第6話 招かれざる客
コロッケの美味しそうな匂いがここまで漂ってくる。
ドラム缶で沸かした風呂から上がると、ちょうどアビゲイルの呼ぶ声がした。
「ごはんですよ~」
「今行くよーっ!」
タローとていつまでも子供ではない。
二年ほど前までは一緒に入っていたが、今は一人で立派に入っているのだ。
居間にしている部屋に入ると、テーブルの上にすでに料理が並んでいた。
ひび割れた皿の上には山のようにコロッケが乗っているが、いつもより五倍ほどの量がある。
「ずいぶんたくさん作ったね。食べきれるかなぁ」
「これでいいんですよ。今日は私もいただこうかと思って」
本来、アビゲイルに人間のような食事は必要ない。
軽油やエタノールが一番好きらしいが、ほとんど手に入らない。
炭化水素であれば何でも良いので、ごはんや芋でも問題ないのだ。
なので、時折一緒に食事を楽しむ事があった。
「なんだ、このカエルは」
なぜか一匹だけカエルのフライが載っていた。
「うふふ。気にせずお召し上がりくださいな」
アビゲイルは笑顔のままだ。
カエルを最近捕った事はないはずだが、一匹だけというのが気になる。
「うん……いただきまーす」
コロッケは美味しかった。
アビゲイルはその気になれば、もっと上手に作る事ができる。
しかし、このコロッケはタローの母が、かつて作っていた物を正確に再現したのだという。
だから形も不恰好だし、揚げ方も今ひとつだ。
だが、タローはこのコロッケが気に入っていた。
ついでにカエルも食べる。
カエルはごく普通の食用ガエルで、それなりに美味いのだが……。
さっきから落ち着かない様子でウロウロしてる、ブリキのロボットがなんだかウザかった。
「どうしたんだよ、カイザー」
「いや、別に。……その、カエルは美味かったか?」
「うん、美味しかったけど……」
「そうか! ならば良し! アビゲイル、あとは任せる」
カイザーは目をピカピカさせて、口から勢いよく煙を吹き出しながら部屋を出て行った。
「何なんだろう?」
「あのカエルはカイザーが捕ってきたのですよ」
「お礼のつもりかな」
タローは少しだけ嬉しくなった。
あんな尊大な態度をしているくせに、ちょっとは可愛いところもある。
食事を終えると、タローは麦茶を一杯飲む。
この麦茶もタローが焙煎したのだ。
風呂上がりの一杯は最高だった。
「……さて、タローさま。どうやらお客様のようです」
「客?」
しかし、玄関のドアを叩く音などしない。
アビゲイルは目にもとまらぬ速さで玄関に向かっていった。
「タローさまにお客様! 友達ゼロから脱却のチャンスです!」
「言わないでくれ!」
確かにタローには友達がいない。
そもそも人間の知り合いがいないのだから仕方がないだろう。
しかし、廃墟の図書館跡から拾ってきた本には、恋に部活に頑張る青春ドラマがあり、憧れていたのも事実だ。
アビゲイルは勢いよくドアを開け、深々と頭を下げた。
「いらっしゃい、セリーヌさま。あなたを待っていました」
ドアの向こうで目を丸くしていたのは、スタイルの良い女だった。
金髪碧眼、かつ巨乳で、年齢は三十路前とタローは踏んだ。
ドアをノックしようとしていたのか、握った右手を挙げている。
「やっぱりアンタだったんだね、アビゲイル。……十五年ぶりか」
「はい。お久しゅうございます」
どうやら知り合いらしい。
ということは、おそらくタローの両親とゆかりのある人物に違いない。
両親の話を聞こうとタローが立ち上がったその時だ。
「だがアタシはアンタが嫌いさ。だから単刀直入に言うけどね、アタシと来なさい」
「タローさまがお許しになれば。二~三日くらいなら私が頼んでみます」
セリーヌと呼ばれた女はタローを一瞥すると、あからさまに聞こえるように舌打ちする。
何かブツブツと呟きながら、カツカツと音を立てて近付いてくる。
「アンタ、タローね。タロー・シミズ」
「うん」
「アビゲイルを渡しなさい」
セリーヌは整った顔の美人で、スタイルも良い。
しかし眉間には皺が寄り、額には青筋が立っている。
拳もきつく握られていた。
何か失礼な態度をとっただろうかと心配になったが、思い当たる節はない。
「えっと……二~三日くらいなら。そのくらいなら頑張れば一人でも平気だよ。一人で風呂にも入れるし、一人で寝ることだってできるよ。たぶん」
「たぶんって何よ、たぶんって」
「たぶんは……たぶんさ。もしかしたら一~二日で根を上げちゃうかも」
「永久に、よ」
手品だ。
何も持っていなかったはずのセリーヌの手には、いつの間にかクロムメッキされた拳銃が握られ、銃口はこちらを向いている。
それだけではない。
開け放たれたドアの向こうからは、気がつかないうちにライフルを構えた二人の男が控えていた。
筋肉質の大男と、目つきの鋭い痩せ型の男。
大男がやたらに良い笑顔で笑っている。
やたらに歯並びが良い。
二人は銃口をピッタリとタローに向けたまま、音も無く室内に入ってくる。
「動くなよォ。大人しく言う事を聞いたほうが身のためだぜ」
「…………」
痩せ型の男は無言だった。余計に不気味だ。
「待てえい!」
ガシャンという金属音が鳴り響き、カイザーが悠々と歩いてくる。
「銃を収めるがいい。ここは我輩に任せるのだ! 何を隠そう、この我輩はこれでもロボットでな! 人間の危険を見逃すと、多少は不愉快でな。お前たちは我輩に用があるのだろう? 無関係な者を巻き込むでない!」
「いや、アンタに用は無いわ。つかジャマ」
セリーヌは非情だった。
しかし気を逸らす事に成功したのか、アビゲイルが急速に加速したかと思うと、タローとセリーヌの間に割り込んだ。
「私は不愉快程度では済みませんよ。セリーヌさま、お下がりください」
情けない事ではあるが、タローはこの時安堵していた。
アビゲイルは強い。絶対に強い。一二九・三馬力。
今までに何度もイノシシやクマからタローを守ってくれたのだ。
「へえ……? でも、アタシだって人間よ。あなたに何ができるの? ……何もできないわ、三原則があるんだもの。銃弾から主人を庇うくらいね。でも、それじゃあ困るの。そこのブリキロボットも邪魔だしね。だから――」
セリーヌは脚を肩幅に開き、胸を張った。目を半目に開き、大きく息を吸い込むと右手を伸ばす。
「アビゲイル、聞きなさい。クラートゥ・バラダ――」
タローは叫んだ。
「やめろ! それを言うな!」
しかし、時すでに遅し。
「――ニクト」
アビゲイルは背中に定規を入れたように直立すると、そのまま横に倒れ込んだ。
「おい! 大丈夫かアビゲイル!」
後ろでも大きな金属音が響き、カイザーも倒れる。
『クラートゥ・バラダ・ニクト』は、全ての陽電子頭脳搭載型のロボットを緊急停止させるための緊急コードだ。
この言葉を十メートル以内で聞いたロボットは、与えられた全ての命令および自立行動がキャンセルされ、完全にシャットダウンしてしまう。
世界中で使われたあらゆる言語に似た言葉はなく、日常の中で偶然口にする事はない。
「そのブリキが回収できなかったってことは、アンタの説得は難しいって事よねぇ。アタシは面倒が嫌いなの。パッパとやりたいのよ、こっちは」
セリーヌは気だるそうな表情で髪をいじった。
「そうそう! 悪いな、ボウズ!」
大男がいつの間にか後ろに回り込んでいて、タローを締め上げてきた。
人間としてはすごい力で、ピクリとも動けない。
「代金を受け取りなさい。一千万クレジットよ、無駄遣いしないようにね!」
セリーヌは鞄を乱暴に放り投げた。札束が飛び出す。
タローがいくら暴れても、大男の手は全く緩まない。
「暴れるんじゃねえ、ボウズ。レオンシオ、縛れや」
「ああ」
レオンシオと呼ばれた小男はポケットからタイラップを取り出すと、タローの手首と足首を縛ってしまった。
タイラップとは、締まる方向にしか動かない自動ロック式の結束バンドだ。
セリーヌはタローの指に朱肉を押し当てると、領収書と書かれた紙に押しつけた。
拇印だ。
「はい、毎度あり」
「何をするんだ! そんなの無効だよ!」
このままじゃアビゲイルがさらわれる! 抜け出さなきゃ!
と気ばかり急いても、タイラップは人の力では絶対に切れない。
それどころか口にダクトテープまで貼られてしまう。
驚くほどの手際の良さだった。
「うっさいガキねぇ。代金は払ったでしょ!」
セリーヌがハイヒールでタローの胸を踏みつけてくる。
ミニスカートだからパンツが丸見えだが、痛くてそれどころではない。
「ヨーゼフ、アビゲイルを運び出しなさい」
「うっす! セリーヌお嬢様!」
大男がアビゲイルを担ぎ上げようとして、意外な重さに腰を押さえていた。
小男がため息をつきながら脚を持ち、二人でアビゲイルを運んでいく。
「んん~! んんん~!」
やめろ! やめてくれ!
と言いたかったが、ダクトテープもタイラップも外れない。
他にも言いたい事はたくさんあった。
悔しくて、悲しくて、涙がボロボロと出てくる。
やがて何かのエンジン音が響くと、虫の声しか聞こえなくなった。
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