第5話 臨戦態勢
アタッシュケースは持ち歩きが大変なので、小さなナイロン製のバッグに一千万クレジットを移す。
『一クレジットショップ』で五クレジットで売っていた品だ。
ちょっとばかり良い物があったと思えば、赤い値札で三クレジットや五クレジットの値札が付いている。
どこが一クレジットショップだと言いたくもなるが、どうせ使い捨てだ。
これをジャケットの内側に身に付けることで、ぱっと見には何も持っていないように見えた。
もちろん領収書は保管してある。
「あ~あ、まぁだ着かないのかい」
セリーヌはイソポーダ号の後部座席で、組んでいた脚を組み替えた。
かれこれ二日も無人の荒野を進んでいるのだ。
ひび割れたアスファルトはあちこちに穴が開き、移動速度は遅かった。
「仕方がないっすよ、スピードが全然出せないんすから。道があるだけマシっす」
ハンドルを握るのはヨーゼフだ。
右を見ても左を見ても、面白くない景色が続く。
深い森、崩れたビル街、どこまでも続く砂漠……。
森も砂漠も、よく見ればあちこちにコンクリートの破片が落ちていたりする。
やけにまっすぐな樹は、よく見れば電柱だ。
ここもかつては都市だったのだろう。
誰も居ない無人の荒野となる前は、いったいどれほどの人が住んでいたのだろうか。
「気になりますか? お嬢様」
レオンシオが一時間ぶりに口を開く。
「何かわかるのかい?」
正直を言えば、この景色から感じるのは寒気だけだ。
「いえ、俺も大したことは。しかし『大破壊』前はこの辺りも大都市だったらしいです」
レオンシオが出してきたのは『T』と名乗る女が渡してきた地図だ。ずいぶん古い物らしく、汚れや虫食いがかなりあった。
「大破壊……ねぇ」
伝説にのみ伝わる大破壊は、何があったのか正確な事は一切伝わっていない。
一説によれば、地上に暮らしていた九十億の人々の大半が死亡したという。
大破壊を事前に予測していた一部の国家や企業によって、事前に建造されたアーコロジーに逃れた人々だけが生き残った。
十万人が暮らすアーコロジー・ピラミーダもその一つだ。
以来数世紀、人類は各地のアーコロジーで細々と生き延びているらしい。
らしい、というのは他のアーコロジーとの連絡は一切取れていないからだ。
世界中でどれほどの人類が生き残っているか、見当も付かない。
「アタシゃ過去は振り向かない主義さ。だいいち、アタシらにどうしろってんだ」
「どうしようもないっすね」
再び無言の時が始まった。イソポーダのエンジン音だけが響く。
「……ちっ」
セリーヌは過去を振り返らない。
そんなものは口先ばかりだ。
そして、この二人もそれはわかっている事だろう。
わかった上で、あえて触れずにおいてくれているのだ。
遠い昔。手も足も出ずに終わった初恋。彼は決して女にモテる男ではなかった。
イケメンではないし、逞しくもない。女の気配など一切ありはしなかった。
だからこそ油断していた。
結婚するなどとは夢にも思っていなかったのだ。
しかし、初恋は実らないもの、と言うではないか。
親が決めた許嫁に嫁ぐのも、それはそれで悪くはないと思っていた。
今にして思えば、悲劇のヒロイン気分に浸っていたのだ。
それだけならまだ、よくある話だ。
その男はセリーヌには何の興味も無く、それどころかシャルリエ家の財産だけが目的の結婚詐欺師だったのだ――。
「ヨーゼフ。そろそろ旧セントラルタウンに入るぞ」
「おうよ。どこか適当に停めて、偵察と行くか。小便もしたいし」
レオンシオとヨーゼフの言葉に、セリーヌは現実に戻る。
「……アタシも行くよ」
そう言うと、ヨーゼフとレオンシオは目を丸くした。
信じられない、と顔に書いてある。
「なんだい! アタシが働いちゃいけないってーのかい! 人を何だと思ってんのさ、失礼なヤツらだねっ!」
「……!」
真っ青になった二人は、無言でかぶりを振った。
三人は双眼鏡を持ち外に出る。
とはいえ、これを双眼鏡と言ってよいのかはわからない。
三脚に固定され、カニのようにレンズが飛び出ている。
二つのレンズの距離を大きく取る事により、距離感を正確に掴むことができるのだ。
小高い丘――かと思ったら横倒しになったビルだった――に登り、周囲を見渡す。
視力の良いヨーゼフが早速何か見つけたようだ。
なお、セリーヌ以外の二人は普通の大型双眼鏡だ。
「煙っすね。誰か居ます」
一キロほど離れているだろうか。
ビルの谷間から、かすかに煙が立ち上っている。
おそらく、アンドロイドとそのオーナーはそこに居るのだろう。
事前情報通りだ。
イソポーダ号に戻り、エンジン音を押さえて少しだけ接近する。
手近なビルに入り込み、再び双眼鏡で煙の元を覗き込んだ。
ドラム缶にバケツをひっくり返したような頭、蛇腹の手足のロボットが田んぼで何かしていた。
「……なんだい、ありゃ?」
「ロボットっすね」と、ヨーゼフ。
「そんなの見ればわかるわ、このアンポンタン! レオンシオ、わかるかい?」
レオンシオは双眼鏡を降ろすと、眉間に皺を寄せた。
「タイタン級戦闘ロボットですね。戦うとなれば、やっかいな相手です」
「ふうん……消息を絶ったロボットってのは、アレかねぇ」
「おそらくは」
「でも、心配はいらないさ。アタシたちは『緊急停止コード』を知ってるんだから」
戦闘ロボットとはいえ、ロボットはロボット。
およそ十メートル以内に接近し、緊急停止コードを唱える事でロボットは無力化できる。
即死の呪文。安全装置の一種だ。
それゆえ純粋な兵器としては疑問符が付いてしまうのだが、人類はロボットの反乱を恐れ、安全装置を幾重にも設けた。
ただ、ほとんどの人間はこの事を知らなかった。
ロボットの普及率自体が非常に低かったからだ。
ましてや、今となっては禁制品だ。
「ですがお嬢様。田んぼがあるという事は、食料を必要とする人間がいるという事です」
レオンシオの言う事はもっともだ。
おそらく、ABG二〇〇〇のオーナーが住んでおり、その食料だろう。
懐の鞄に手をやるが、果たして交渉は上手くいくだろうか。
周囲を探すと、粗末なかまどで何か調理しているらしい少女が目に入った。
絹のように滑らかな銀色の髪が、風に揺れている。
「……!」
セリーヌの胸に、嫌な記憶が蘇る。
遠い昔、少女だった頃。
初恋の男は恋愛や結婚をすっかり諦め、全財産を叩いて美少女アンドロイドを購入していた。
所持、製造が禁止される少し前のことだ。
しかし、美少女とはいえしょせんは機械。
恋敵にはなりえない。
そう思って油断していたのが間違いだった。
そのアンドロイドによく似ていた。
男の考える理想の美少女など、意外にパターンは少ないもの。
似たようなアンドロイドは他にも居るはずだ。
だが、十中八九はあれが目的のアンドロイドだろう。
「んん!?」
気のせいだろうか。一瞬、銀髪の少女と目が合ったかに思えた。
一切の感情を感じさせない、深紅の瞳。
セリーヌはかぶりを振る。
そんなはずはない。
この距離だ。とにかくオーナーを探すのだ。
「…………」
周囲を舐めるようにして探すと、ドラム缶――普通に液体を入れる本物だ――から湯気が立ち上っているのが見えた。
中に人がいる。浴槽として使っているのだろう。
湯気で顔はよく見えないが、黒髪であることは間違いない。
あの男も黒髪だった。
「…………!」
かぶりを振って邪念を振り払う。
アンドロイドに入浴は必要ない。
おそらくあれがオーナーだろう。
「誰も居ない無人の街で、美少女アンドロイドと二人っきり。いい身分っすねぇ」
「お黙りヨーゼフ」
セリーヌは双眼鏡の倍率を上げた。
もう少しで顔が見える。
やがて男はドラム缶風呂から出ると、タオルのような布で身体を拭き始めた。
「あっ……」
そこに居たのはセリーヌの初恋の男、ケン・シミズに瓜二つの少年だった。
「嘘……死んだはず……」
目をこすり、もう一度双眼鏡を覗く。
違う。ケン・シミズが生きていれば、もう四十代になっているはずだ。
あれはどう見ても少年。
せいぜい十五歳といったところだろうか。
だとすれば。
「……あのくそ忌々しいハナコの……息子! ケンにナカダシされてデキたガキ! そしてあのアンドロイドはやっぱりアビゲイル!」
「お嬢様、言葉遣いを――」
「お黙りレオンシオ! ヨーゼフ! イソポーダを回しな! 手はずは打ち合わせ通りに! いいねッ!」
「ほ……ほいさぁ」
頭上では上弦の月が、蒼い光で世界を照らしていた。
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