第43話 末路
赤い閃光が迸る。
決着はあっけなかった。
赤い雷電は七也の腹部を易々と貫き、空を駆け、真夏の快晴の空をどこまでも宇宙へと飛んでいった……。
「が、はっ……」
七也が空中でよろめく。
そして、彼の身体はフラフラと地に落ちてきた。
そのまま、重力に引かれ――。
「っと」
総也は七也の下へと走り寄り、落ちてくる彼の身体を抱き留める。
七也の身体はずしりと重かったが、強化魔法が残存している総也にとっては十分に抱きかかえられるものだった。
「はっ、はっ、なぜ、なぜだっ、おまえの、どこにっ、そんな、魔力がっ……」
「親父……」
総也が、父親のことを憐れそうに見下ろす。
今、総也は無防備だ。
自分に致命傷を負わせた息子のことを殺そうと思えば、簡単に殺せるだろう。
だが、それでも七也は総也に手を下すことをしなかった。
「それは、私が魔力を総也に分け与えたからですよ。お
「まりあ、くん……? だ、だが、はっ、はっ、きみにも、そんな魔力……!」
七也の呼吸は速い。
彼の命がそう長くはないのは誰の眼にも明らかだった。
「私だけではありません。私のおなかの中の赤ちゃんも力を貸してくれました。……ママの言うことをよく聞く、本当にいい子……」
「はっ、はっ、ははっ、なるほど……なるほど、な……かはっ!」
七也が喀血する。
腹が引き裂かれ、その傷が肺にも到達したのだ。
程なく彼は死に至るだろう。
「いいか、そうや、よく、きけ……」
「親父……もう、喋るな……!」
七也がしたことは到底許せない。
今だって、総也は彼のことを救う気にはなれなかった。
だが、それでも自分のことを大切にここまで育ててくれた父親だ。
最期くらい、楽に死なせてやりたかった。
「レイン・コンツェルン、ほんしゃ、ビルの、エレベー、ターを、はっ、はっ……1階で乗って、いまから、いう、順番に、押すんだ……」
そして、七也は数字を並べ立てていく。
総也は真理亜に視線を送ると、真理亜はメモ帳を取り出して走り書きをし始めた。
「さいごに、1階を、押せっ。そしてっ、ドアをっ、閉めればっ、はっ、そこに……はぁ……いけ、る……」
七也の口がパクパクと動く。
だが、肺は酸素を取り込めていない。
死戦期呼吸だった。
やがて、七也の呼吸は停止する。
彼は眼を閉じ、やがて全身から力が抜け、動かなくなった。
「親父……」
総也の背後で、真理亜が口を手で覆う。
総也はゆっくりと振り向くと、首を横に振った。
真理亜は何か物を言いたげな視線で総也を見たが、何も口にすることはなく押し黙った。
「落ち着いたらそこに行ってみよう。親父がここまでして成し遂げたかった何かがそこに隠されているんだ。俺たちには、それを見届ける義務がある」
「ええ……」
真理亜が頷く。
総也はそれを見届けると、七也の身体を薄汚い路地裏に寝かせた。
「せめてもの手向けだ。真理亜、一応、そこの影に隠れていてくれ」
「はい……」
真理亜が壁の影に隠れたのを見届けると、総也は七也の身体に向かって赤い閃光を放った。
白光と共に、七也の死体は跡形もなく消滅した……。
「真理亜、もういいぞ」
声をかけると、真理亜が物陰から現れる。
2人で、もはやクレーターしか残っていない路地裏のアスファルトに視線を向けた……。
その時だった。
パチ、パチ、パチ、パチ。
どこからか、拍手の音が聞こえてくる。
その方角に眼を向けると、そこには眼鏡をかけた1人の男が立っていた。
あれは――。
「
それは、総也に洗礼を授け、総也と真理亜の結婚を取り仕切ってくれた
彼は、総也と真理亜のことを見遣ると、優しい微笑みを顔に浮かべた。
「お見事。お見事です。桐崎 総也くんに、桐崎 真理亜さん……」
「あんた……なにもんだ……?」
ただの一般人が、この場に現れるとは到底思えない。
恐らく、陰から彼らの戦いを見守っていたのだろう。
決着がついたタイミングで、彼はこの場に現れたのだ。
「私はしがない神のしもべですよ。ええ、それ以上でもそれ以下でもありません」
迷える子羊を導くための優しい笑みを張り付けたまま、安達牧師は彼らに近づいてくる。
そして、彼は右手を総也たちに差し出した。
「私をその場所に連れていきなさい。さすれば、悪いようには致しません」
「断る」
総也は即答した。
そして、自分の背中の後ろに真理亜を庇うのだった。
安達牧師は「はぁ」と残念そうに溜息をつく。
「そうですか……では、致し方ありませんねぇ……」
路地裏の前後に、大量の人間が集まる。
挟撃された。
逃げ場はない。
「あなた……」
「くっ……」
彼はこのまま、数の暴力に物を言わせて彼らを拉致するつもりなのだろう。
運が悪いことに、その場所への行き方をメモしたメモ帳は、いま真理亜の手に握られている。
条件は整っている。
鍵は開けられてしまうのだ……。
「私とて、手荒なことはしたくありません。できれば、自主的に手伝っていただきたいのですが……」
「断る。何度も言わせるな」
彼我の戦力差が圧倒的だ。
殺す気で戦えば何とかなるかも知れないが、何人の屍を築けばいいのか定かではない。
そんなことは、真理亜のためなら何でもしてみせると覚悟を決めた総也でも避けたかった。
「では、致し方ありませんな……」
安達牧師が、指をパチンと鳴らす。
すると、路地裏の前後を固めていた大量の人間たちが総也たちの方に向かって走り出した。
(すまない、真理亜……!)
心の中だけで総也は真理亜に謝罪する。
恐らく、今ここで総也がした判断を、真理亜は一生涯恨むことになるだろう。
そんな重大な決断を、総也は下そうとしていた。
「悪いが、お前らの思い通りにはならん。じゃあな」
「あなた……?」
そして、総也はイメージを賦活する。
イメージするのは、以前に総也が真理亜に犯された来音邸の大広間。
方法は、肉体の構成粒子の消滅と再生成。
そして、最も重要なのは、記憶と意識を魔力に乗せて、残存させること……。
(失敗したら、ただ俺と真理亜の形をしただけの人形があの場に現れるだけになる。だが、手段は選んでいられない――)
総也は、イメージした。
真理亜の心を。
そして、自分の心を。
心を生かしたまま、肉体だけを移動させる。
そんな芸当を、魔法を、彼は――。
「なっ……!?」
集まった人間たちが総也と真理亜を捕らえようとした瞬間、彼らの姿はその場からふっと消えた。
消滅した。
それを見て、安達牧師は憎々し気に歯噛みする。
「逃がしたかっ……!」
後には、空虚な虚空だけが残されていた……。
********************
次の瞬間、総也と真理亜は来音邸の大広間に立っていた。
総也が思わず膝をつく。
「あなたっ!?」
真理亜が「何が起こったのか?」と言わんばかりに周囲を見回すが、総也が膝をついたなら、その背中に慌てて抱き着いた。
「あなた、何をしたのっ!?」
「かはっ……!」
総也が咳をする。
それが飛び散った。
それを見て、真理亜が眼を見開く。
「あな、た……?」
震える声で真理亜が総也に声をかける。
総也が吐き散らしたもの。
それは、血だった。
次の瞬間、総也の身体はグラリと横に傾いた。
「あなたっ!! ねぇっ! 誰かっ! 誰か来てっ!!」
慌てて真理亜が総也の身体を抱きかかえる。
そして、彼女は必死に神に祈り始めた。
回復魔法を、かける。かける。かける。
だが――。
「むだだ……まりあ……おれは、もう……ごほっ」
総也がまた血を吐く。
見ると、総也の顔は、手は、赤く変色を始めていた。
まるで、全身の血管が破裂したかのようだった。
「あなたっ! 喋らないで! ああ、くそっ、なんで、お願い、神さま……!」
真理亜が祈る。
なんで。
どうして。
そんなことを思いながら、神にひたすら祈る。
どうか、総也を、大切な、大好きな彼を助けてください――と。
だが――。
「はっ、はっ、はっ、はっ」
さっき繰り広げられたばかりの光景が、目の前で繰り返されていた。
即ち、死戦期呼吸。
人は死に瀕した時、なけなしの酸素を取り込もうとして口だけで、鼻だけで呼吸をしようとする。
だが、実際には酸素を取り込めない。
それどころか、既に彼の心臓は……。
「あ、な、た……?」
総也の変色した手がよろよろと持ち上げられ、真理亜の頬に触れそうになる。
でも、そこまでで。濡れた彼女の頬にその指先が触れることはなくて。
パクパクと喘ぐ口は必死に何かを伝えようとしている。
でも、最早その喉から声どころか吐息すらも漏れることはなくて。
最期の瞬間、彼は何を伝えようとしたのか。
「あ……ああ……!」
やがて、総也の身体から力が抜ける。
手から、首から力が抜け、地に垂れる。
真理亜は、どうすることもできない。
今更になって、メイドたちが、執事たちが集まってくる。
だが、彼らにもどうすることもできない。
「そんな……うそ、うそよ……こんなの……うそ……!」
総也の眼は閉じた。
そして、その眼が再び開くことは永遠になかった……。
「いやああああああああああああああああっ!!」
真理亜の絶叫だけが、屋敷に響いていた……。
********************
何が起こったのかを説明しよう。
あの瞬間、総也は最後の力を振り絞って転移魔法を使用した。
目指す場所は、現在彼らが持ちうる最大の戦力が集中している来音邸。
そこを目指して、総也は彼自身と真理亜の2人の肉体と精神を転移させた。
もちろん、転移魔法など総也は使ったことがない。
ぶっつけ本番だった。
だが、あの場を切り抜ける方法を、総也はそれしか思いつかなかったのだ。
その結果がこれだ。
自身の魔力のキャパシティを大幅に超えた魔法を行使した反動は、総也の肉体自身に降りかかった。
全身の血管は破裂し、肺の毛細血管が破裂したことで彼の肺は血だらけになり、循環器系の最大器官である心臓もその動きを停止した。
『自分の才能の範疇を超えた魔法を行使しようとすると、フィードバックとして自己の肉体にダメージが返ってきます。最悪の場合、訪れるのは「死」です。その場合、魔法は発動することなく、行使者に死が訪れます』
七也がその昔、月野学園で語ったことが、ここに成った。
幸いにして、転移魔法は無事に発動した。
だが、肉体へのフィードバックは容易に総也を死に至らしめるものだったのだ。
大広間では、未だに真理亜が泣き叫んでいた。
だが、どれだけ回復魔法を使っても、どれだけ神に祈っても、総也が再び目を覚ますことはない。
総也は、死んだのだ。
もう、蘇らない。
********************
「あなた……あなた……」
遅れて、その場に真理亜の弟がやってくる。
史紋は、動かなくなった、紫色に変わり果てた夫を抱きかかえる姉の姿を呆然と眺めていた。
「お姉さま……」
真理亜の眼には何も映っていない。
変わり果てた総也の姿すらも映っていない。
彼女の眼は、もはや現実を映してなどいなかった。
「あなた、ああ、あなた、もう、こんなにして、服はちゃんとしないと……」
真理亜が、総也の乱れた軍服を整え始める。
そして、総也の亡骸を捨て置いてすくっと立ち上がった。
「ほら、今日も学園でしょ? 私は行けないけど、楽しんできてね。あと、早く帰ってきて、ね?」
真理亜が、誰もいない空間に向かって話しかけている。
史紋は、そして、館の従業員たちは、主人のその異様な姿に等しく慄いた。
「あっ、待って。忘れ物があるわ」
真理亜が、総也の死体を踏みつける。
今の真理亜には、それが見えていないかのようだった。
そのまま大広間の入口の方に走っていくと、真理亜は背伸びした。
目を瞑る。
それは、まるでいってきますのチューを何もない空間にしているかのようだった。
「お姉さま……お姉さまには、何が見えているの……?」
史紋の問いに、しかし真理亜は答えない。
聞こえていないかのようだった。
「お嬢様! 気を確かに持ってください! お嬢様!」
そんな遥に、真理亜は焦点の合わない視線を向けた。
「なぁに? 遥。どうしたの?」
真理亜が醸し出す異様な空気に遥は気圧されながらも、続けた。
「そこに旦那様はいらっしゃいません! 旦那様は、その、そこに……」
遥が、逡巡しながらも総也の紫色の死体を指し示す。
だが、真理亜はそっちの方角を見た後に首を傾げ、大広間の入口の方に向き直った。
「やだ、遥。総也はここにいるじゃない。ね? あーなーたっ♪」
真理亜が、何もない空間に身を寄せる。
腕を絡める。
それは、そこにいないはずの総也の腕に抱き着いているかのようだった。
「あら、あなた。このままだと遅刻しちゃうわ。いってらっしゃい。本当は、このまま家にいて欲しいんだけどね? うふふ♪」
真理亜が、何もない空間に向けて嬉しそうに微笑む。
遥は、そして史紋は、その姿に眼を覆った。
今の真理亜には、幻覚が見えているのだ。
総也の死というショックに耐え切れなかった真理亜の心は、壊れてしまった。
壊れた心が、真理亜に生きている総也の幻想を見せているのだった。
「お姉さま……」
史紋のその呼びかけが、愛する姉の耳に届くことは永遠になかった――。
********************
その後、安達牧師は来音邸を訪ねた。
実際に安達牧師と真理亜たちが対峙したことを知らない来音邸の者たちは彼のことを容易く館に上げてしまった。
だが、変わり果てた真理亜の姿を見、変わり果てた総也の姿を見、事情を知った安達牧師は、そのまま何も言わずに館を去っていった。
悔みの言葉も述べずに去っていった牧師のことを来音の者たちは不審そうに見つめていたが、今はそれどころではなかった。
総也の死体をどうにかしなければならなかった。
現実の見えていない真理亜は協力してくれない。
仕方なく、来音の者たちは総也の死の理由をでっちあげることにした。
明らかな変死体に死化粧を施し、警察の追及を免れようとしたのだった。
そして、総也の葬式は内々に執り行われた。
クラスメイトたちの列席は断り、家族の玲奈だけが参列を許された。
式場に、真理亜の姿はなかった。
葬式を執り行っている間じっとしているはずがない今の真理亜を連れてくるわけにはいかなかったのだ。
真理亜は、夫を見送る場に立ち会うことができなかった。
玲奈だけが、大事な人を見送ることができた。
玲奈はその後、来音邸を訪れる。
そして、存在しない幻覚の総也と戯れる真理亜の姿に、そっと目を伏せた。
玲奈は、七也のことを真理亜に尋ねようとしていた。
だが、今の真理亜が玲奈とまともに会話することはない。
育ての父の末路を知っている者は、この世に安達牧師だけとなってしまった。
そして、玲奈は安達牧師がそれを知っていることを知らない。
玲奈は、行方不明となった自分の父親の真実を知る機会を永遠に失してしまったのだった……。
こうして、桐崎 七也と桐崎 総也は死亡した。
総也による明日香に似た少女の殺害と、七也による真理亜への強姦教唆から始まった一連の因果の応報は、彼らの死という形で収束した。
それはまるで、神が彼らに罰を与えたかのようだった――。
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