第18話 根にもつ女
セリーヌはアイラッシュカーラー――まつげを上に反らす道具だ――でまつげを整えながら、前席の二人に声を掛けた。
「お前たち、生きてるかい?」
「うっす。オレっちは無事っすわ」
ヨーゼフは大丈夫のようだ。
「俺も大丈夫です……ただ」
レオンシオにも怪我はないようだが、口ごもった。
「ただ?」
「左メインカメラ破損、左第一肢全壊、右第二、第四肢タイヤバースト、第二、第三、第四装甲板溶解、ラジエーターコア破損、冷却水漏出量四〇パーセント、化粧品収納箱にも被弾して化粧水の瓶が割れました」
「一言で言えば?」
「被害甚大です」
「ガレージまで戻れそうかい?」
「はい、何とか。ヨーゼフ、少し揺すってくれ」
ヨーゼフがレバーとペダルを小刻みに切り替えながら、イソポーダ号を全体的に揺する。
やがてガラガラと音を立てて、上に積もった瓦礫が滑り落ちた。
「左目が潰れてると、やりにくいぜ」
「冷却水の漏れが酷い。なるべく回転を抑えてくれ」
ギイギイとあちこち軋ませながら、どうにかしてイソポーダ号は帰路へ着く。
乗り心地は最悪だ。
たとえ完全でも、快適とは言えないが。
「イッセンマン、無事に逃げ切れたかねぇ」
セリーヌが呟くと、ヨーゼフとレオンシオが笑いはじめた。
「ククク……それがアイツのあだ名っすか」
「笑い事じゃないよ、お前たち。あ~あ、面倒な事になっちまったねぇ。楽な仕事と思ったのにさ」
レオンシオは何でもない顔でコンソールをいじっている。
「お金が目的でしたか。これは失礼、てっきりタローみたいな少年がお嬢様の好みかと」
「そうそう、大人の男は怖いから少年が良いって、いつだったか酔っ払って言ってたでしょ、お嬢!」
セリーヌは割と本気で二人の頭を順番に叩く。
「お黙り! いいからお前たちは運転すりゃいいんだよっ!」
サスペンションが役に立たない最悪な乗り心地の中、セリーヌの心は遠い昔の少女時代へと戻っていった。
こんな事を思い出すようになったのは、タローの顔を見た時からだろうか。
以前は意識して思い出さないようにしていたものだ。
*
「君は知っているかい? 世界というものは、巨大な球なんだ。で、一つだけの巨大な太陽の周りを回っている、ってこと」
セリーヌはかぶりを振った。
第三層のカフェ。
多くの人が行き交う通りに面したその店は、外のオープンテラスでデートすると想いが通じ合う、というジンクスがあった。
当時の女学生には有名だったが、おそらくケンはそれを知らなかっただろう。
通りでたまたま見つけ、勇気を振り絞って誘ったのだが、ケンは全く意識していないようだった。
この店も潰れ、今ではキャバレーになっている。
「このピラミーダの中は、広い世界のほんの、ほんの一部に過ぎない、って事さ」
「まあ、そうなんですの? ケン様はとっても物知りですのね」
実際、ケンの言っていた事を理解できたのは、その数年後の事だ。
地球は一つの太陽の周りを公転する惑星で、太陽は他にも七つの惑星を従えている。
だが、アーコロジーの中で数十世代を経た人類の中で、それを把握している者は少ない。
多くの者がLED人工太陽の下で暮らし、本物の太陽を一度も見る事無く人生を終える者がほとんどだった。
その時のセリーヌは、ケンを褒める事で自分自身の評価を高める事にしか興味は無かった。
誰だって褒められれば嬉しいし、褒めてくれた相手に好意を持つものだ。
「太陽の周りを公転している天体は無数にある。そのほとんどは小惑星と呼ばれる小さな天体だ。時々地球と衝突する事もある。大抵は大気圏突入の熱で燃え尽きてしまうけどね」
「まあ。それがケン様が見たという『流星』ですのね」
「そうだよ。とても綺麗だけど、燃え尽きないまま落ちてくる事だってある。今から六五〇〇万年前、ユカタン半島に落ちたそれは直径十から十五キロ。このピラミーダよりも大きい」
「まあ。そんなものが落ちてきたら大変ですわ」
セリーヌは大げさに自分の肩を抱き、怯えているようなそぶりをした。
じっさいには、全く理解していなかったが。
「そうさ。かつては『恐竜』と呼ばれる種族が全世界を支配していたが、彼らはその影響で滅びてしまった。衝突による津波と、巻き上げられた粉塵による環境の激変が原因だ、と言われている……」
授業で習った事をおぼろげに思い出した。
気の遠くなるような遠い昔。
世界を支配していた竜の滅亡の物語。
「でも、そのおかげで私たち哺乳類の時代が来たのでしょう?」
「まあ、ね。でも、その時と同じような巨大隕石がまた、地球とぶつかる事がわかった。そのためのシェルターとして、世界中にピラミーダと同じようなアーコロジーが建てられたんだ。人類だって、黙って滅びを待つほど達観しちゃいなかったからね」
ケンは普段、無口ではにかみ屋だった。
しかし、自分の好きな分野においては、まるで別人のように饒舌になるタイプらしい。
セリーヌとて、ケンではない別の誰かに同じような話をされていたら、嫌になっていただろう。
正直を言えば、全く興味が無かった。
彼の話す内容はほとんど理解できなかったが、こうして差し向かいでケンと話している事が、セリーヌにとっては幸せだった。
そして、その幸せを邪魔する存在が近付いてくる。
「ケン様。そろそろハナコ様との打ち合わせの時間です。お仕事ですよ~」
声を掛けてきたのは、銀髪に赤い瞳の美少女。アビゲイルはセリーヌにも優しい。
とてもいい子だ、と思う。
逆の立場だったら、どうしようもない怒りと嫉妬を覚えるに違いない。
だがアビゲイルはそんな素振りは一切見せないのだ。
見た目からは人間と全く見分けが付かないが、その心は人間と全く異なる存在だ。
アビゲイルに嫉妬しても、全く意味が無い。
それを理解するまで、それなりに時間が掛かった。
問題はもう一人の人物、ハナコ。
ケンの仕事での相棒らしい。今になって考えれば、ハナコこそセリーヌのライバルだったのだ。
しかし、アビゲイルの見た目が認識を曇らせていた。
「未成年の女の子を下手にナンパすると、治安警察に連れて行かれてしまいますよ。ロリコンは思想改造される世の中ですよ~」
アビゲイルはケンに耳打ちしたが、内容は全てセリーヌの耳にも届いていた。
このままではケンに迷惑をかけてしまう。
手短に礼を言うと、足早にセリーヌはその場を立ち去った。
セリーヌは自分の胸元を見る。もしも自分がもっと大人だったら、なんの気兼ねも無くケンと付き合えるのに、だ。
中央エレベーターにほど近い、高級住宅街の一角。
そこにセリーヌの住んでいた屋敷があった。
家の門をくぐると、ヨーゼフとレオンシオが心配そうな顔で出迎えた。
「ああ、お嬢! 大変だーっ!」
「お嬢様、驚かないで聞いてください」
二人の言葉に、セリーヌは耳を疑った。
応接間の扉を開けると、両親と楽しげに話している見た事のない男が待っていた。
「ああ、お帰りセリーヌ」
母がセリーヌの肩を抱き、男の正面にセリーヌを掛けさせる。
上等な背広に身を包み、鏡のように磨かれた革靴を履いた男。
ポマードで固めた髪と、口髭がいかにもキザだった。
「おまえの婚約者、ロナルド・マイヤーさんよ。さ、ご挨拶なさい」
婚約者の存在など、全くもって初耳だった。
*
「っしゃオラーッ! ソイヤッ! ソイヤッ! ソイヤッ! ソイヤッ!!」
奇怪な叫び声を上げながら、ヨーゼフがシャッターのハンドルを回す。
カイザーの攻撃で電動巻上機が故障し、手動ハンドルで巻き上げるしかない。
汗を拭きながらヨーゼフが親指を上げると、運転を交代したレオンシオがそろそろとイソポーダ号を内部に進めた。
「こりゃまた、ずいぶんやられちまったもんさねぇ」
「この程度で済んで、まだマシな方ですよ」
外から見ると、イソポーダ号のダメージは相当なものだった。
満身創痍、としか言いようがない。
とはいえ、あんな化け物と追いかけっこをして、この程度で済んだのは僥倖かもしれなかった。
ガレージのほうは自動消火装置が仕事をしてくれたようだが、損傷は無視できない。
「レオンシオ。イソポーダは直りそうかい?」
「そうですね……部品のストックも無事なようですし、動かすだけなら明日中に何とか。エクスプレスには、お嬢様とヨーゼフで行ってください」
「そう……頼んだわよ」
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