第8-2話 謝罪
「ログアウトする。みんなも今日は早めに帰るんだ」
ソウは、地に膝をつきながら、ポツリとこぼす。
それに、カースとカリンは無言で肯定を返した。
ソウもそれに無言で返し、彼はログアウトプロトコルを起動した。
『Log out』
無機質な電子音声が脳内に響き、ソウの精神はついに解放され、桐崎 総也の肉体へと舞い戻ったのだった――。
********************
目を覚ました総也は、すぐさまブレイン・アクセサーを脱ぎ捨てて寝室を出る。
そこには、玲奈が待ち構えていた。
「来音さんのところに行くの? もう夜は遅いわよ?」
「当たり前だろ。あのままのあいつを放ってはおけない」
「……まぁ、いいけど。あんまり情を移し過ぎないようにね」
「……」
総也は玲奈の言葉に不快気に眼を細めたが、無言で踵を返す。
そして、足早に階段を降りて玄関へと向かった。
自動運転のリムジンに乗り、来音邸に向かう。
すると、来音邸の玄関には既に1人のメイドが待ち構えていた。
「お待ちしておりました、総也さま。早速ですが、中にお入りください。至急です」
メイドの内の1人が恭しく総也に礼をする。
その様子に、総也は尋常ならざるものを感じた。
「……真理亜の容態は?」
「命に関わる事態ではありません。ただ、精神的に大変弱っておいでで……」
「分かった。すぐに向かう」
総也は、メイドの先導で豪邸の玄関をくぐる。
洋風の館は土足で廊下を歩く形になっており、メイドと総也は足早に館の中を歩いていった。
やがて、メイドは1つのドアの前で立ち止まる。
「こちらがお嬢様のお部屋となっております」
「分かった」
総也が部屋のドアをノックする。
「はい……」
すると、中から弱弱しい返答があった。
精神的に参っているのがよく分かる声色だった。
「俺だ」
「えっ!?」
中から驚いたような声が聞こえてくる。
そして、バタバタと物音がしたが、総也はそれに構わず部屋の中へと踏み込んだ。
「真理亜……」
部屋の中には、いかにも病人といった風体の、髪の毛がボサボサで顔色も悪い真理亜がいた。
昼に食事をした時とは、まるで別人だった。
彼女と目が合う。
すると、真理亜は気まずそうに眼を逸らした。
「……」
真理亜は眼を逸らしたまま無言を貫く。
総也と真理亜の間には見えない壁が立ちふさがっているかのようだった。
「真理亜……」
「来ないでっ!!」
総也が彼女にもう一度呼びかけ、一歩踏みよると、真理亜は拒絶の言葉を叫びながら、一歩後ずさった。
「真理亜、さっきは悪いことをした。謝らせてくれ。痛い思いをさせて、本当に申し訳ない」
「……」
総也の言葉に、真理亜は堪えきれないと言わんばかりにしゃがみ込む。
そして、顔を伏せて涙を流し始めた。
「なんで……なんで総也くんが謝るんですか……? 酷いことをしたのは私の方ですのに……」
「お前を傷つけておいて平然としていられるほど俺は図太くない」
総也がか細く微笑みながら、また一歩真理亜に近づく。
真理亜は最早その場にしゃがみ込んだまま動かなかった。
やがて総也は彼女の下に辿り着くと、真理亜の頭の上に手を置いて優しく撫で始めた。
「あ……」
真理亜が顔を上げる。
その美しい顔は涙でぐちゃぐちゃになっていて、眼の下の隈は彼女の憔悴を物語っていた。
「うっ、ううっ、うあぁ……!」
そして、真理亜はまた涙を流し始める。
彼女は総也に頭を撫でられたまま、悲痛な嗚咽を漏らし続けた……。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
真理亜は譫言のように繰り返す。
繰り返しながら、彼女は子どものように泣きじゃくっていた。
「いいんだ……。間違えたらやり直せばいい。真理亜はまだやり直せるじゃないか」
総也は(俺とは違って……)という言葉は飲み込んだ。
そんなことを真理亜にぶつけても何にもならない。
総也は真理亜を傷つけた。
癒えない痛みを負わせた。
まずは、それを償うことが最初だ。
「痛かったよな? 苦しかったよな? ごめんな、辛かったよな……」
「いえ……私が悪かったんです……。私がこんなことを始めなければ、こんなことにはならなかった……。私が悪いんです……」
「真理亜……」
総也は、彼女を抱き締めたい衝動に駆られる。
だが、それはできない。
彼はあの時彼女を抱き締めなかった。
今の彼のどこにそんなことをする権利があるだろうか?
だから、彼は優しく彼女の頭を撫で続けた。
「う……ひっく……ひっく」
泣き疲れた真理亜は、やがてしゃっくりをし始める。
それを、総也は見ていることしかできなかった。
「ひっく……そういえば、ひっく、聞きたいことが、ひっく、あります……」
「なんでもいいぞ。でも、まずはしゃっくり止めような?」
後ろを向くと、さっきのメイドが水を持って立っていた。
コップ入りの水を受け取って、真理亜に渡すと彼女はそれをゴクゴクと飲み干した。
「うぅ……総也くんは、私に光の剣を投げつけてきました。アレ、絶対に私がワープする方向を予測しながら投擲していたと思ったんですけど、なんであんなことができたんですか?」
「ああ、そのことか」
リアルな戦場に疎い真理亜がそのことに疑問を抱くというのは当然のことだろう。
実際、総也――ソウは、神は恐らく後方に瞬間移動で回避するだろうと予測した上で雷電の剣を投擲した。
それができた理由には、彼の実戦経験の深さがある。
「真理亜、もしお前が日本刀でいきなり斬りかかられたとしよう。お前はどうやってそれを避ける?」
「えっ? それはもちろん後ろに避け……あっ!」
「そうだ。俺は単に、お前は反射的に後ろに逃げようとするだろうと予測したから、雷電の剣をお前が逃げる方向に投げつけられたに過ぎない。仮に当てが外れても構わなかったしな。投げて失くした武器は、また作ればいいだけだし」
納得しかけた真理亜が、しかし総也に反論をする。
「で、でも! 最初私は春日野さんに斬りかかられた時、上に避けましたよ?」
「ああ、そうだな。だが、それはお前がカリンに反撃をするためだっただろう? 単に回避するだけなら後ろに避けるだろう。俺はそう踏んだ」
「わ、私だって、総也くんのことを……攻、撃……」
そこで、ハッと気づいたかのように真理亜は眼を見開く。
「総也くん、あなたはまさか……!」
「ごめんな。だから俺はお前に謝ってるんだ。俺は、お前の心に付け込んだ」
総也には分かっていた。
真理亜は総也には反撃をしてこない、と。
真理亜が咄嗟の判断で総也に反撃をすることは絶対にない。
だから、真理亜は避ける時は後ろに避ける。
総也にはその確信があった。
「総也、くん……!」
真理亜が、急に笑顔になってガバッと総也に抱き着いてくる。
いきなりのその行為に、総也は避けることができずそのまま彼女に押し倒された。
「お、おい! いきなり何を――」
「総也くんは……総也くんはやっぱり私の総也くんでした! 私のこと一番わかってて、私が大好きな……!」
咄嗟に上を見上げて助けを求めると、さっきのメイドはコホンと咳払いをして踵を返したところだった。
誰も助けてはくれない。
総也は絶望した。
「れ、冷静に考えれば分かることだ……。お前は俺に攻撃する時、俺がギリギリで回避ができるレベルの攻撃しかしてこなかった。その気になれば、簡単に仕留められるにもかかわらず、だ。それは、お前が本気では俺のことを殺そうとしてはいなかったことの証明になる」
「はい……はい……! その通りです、総也くん……!」
真理亜がその豊満な肢体を総也の身体に押し付けながら、彼の胸板に頬擦りしてくる。
腹筋の辺りに彼女の柔らかくて大きなおっぱいがふにゅりと押し付けられていて、精神衛生上たいへんよろしくない。
というか、彼のナニは既にエレクトし始めている。
それは真理亜とておなかの辺りで感じているはずで……。
「あっ……」
真理亜が、蒼白だった顔色を赤く染める。
もぞもぞと動きつつ、眼を逸らしつつ、その意識はおなかに当たる硬い何かに興味津々といった風だった。
「しないからな」
「えっ?」
「しません」
「そんなぁ……」
だから総也は先制を打った。
ここで場の空気に流されて真理亜と関係を持ったら、後々絶対に後悔する。
彼にはその確信があった。
「俺からも一つ、聞きたいことがあるんだ」
「な、なんでしょう……?」
相変わらずもどかしげに身体をもぞもぞさせながら、真理亜が返事をする。
パンツの布地によってナニが擦られてたいへん状況が芳しくない。
「その……ほぼ無限大のHPがあるにもかかわらず、刺された時の痛みがダイレクトに脳に伝わるってことは、やっぱり……」
「はい……そういうことです。総也くんが剣をおなかから引き抜いてくれてなければ、継続的な痛みによってきっと私の頭はおかしくなっていました。脳死していたかもしれません」
「やはり、か……」
総也の心に、真理亜に対する申し訳なさが再来する。
大事な人に、ものすごく悪いことをしてしまった。
あの場の勢いとはいえ、総也は深い罪を負ったのだ。
「『死ねる』ってことは幸せなことなのかもしれないな……」
神は、その天文学的なHPによって、剣で腹を貫かれても死ぬことができなかった。
その間の痛みを、腹を裂かれる痛みを、真理亜の脳は感じ続けていたのだ。
その苦痛は、きっと味わった本人にしか理解できない激しいものだっただろう。
それは、さっき見た真理亜の病人のような表情が物語っていた。
「本当に、ごめんな……」
総也は、再び真理亜の頭を撫で始める。
真理亜は、総也の胸板に顔を押し付けたまま、彼の優しい手のひらの感覚に身を委ねていた。
「今週一週間は大事を見て学園を休め、な? 毎日会いに来る。俺なりの謝罪の形だ」
「そんな……総也くんに悪いです……」
「俺がやりたくてやるんだ。やらせてくれ」
こう言われて断れる真理亜ではない。
彼女は逡巡しながらも、最終的には首を縦に振った。
「ごめんな……そしてありがとう。お前の気持ちは本当に嬉しいんだ……」
総也は彼女の頭を撫で続ける。
その愛撫は優しく、しかし今の総也と真理亜の距離感を現しているかのようだった。
その後、総也は約束通りその週の日曜日まで、真理亜の下へ通い続けることになる。
精神に深い傷を負った彼女の介助をし、食事の手伝いをした。
真理亜の心の傷は、総也との触れ合いを通じて徐々に回復していった。
――だが、それだけだった。
その先はなかった。
彼と彼女は友達以上のそれではない。
そんな関係だった。
そうさせていたのは、総也の心に刻みつけられた深い罪悪感だった。
彼は、幼い真理亜のことを救うことができなかった。
それどころか、そんな彼女の心をさらに追い詰め、凶行に至らせ、あまつさえ彼女に癒えない痛みを与えたのだった。
そんな総也が、真理亜が望むような関係に至れるはずがなかった。
深い影が、断絶が、総也と真理亜の間に差した瞬間だった――。
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