第42話 反物質

 車の影に隠れて七也自身から放たれる雷撃を回避すると、今度はそこ目掛けて上空から雷が降り注ぐ。

 七也の攻撃方法は、七也からと上からの2択であった。

 実際には、もっと多彩な攻撃ができるのだろう。

 だが、息子夫婦の指導時間とでも言わんばかりに、七也は単調な攻撃を繰り返した。


「くっ」


 回避しきれない雷撃を、総也が自身の雷撃で相殺する。

 七也は戦闘の中で雷撃の出力を徐々に上げてきていた。

 先ほど、真理亜の氷の壁が割られたところだ。

 ギリギリ防ぐことはできたが、氷の壁が突破されるのも時間の問題だった。


「ふむ……では応用問題だ」


 七也が電磁力で周囲の自動車を持ち上げる。

 そして、それを自身の周りにぐるぐると回転させ始めた。


「なっ……!」


 総也がやっとの思いで1台を持ち上げてみせたのを、七也は易々と複数台の自動車を振り回してみせた。

 そして、それを総也たちの方に向けて力任せに叩きつけてくる。


「そらそらどうした? 逃げているだけでは埒が明かないぞ?」


 時に回避し、時に他の自動車をぶつけて威力を相殺しながら、総也は七也の攻撃を必死に避けた。

 事ここに至っては、真理亜の氷の壁は役に立たない。

 十分な運動エネルギーを持った自動車の投擲は、氷の壁を容易く突破し、彼らをぺしゃんこに潰してしまうだろう。


「舐めやがって……!」


 七也も意地が悪い。

 総也たちがギリギリ対処可能な程度に手加減して攻撃をしてくるのだ。

 彼が本気を出したら、総也も真理亜も今ごろ自動車の下敷きになっていただろう。


「それなら……!」


 七也が振り回す自動車の内の1台に眼を付ける。

 そして、総也はその1台に意識を集中させた。

 七也は複数台の自動車を同じ円周上で回転させている。

 ならば、その内の1台の動きを止めることができれば、それらの自動車は玉突き事故を起こして動きを止めるはず……。

 総也はそう考えた。


「ほう……なかなかやるではないか」


 果たしてそれは上手くいった。

 1台の自動車が空中でその動きを減速させたかと思うと、その後方から自動車が連結するようにして激突していく。

 勢いを失った自動車たちは、七也のコントロールを離れ、地に落ちた。


 轟音が鳴り響いた。

 アスファルトの破片が周囲に飛び散る。


 総也たちは、それを別の自動車の影に隠れることでやりすごした。


「はぁ……はぁ……」


 総也は、そのわずかな休息時間の間に呼吸を整えた。

 戦いの中で自分の身体が最適化されていくのを感じる。

 無意識の内に強化魔法を使っているとでもいうのだろうか?

 総也は、とっくのとうに限界を迎えていながら、まだ走れるような気がしていた。


「私も……あなたに力を……」


 真理亜が祈ると、光が総也の身体を包む。

 少し疲労が取れた気がした。

 同時に、身体から力が湧き上がってくる。

 回復魔法と強化魔法を使われたのだった。


「ありがとう、真理亜。君のおかげで、俺はまだ戦える」

「頑張って!」


 一瞬、総也たちのことを見失っていたのだろう。

 七也は空中を移動しながら総也たちのことを見つけると、雷撃を再開した。


「いよいよ遮蔽物も減ってきたな!」

「それがどうしたっ!」


 確かに、駐車場に停まっていた自動車の大半は、今やスクラップと化している。

 どうやって弁償したものかと一瞬考えてしまったが、こればっかりは金持ちの父親の遺産で何とかする他ないだろう。

 今はそれどころじゃない。

 総也は、七也の雷撃を同じく雷撃で相殺しながら七也を睨みつけた。


「考えろ……」


 このままでは埒が明かないというのは、七也の言う通りだ。

 やがて総也の魔力が尽きて、七也に捕縛されるのが関の山だろう。

 総也は、七也が調子こいている間に決着を付けなければならなかった。


「どうした? 立ち止まったら撃ち抜くだけだぞ?」


 総也は思考のために、足を止めた。

 もちろん、そんな見え見えの隙を逃す七也ではない。

 七也は当然、雷撃を総也に放つわけだが……。


「……護りを固めたか」


 総也は自身の周りに自由電子の壁を張り、七也の雷撃を弾いた。

 総也には七也のような無尽蔵の魔力はない。

 電子の壁を張れるのは数秒だ。

 だから、その数秒の間に答えを見つけようと総也は考えた。


「面白い。ならば――」


 そして、その答えのきっかけをもたらしてくれたのは、他ならぬ敵の七也だった。


「っ!!」


 総也は強烈な嫌な予感を覚えると、その場を横っ飛びに離れる。

 この攻撃だけは食らってはいけない――。

 そんな直感が働いたのだった。


 赤い閃光が迸る。

 それは、赤の雷撃だった。

 それはまっすぐに総也がいた場所に飛来し、アスファルトを易々と抉っていった。


 否。抉るという表現は適切ではない。

 その赤い閃光は、文字通り着弾した箇所のアスファルトをさせたのだ。


(まただ……。アレは、なんだ……?)


 先ほど、首相官邸の壁を消滅させたのも、あの赤い閃光だった。

 以前、たけしの心臓を穿ち、彼の死体を消滅させたのも同じものなのだろう。

 アレだけは食らってはいけない。

 総也の直感が告げていた。


 七也が雷撃を再開する。

 普通の雷撃は青白い。

 紫電と言ってもいいだろう。

 だが、あの赤い雷撃だけは別だ。

 アレだけは、回避しなければならない。


 総也の直感はそう認識していた。


(そうか……! アレは……!)


 総也が一つの可能性に行き着く。

 そして、総也はイメージを賦活してそれを生み出すことに全力を割いた。


 再び電子の壁を張って、七也の雷撃を弾く。

 そして、総也は電子のバリアを張ったまま、その内側から攻撃を仕掛けた。


「おおおおおおおおっ!!」


 総也から赤い閃光が迸る。

 それは、総也自身が張った電子の壁を突き破り、まっすぐに七也へと飛来した。


 が――。


「えっ……?」


 赤い閃光が七也に届く寸前、膨大な閃光が周囲を白で包む。

 そして、真っ白な視界が元に戻った時、そこに浮遊していたのは、やはり無傷の七也だった。


「惜しい……。実に惜しいな……」


 七也は空中に仁王立ちしながら、総也たちのことを睥睨した。

 その視線には、侮蔑と憐憫と慈愛が込められていた。


「私の赤いいかずちが陽電子だと気づいたまでは良かった。だが、威力がまるで足りない。私の盾を突き破りたければ、そのあと10倍は持って来いというものだ」

「そん、な……」


 陽電子――それは、電子の反物質だ。

 電子がマイナスの電荷と極めて小さい質量を持った物質なのに対して、陽電子は電子と同じだけの大きさのプラスの電荷と、同じ質量を持った物質である。

 この陽電子は、電荷の関係で電子と引き合う性質があり、また、互いに引き合った電子と衝突すると、消滅し、電磁波などのエネルギーを放射する性質を持つ。

 いわゆる「対消滅」だ。


 地球上のほぼ全ての物質は原子から構成されている。

 陽電子が原子と接近すると、その周囲を周回する電子と対消滅を起こし、その原子は崩壊する。

 結果、電磁波等のエネルギーを周囲に放射しながら、その物質は「消滅」する。


 七也が今まで赤い閃光でやってきたことは、それだった。

 これなら、電子の壁を張った内側からでも攻撃ができる。

 陽電子のビームは、電子の壁に阻まれることはない。

 ただ、対消滅しながら余った陽電子が電子の壁を突き抜けるだけだ。


 過去、七也は剛の掌打を電子の壁で防ぎながら、赤い閃光で彼の心臓を穿ってみせた。

 あの時、彼は電子の壁を維持しながら陽電子で反撃をしたのだろう。

 単に、電子の壁の厚さ以上の量の陽電子で攻撃すれば、陽電子のビームは電子の壁を突き抜ける。


 そう。

 突き抜けるはずなのだ。


 だが、現実には総也の陽電子ビームは七也の電子の壁を突き抜けなかった。

 ただ、互いに惹かれ合うようにして陽電子と電子は対消滅をしただけだ。

 そのことが意味するのは、つまり――。


「単純火力でも足りない。陽電子でも足りない。お前の攻撃は決して私には届かないのだよ、総也」


 それは、絶望的な宣告だった。

 事実上の勝利宣言だ。

 万策尽きた。

 最早、七也を地に落とすことは叶わない。

 後は、徐々に出力を上げていく七也に弄ばれるだけだろう。


 総也は、自分の心が折れるのを感じた。

 地に膝をつく。


「ようやっと、諦めてくれたか……」

「いいえ、まだです」


 総也の心が折れたその時、真理亜が声を上げる。

 その途端、総也の脚は自分の意思に反して立ち上がり、走り始めた。

 七也に背を向けて、一目散に走り始める。

 そして、路地裏へと逃げ込むのだった。


「真理亜……?」


 魔力を注がれているのを感じる。

 総也は思い出した。

 真理亜にレイプされた時、似たような感覚を総也は覚えた。

 あの時は身体が動かなくなっていたが、今回は無理やり身体を動かされている……?

 自分の意思に反して走り始める身体。

 恐らくは、いま総也の肉体の主導権を握っているのは、その腕に抱いている真理亜なのだろう。


 路地裏をめちゃくちゃに走り回り、七也の視界から逃れたところで、総也の脚はやっと止まってくれた。


「真理亜……君は、なんて、ことを……」


 総也が肩で息をする。

 無理やり身体を動かされて、無茶をされて、酷使されて、総也の息は上がっていた。

 まして真理亜のことを抱きかかえながら走っているのだ。

 その疲労は途方もないものだった。

 これでは、このあと戦い続けることなど不可能だ。


「降ろして」

「いや、しかし……」

「いいから降ろして」


 総也は、頑として頑なな真理亜に嘆息し、彼女を地に降ろす。

 すると――。


「えっ……?」


 総也は、自分の身体がいつも以上に軽くなるのを感じた。

 身体が軽い。

 とにかく軽いのだ。

 今なら、フルマラソンすらも2時間を切って走れるような気がした。


「あなたと一緒に戦うと決めてから、私は特注の軍服を用意したわ」

「真理亜……?」

「この軍服ね。鉛のプロテクターが入ってるの」

「は……?」


 総也が素っ頓狂な声を上げる。

 馬鹿な。

 そんなはずがない。

 全身に鉛のプロテクターを入れた軍服を着た真理亜を、今まで総也は抱き上げながら走り回っていただと……?

 そんなことができるはずがなかった。


「私、あなたに抱き上げられてからずっと、あなたに強化魔法と回復魔法をかけ続けていたのよ?」

「なん、だと……?」


 総也が鉛を身に纏った真理亜を抱き上げて戦えたのは、真理亜が総也に強化魔法をかけ続けていたから。

 走り続けながら戦えたのは、回復魔法をかけ続けていたから。

 真理亜は、陰ながら総也を支えていたのだ――。


「今から私が言うことをよく聞いて」

「分かった」


 今も七也は総也のことを探しているだろう。

 空中に浮遊して、上空から路地裏のどこに総也と真理亜が隠れているのか探しているはずだった。

 時間がない。

 総也は真理亜の言葉に耳を傾けることにした。


「あなたが陽電子で攻撃することに戸惑う必要はないわ。陽電子と電子が対消滅したら、大量のγ線が発生する。本来なら、それはおなかの子にとってこの上ない毒なんだけど……」

「あっ……」


 失念していた。

 陽電子と電子が対消滅すると、大量のγ線――すなわち放射線が発生する。

 それは、赤ちゃんの発育に多大な悪影響を及ぼしうるものだった。

 総也は歯噛みした。

 自分は、真理亜のおなかの中の子どもを殺しかけたのだ。


「私の全身は今、鉛で覆われている。完全に防げるわけじゃないけど、この戦いの間は遠慮なく陽電子を使ってくれて構わないわ」

「真理亜、だが――」

「話を最後まで聞いて」


 真理亜が総也の言葉を遮る。

 真理亜は総也の瞳をじっと見上げた。見つめた。


「勝負は一瞬よ。あの男に電子の壁の出力を上げられたら、きっともう突破は不可能になる。あの男が慢心している内に、あの壁を突破するの」

「だが、あいつ曰くあと10倍は持ってこいと……」

「なら、あと10倍でも100倍でも持っていけばいいじゃない」


 真理亜がニッコリと微笑む。

 実に簡単そうに言ってみせた。

 だが、果たしてそんなことが可能なのだろうか……?


「これから契約をするわ。眼を瞑って。本当はセックスがいいんだけど……」

「真理亜……君は何を……」

「いいから」


 総也は、諦めて言われた通りに目を瞑る。

 すると――。


「ちゅっ……」


 総也の唇に、柔らかく濡れたものが触れた。

 思わず目を開けると、目の前に真理亜の顔がある。


 真理亜は、総也にキスをしたのだった。

 そのまま10秒、20秒と唇を重ね合わせる。

 何か温かいものが総也の中へと流れ込んでくるのを感じた。


「はい、おしまい。今、私の持てる限りの魔力をあなたに分け与えたわ。……あ、眼、開けたでしょ?」


 唇を離した真理亜が、唇を尖らせる。

 こんな時だというのに、総也の嫁はかわいらしいものだった。


「こ、れは……」


 身体中から力が湧き上がるのを感じる。

 これなら、確かに10倍でも100倍でも行ける気がした。

 しかし、七也直々に才能がないと言われてしまった真理亜のどこに、こんな魔力があるというのだろうか……?


「繰り返しになるけど、勝負は一瞬よ。一撃で仕留めなさい」

「分かった」


 その時、路地裏の上空に七也が姿を現した。

 七也はゆっくりと降下し、総也の斜め45度上空に仁王立ちする。


「ここでは逃げ場もないだろう。諦めて投降したまえ」

「お断りだ」


 そして、総也は七也に向けて極大の赤い閃光を放った――。

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