第10-2話 支部長

「クソッ、どうなってる……!? 奴の魔力は底なしか!?」


 どこか見知らぬ部屋で、未来と名乗った少女が己のこめかみに向けて拳銃の空砲を連発する。

 そこかしこに先の見えない闇が開き、闇の向こうから魔法使いが現れたかと思うと、別の闇の向こうへと消えていった。

 そして、闇へと消えた彼らがここに戻ってくることはない。


「もう100人は魔法使いを送り続けたはずなのに……!」

「手こずっているようだねぇ」


 その時、未来に負けず劣らず幼い声色をした少女の声が辺りに響く。

 少女は音もなく未来の前に姿を現すと、不敵な笑みを彼女へ向けた。


「支部長……!」

「作戦変更だ。もう、命を無駄遣いすることはない。未来くん、君ももうゲートを開いて彼らを送り届けてやる必要はない」


 支部長と呼ばれた少女が、辺りに集った魔法使いたちに宣言する。

 すると、彼らはピタッと動きを止めて、少女の次の言葉に耳を傾けた。


「未来くん、桐崎の息子と娘を捕らえたらしいじゃないか。お手柄だ。彼らを人質として、桐崎をおびき寄せることにしようじゃないか」


 少女が鷹揚な声で命じる。

 その言葉に、未来が恐る恐るといった様子で問い返した。


「お言葉ですが、支部長。支部長は総也と玲奈をどうされるおつもりですか……?」

「ん? どうもしないよ。そのまま人質交換して桐崎を捕らえ、殺す」

「あの、それはつまり、彼らの記憶を消したりはしないということですか……?」


 そこまで問われると、支部長は目を丸くして見せた後、大声を上げて笑い始めた。


「あはははは! 何を言い出すかと思えば、そんなことか!」

「そんなことって……!」

「ああ、いい。いいよ。君の気持ちはよく分かる。一時とはいえ親睦を深めた仲だものな。情が移るのも仕方あるまい。……ああ、君にとっては昨日のような話だったか」

「冗談ではありませんっ!」


 茶化されたことにいい加減、未来はイラついた表情を見せる。

 その様子を鼻で笑い飛ばしながら、支部長は続けた。


「彼らの記憶を消す? そんなことはしないよ。記憶を消したら、彼らの人質としての価値が下がる。記憶を失った息子と娘じゃ、あの男は人質交換に応じないかもしれんからな」


 その言葉に、未来の表情はパッと明るくなる。

 分かりやすい未来の反応を、支部長は再度鼻で笑った。


「さて、それじゃあ私は早速彼らに会ってくるとするかな」


 そう言い残し、少女の姿はその場から消え去った。

 後に残された未来は、どこか祈るような表情をしていた。


*********************


 牢獄に鎖で繋がれて、なんとか脱出できないものかとガチャガチャ鎖を鳴らしている総也の下に、フッと銀髪の少女が姿を現す。

 突然のことに、総也はあっけに取られ、言葉を失った。


「やぁ、こんにちは。君が桐崎 総也くんで合ってるのかな? 私は魔法協会日本支部の支部長を担当している三瀬みつせ 成美なるみという者だ。今後ともよろしく頼むよ」


 魔法協会という単語を聞き、総也が表情を引き締める。

 世迷言でないなら、少女こそが魔法の実在を証明したことになるのだから。


「なんのようだ。秘密を知った口封じに来た……といった雰囲気ではなさそうだが」

「話が早くて助かるよ~。実は、君たちの身柄を人質に君たちのお父上をお呼びしようと思っていてね」

「……」


 訝し気に総也が成美を睨みつけると、少女はふふんと鼻を鳴らした。


「いや~、君のお父上には手下を随分と殺されてしまってね。甘く見ていた。これほど強大な魔法使いが世間に野放しになっていたとは……。普通、強力な魔法使いは魔法使いの親を持って生まれてくる。彼ほど強大な魔法使いが我々魔法協会の監視の目をすり抜けるなんてことは起こりえないハズなんだが……。いやはや困った困った」


 少女が饒舌に喋るお陰で、総也は事態を概ね把握することができた。

 まず、この世に魔法は実在する。

 そして、魔法の才能は本来なら血統に準じて受け継がれていくものだ。

 魔法協会は、その血筋を追うことによって、今まで魔法の存在を世間に対して隠匿してきた。

 それゆえ、総也たち一般市民は今まで魔法の存在を認知することがなかった。

 そういうわけなのだろう。


「俺と玲奈を人質に親父を呼び寄せてどうするつもりだ? 殺すのか?」

「もちろん。その後は君たちの記憶を消して、世界中の一般人からも魔法の存在を忘れさせなければならない。いやはや、大変なことをしてくれたものだよ、君たちのお父上は」


 少女が悪びれもせずに言う。

 実の父親を殺す。

 自分の記憶も消される。

 そうまで言われては、総也も眉を顰めるといったものだ。


「まぁまぁ、そんな顔はしないでくれたまえよ。未来くんが悲しむからな。……ああ、そういえば、未来くんには嘘をついてしまったねぇ。確かに、私はお父上を殺すまでは君たちの記憶を消すつもりはないが、殺した後なら話は別だからね」

「ふん。あの親父が俺たちの命程度であんたんとこに来るものかな?」

「来るとも」


 総也の精一杯の虚勢に対し、少女は即答をした。

 その言葉に、総也は更に眉をしかめる。


「これは長年の経験に基づく勘って奴なんだが、君のお父上は必ず来る。人質交換にまで応じるかどうかは分からんがね。そこからは私の腕の見せ所といったところだ」

「長年の経験……ねぇ。あんた何歳だよ?」

「ふふふ、レディにそういった話題は厳禁だよ?」


 どう見ても幼い子供にしか見えない少女だが、恐らくは不老の魔法でも使っているのだろう。

 目の前の女は、年の功を感じさせる老獪さを身に纏っていた。


「まぁ、いい。どうせ見られてちゃできることは何もないさ。煮るなり焼くなり好きにしろ」

「あはは、そうしたいのは山々なんだけど、君たちは未来くんのお気に入りみたいだからねぇ。あんまり遊んでもあげられないんだ。……どれ」


 成美は後ろを振り向く。

 向かいの牢獄にいるのは玲奈だ。


「玲奈に何かしたら殺してやるからな」

「ふふ……脅かさないでくれたまえよ。別に取って食おうってものじゃないんだし」

「そうは言うけど、獲物を前に舌なめずりしてるのが丸見えよ。クソババア」

「あらあら。2人してこんな可憐な美少女をおばあちゃん扱いだなんて……。ひどいわ、まったく……」


 総也と玲奈の間に立ちながら、成美は頬に手を当ててわざとらしく肩をすくめてみせる。

 兄妹は同じような怪訝そうな表情で少女のことを睨みつけていた。


「さ、て、と。お邪魔虫は退散するといたしましょうかね。これから忙しくなることだしね」


 すると、一瞬のうちに成美は姿を消す。

 比喩ではなく、成美の姿は消滅したのだった。


「テレポーテーション……か?」

「転移魔法と言った方が良さそうね……。メイガス・ワールドの例に倣うなら」


 向かい合いながら、兄妹は会話を交わす。

 牢獄の監守が、苛立たしげに総也のことを睨みつけてきた。

 それを見て、総也たちは口をつぐむ。


(魔法は実在する……。親父は魔法協会と敵対してまで、魔法の存在を世間に――世界に公表した。なんのためにそこまでするんだ……?)


 総也は決して七也の味方ではない。

 もちろん、上官である以上は命令には従うし、特に信条的な問題がなければ七也を裏切るつもりもない。

 だが、この情報が少なすぎる状況では、正義がどちらにあるのか総也には分からなかった。

 魔法などというものがこの世に実在すると公表すれば、世界中が大混乱に陥ることは必発だ。

 そこまでの混乱を起こしてまで、なぜ自分の父親は魔法の存在を公表したのか。

 その理由を総也は思索していた。


(あの所信表明演説の場で魔法の存在を公表することは親父の目標だったはずだ。ならば、奴にとってこの国の総理大臣になることは目標ではなくて手段だった……?)


 総也はそのように仮説を立てた。

 一国の宰相だ。

 並大抵の努力では事実上の最高権力者になどなれはしない。

 努力はもちろんとして、コネクションや「運」にも恵まれている必要があるだろう。

 だが、この仮説が正しいなら、桐崎 七也という男にとってはそれさえも通過点でしかなかったということになる。

 なんという傲慢だろうか。

 多くの矮小な市民にとっては夢にすら抱くことができないような目的を、彼は手段としか考えていないということなのだから。


(まぁ、これは俺の勝手な仮説に過ぎないわけだが……。だが、この仮説が正しいとすると、あるいはもしかすると「魔法の存在を公表すること」すらも……?)


 総也は考える。

 魔法の存在の公表すらも、あの男にとっては通過点に過ぎなかったのではないのか、と。

 ならば、七也の野望はまだ終わっていないことを意味する。

 さっきの成美の話が正しければ、自分の父親は今日一日で随分とその手を血で染めたことになる。

 果たして、そこまでの命を刈り取ることが許されるまでの大義名分が、彼にあるのだろうか?

 総也にはどうしてもそうは思えなかった。


(なんにせよ、俺にできることは何もない……)


 総也は無力感に苛まれながら、牢獄の冷たい石畳に腰を降ろした。

 この記憶も魔法使いたちに消されてしまうのだろうか。

 そもそも自分たちを捕らえたあの未来とかいう少女は?


(そういえば、あの女、俺たちのことを「未来のお気に入り」とか言ってたな……。なら、やはり彼女は……)


 未来と名乗った少女は、やはり明日香なのではないだろうか?

 自分の手で殺したようで、明日香は実は生きていた?

 魔法が存在する世界だ。

 冷たくなるまで冷え切った死体でも、蘇らせる方法などもあるのかも知れない。

 総也はそんな幻想に取りつかれた。


(明日香が……生きているかも知れない……)


 いつしか、総也は父親や世界のことなど忘れて、そんな妄執に取りつかれていた。

 そして時は過ぎてゆく……。


*********************


 どれほどの時が経っただろうか。

 明日香や他の仲間たちとの思い出に耽っていると、彼のすぐそばに支部長の肩書を持つ女――三瀬 成美が姿を現した。


「時間だ。君たちには予定通り人質になってもらうよ」


 少女が総也の手枷に付けられた鎖を外す。

 とはいえ、手枷と足枷を付けられた状態では満足に身動きも取れない。

 成美に左腕を掴まれると、総也は自分の周りの風景が一瞬にして切り替わるのを見た。

 次の瞬間、総也のすぐ隣には成美の他に玲奈がいた。


「……何度見ても慣れないわね」


 さっきまで遠くにいた2人が、いつの間にか目の前にいたのだ。

 驚くなという方が無理な注文だろう。


「♪~」


 銀髪の少女が鼻歌を歌いながら、玲奈の鎖も手早く外す。

 そして、玲奈の右腕を掴むとまた周囲の景色が切り替わった。

 今度は、その景色は牢獄ではない。

 周囲を木々に囲まれた、広い野原のような場所だった。

 時刻は昼過ぎといったところだろうか?


「なん……だ? これは……」


 だが、異様だったのは周囲の風景が切り替わったことだけではない。

 見渡す限り、辺り一帯に広がっていたのは、焼け焦げた人間の死体だった。

 その中心にいるのは、身体の周囲に紫電を纏った黒服の男が一人。


「親父……」

「お父さん……!」


 それは、桐崎 七也その人だった。

 玲奈が反射的に成美の腕を振りほどこうとし、足枷につまずいてその場に転ぶ。


「つっ……!」


 手をついても勢いは止まらず、玲奈は顔面から地面に突っ込む。

 顔を土で汚しながらも、玲奈は顔を上げて自分たちの父親のことを見つめた。


「ようやくお出ましか。協会の日本支部長とやらはあんただな?」

「ご明察。桐崎 七也どの。三瀬 成美と申す者だ。今後ともよろしく」

「今から死ぬ女に用はない」


 七也が紫電を放つ。

 容赦のない一撃。

 当たればひとたまりもないだろう。


「おっと」


 だが、その紫電が放たれるのとほぼ同時に成美は転移魔法を使用した。

 総也の腕を掴んだまま、スッと真横に転移する。

 紫電は、地に伏した玲奈の上を通り過ぎていった。


「危ないじゃないか~。危うく娘さんに当たるところだったよ?」

「黙れ、女狐」


 総也は驚いた。

 自分の父親が雷を放ったことに対してでもない。

 横の女が瞬間移動をしたことに対してでもない。

 ――総也は、実の父親が今まで見たこともないような表情をしていたことに驚いたのだった。


「大方、息子と娘を人質にして私を捕らえ、殺そうという魂胆なのだろうが、その手には乗らん。貴様にはここで死んでもらう」

「面白いことを言うねぇ……。次に手を出してみな。君のかわいい息子の首がちぎれ飛ぶよ?」

「……」


 七也は手を上げない。

 その代わり、その琥珀色の瞳は極寒の冷気を纏って小さな少女を睨みつけていた。


「お利口さん、だ。100人を超える大量殺人者にも人の血は流れていると見える」

「私は世間話をしに来たわけじゃない。今すぐ息子と娘を返してもらおう。そして死ね」

「落ち着きたまえよ。せっかくの美男子が台無しだ。君が死んでさえくれれば息子さんと娘さんは五体満足で返すとも。最も、魔法に関する記憶は消させてもらうが」


 七也がスッと眼を細める。

 交渉が決裂したことは火を見るよりも明らかだった。

 だが、どちらが勝ったとしても、総也は無事では済まない。

 父親が勝ったとしても、その前に総也の命の灯火は消えているだろう。

 そして、成美が勝ったら彼はこの記憶を失うことになる。

 どこまで消されるかは分からない。

 だが、手加減をしてくれそうな相手ではないことだけは確かだった。


(万事休すか……)


 諦めかけたその時――。


「待って!!」


 彼らの背後から、その声は聞こえた。

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