箱庭のアーコロジー ―ぼくを赤ん坊から育てた美少女型アンドロイドがさらわれたので助けに行く―
おこばち妙見
第1話 がれきの街にて
ロボット工学三原則
第一条
ロボットは、人間に危害を加えてはならない。また、危険を看過する事で人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条
ロボットは、人間に与えられた命令に従わなくてはならない。ただし、命令が第一条に反する場合は、この限りではない。
第三条
ロボットは、第一条および第二条に反さない限り、自身を守らなければならない。
――アイザック・アシモフの作品群より
*
このメガリス社製ABG二〇〇〇型アンドロイド、シリアルナンバー〇七二四五四五号が最初のマスターによって付けられた名前をアビゲイルという。
フルネームはR・アビゲイル・メガリス。短縮形はアビー。
名前の由来はよくわかっていない。
マスターはもし自分が女で、男性型アンドロイドを造るならセバスチャンと名付けていただろう、と言っていた。
その時のアビゲイルにはよくわからなかったが、創作物に出てくる『メイドさん』のありがちな名前らしい。
見た目の年齢は十代半ばほどの少女がモデルになっており、最初の主人によって八回のリテイクの末決定された顔は、美しさと儚さ、愛らしさが同居した芸術品と言っても過言ではないだろう。
瞳の色は赤。光彩の色、形状もこだわりを持たれていたが、職人の腕が良かったのか一度で決まった。
髪型は腰までの銀髪ストレートヘアだ。
ただ、髪型と髪色の変更は最初の主人が死ぬまで毎月行われていた。
ボディも六回のリテイクの末、決められた。
肌は白く、赤ん坊のようなタマゴ肌である。
肌の色は四回リテイクされた。
身長は一五〇センチ。バスト八十二、ウエスト六十、ヒップ八十三。
しかしスタイルの割に体重は重く、八十キロほどある。
中にはギッチリと機械が詰まっているので、どうしても同サイズの人間に比べて重たくなるのだ。
こうして女性としての美しさを――それは機能をも含めていた――こだわりにこだわり抜いてアビゲイルは造られた。
マスターの趣味丸出しの、何でも思い通りになる理想の女性として。
当初はマスターもアビゲイル相手のお人形遊びに満足していた。
しかし、全く人間の女性に縁が無かったマスターの前に、一人の人間の女性が現れたのだ。
彼女は最初、アビゲイルに対して極めて複雑な感情を抱いていた。
『嫉妬』というらしいその感情をアビゲイルは理解できない。
人間がアンドロイドに嫉妬するなど、全くもって意味の無い事だからだ。
二人の間にどのような感情の変化があったのか、全てを知る事はできない。
アビゲイルのあずかり知らぬところで、二人は夫婦となった。
夫婦にアビゲイルは献身的に尽くした。
人間を嫌いになるようにはできていないのだから当然だ。
より正確に言えば、人間を嫌いになる機能が無い。
最初のマスターが亡くなると、妻がアビゲイルの主人となった。
第二のマスターは、アビゲイルに性的な命令をする事は無かったが、時折乙女チックな衣装を手に入れては着せ替え遊びを楽しんでいた。
そして、その二番目のマスターも亡くなった。
アビゲイルは今、三人目の主人に仕えている。
ABG二〇〇〇型は耐久性を重視して造られ、五百年ごとの定期メンテナンスを受ければ半永久的な寿命を持つ。
そのため主人の代替わりは珍しい事ではないとされるが、同型のアンドロイドの多くが主人の死とともに殉死するという。
主人の多くが独身で子供の居ない男性で、そうなる事を望むからだ。
アンドロイドにとって、死はそれほど恐ろしいものではない。
尽くすべき主人を失う事のほうが、より大きなストレスだ。
同型のアンドロイドに会ったのはたった一度きりだ。
さらにアビゲイルがロールアウトした少し後、アーコロジー・ピラミーダにあった工房が焼失し、そのまま倒産した。
アビゲイルはメガリス社によって造られた最後のアンドロイドだ。
その最後のアンドロイドは今、コンクリートブロックを組んだかまどで燃えさかる炎をじっと見つめていた。
鍋に使われている用途不明の金属の器には湯が張られ、その中には粉ミルクが入った哺乳瓶が浮いている。
熱分布を直接認識できるため、温度計は必要ない。
適温を確認すると、哺乳瓶を引き上げる。
アビゲイルの現在のマスター、タロー・シミズの食事はこの粉ミルクだ。
「おぎゃーっ! おぎゃーっ!」
顔を真っ赤にしてマスターが呼んでいる。
「お待たせいたしました。わがあるじ」
「ぴぎゃーっ!」
タローを抱きかかえ、哺乳瓶を口許に当てるが、マスターはプイと顔を逸らした。
「あらら、お気に召しませんか?」
「ほぎゃーっ!」
「具体的な命令をいただけると、私としても従いやすいのですが」
三原則第二条。ロボットは人間に与えられた命令に従わなくてはならない。ただし、命令が第一条に反する場合は、この限りではない。
しかし、タローはこのように極めて抽象的な命令しかしてこない。
そのため、今のように命令の解釈に齟齬が出る事がある。
「ふんびーっ!」
鼻の奥に設置された嗅覚センサーがアンモニアを検知する。
オムツを交換しろ、と命令されているらしい。
「うぎゃーっ!」
「かしこまりました、わがあるじ。オムツを交換いたします」
オムツの交換が終わると、タローは上機嫌になった。
「きゃっきゃっ」
しかし、ほどなくしてまたぐずり始めた。
「どうなさいました?」
「ほぎゃーっ!」
抱き上げてあやそうとするが、泣き止まない。哺乳瓶にも興味を示さなかった。
「……外に出たいのですか?」
タローは外を散歩するのが好きだった。
もちろん、自分で歩く事はできない。
アビゲイルが抱いて歩く事になる。
今日は天気も良く、気温、湿度、気圧も適切だ。
「きゃっきゃっ!」
「お喜び頂けたようで何よりです。タローさまは、お散歩が好きですからね~」
タローを抱いて、ビルの谷間を歩く。
体重はすでに九キロ。
人間が片手で持つには重いだろうが、アビゲイルにとっては何の問題も無い。
最大出力一二九・三馬力は瞬間的なものだが、常時百馬力は発揮可能だ。
見上げれば建物は傾き、壁はひび割れ、全体が蔦のような蔓植物に覆われている。
窓ガラスは一枚もない。
道は荒れている。
アスファルトは草が生えてひび割れ、大きな穴がいくつも開いていた。
赤さびた自動車の残骸が地平線まで続く。
昆虫やノウサギ、時折現れるシカといった動物の他に、動くものは無かった。
無人の街を、タローとアビゲイルは歩く。
やがて、かつてスーパーマーケットだったらしい廃墟が見えてきた。
「ついでですから、ベビーフードでも拾いに行きましょうね~」
かつて営業していた店の在庫だが、製造後数百年を経ても品質に変化は無い。
かつてこの街に住んでいた人々が持っていた、高度な技術が覗える。
タローがぷくぷくとした小さな手で、アビゲイルの胸をまさぐってきた。
「あらあらタローさま、私に母乳を出す機能はありませんよ。赤ちゃんみたいですね~」
赤ちゃんである。
しかし、人間である事には変わりない。
アンドロイドにとって人間であれば、性別も年齢も大した意味をなさない。
しいて言うならば、全てのアンドロイドにとってあらゆる人間は『異性』であった。
「ううー。あびー」
「……? タローさま。今、『アビー』とおっしゃいましたか?」
「あぶ」
「生後九ヶ月で言葉を話すとは、さすがタローさまですね~」
「あばばばば!」
「『あばばばば』ですか。芥川龍之介の短編小説ですね~。さすがタローさま! 博識です!」
「ばぶう」
言葉を話すのなら、どうしても最初に話しておきたい事があった。
「私、最初のマスターに言われたんですよ。人間らしくなるように、って」
「うーあ」
「ごめんなさい、前のマスターの事を新しいマスターに話すの、御法度でしたね。だからこれで最後にしますけど……人間らしさって、何なんでしょう? 造られてからもう二年も経つのに、いまだに私にはよくわかりません」
「ぶう?」
「タローさまも、私がもっと人間らしくなったほうが、良いですか?」
「ううう……おぎゃーっ! おぎゃーっ!」
「あらあら。私、また何かやっちゃいました?」
タローはしばらく泣き止まず、以降は二歳になるまで意味のある言葉を話さなかった。
二人のほかは誰も居ない、無人の街。
真昼の白い月がいつも二人を見下ろしていた。
長い時が流れたが、アンドロイドであるアビゲイルにとって、時間というものもあまり意味は無い。
タローは十五歳になっていた。
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