第3話 セリーヌ・シャルリエという女

 ちく、ちく、ちく。

 機械のような正確な動きで、アクリル製の赤い毛糸を編み上げていく。

 セリーヌ・ド・シャルリエ。未婚の独身。

 種族、人間。性別、女性。年齢、二十九。

 身長百六十五センチ、バスト九十、ウエスト六十三、ヒップ八十五。未婚の独身。

 肩甲骨まで伸びたブロンドをいかにも投げやりにうなじで結び、ぱっちりとした二重まぶたと青い目は、瓶底のようなロイド眼鏡の奥に隠れていた。

 普段はコンタクトレンズを使っている。

 断じて老眼鏡ではない。未婚の独身。

 セリーヌはまるで世界が自分の手許しか無いような視線で、ひたすらひたすら編み物を続けていた。

 すでに人工太陽の日差しは、夕刻を表す橙色に変わっていた。

 編み物を始めて、かれこれ三時間が経過している。

 どうやらセーターを編んでいるようだが、このまま何事も無ければワンピースドレスが完成してしまうかもしれない。

 それほどまでに、仕事の依頼が来ていない。


「お嬢! き、来ましたアッー!」


 ノックも無くドアを乱暴に開き、バタバタとやかましく駆け込んできたのはヨーゼフ・フリートハイム。

 筋肉モリモリマッチョマンの変態だ。

 見上げるような長身はともかくとして、無意味にビルドアップしたな筋肉を見せびらかすかのように、この男は一年中タンクトップ姿であった。

 少なくとも、あの忌々しくおぞましい『日光浴クラブ』の活動時以外は。


「うるさいねェ。請求書なんてレオンシオに任せておけばいいんだよ。アタシはこの芸術を一刻も早く仕上げたいのさ」


「えっ? お嬢、あげる相手が!?」


 ぷちん、と何かが切れる音が響いた気がした。

 言って良いことと悪いことがある。

 セリーヌはきつく歯を食いしばり、眉間に皺を寄せながら編み物をヨーゼフに投げつけた。


「お黙りッ! アタシは忙しいんだ! くだらない依頼ならお前たちで何とかおしよ!」


 ヨーゼフはため息をつきながら編み物を机にそっと乗せた。


「そうすか。五十万クレジットの案件なんすけどねェ。オレとレオで行ってきますわ。経費も向こう持ちだし」


 五十万。アーコロジー・ピラミーダの一般的な労働者の月収は、二千クレジットに満たない。

 つまり、破格。

 セリーヌの目は血走り、先ほどとはうって変わって満面の笑みを浮かべていた。

 笑顔なのに真っ赤な目は、ひどくアンバランスで不気味でしかない。


「ヨーゼフ~? お前まさか二人だけで行こうなんて無茶はしないだろうねェ~? 一人はみんなのために、みんなは一人のために、って言うだろー? 一本の矢は折れても、三本の矢は折れないものさ」


 背筋の寒くなるような猫なで声であった。

 ヨーゼフの背中には、汗の染みがみるみる広がっていく。


「じゃ、じゃあその、レオンシオ君……呼んできます。はい」


 数分後、レオンシオ・コフィーニョが戻ってきた。

 病的なまでに痩せており、油で汚れたつなぎ姿で、頬にも煤汚れが付いている。

 顔はそれなりに整ってはいるようだが、まるで人を人と思わないような、あからさまに危ない目つきが印象的であった。


「…………」


 部屋に入ると、無言で手近な椅子に座る。おそろしく鋭い目つきが、早く説明しろという気持ちを言葉よりも雄弁に伝えていた。

 ヨーゼフがポケットから紙片を取り出し、読み上げる。


「さっきも言いましたがね、報酬は五十万クレジット、プラス別途経費! これはデカいっすよ! しかも前払いときたもんだ!」


「だがヨーゼフ、危険じゃないか? その不自然に高い報酬が気にな――」


「お黙りレオンシオ。多少のリスクは織り込み済みさ! なにせ、額が額だからねェ。さ、続きをお話し!」


 レオンシオの頭を押さえつけ、セリーヌが声を上げる。

 ヨーゼフはベルトに挟んだタオルを抜くと、額の汗を拭いた。


「いや、それがですねお嬢。詳細は別途、依頼人が直接会って話したい、と。で、これが大事なんですが……」


「もったいぶるんじゃないよ」


「その、説明後の辞退は認められない、と」


 一瞬、全員が沈黙した。レオンシオが立ち上がる。


「やめとけ。あからさまに罠――」


「レオンシオ。その汚れた作業服をとっとと着替えな! 五十万クレジットがどれほどの額か、わからないお前じゃないだろう!? さあ、早く! 他に取られたらタダじゃおかないからねッ!」


 *


 ガレージのあるアーコロジー・ピラミーダ第五層から、快速エレベーターを使って第四層へ。

 急ぐのだ、切符代を惜しんではいられない。

 エレベーター駅からほど近いビジネス街に、『ピラミーダ・エクスプレス』本部はあった。

 セリーヌたちフリーランスが仕事を請け負うためには、必ずこのエクスプレスを経由し、報酬の中から手数料を納めなければならない。

 もし直接契約が発覚すれば、高額なペナルティを払い除名の上、再加入が不可能になってしまう。

 便利屋組合――事実上の傭兵ギルドにおける鉄の掟であった。


 受付カウンターで要件を告げると、奥の特別室へ通された。

 カメラやレコーダー、筆記用具まで預けるように言われる。

 こんな事は三人にとって初めての事だ。

 エクスプレスの職員によって、お茶と茶菓子がテーブルに並べられた。

 今までに出たことのない高級品だ。

 三人が掛けるソファの正面に、不自然な鏡がある。

 おそらく、マジックミラーだ。

 依頼人は鏡の向こうにいて、セリーヌたちを値踏みしているのだろう。


 バインダーを持った職員が咳払いする。

 若くて美人、フリーランスたちに密かに人気の受付嬢だ。

 だがセリーヌは知っている。

 このカマトトビッチは相手の経済力によって露骨に態度を変えるのだ。

 ヨーゼフとレオンシオはミミズ扱いである。

 セリーヌは心の中で舌打ちしたが、鏡を意識して表面には出さずにおく。


「本件は特別依頼となります。報酬は前払いで経費も依頼人負担。ただし、受諾後の依頼放棄は認められません。もちろん、ここで知り得た事は一切他言無用です。その点に納得頂ければ、こちらにサインを」


 守秘義務誓約書に震える手で署名すると、ヨーゼフとレオンシオも続いた。


「結構です。では、私はこれで」


 数分後、ドアが開くと一人の女が入ってくる。

 赤毛の若い女だ。

 胸は無いが背は高く、スタイルが良い。

 しかし、顔は趣味の悪い蝶マスクで覆われている。

 服装から判断するに、かなり身分の高い家の使用人、といったところだろうか。

 年齢の割に落ち着いた口調で女は言った。


「ごきげんよう。私の事は『T』とお呼びください。お互いに良い仕事ができる事を願っています」


「よろしく」


 セリーヌは握手をしようとして手を出したが、Tは無視してそのまま続けた。心の中で舌打ちをするが、相手は依頼人だ。


「先日、アーコロジー・ピラミーダ南方三百キロにある旧セントラルタウンで、私たちのロボットが消息を絶ちました」


 ロボット。人工知能を搭載した機械人間。第四層以下の下級市民にとっては、縁の無い存在だ。


「外の世界……ですか」


 セリーヌは固唾をのんだ。

 ここ数世紀、ピラミーダの外へ出た者は、全て死ぬか精神を病んでしまうという伝説がまことしやかに伝えられている。

 もちろんそんなわけはないのだが、決して快適な場所ではない。

 セリーヌたちは別の依頼で何度か外に出た事がある。

 風は強く、雨と呼ばれる降水現象が頻発し、昼夜の寒暖差も激しい。

 ピラミーダとは別世界だ。

 危険に満ちた世界。

 あんな所に誰も望んで出たりはしない。普通なら。


「ロボットは撃破された可能性もあります。なにせ、外の事ですから」


「なるほど。相手は?」


「不明です」


 外の世界はいかなる秩序も存在せず、完全な無法地帯だ。

 法も秩序もものともしない、無法者たちが闊歩する地獄である。

 敵は人間だけではない。

 巨大な猛獣が闊歩し、毒虫や毒蛇が這い回っている。

 常人が生身で生き残る事はできないだろう。

 だからこそ、セリーヌたちにお鉢が回ってきたとも言える。


「ロボットではやはり限界がありました。そこで、人間のあなたたちにお願いしたいのです。ABG二〇〇〇型アンドロイドの回収を」


「アンドロイド……」


 十五年ぶりに聞く言葉だった。


「人間を模して造られたロボットです」


 もちろんそんな事は承知している。

 かつてはそこら中を闊歩していたロボットは、十五年前に全て回収、廃棄された事になっていた。

 現在では、製造や所持には厳罰が下されるようになっている。

 ただ、これは建前に過ぎない。

 第三層の富裕層の一部が密かに保有していると、まことしやかに噂されている。

 依頼人が顔や身元を隠しているのも当然だ。

 これは間違いなく水面下で危険な何かが動きつつあり、セリーヌたちはその片棒を担がされている事になる。

 セリーヌは左右からヨーゼフとレオンシオの恨めしげな視線を感じた。

 しかし、もはや引き返す事はできない。


 *


「どーすんですか、こんなヤバい依頼受けちゃって!」


「お黙り! 額が額なんだ、仕方ないだろ!」


 ヨーゼフの手首には手錠がはめられ、手錠の反対側は小さなアタッシュケースの持ち手に繋がっていた。

 鍵はセリーヌが預かっている。

 ケースの中身は驚きの一千万クレジット。

 アンドロイドにオーナーがいた場合、これを使って買収するように預かったものだ。

 こんな大金を拝む機会は二度と無いに違いない。


「だが、確かに俺たちにしかできんな」


 レオンシオがガレージの扉を開き、照明を付ける。

 大きさは中型バスほど。

 全体は潰れた半球形で、三日月型の鉄板をいくつも組み合わせた装甲板が並ぶ。

 下からは八本の脚が飛び出ており、脚の先にはゴムタイヤが付いている。

 それは、まさしく鉄製の巨大ダンゴムシだ。


「この『イソポーダ号』を持つ、俺たちにしか……な」

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