第2話 あやしいロボット

 真昼の月は相変わらず白く、ぼんやりと青空に浮いていた。

 引き絞られた弓が、音もなく矢を放つ。

 ファインセラミックスを削り出して作った矢じりは、野ウサギの頸部を正確に射貫いた。

 野ウサギは苦しそうに数歩歩いた後、倒れて動かなくなる。

 可哀想ではある。

 しかし、タローとて食べなければならない。

 タロー・シミズは、ウサギを拾うとウキウキ気分で家路についた。

 もちろんおかずはこれだけではない。

 背中に背負った袋には、倉庫に残っていた缶詰がぎっしりと詰め込まれている。

 ひび割れたアスファルトの間からは草が元気よく生え、立ち並ぶビル街は傾いていた。

 ビルの壁面は赤黒い汚れが目立っている。

 ひび割れから雨水が染みこみ、内部の鉄筋を腐食させたのだろう。

 一週間前、七ブロックほど離れた所でビルが一軒崩落した。

 この辺りもそろそろ心配になってくるが、地盤が盤石なので当面心配は無いという。

 タローにとって、その日はいつも通りの日常だった。その瞬間までは。


「……!」


 ギギイ、と金属が軋むような音がして、反射的に弓矢を構える。

 ビルの陰から大きな影が現れた。

 クマでも出たかと思ったが、違う。

 こんな生き物は見た事もない。

 いや、生き物ではない。


「……なんだこれ」


 身長は一・八メートルほど。

 ドラム缶のような胴体に、バケツのような頭はくすんだ青。

 ペンチの手に、蛇腹の腕と脚。

 目は光電管で、口の辺りはかまぼこ形にスリットが刻まれている。


 ロボットだ。見るからにロボットだ。

 図書館だった建物に残っていた、二十世紀半ばの絵本に出てくるような古くさいデザインだった。

 ロボットは右手を挙げると、こう言った。


「グッド・イーティング(良い食事を)!」


「なんだそれ?」


「グッド・イーティングと言われたらタンスターフル(無料の昼食などない)! と返すのがマナーだ、少年」


「そうなの?」


 どうやら挨拶らしい。


「まあそれはそれだ。残念だが我輩は固形物を食べる機能は無い。おぬしが食うとよい」


「ええっ? どういう事?」


「そのウサギだ。我輩は固形物は採らぬ。液体のみだ」


「これは……ぼくが自分のために採ったんだけど」


「…………」


 このロボットは、タローのウサギを自分へのプレゼントだと思ったらしい。


「エタノールかメタノール、あるいは軽油なら受け取ってやってもよい」


「無いよ」


「やれやれだ。失礼な子供だな」


 ロボットはペンチの両手を肩の高さに上げると、バケツの頭部を左右に振った。


「きみは何なの?」


「我が名はカイザー。最高級の陽電子頭脳を搭載したアンドロイドである。ただ、少し故障があってな。部品を探している」


「アンドロイドって、人型のロボットじゃないの?」


「どう見ても人型だろう」


 自分が人型に見えるらしい。

 あまり関わらない方が良さそうだ。

 知らない人に付いて行っちゃいけません、とアビゲイルにも言われている。

 人ではないが。


「そうなんだ。がんばってね」


 あまり関わらないほうがよさそうだ。

 自宅の方向へ歩き始めると、カイザーと名乗ったロボットも後について歩き始めた。


「……?」


 タローが立ち止まると、カイザーも立ち止まる。

 また歩き始めると、カイザーもまた歩き始めた。


「……どうして付いてくるの?」


「気にするな。たまたま行く方向が同じだけだ」


 頭の上から生えているアンテナが、何かに迷うように左右に振られている。


「ぼく、帰るんだけど」


「構わん。我輩は暑さや寒さで体調を崩したりはせぬ」


「だろうね。それじゃ」


 タローは足早に歩き出すが、カイザーもペースを合わせて付いてくる。

 がしゃがしゃ。ぴたり。

 立ち止まると、相手も止まる。

 今度は走り出すが、全く同じ速度で相手も付いてきた。

 明らかに付いてきている。


「我輩は別に、寂しいからおぬしに付いて行っている訳ではない」


「そうなんだ。あそこにガソリンスタンドの跡地があるよ。そこで休めば?」


「我輩に休息は必要ない」


 うざい性格だった。


「あのさあ。カイザーって言ったっけ? きみ、どこの子?」


「マイヤー・オフィスだ」


「じゃあ、帰らなきゃね。お家はどこ?」


「アーコロジー・ピラミーダ」


「お家の方に迎えに来てもらう?」


「拒否する。そんな事をしたら怒られるのでな」


「なんだそれ。まさか、捨てられたの?」


「ピイイ~!」


 カイザーはまるで笛のような音を立てた。


「否。断じて否! あるじが我輩を捨てるなど、あってなるものか! 訂正せよ! ただ、数十年かかりそうな任務を言いつかっただけに過ぎぬわ!」


「ああ、そう。……大変だね」


 結局最後までカイザーは付いてきてしまった。

 大きな交差点に建っている、六階建てのビルがタローの家だ。

 このビルは石を積んで造られたもので、他のコンクリート造りのビルが次々と傾く中、ほぼ原型を留めていた。


「お帰りなさ~い、タローさま」


「アビゲイル、ただいま」


 アビゲイルは十五年の月日を経ても、外見に全く変化は無かった。

 今となってはタローと同い年の少女に見える。

 今日はシンプルなワンピースに前掛けを付けていた。


「あら~、また何か拾ってきたんですか?」


「ぼくが頻繁に何か拾ってくるみたいに言わないでくれ。勝手に付いて来ちゃったんだよ」


 タローは三年ほど前、野良猫を拾ってきた事がある。

 しかしある日突然、盛りが付いて飛び出したまま帰ってこない。

 何日も探し回ったが、結局見つからずそれっきりだ。


「別に世話じたいはどうって事ないんですけどね。居なくなったらタローさま、悲しむじゃないですか」


「だから勝手に付いてきたんだってば」


「猫もそうでしたね~。結局ほとんど私が世話したんですよ~。逃がしたのはタローさまですけどね~」


 確かに、それを言われると弱い。


「タローさまにはもう、私というアンドロイドがあるじゃないですか」


 カイザーは入り口をのぞき込むようにして、こちらを伺っている。

 アビゲイルはカイザーを一瞥すると、いかにも嫌そうにかぶりを振った。


「私は嫌ですよ、戦闘ロボットの世話なんて」


「戦闘ロボット?」


「戦闘ロボットは三原則を巧妙にバイパスして対人攻撃が可能なモデルで、これはタイタン級です。武装はオプションで色々選べるようですね」


「え? でもロボット三原則は陽電子頭脳の基本アーキテクチャでしょ?」


 陽電子頭脳はプラチナ・イリジウムの海綿状合金が人間の脳組織を模した電子回路を形成しており、アビゲイルにも搭載されている。

 人間にとって安全で使い勝手が良く、また頑丈である事を規定した三原則は、陽電子頭脳の設計段階から作動の前提条件となっているのだが……。


「人間の定義がオーナー『のみ』なんですよ」


「どういうこと?」


「三原則にはロボットの行動が規定されていますが、人間が何かという規定は無いんです。オーナーだけを人間と認識すれば、他の人間に危害を加えることも不可能ではなくなります」


「ああ、フレーム問題の回避か。三原則、意味ないじゃん」


 三原則を守ろうとすると、起こりうるあらゆる可能性を検討するために無限の処理能力が必要になってしまう。

 そのため知っていることだけが世界の全てだと認識する枠が必要になる。


「そうでもありません。人間やそれに類する者への攻撃は心理的な負担が大きくなりますから、結局何人か殺した後で自壊してしまうんです。コストが折りに会わず、あまり大量に配備されることはなかったようです。そもそも古いロボットですし」


 タローは後ろを見た。


「クゥ~ン……」


 アンドロイドに育てられたタローには、カイザーが捨てられた子犬のような目をしているのがわかった。

 きっとあれは、寂しくて不安で仕方がないという目だ。

 危険な殺人ロボットにはとても見えない。

 それに、どちらにしろ人間のかなう相手ではない。


「じゃあ、こうしよう。『ロボット拾いました』って張り紙を入り口に貼っておくんだ。世話は自分で何とかしてもらう。これならいいだろう?」


 アビゲイルは深くため息をつきながらも頷いた。


「……はい、わがあるじ。やれやれです」


 結局、誰も来なかった。

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