第36話 復縁

「魔法に不可能はない。きちんとした術式を組み立てれば、魔法使い同士の間でなら子どもを産むことも可能だろう」


 七也は続ける。

 何事も、諦めるにはまだ早い――と。


「まぁ、そもそもとして、子どもを産むだけが人生の価値ではないと思うがね。あれかな? 君は藍殿の下で育ったことで血を大事に考えるタイプとなってしまったらしい」


 荒らされ尽くした我が家の様子に苦笑しながらも、まだ座れそうな椅子を見つけて七也は腰掛ける。

 彼の魔法で、他の椅子が4脚浮遊して彼の前にストンと落ちてきた。

 どうやら「座れ」ということらしい。

 4人は椅子の座面の上を手で払って綺麗にしつつ、そこに座った。

 ひょっこりとノエル(の内の1台)が彼らに顔を見せる。

 すると、ノエルは急速に周囲の掃除を開始した。


「ところで、だ――」


 七也が総也と真理亜の方を見遣る。

 2人は対照的だ。

 真理亜は、総也のことをじっと見つめている。

 それに対し、総也は真理亜の方から眼を逸らして憮然としていた。


「2人とも、いい加減よりを戻したらどうだ? 私としては、2人には是非とも再婚約して欲しいわけだが……」

「……」

「……」


 七也の言葉に、総也と真理亜は顔を伏せた。

 口で言うのは簡単だが、そう簡単に婚約関係を修繕することなど叶わなかった。

 総也が受けた心の傷は、それまでに深い。

 この2か月間で、真理亜自身も己の犯したことの罪について深く反省をしていた。


「はぁ……今度は2人を『セックスしないと出られない部屋』にでも閉じ込めようかね」

「お父さん!」


 こんな状況で軽口を叩く父親に、さしもの玲奈もぷりぷりと怒ってみせる。

 だが、5人の間に走る緊張がほぐれたのは事実だった。

 ……まだ男女の性というものに疎い史紋は、顔を真っ赤にして俯くだけだったが。


「このまま真理亜くんが1人で子どもを育てるというのも、子どもにかわいそうだろう。総也もいい加減怒りの矛を収めたらどうだ」

「……」


 総也は、未だ憮然としていた。

 ノエルだけが、あくせくと部屋の掃除に勤しんでいる。

 どこか滑稽な光景だった。


「まぁ、いい」


 七也は立ち上がる。

 用件は済んだと言わんばかりだった。


「流石に一国の総理大臣ともなると忙しくてね。今も、諸々の予定をキャンセルして君たちを助けてやった次第なのさ。未来くんを再度牢に繋ぐ仕事も残っている。私はここらでおいとまさせてもらうよ。未来くんはもう逃亡済みかも知れんがね」


 そう言い残して、七也はさっさと部屋を出ていってしまう。

 後には、総也、玲奈、真理亜、史紋の各兄弟が残された。


「今日はすまなかったな」

「いえ……総也くんは十分に頑張ってくれました。私が浅はかすぎたのです……」


 事ここに至れば、真理亜と言えど今回の戦闘の敗因に関しての分析は終わっている。

 七也の介入がなければ、史紋は確実に死んでいた。

 それは、史紋以外の3人に苦々しい敗北感を味わわせていた。


「私も、もう少しうまくできたなぁ……。なんでお父さんや一輝くんみたいに上手くできないんだろ」

「……皆さん、落ち込んでおいでですが、今回は本当にありがとうございました。皆さんのおかげで、いま僕はこうして生きています。――本当に感謝しているのです」


 史紋が椅子から立ち上がって、ペコリとお辞儀をする。

 その様子に、3人は三者三葉の反応を見せた。

 総也は悔しそうに歯噛みしていたし、真理亜は悲しそうな顔で史紋を見つめていた。

 玲奈は、ふてくされたかのように不機嫌そうにしていた。


「……もう! そんな顔しないでください! お姉さまも、これから大変ですよ? まずは屋敷のみんなと関係を戻さなくちゃいけません!」


 真理亜が「あ……」と声を漏らす。

 屋敷のメイドや執事にとってみれば、彼ら自身は今や家の主である史紋を裏切った存在だ。

 そんな史紋にとって、屋敷で働く彼らと再び良好な関係を結ぶことは急務であった。

 恐らく、多くの従業員が退職するであろうことは明白なことだったが……。


「今度こそ、僕の家にもロボットを導入しなければならなくなるかも知れませんね……」


 傍らであくせくと掃除に勤しむノエルの方を見ながら、史紋が呟いた。

 どうやら、彼には早くも来音家当主としての自覚が芽生えているかのようだった。

 その姿に、真理亜たち3人は心が洗われるのを感じた。


「私たちも、前を向かなければなりませんね……」


 その言葉に、総也は再度俯く。

 この中で一番、前を向けていないのは総也だ。

 真理亜は史紋のことで前向きさを取り戻しつつある。

 総也だけが、過去に囚われていた。


「なぁ……」


 総也が真理亜に話しかける。

 その言葉に、真理亜は鋭敏な反応を見せた。

 ぐりんと音が鳴りそうな速度で真理亜は総也の方を見る。

 相変わらずな様子の彼女に、総也は今度こそ苦笑をした。


「今から2人きりで今後のことを話そう。俺の寝室なら内密な話をするのに向いてるはずだ」

「……!」


 希望を見出したのだろう。

 同時に、思うところもあるのだろう。

 真理亜の顔には、光と闇の両方がないまぜになった、奇妙な表情が浮かんでいた。


「そういうわけだから、俺たちも失礼するぞ」


 総也は、真理亜を連れて部屋を辞した。


「あー、えーと、史紋くん、だっけ?」

「はい。確か、桐崎 玲奈さまでしたよね?」


 残った2人に関しては、どうやらそこからのようだった。


********************


 総也に引き続いて、真理亜は総也の寝室に入った。

 そのまま、2人は無言でベッドに腰掛ける。

 そして、ギクシャクとした空気のまま無言の時が流れた。


「うっ……」


 すると、真理亜が口元を押さえる。

 どうやら、安心したことでつわりがまた戻ってきたようだった。

 とはいえ、先ほど胃の中身を全て吐き出した後だ。

 こみあげてくるものは何もなかった。


「……」


 総也はそんな彼女の肩を優しく抱き寄せる。

 見ていられなかった。

 彼女は、女としての戦いを既に始めているのだ。

 彼は、そんな彼女を捨ておいたのだ。

 これを罪と言わずになんと言えるだろうか?


「はぁ、はぁ、きもち、わるい……」


 胃がグチャグチャに動き回る。

 腸もグチャグチャに動き回る。

 もう戻せるものは何もないのに、なお吐き出そうと逆方向に蠕動運動する食道に、真理亜は青い顔をした。

 総也は、口元を押さえる彼女のことを、その胸に優しく抱いた。


「すまない。今まで独りにして……」

「いえ……私の自業自得です。私も、覚悟が足りませんでした。子どもを産むのって、こんなに辛いことだったのですね……」


 しかも、こんなのはまだまだ序の口だ。

 7か月後には出産と育児の開始が待っている。

 真理亜は、今更ながらに自分が茨の道を選んで歩いたことを知った。


「本当にすまない……!」

「いいのですよ。悪いのは全部私なのですから……。総也くんは、何も悪くありません……」


 真理亜の頬は、見るからに痩せこけていた。

 おなかも心なしかほっそりしたように見える。

 妊婦は妊娠期間中、体重を徐々に増やしていかないといけない。

 にもかかわらず、真理亜のそれは理想のそれと逆行をしていた。


「いいや、俺も悪い。俺、お前のこと何にも分かってなかった。お前は必死に俺の隣に立とうとしてくれてたのに、俺はお前のこと、ただ守るべき存在としか見てなかったんだよな……」

「あ……」


 その言葉に、真理亜はそっと顔を上げる。

 よかった。伝わった。そんな感情が、彼女の顔からは見受けられた。


 この2ヶ月間、総也は総也で「どうしてこんなことになってしまったのか?」を反省していた。

 彼は、間違いなく真理亜のことを追い詰めていたのだ。

 だからこそ、彼女はあんな凶行に及んだ。

 彼女は、欲求不満を訴えていた。

 「なんで、分かってくれないの……?」と言っていた。

 それはつまり、分かって欲しい別の自分がいると真理亜が認識していることに他ならなかった。


 では、真理亜にとっての分かって欲しい別の自分とはなんだったのか?

 総也は悩んだ。

 結局、彼ひとりでは答えは見つからず、彼は義妹を頼った。

 すると、玲奈は一発で総也が探していた答えを導き出してみせたのだ。


「そんなの決まってるじゃん! 来音さんは兄さんと同じ方向を見つめたいだけだよ!」


 と――。


 その言葉に、総也の目から鱗が落ちた。

 真理亜は、総也と見つめ合いたいわけではなかったのだ。

 真理亜は、総也と手を取り合って、同じ未来を見つめたかった。

 だからこそ、真理亜は最終的にああいった凶行に及んだのだから。

 総也との子どもができれば、総也もきっと同じ未来を見つめてくれるに違いないと勘違いしたのだから――。


「お前は、俺の隣に立つべき存在として、俺の信頼を得たかったんだよな……」


 だが、それに気づいたからこそ、総也は身動きが取れなくなった。

 彼女のことを容易には許せなくなってしまったのだ。

 だって、総也だって明確に悪い。

 どの面下げて、真理亜に「謝ってもらいに行く」ことができるというのだろうか?

 だから、この2ヶ月間。

 真理亜の心境を思い知ってからは1ヶ月の間、総也は真理亜の下を訪れることができなかった。


「いえ……私も思い知りました。やっぱり、私は総也くんの隣に立てるような存在ではなかった……」


 真理亜も真理亜で、己を見つめなおした結果、身動きが取れなくなっていた。

 真理亜は総也の信頼を求めていながら、総也の信頼を最も裏切る手段を取ってしまったのだ。

 どうして、レイプの恐ろしさを知っている自分が、レイプの恐ろしさを思い知ったばかりの総也をレイプするなどという発想に至ったのだろうか。

 頭が狂っていたとしか思えなかった。

 だから、真理亜は最早総也に合わせる顔がなかった。

 今回の件で真理亜が総也のところを訪れる踏ん切りがついたのは、不幸中の幸いだった。

 この件がなければ、彼女と総也は永遠に喧嘩別れしたままだっただろう。


 尤も、史紋の死で事件が収束していたら、それも叶わない夢だっただろうが……。

 真理亜は、改めて七也に感謝をした。


「なぁ、真理亜……。ちょっと、目を瞑ったまま待っててくれないか……?」

「え? あ、はい。こう、ですか……?」


 いくぶんつわりは落ち着いたのだろう。

 顔色が元に戻りつつあった真理亜が、言われた通りに目を瞑る。

 それを確認した総也が、ベッドから立ち上がり、自室の金庫の方に向かった。

 普段は拳銃やサバイバルナイフといった武器を格納している総也の金庫だったが、今はそれ以外にもう一つ、とても大切なものがしまわれていた。

 総也は、それを取り出す。


「……」


 よく分からないといった表情のまま、真理亜が目を瞑って待ち続ける。

 最初、彼女はキスをされるのだと期待をした。

 だが、どうやらそれは違ったようだ。

 期待が裏切られたことに内心ショックを受けつつ、真理亜は総也の言う通りに目を瞑って待ち続ける。

 やがて、待ち続けていると、総也が彼女の左手をその手に取った。

 そして――。


「えっ……?」


 左手の薬指に何かがはめられる感触に、思わず真理亜は眼を開ける。

 冷たい金属の輪。

 銀色のそれの頂点には、彼女の誕生石である、彼女の青い瞳と同じ深い青をしたサファイアの宝石が鎮座していた。


「総也くん、これって……!」

「本当は1ヶ月前にもう用意してたんだ。君に謝るタイミングを探していて、今日まで言い出すことができなかった」


 総也が、真理亜のことを「きみ」と呼ぶ。

 それは、彼が真理亜のことを対等な存在だと認めた証だった。


「でも、総也くん! わたしは、あなたに何もできなかった! わたしは、総也くんの隣に立つ資格なんて……」

「君は、努力をしてくれたじゃないか。俺に認めて欲しいと、一緒に歩みたいと必死に努力をしてくれた。ただ、うまく言葉に、行動にできなかっただけだ。俺が、君の想いに気づかなきゃいけなかった」


 真理亜の頬を、一筋の、そして二筋の涙が流れる。

 「本当に泣いてばかりだな、この娘は」と総也は優しく微笑んだ。


「俺と、どうかやり直してください。そして、願わくば君と一緒の未来を見たい。君と、おなかの子と一緒に、同じ未来を見たいのです」

「あ……あ……!」


 後から後から涙が溢れてくる。

 夢のようだった。

 夢ならどうか覚めないで欲しい。

 これが夢なら、いつまでも目が覚めないまま、このまま死んでしまってもよかった。


「来音 真理亜さん。どうか、俺と結婚を前提にしてお付き合いをしてください」


 瞬間、わっと真理亜は泣き出した。

 総也の胸に顔をうずめて、わんわんと泣き始める。

 総也は、そんな彼女の頭をそっと抱き締めていた。


 やがて、真理亜は泣き止む。

 否、今でも涙は流れっぱなしだったが、真理亜は必死に嗚咽を我慢して顔を上げた。

 そして――。


「喜んで。私の方こそ、不束者ですが、どうかよろしくお願いします……」


 真理亜は、総也の指輪を受け取った。

 どちらからともなく目を瞑る。

 そして、2人は深く、深く口づけを交わした――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る