第19話 人でなしの恋
「おはよう。よく眠れたかな? 本当は君の髪をこのままずっと、撫で続けていたかったのだが」
アビゲイルが目を開くと、そこは白い部屋だった。
壁も天井も白。
窓は無く、机もランプも、ベッドも白。
今腰掛けている柔らかい椅子も、白い革張りだった。
アビゲイルの服も、白いレオタード状のボディスーツになっている。
ランプの明かりだけが、白い部屋を橙色に染めていた。
この部屋は十五年前に一度来た事がある。
あの時はタローの父、ケンと一緒だった。
髪を撫でていたのは、滑らかで傷一つ無い男の指。
年齢は四十代、多少白いものが混じりはじめた髪はポマードで固められ、口髭もきれいに整えられている。
全身はこれまた白の、しわの無い高級なスーツに包まれていた。
「お言葉ですが、私は睡眠を取りません。ただの機能停止です。ロナルド・マイヤーさま」
「覚えていてくれたんだね」
男――マイヤーは椅子の後ろに立ち、アビゲイルの髪を撫で続けていた。
造られて間もない頃、最初のマスターであるケン・シミズの家付近で何度か話した事がある。
「私には忘れるという機能はありませんからね~。ロナルド・マイヤーさま」
「そうだったね。君は変わらないな、昔のままだ。君と初めて会った時のこと、今でも覚えているよ」
「はい、私もです。マイヤーさま。あの時マイヤーさまを乱暴していた男は、程なくして逮捕されたようです。女のほうは風呂に沈んだと聞いております」
十五年前、チンピラに絡まれていたマイヤーを助けたことがある。
知り合ったのはその時だ。
「知っているよ。あの時の僕は、君の姿を見て全身に電流が走ったんだ」
「感電ですか? ご無事で何よりです」
「君があの男の奴隷だと知った時、胸の張り裂けるような思いだった」
ロボットは人間の奴隷を完全に代替するために数百年掛かって開発されたもので、当然と言えば当然である。
また、近年は外科技術も進歩しているので、ほとんど見えないように傷口を縫合できるようだ。
胸が張り裂けても処置が早ければ助かる。
「今は平気ですか?」
「ああ。君を手に入れるためなら、どんな事でもしてやろうと思った。親父に土下座して家に戻り、パーティーで知り合った男をたらし込んで、娘と――ああ、もちろん形だけだ――婚約までしてね。だが、僕の心にあったのはいつだって君だけだ。君のためなら、どんな犠牲も払うさ」
マイヤーの表情は柔らかく、爽やかな微笑を浮かべたままだ。
「ところでマイヤーさま。なぜ私はピラミーダの第一層にいるのですか? 非常停止されて覚えていないんですよ~」
「僕が連れてくるよう手配したんだ」
「あー。つまり、私は拉致監禁されているのですね? ゴーカンはしなかったでしょうね。したとしても、あまり面白くなかったと思いますが」
「それは大丈夫だ。僕には大義がある。君に不快な思いはさせない」
タローの性格を考えれば、助けに来ようとするだろう。
セントラルタウンからピラミーダまでは三〇〇キロある。
無茶をしていなければよいが。
「私のマスターは今、どこでどうしているのですか? 男の子ですから多少の無茶はするでしょうけど、心配ではありますからね」
「僕が、君の新しいマスターになる。それじゃあ、ダメか」
「今のマスターの承認無しで、それは無理です。ロナルド・マイヤーさま」
「それがおかしいんだ。君は確かにロボットかもしれないが、心を持っている。自由に生きてもいいはずだ。ぼくは君に辛い思いはさせない」
やはり、この男も思い違いをしている。
しかし、それを指摘するとプライドを傷つけるかもしれない。
「まあいい。あの少年はいずれここへ来る。少しの辛抱だ」
「そうですか~。ならいいです」
来るというのなら待つだけだ。
本当はすぐにでも会いに行きたいが、下手に動いては行き違いになる可能性が高い。
何十年待とうとも、再会できる可能性が高いのならそちらを選ぶ。
「アビゲイル。彼を待つ間、僕の頼みを聞いてくれるかい?」
マイヤーの手が頬を撫でる。
「アンチNTR機能が働いています。性的な命令は従えませんが、よろしいですか? 手も口もダメです」
アンチNTR機能とは、マスター以外の男性との性的接触を拒む機能である。
相手を死傷させない範囲で抵抗が許されていた。
標準設定ではオンになっており、マスターが十八歳未満の場合は解除ができない。
しかし、なぜか女性相手の場合は制限されていないのだ。
当然だが、シャットダウンされた状態では無意味である。
「そういうのじゃないんだけどな。まあいい、来たまえ」
毛足の長いカーペットの敷かれた廊下を進む。
全体的には近代の王侯貴族の屋敷を模した意匠だ。
金のモールが付いた扉が開き、中に入る。エレベーターだ。
「ときにロナルド・マイヤーさま」
「ロナルドでいい」
よそのおじさんをファーストネームで呼んでいる場面をタローに見られたら、変な誤解を生むかも知れない。
「はい、ロナルド・マイヤーさま。あなたはなぜ、第一層にいるのですか? 第一層に入れるのは元老院議員と関係者だったはずですが」
「僕は元老院議員になった」
「まあ! おめでとうございます」
「シャルリエ卿のおかげさ。あのお方が僕を救ってくださった。僕をあの地獄から引き上げてくださったのだ」
アンドレ・シャルリエ男爵は、セリーヌの父親だ。
第三層の高級住宅地で暮らしており、遠目にだが一度姿を見た事がある。
セリーヌと初めて会った時、遠くから穏やかな笑顔で見守っていた紳士だ。
あの日、アビゲイルはケンに連れられて公園を散歩していた。
ケンはなぜか「お前にも同年代の友達が居たほうがいい」と言いはじめたのだ。
しかしセリーヌは、どうやらケンに興味があるようで、アビゲイルをだしにケンと会いたがった。
程なくしてセリーヌの婚約が決まったとかで、その後十五年間会う事は無かった。
その後ケンは死亡、ハナコは身重の身体でアビゲイルを連れ、ピラミーダを後にした。
その後の事はわからない。
しかし、セリーヌがエクスプレスで現場に出ており、マイヤーが第一層にいるという事から考えられる可能性は八二パターン。
その中から最も可能性の高い物を考える。
「ああ、なるほど~。シャルリエ男爵の資産を乗っ取ったんですね。物は言いようですね~」
「……そうだ。セリーヌには悪い事をしたと思っている。しかしピラミーダ十万市民のためには、やむを得ない事だった」
「なるほどなるほど、さすがマイヤーさまですね~。ところでさっきの部屋――」
マイヤーの微細な表情、発汗、呼吸、体温の変化に注意しながら話を続ける。
「ずいぶんと広かったですね~。ガチムチなおじさま十人くらいは、のんびりくつろげそうです」
マイヤーの動揺は、人間ではとても感知できなかっただろう。
あそこは元老院議員の控え室だ。
十名の議員とその秘書、給仕や清掃スタッフ以外は決して入る事を許されない。
なのにマイヤーが一人でいたという事は、何らかの理由があるはずだ。
その扉の先は異質な雰囲気を醸し出していた。
控え室のような豪奢な雰囲気は全く無い。
機械の唸る音、オゾンの匂い。
壁はコンクリートの打ちっぱなしで、照明のカバーさえ付けられていない。
中央付近の部屋。
二重になっている防爆扉を開けると、中央制御室だ。
いくつものコンソールとモニターがところ狭しと並んでいる。
ここがアーコロジー・ピラミーダの中枢だ。
最後に訪れた時と同じように、補助システムによってピラミーダの環境は維持されていた。
だが、本来であればここに詰めているアンドロイドの姿が無い。
ABG二〇〇〇シリーズとフレームを共用した制御用のカスタムアンドロイドが、二十四時間三六五日、ここで機器の監視をしているはずだ。
「ソフィアちゃんの姿が見当たりませんね~。ああ、だから私を拉致監禁ゴーカンしたんですね?」
「強姦はしていない」
「あらら。失礼しました」
「話は戻るが、まさにそれなのだよ。君にはソフィアの代わりに月とのリンクを回復させて欲しい」
「へえ、お月さまですか」
水晶玉に似た操作用のデバイスに手を置くが、ログアウトされており、一切の操作を受け付けなかった。
アビゲイルの能力であれば、IDとパスワードの解析は一時間ほどでできるだろう。
しかし。
「あらあら。ダメですよ~、こんな事しちゃ」
IDとパスワードを書いた付箋が、正面モニターの枠に貼られていたのだ。
恐るべき事に、管理者アカウントでログインできてしまった。
全てのデータベースにアクセスが可能になってしまう。
ピラミーダ内の全ての監視カメラのデータを解析すると、その中に目的の人物を見つけた。
タローだ。
きっと助けに来てくれたのだろう。
今は第五層にいるが、病気や怪我はしていないようだった。
「ロナルド・マイヤーさま」
「なんだね?」
「ロボットにとって、人間って何でしょうね~」
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