第40話 最悪な真実
その日、塾が早くに終わった。
何故なのかは分からない。
でも、いま思い返してみれば、そのことに関してもあの男の介入があったのかも知れなかった。
塾が早くに終わったので、迎えの車を呼び出さなければならなかった。
本来ならば、呼び出さなければ来ないはずだったのだ。
だが、塾の受付の人が、既に迎えの車が来ているという旨を伝えてくる。
真理亜は、まずここで立ち止まるべきだった。
なぜ、塾がいつもより早くに終わったというのに、それが分かっていたかのように迎えの車が来ていたのか?
そのことに疑問を抱ければ、彼女はあんな目に会わなかったかもしれなかったのだ。
だが、真理亜は気づかなかった。
当たり前のように受付の人に感謝の挨拶をし、当たり前のようにビルの1階に降り、当たり前のように迎えの車へと近づいていった。
運転手が降りてくる。
知らない運転手だった。
真理亜は、ここでも立ち止まるべきだった。
知らない人にはついていってはいけない。
そんな当たり前のことを、真理亜は守ることができなかった。
「真理亜お嬢様。本日より新しくお嬢様の送り迎えを担当することとなった石川です」
運転手が慇懃にお辞儀をしながら挨拶をする。
どこか不潔な感じがする運転手だった。
だが、真理亜はそれに疑問を抱かずに車に乗ってしまった。
いま思えば、石川というのは岩山をもじった偽名だったのだろう。
馬鹿にされている。
真理亜は、その時のことを思い出して、歯噛みした。
真理亜が車――リムジンに乗ると、そのソファに運転手も乗り込んでくる。
ここで初めて、真理亜は運転手を警戒した。
だが、遅きに失した。
運転手は素早く真理亜に近づくと、その口にハンカチを押し当てた。
そのハンカチは、何か液体のようなもので濡れていて、息を吸い込んだ真理亜は急速に意識が遠のくのを感じた。
即効性の吸入麻酔薬だった。
幼い真理亜に過剰な量の麻酔を吸わせた結果、真理亜の意識はストンと落ちた。
危険な手技であった。
一歩間違えれば、真理亜はそのまま死んでいたかもしれなかった。
だが、運がいいことに、そして運が悪いことに、真理亜はちょうどよく眠ってしまったのだった。
運転手の男は、そのまま液体で濡れたハンカチで真理亜に猿轡をかけ、後ろ手に手錠をかけた。
足首にも手錠を嵌め、男は後部座席から外に出てきた。
リムジンの窓はマジックミラーになっている。
中で行われていたことが、外から見られることはなかった。
男は、真理亜を眠らせ、拘束した後、悠々と車を発進させた。
後のことは、真理亜が以前に語った通りだ。
眠らされた彼女は、目を覚ました時には既に見知らぬ場所まで連れていかれていた。
暴れても何もできない。
猿轡を噛まされ、手錠と足枷をかけられては、幼い少女にできることなど何もなかった。
そして、どこか見知らぬ山奥まで連れてこられた真理亜は、その男――岩山 忠司にレイプされたのだった……。
********************
「あなた……あなたの話が正しいなら……」
真理亜が、絶望したような目で総也を見つめる。
信頼していた。
あの人が、自分と総也を結び付けてくれたのだと感謝すらしていた。
総也と一時期別れていた時にも、その間を取り持ってくれたのは彼だった。
そんな男が、もしかしたら、自分を絶望のどん底に叩き落した張本人だったのかもしれない。
総也の話は、そういう意味をしていた。
「そうだ。俺の聞いた話が正しければ、岩山 忠司を影から操っていた人間は俺の親父その人だということになる」
そう。
岩山に運転手用のスーツを手配したのも。
岩山が運転するためのリムジンを用意したのも。
塾の終業時刻を早めたのも。
岩山のために麻酔薬や手錠を用意したのも。
そして、計画そのものを伝授したのも、総也の父――桐崎 七也ということになるのだ。
こんなことができる人間が他にいるはずがない。
いるとしたら、真理亜の父の藍殿くらいなものだろう。
だが、その後に岩山を呼び戻して玲奈と面会させ、玲奈に岩山を殺させたという玲奈の証言から、真理亜のレイプの黒幕は七也にほぼ特定することができた。
「でも、どうしてあの人はそんなこと……」
「俺もそれが分からない。だから、今からあいつに直接会って問い質す」
動機が不明だった。
七也が黒幕なのはほぼ間違いがない。
だが、なぜ彼がそんなことを企てたのかが推測できなかった。
ならば、本人に聞くのが手っ取り早い。
「あなた……もし彼が自分の罪を認めたとしたら……」
「ああ、当然だ」
互いに軍服を身に纏った総也と真理亜は見つめ合い、頷き合った。
「「殺す」」
夫婦の意見は一致したのだった――。
********************
首相官邸を目指して、総也が車を運転する。
真理亜は助手席に座っていた。
万が一のハッキングに備えて、2人は自動運転で首相官邸に向かうことを控えた。
結果的には、杞憂だったわけだが。
総也が運転している横で、真理亜が首相官邸に電話をかける。
向こうは随分と首相との面会を渋っているようだった。
だが、そんなことは今の彼らには関係がない。
邪魔をする存在は、ことごとく排除するつもりでいた。
それほどまでに、この夫婦は一致団結していた。
やがて、2人は首相官邸に到着した。
入口のガードマンが彼らを止める。
だが、ガードマンの元に何かの連絡が来ると、彼らは渋々2人を中に通したのだった。
恐らく、七也自らが彼らを招き入れたのだ。
2人には分かった。
そして、彼らは七也の部屋に辿り着く。
「入りたまえ」
2人が部屋の前に立つと、ノックをする前にその声は聞こえた。
総也は、真理亜と眼を見合わせると、意を決してその扉を開く。
果たして、そこには足を組んで椅子に座る七也が彼らを待ち受けていた。
「いつここに来てくれるのかと待ちくたびれていたよ。もっと早くに辿り着くと期待していたんだがね」
それは、事実上の自供だった。
七也は、2人が今ここを訪れた意味を完全に理解した上で、そのように挑発したのだった。
「親父……なんでだ……」
総也が震える声で問う。
理由が知りたかった。
愛する妻の純潔を奪うなどという非道をこの男が行った理由を、総也はどうしても知りたかったのだ。
「簡単な話だよ」
七也が語り始める。
それは、息子の嫁に悪いことをしたと謝る風では決してなかった。
むしろ、悪戯をした子どもが、それを友人に自慢しているかのような口調だった。
「真理亜くん。君には本当に魔法使いとしての才能がなかったんだ。素質自体はあった。だが、魔法使いとなれるほどの才能を持っていなかったんだ。君の父親と同じく、ね」
「それがどうした。真理亜を魔法使いにするためにレイプしたとでもお前は言うつもりか?」
「まさにその通りだ。私は真理亜くん。君のことを魔法使いとして覚醒させる必要があった」
一拍置き、七也が続ける。
「君たちは鍵なのだ。君たちは、ある場所に入るための鍵だ。そして、君たちが鍵として機能するためには、君たちは魔法使いとして覚醒している必要があった」
「な……に……?」
突然、自分の父親がわけのわからないことを話し始める。
父親がどうしてそんな話をし始めたのか、総也には皆目見当がつかなかった。
「必要なのは、君たちの生き血だ。その場所に入るためには、特定の遺伝情報を持った血液が必要となる。採血ではだめだ。直接垂らされた生き血でないといけない。さらに、その生き血は魔法使いの血でなくてはならない。この2つの条件が満たされた場合のみ、封印術式が解凍され、その場所の扉は開かれる」
「だから、どうしてそれが真理亜を強姦することに繋がるんだっ!?」
七也が呆れたと言わんばかりに額に手を当てる。
物わかりの悪い子どもを教育する親の姿だった。
「分からないのかね?」
総也と真理亜は、無言で以て七也の問いに肯定した。
はぁ、と溜息をつくと、七也は続けた。
「魔法使いの素質はあるのに、才能がないものを魔法使いとして覚醒させるための手段は主に2つ。肉体的なショックを与えるか、精神的なショックを与えるかの2択だ」
「親父……貴様……まさか……!」
七也が、我が意を得たりと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべる。
「その通りだ。私は、真理亜くんに精神的なショックを与え、彼女を魔法使いとして覚醒させるために、岩山に彼女をレイプさせた」
それは、最悪な真実だった。
考えられうる最悪の手段を、この男は取ったのだ。
「岩山は快く承諾してくれたよ。必要なものは全てこちらで用意するから、お前はこの少女をレイプしろ。そしたら、お前を実の娘の玲奈に会わせてやる、と要請した。彼にとっては、メリットしかない提案だ。岩山は二つ返事で頷いた」
滔々と語る七也は実に楽しげだった。
それが、2人の逆鱗をさらに逆撫でしたのだった。
「貴様は……そんなことのために……俺の真理亜をレイプさせたっていうのか……?」
震えながら、総也が声を絞り出す。
その言葉に、七也は今日初めて眉をしかめてみせた。
「そんなこと……?」
七也が、不快そうに呟く。
その眼には、狂気が差していた。
「そんなこと、と言ったのか? 私の遠大な計画を、そんなこと、だと? 私は、この日のために今まで全てを投げ打ってきたのだ。魔法の存在を公表したのも、この日のためだ。私が今までしてきたことは、全て、今日、この日のために――」
ギラギラと輝く瞳でそこまで語った七也は、ハッと我に返ったかのように押し黙る。
そして、七也は2人のことを優しく見つめながらこう言った。
「私についてこい。そうすれば、お前たちにも分かる」
「断る」「お断りします」
2人の声が重なった。
そして、2人は自らの拳銃の安全装置を外した。
「罪は償ってもらう。貴様の首で、だ」
「ええ。もはや情状酌量の余地は消えました。あなたはここで死ぬべき人間です」
「ふむ……困ったな……」
2人は拳銃を七也に向けた。
そんなものはどうでもいいと言わんばかりに、七也は思案顔をする。
「ならば、私は君たちを拘束して、無理やり生き血を絞り出すことにしよう。私とて鬼ではない。最初は自主的に協力してもらおうと思っていたのだよ。だが、協力が得られないのなら――」
2つの銃声。
だが、放たれた銃弾は七也に届く直前の空中で、火花を散らしながら停止していた。
――やがて、銃弾はポトリと地に落ちる。
(これが厄介だ……)
七也を護る鉄壁の防御。
これが目下の悩みだった。
これを突破しない限り、七也を仕留めることは叶わなかった。
「――致し方あるまい」
七也は立ち上がると、空中を浮遊し始める。
赤い閃光が迸ると、部屋の壁が文字通り消滅した。
「魔法戦をするには、ここはいささか狭すぎる。外に出たまえ。真夏の炎天下で決着を付けようではないか」
空中浮遊した七也が、自らが消滅させた壁から外に出た――。
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