っても誰も信じないだろう。

 外から足音がいくつも聞こえてきて、思わず息を詰める。


「ちくしょう、あのクソガキどこへ行きやがった!」


「とんでもないガキだな! あの歳でロリコンとは、先が思いやられるぜ!」


 マッチョな声はどんどん小さくなっていく。

 この子が黙っていてくれたのが良かった。とはいえ、事情を話せばこの子だってただでは済まないはずだ。

 子供とはいえ泥棒が許されるわけがない。

 蓋を少しだけ開けて外を見る。

 近くには誰も居ないようだ。

 外に出るて自分の身体を嗅ぐが、こんどは短時間だから臭いはそれほどでもない。

 どうやらピラミーダには警察組織があるようだが、この子を突き出すと、あとあと面倒な事になる。

 なぜタローがこんな大金を持っているのか説明を求められるだろう。

 盗んできたと思われても仕方がない。

 最悪の場合、没収される可能性すらある。


「さて、ぼくは色々と用事があるがらもう行くけど、もうこんな事しちゃだめだぜ」


「でもでも」


「デモもレボリューションもないの。泥棒はダメだよ」


「こうしないと、お兄ちゃん殺されてたもん」


「えっ?」


 どういう事だろうか。


「ナイフ持ったおじさんがお兄ちゃんじっと見てたもん。お兄ちゃんこそ、シャツの下にカバンなんてつけてたら、いいもの入ってるっておしえるようなものだよ? だから盗んだの」


「そうだったのか……ありがとう」


 証拠は無い。

 だが、筋は通っている。

 タローはピラミーダの事をまだよく知らない。

 こんな小さな女の子がすらすらと嘘をつくとも思えなかった。


「手数料はもらうつもりだったけどね」


「なにぃ?」


 ほっぺをつねってやろうと思ったら、ぐうう、という音が響いた。

 ゴミ箱……いや、女の子のお腹からだ。


「お腹……減ってるの?」


「…………」


 女の子は無言で頷く。

 よく見ればこの子は頬がこけていて、やたらに痩せている。

 脚もまるで棒のようだ。

 だから追いつけたのだろう。

 十歳くらいに見えたが、じっさいはもっと年上かもしれない。

 ズボンのポケットを探ると、少しだけ小銭が残っていた。

 街に居た頃たまに拾えたお金だが、どうやらピラミーダでも使えるらしい。

 近くの十字路に、こんな夜中でも看板に明かりが灯っている店が見えた。

 酒場など、夜でも働く人が買い物できるように、ということらしい。

 パンと飲み物の絵が描いてあるので、食べ物もあるだろう。


「……何か……食べる?」


「…………」


 女の子は震えながらもゴミ箱から這い出てきた。

 ぐうう~、という音は、深夜の街に意外なほど大きく響いた。

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