第16話 かごの鳥
「こちらT。目標を確保したわ」
お姉さんは独り言を言っている訳ではない。
肩に掛けた黒い箱からはカールコードで繋がれた受話器が伸び、それに向けて話している。携帯電話だ。
「よくやった。拠点F二〇に連れて行け。そこで合流だ」
携帯電話から流れてきた声は、やはりカイザーのバリトンボイスだった。
銃を向けられては動けないし、とはいえ黙って連れて行かれてしまえばそれこそ終わりだ。
その時、タローの右手にはぐにゅり、と嫌ぁ~な感触が当たった。
これだ。
タローはその何かよくわからないモノを掴む。
これを投げつけ、その隙に脱出するのだ。
パァン、と景気のいい音がして、頭の横で何かが弾けた。
銃口からは煙が立ち上がり、薬莢の転がる音が甲高く響いていた。
「余計なことはしないほうが身のためよ。次は当てるわ」
タローはそのなんだかよくわからないモノを放すと、両手を挙げた。
他にどうしようもない。
威嚇のつもりでも、当たってしまう事はままある。
このお姉さんは人間だ。機械のように正確にはいかない。
「出なさい」
タローはゴミ箱から出ると、背中に銃を突きつけられたまま歩く。
おそらく百メートルほどだろうか。
道幅は狭く、ひと気もほとんど無い。
建物の壁は薄汚れた再生建材で、オフィスや工場が多いエリアのようだ。
その中の、何の特徴も無い一軒の建物に連れ込まれる。
見た目は事務所のようだが、中身はワンルームのアパルトメントといった感じだ。
合板のテーブルとパイプ椅子、それに合皮のソファが一つある。
「脱ぎなさい」
「ええっ!? そんな、ぼくはまだ十五だし、結婚もしてないのにそういう事はまだ早いんじゃないかな!」
お姉さんは眉をしかめて口と鼻を布で覆っていた。
「シャワー浴びて。服は全部洗濯機に入れなさい。一切合切ね」
「まあ、そうだよね。ぼくは臭い。それだけは間違いない、自覚してる」
「お湯を張ってもいいわ。好きになさい。早く」
「そうさせてもらうよ」
お湯を張って、その間に身体と頭を洗う。
こんな時だが、シャワーは熱くて気分がよかった。
泡を流して浴槽に浸かると、洗濯機がゴウンゴウンと唸っているのが聞こえる。
曇りガラスの向こうには、相変わらずお姉さんが銃を構えているのが影絵で見えた。
換気用の窓はあるが、小さくてとてもくぐり抜けられそうにない。
他にあるものといえば、換気扇くらいだ。
壁も天井も継ぎ目のないユニットバスで、入り口を押さえられている以上は密室も同然だった。
三文小説のように秘密の抜け穴など、ありそうにない。
耳を澄ますと、外でお姉さんが携帯電話で何か話しているのが途切れ途切れに聞こえてきた。
「……はい。……はい。ええっ? しかし……わかりました」
声の調子からすると、何か予想外の事が起こったようだ。
もしかしたら付け入る隙があるかもしれない。
何よりも。
このお姉さんはタローとぶつかって、膝に絆創膏を貼ってくれた人だ。
きっと根は悪い人ではないだろう。話せばわかるかもしれない。
浴槽から上がると、掛かっていたタオルで身体を拭いた。
「ねえ、お姉さん。ぼく、もう上がりたいんだけど」
「洗濯は終わったわ。好きになさい」
下着も上着もすっかり乾いていて、もう悪臭はしない。
乾燥機の機能もある高級品だ。
お姉さんは銃で椅子を指す。
「座って」
「喉渇いたんだけど……」
「ちっ」
お姉さんは舌打ちすると、立ち上がって冷蔵庫の蓋を開けると、ビールが所狭しと並んでいた。
一本だけあったミネラルウォーターの瓶を取り出すと、器用に片手で栓を抜く。
よく冷えているが、味はしなかった。
ずっと銃口が狙いを付けていたからだ。
「ねえ、お姉さん」
「……」
「お風呂、ありがと」
「…………そう」
お姉さんは眉一つ動かさない。
彼女は間違いなく人間だ。
理由はわからないが、それだけはわかった。
しかし、機械のようにまったく表情が動かない。
ついでにタローに向けた銃口も、ピクリとも動かない。
「ぼく、タロー。タロー・シミズ」
「知ってるわ」
「お姉さんは?」
お姉さんは少し躊躇したようだが、結局名乗った。
「……タチアナ。タチアナ・ヤノフスカヤ」
「いい名前だね」
「名前に良いも悪いも無いわ」
とにかく少しでも情報を集めなければならない。
名前があるのと無いのとでは、話しやすさに大きな違いがある。
タローの中で、正体不明の謎のお姉さんから『タチアナ』という個人に変わったのだ。
「ぼくをどうする気?」
「大人しくしていれば、殺しはしないわ」
「でも、ぼくはこの後用があるんだ」
「あたしたちも、あなたに用がある」
来た。情報を引き出すチャンスだ。
「ぼくに何の用?」
「今は話せないわ」
予想通りの返事だ。
しかし、それでは話が終わってしまう。
タローは水を一口飲んだ。
「それじゃ困るよ。ねえ、タチアナ。冷蔵庫にビールたくさんあったよね」
「あなたはダメよ。未成年なんだから」
「あはは、違うよ。タチアナも飲んだら? 仕事中だからダメかな」
タチアナは目を丸くした。しばらく逡巡した様子を見せ、やがて立ち上がった。
「…………そうね」
これは意外だった。
タチアナは冷蔵庫を開けると、缶入りのビールを取り出した。
もちろん、タローに銃を向けたままではある。
タローがミネラルウォーターの瓶を掲げると、タチアナは戸惑いながらも缶をぶつけてきた。
「かんぱーい」
「…………」
タチアナは黙ってビールに口を付けた。
「あなたにとって、あの娘は何なの?」
「アビゲイルのこと?」
「ええ」
難しい問題だ。
しかし、変に理屈を付けるよりも素直に思ったままを言った方がよさそうだ。
「大切なひと、だよ」
「恋人とか?」
「そういうのじゃないけどね」
タローはアビゲイルが元々は両親のアンドロイドで、昔はこのピラミーダに住んでいたらしいこと。
母が死んだ後は、赤ん坊のタローを今まで育ててくれた事。
無理矢理さらわれてしまったから連れ返しに来た事……を話した。
「だから、どうしても返してもらわなきゃいけないんだ」
「そうだったの」
タチアナの表情が少しだけ柔らかくなったように見える。
少しはわかってくれただろうか。
「でも、こっちにはこっちの事情があるわ。ピラミーダには今も十万人の人が住んでいるもの。十万人の暮らしのために、彼女がどうしても必要なのよ」
「なぜ?」
レオンシオが話してくれそうになった事だ。
しかし、タチアナとカイザーが乱入して結局聞けずじまいだった。
「十五年前、管理用コンピューターが失われ、ピラミーダ内部の環境制御は補助システムに移行したわ。でも、それじゃピラミーダは最低限の機能しか発揮できないの。私たちが望む仕事をさせるため、あのアンドロイドに搭載された陽電子頭脳の能力が必要なのよ。でも、あのアンドロイドに仕事をさせるにはあなたの協力が必要」
「……ぼくらに何をさせる気?」
「月とのリンクを復活させてほしいのよ」
月。地球の周りを回っている衛星で、いつも同じ面を地球に向けている。
夜空に輝くあの月だ。
遠い昔、人類はあの月まで行ったのだという。
「月に何があるの?」
「それは――」
タチアナは口を開きかけたが、実際に響いたのは妙に渋いバリトンボイスだった。
「三原則第二条。ロボットは人間に与えられた命令に従わなくてはならない。ただし、命令が第一条に反する場合は、この限りではない。ロボットにとって人間がオーナーである以上、ABG二〇〇〇だけでは使い物にならない。オーナーの命令が必要なのだ。つまり、おぬしだ」
「やれやれ、カイザーが来ちゃったよ。それ、もう聞いたから。あの三人は無事?」
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