第17話 タローの勝利

「あと一歩まで追い詰めたがな。おぬしが確保された以上、もう用は無い。タチアナ、よくやった」


 どうやら無事のようだ。


「月に何があるの?」


 タローの問いにカイザーは自信満々に答えた。

 口から煙を吐き出し、光電管の目が怪しく光る。


「マスドライバーだ。採掘、梱包、発射ともども完全に無人化され、地球からの司令を待っている」


「マスドライバー? なんだっけ、それ」


 どこかで聞いた事があるような気もする。

 古い本だ。図書館だった建物で見つけた小説で読んだのだ。

 アビゲイルが見つけ、おすすめだと言って渡してくれたのを思い出す。

 その本には挿絵が載っており、リニアモーターの長いレールで宇宙船を加速し、軌道に投入する様子が描かれていた。

 化学ロケットよりもはるかに安価に運用できるのが特徴だ。


「ええと……宇宙に荷物を放り投げる施設……だろ?」


「然り。いささか乱暴ではあるが、な」


「それを何に使うの?」


「残念だが答える訳にはいかんな。さあ、大人しく第一層に来るのだ」


 カイザーはペンチの手を差し出した。

 カイザーの顔に表情は無いが、あまりやる気が無さそうに思える。

 タローは少し違和感を覚えた。

 アビゲイルが第一層にいるのはわかったが、そんな事を言う必要は無いはずだ。


「行けばアビゲイルを帰してくれる?」


「そうだな。薬物と催眠術で、おぬしが我があるじの人形になるだろうが。あやつに命令してくれれば、我らとしてはどうでもよい」


 もちろんそんな誘いには乗れない。

 そろそろ潮時だろう。

 視界の隅で、ちらりとタチアナに目をやる。

 完全に油断しきっているようだ。

 カイザーが来た事で勝った気になっている。

 確かにその気になれば、カイザーはタローを瞬殺できるのだ。


「ABG二〇〇〇にあなたから命じてくれれば、そんな必要は無いわ。死ぬよりマシでしょ? 離ればなれになるわけじゃないの。あなたが望めば、五等市民としてならピラミーダに住めると思う。なんなら、あたしが掛け合ってあげてもいいわ。そうすればずっと一緒よ。わかったら行くわよ。さあ、早く」


 タチアナの言い方に、タローは嫌悪感を覚えた。

 自分のしている事が絶対正しくて、それに従うのが当たり前、といった言い方だ。

 要するに、タローの都合なんて何一つ考えていないのだ。

 確かに十万人の暮らしが掛かっているなら、手段を選んではいられないかもしれない。


「そっちがそのつもりなら、こっちにも手はあるんだよ。ねえ、タチアナ。ロボットはここじゃ珍しいんだろう? アビゲイルがぼくの言う事しか聞かない事だって、君たちは知らなかったろう? 違う?」


「……だったら、どうなのよ」


 引っかかった。実際には何の根拠もない。だが、かまかけは成功だ。


「なら、これも知らないんじゃないかな」


 タローは足を肩幅に開くと、気持ち姿勢を正した。

 喉が少し渇く。

 大きく息を吸って、止め、右手を伸ばす。


「タロー。何をする気だ。……余計な事はするな」


 カイザーの目が警戒を表す黄色に変わる。

 目に入るのはメタリックな輝きを放つ鋼のボディ。

 圧倒的な強さを誇る機械の超人。


「君は強い。誰も敵う者は居ないだろうね。でも。ぼくの前では……やっぱり君はただのロボットだ」


「よせ……言うな! 言うんじゃない!」


「カイザー、聞くんだ。クラートゥ・バラダ・ニクト」


 これは、ある意味で賭けだった。

 タチアナはロボットの扱いに、あまり詳しくないらしい。

 ピラミーダに入った時、ロボットを一人も見なかった事から、あるいはそうかもしれないと思っていたのだ。


「カイザー!? どうしたのよ、しっかりしてっ!」


 タチアナは真っ青な顔をして、倒れて動かないカイザーを揺すっている。

 予想通り、タチアナは緊急停止コードの存在を知らない。

 もしもそんな呪文があるなら、先刻追い回された時に使えたと考えるだろう。

 実際には肉声で、十メートル以内でなければ使えない。

 つまり、録音などでは無効なのだ。

 もちろん今のカイザーはただのブリキの塊だ。

 スイッチを入れ直せば再起動するが、半日かかる。


「カイザー! 起きて、起きてよ!」


 よっぽど予想外だったのか、タチアナは拳銃を放り出してしまっている。

 これは、もしかしたら更なるチャンスかもしれない。

 このまま逃げようと思っていたけが、ちょっとだけ欲張ってもいいかな? という気分になる。

 タローは拳銃を拾う。

 これで形勢逆転だ。

 使い方を確認する。

 薬室に弾は入っているようだ。

 左側の上の方に付いているのが安全装置で、引き金を引けば弾が出る。


「いや、いやよ……あたしを置いていかないで……」


 タチアナの様子が変だ。涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだし、声だって震えている。

 本気で取り乱している様子だ。

 タローの銃口はぴったりとタチアナに向いているが、それすらも目に入っていないようだ。


「……あれ? なんかぼく、すごく悪者っぽくない?」


「う、撃ちなさいっ!」


「えっ?」


「カイザーを失ったら、あたしはもうマイヤー様に顔向けできないわ!」


 また知らない名前だ。

 しかしいきなり人生を諦めてしまうのは、気が早すぎはしないだろうか。

 できればもう少し情報を集めたかった。


「マイヤー様って?」


「あたしの上司よ! 全ての元凶! あんたのアンドロイドをさらう命令を出したのも彼だわ!」


 これは良い事を聞いた。そのマイヤーをどうにかすれば、全て丸く収まるらしい。


「ふうん。カイザーを……助けたい? ……助ける方法、ぼく知ってるよ」


「教えなさい!」


「タダじゃねえ……」


 ぺたんと女の子座りをしていたタチアナは、ものすごく驚いたような顔をした。

 何を言ってるのかわからない、という顔だ。

 しかし、すぐに何かに気付いたようで唇をきつく噛んだ。

 タローをものすごく怖い目で睨み付けてくる。


「……わかったわ。な、何でもする。あ、あたしのことは……す、好きになさい」


「うわぁ。なんてピュアな人なんだろう。きっとすぐ悪い人に欺されちゃうんだろうなぁ。誰かが守ってあげないとダメな人だ」


 タチアナの癖のある赤毛が目許をのれん状に隠し、隙間から見える瞳は真っ赤に腫れ、涙がこぼれている。

 あらためて見ると、顔とスタイルはかなりタローの好みだった。

 ただし、胸は無い。


「いやいや、無理矢理エッチなことしようなんて考えてないからね! 考えてないったら! でも、ぼくにはぼくの事情があるんもんね! 心を鬼にしなきゃ」


 口の中で小さく呟いたつもりだったが、タチアナはビクリと全身を震わせ、自分の両肩を抱きしめた。

 タローは構わずに一歩踏み出す。

 タチアナは尻餅をついた姿勢のまま後ずさるが、やがて壁にぶつかった。


「アビゲイルは第一層のマイヤー様のところに居るんだね?」


「そ、そうよ!」


 これで全てが繋がった。

 ピラミーダは五層構造になっている。

 ここは第五層だから、上にどんどん上がっていけばいいわけだ。

 上に行けば行くほど面積は小さくなるので、探すのは苦労しないだろう。

 それだけわかれば長居は無用だ。

 とっととおさらばして身を隠し、朝一番でエクスプレスへ行く。

 その時、なぜかタチアナが服を脱ぎ始めた。


「……? ……?」


 そのままブラウスとスカートを脱いで、床に大の字になる。

 タローの目は縦皺の刻まれた下着と白い肌に吸い寄せられた。


「は、早く済ませなさいよ!」


「おおう」


 フリルをあしらったレース地のパンツとブラが眩しい。

 色は当然白。

 胸は無いが、お尻はとってもさわり心地がよさそうだし、脚もとっても綺麗だ。

 ゴクリと思わず生唾を飲んでしまう。


「…………」


 タチアナはボロボロ泣いているし、血管が切れそうなほど歯を食いしばっているし、全身がガタガタと震えている。

 全身で「アンタなんかに屈しない!」と言っているようだ。

 口の中で小さく何かブツブツ言いはじめた。


「こんなやつに……なんであたしが……ひどい……ゆるさない……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


「これじゃあ完全にぼくが悪者じゃないか! そういうのじゃないんだよ!」


 ソファに掛けられていた毛布を掴み、タチアナに放り投げる。

 すごく惜しい。

 すごくもったいない。

 でも仕方がない。

 顔だけはクールに。

 感情をぜったいに表に出さないように。


「……カイザーのこと、好きかい?」


「…………」


「ぼくも同じさ。ぼくはアビゲイルをどうしても助けたいんだ」


 カイザーの傍らに膝を付くと、うなじのスイッチを押し上げた。


「ピポッ」


 カイザーの目に光が入り、データチェックが始まる。


「カイザーは半日もしないうちに目を覚ますよ。じゃあね」


 タローはタチアナを見ないで部屋を出た。


 走る。走る。走る。

 脚が悲鳴を上げ、心臓と肺は今までに無いほどに全力で働いていた。


「走らなきゃ。我慢できるうちに。少しでも離れなきゃ! 平らなおっぱい。ブラにチクビ浮いてた。我慢だ我慢! ……ぷっくりしたお尻。ちょっと食い込んでた。我慢。スラッとした脚。挟まれたかった。我慢。……ち、ちくしょーっ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る