第35話 捕縛

 3人の間に沈黙が流れた。

 史紋が一筋、ポロリと涙を流す。


「死にたくない……死にたくない……!」


 そう言いながら、涙は後から後から溢れてくる。

 やがて、史紋は嗚咽を漏らしながら泣き出し始めた。


(馬鹿野郎……!)


 今こんなところで泣かれたら、居場所に気づかれる。

 総也は口には出さずに悪態をついた。


 直後――案の定、暗い路地裏が光に照らされる。

 どうやら、車のライトで両側から3人のことを照らしているようだった。

 挟み撃ちにされた。

 最早逃げ場はない。


「諦めて投降することですな、総也さま」


 たけしの声が聞こえてくる。

 声の方を向いて、総也はチッと舌打ちした。


「ごめん……兄さん。とちった……」


 そこには、手錠を嵌められて剛に肩の上で抱えられている玲奈がいた。

 敵は、玲奈を人質に取ってきたのだ。


「人質交換といきましょう。総也さま。玲奈さまはお返しします。その代わり、史紋お坊ちゃまをこちらに――」

「断る」


 総也は短く言い放つ。

 そして、拳銃を抜くと――。


「「……えっ?」」


 真理亜と史紋の驚く声が重なった。

 総也はその拳銃を他ならぬ史紋の頭部に向けたのだった。

 ――総也は不敵に笑っていた。


「まずはお前が玲奈を解放しろ。そうしたら、史紋の命は救ってやる。これは交渉ではない。命令だ。こいつに生きていてもらわなきゃ困るんだろう?」

「ちょっと、総也くんっ!?」


 真理亜が信じられないという声で総也の腕に縋りつく。

 だが、総也はギョロリと真理亜を睨む。

 真理亜が「ひっ」と悲鳴を上げて、慌てて総也の腕を放した。


「お前もちょっとでも余計な真似をしてみろ。弟の頭が吹き飛ぶぞ」


 真理亜が恐怖に引き攣った顔でコクコクと頷く。

 そして、総也から一歩、二歩と離れた。


「うっ……うぁ、そうやさま……!」


 総也に首を絡めとられたまま、涙を流す。

 だが、恐怖にうまく言葉が出ないようだった。

 助けてくれると思っていた相手に生殺与奪を握られている絶望感は想像を絶するものだろう。


「随分と卑怯な手に出るのですなぁ?」

「どの口が言うか。先に人質を取ったのはそっちの方だろうが」


 剛が、顎髭を撫でつけながら総也を揶揄する。

 それに対して、総也は挑発で返した。

 総也の頬を一筋の汗が流れる。


 もちろん、ハッタリだ。

 総也に史紋を殺すことなどできるはずがなかった。

 そもそも、総也はこんな積極的に人殺しを企む人間ではない。


「……ハッタリですな」


 そして、そんなことは剛にはお見通しのようだった。

 剛は肩に抱えていた玲奈を後ろにいたSPに放り投げて寄越す。

 瞬間――。


「ふんっ!」


 まるで瞬間移動をしたかのように総也に肉薄してきた。

 咄嗟に拳銃を剛に向ける総也だったが――。


「なっ――!」


 相手が速すぎた。

 この筋肉ダルマのどこにこんな俊敏さがあるというのか。

 剛は裏拳で拳銃を弾くと、左手に史紋を拘束した総也の鼻っ面に掌底を叩きこむ。

 総也は咄嗟の判断で後ろに飛び退いて衝撃を軽減した。

 だが、少なからず強い衝撃を顔面に受け、総也はそのまま後方に吹き飛ばされた。

 ――史紋を抱きかかえたまま。


「チェックメイト、ですな」


 総也は前後から挟み撃ちをされていたのだ。

 当然、後方にも来音の手の者はいるということになる。

 後方で待ち構えていたSPに抱き留められた総也は、腕を決められ、そのまま拳銃を取り上げられる。

 取り上げられた拳銃の冷たい感触をこめかみに感じて、総也は仕方なしに手を上げる。

 史紋が、総也の足元に崩れ落ちた。


「そんな――!!」


 真理亜が、手を上げて諦めた総也のことを、絶望したような視線で見つめる。

 そして、彼女は地に跪き、力なく項垂れた。


 来音の手の者が手早く史紋のことを拘束すると、彼のことを車に連れ込む。

 そのまま車は急発進をした。

 行先は、恐らくレイン・コンツェルン傘下の病院だろう。

 今にも手術の準備は開始されているはずだ。

 史紋の命のタイムリミットは秒読みに入っていた。


 追いかけることも叶わない。

 総也のこめかみに拳銃を押し当てたままのSPをはじめとして、少なくない人数の来音の手の者が総也と真理亜の周りを囲んでいた。

 状況は絶望的に過ぎた。


(どこでしくった……?)


 どこで失敗をしたのか回想する総也だったが、結論は簡潔だった。

 彼我の戦力差が激しすぎた。

 そして、総也に人を殺す覚悟が足りな過ぎた。

 せめて、人を殺す気で戦っていたら、もう少し時間は稼げて然るべきだっただろう。

 総也の覚悟の薄さが、ここまで早く史紋を手放す結末を招き寄せたのだった。


 総也は、彼が捕らえられた際に彼を助けに来た父親のことを思い出した。

 誰かの命を助けようと思ったら、他の全ての命は度外視するような覚悟が必要だ。

 そのことを、総也は思い知ったのだった。


(どうして、こんなことに……)


 真理亜は跪きながら回想する。

 はるかたち、来音の上層部に反抗的な勢力が真理亜と史紋を屋敷の外まで逃がしてくれたまでは良かった。

 だが、そこからの選択肢を真理亜は誤った。

 彼女は、安易に総也を頼った。

 彼女は、最も安易な選択肢に飛びついてしまったのだ。

 それゆえ、闇雲に逃げ回っているだけでももう少しは時間を稼げたかもしれなかったのに、敵の戦力の結集を許してしまった。

 追い詰められた時、真理亜が最終的に総也を頼ってしまうことは、来音の人間にとっては簡単に予測可能なことだったからだ。


 真理亜たちが桐崎邸に逃げ込んできた後、来音の手の者が即座に桐崎邸に踏み込めたのは何も偶然ではない。

 彼らは彼らで、真理亜の逃走経路を幾つか想定していた。

 その中の最有力候補が桐崎邸だったというだけだ。

 桐崎邸に先行していた者が、案の定総也を頼った真理亜たちの姿を目撃。

 来音の総戦力を桐崎邸に結集させたのだった。


 結局、2人には覚悟も知恵も足りな過ぎた。

 その結果がこのザマだ。


「……」

「……」


 2人の間を沈黙が包む。


「ごめん、兄さん……。私のせいだ……」


 手錠を嵌められた玲奈が、総也と同じくSPに捕えられながら謝罪した。

 玲奈も玲奈で、思うところがあるのだろう。

 ここにいる3人が3人、皆等しく失敗を犯した。

 その結果がこれだった。


 静かな住宅街に、真理亜の嗚咽だけが響いていた。


********************


「そう……。目的を達成するためには、圧倒的な力と、それを振るう覚悟が必要だ」


 その声は、暗い闇の中に響いていた。

 その声の主以外、この場所のことは知らない。

 それは、他ならぬ桐崎 七也の声だった。


「未来くん、仕事だ。今から君の脳にある場所の光景を見せる。そこがどこであるかも同時に教えよう。そこへの転移魔法のゲートを開き、私をそこに送り届けて欲しい」


 暗闇の中、鉄格子が開くような音が聞こえる。

 そして、手枷の錠が外れる音、それが地に落ちる音が聞こえた。


「断る……って言ったら?」

「他ならぬ総也を助けるためだとしても、かね?」

「……」


 七也が、空砲の装填された拳銃を未来の手に握らせる。

 そして、小さな未来の頭の上に手を乗せて――。


「さぁ、この場所に私を連れて行っておくれ」


 未来の脳内に強制的に情報を流し込み始めた。


 銃声が闇の中に響いたのは、それから程なくしてのことだった。


********************


 どれほどの時が経っただろうか。

 3人は、未だ来音邸の人間たちに囲まれながら、その場に跪いていた。

 真理亜の涙はとうの昔に枯れ果て、今はただ茫然と天を眺めている。

 総也と玲奈は悔しそうに地に拳を叩きつけたまま、しかし何もできなかった。

 無力だった。


 だが――。


「なにぃっ!?」


 突如、3人のことを監視していた剛が声を荒げる。

 その怒号は、顔に付けられたインカムに向かって浴びせかけられていた。


「馬鹿なっ!? あと少しだったのに、何故そんなことに……!」


 その言葉に、総也は一抹の希望を抱く。

 その言葉は、彼らの計画が失敗したことを意味していたからだ。


「藍殿が死んだな……?」


 総也が不敵に笑いながら問うと、剛はグッと息を飲みこんだ。

 その反応だけで十分すぎた。

 真理亜の表情が俄かに変わる。

 その顔には希望の色が差していた。


「それで……お坊ちゃまは? ……連れ去られただと!? 誰にッ!? ……馬鹿な――!!」


 瞬間、夜の闇の中に、それよりも濃い闇が

 闇の中からは、史紋を抱きかかえた桐崎 七也と、高遠 未来が現れた。


「おお、やはりここにいたか。史紋くんが教えてくれた通りだったな、未来くん」

「もういいよね? じゃあ、ボクは帰るよ? ここにいたら来音さんに殺されちゃう」


 閑静な住宅街に銃声が響く。

 新たに作られた闇のワープゲートを、未来はそそくさとくぐった。

 瞬間、宙に浮いた2つの闇が同時に消え去る。


 通信機を手に持ったまま、剛は眼を見開いて七也を凝視した。


「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な……! あなたはご主人様の盟友であらせられたはず……!」

「やぁ、君は確か剛くんだったかな? 残念だったね。藍殿は私がこの手で殺した」

「おのれ――!!」


 憤怒した剛が地を蹴って七也に肉薄する。

 目にも止まらぬ速さだった。

 総也を吹き飛ばした掌打が七也を襲う――!


 瞬間だった。


「愚かな……。彼我の戦力差を見誤る君ではないだろうに……」


 七也の目の前で火花が散る。

 剛の掌底は、七也に当たる寸前、その中空で止まっていた。

 剛が眼を見開く。


「あの世で主人と仲良くやりたまえよ」


 それは、一瞬の出来事だった。

 赤い閃光が迸ったかと思うと、それは剛の左胸を貫いていた。

 彼の左胸には、ポッカリと穴が空いていた。

 心臓のある位置だ。

 剛が即死したことは、誰の眼にも明らかだった。


「ひっ!?」


 来音邸の従業員たちが、慌てて四散する。

 次は自分かも知れない――その恐怖が、彼らを逃げの一手に転じさせた。


「ふむ……。君はもう少し健闘してくれるものとばかり思っていたのだが……存外あっけなかったな」


 心臓を失った剛の死骸が、ドウッと地に倒れる。

 七也は、それを涼しい顔で見下ろしていた。


「さて、真理亜くん。喜びたまえ。君の弟はこの通り無事だ」


 史紋は、七也に抱きかかえられたまま震えていた。

 無理もない。

 今の今まで殺される恐怖と戦っていたのだ。


「親父……」


 剛のことを一瞬で仕留めてみせた七也に、改めて総也は恐怖する。

 そして、父親のようにうまくできない自分のことを、総也は恥じた。


「総也か。こうして会ったのは久しぶりだな。元気にしていたか?」

「これが元気に見えるのかよ……」


 総也は自嘲交じりの苦笑を顔に浮かべる。

 だが、その顔色はつい先ほどと比べて随分と良くなっていた。


「真理亜くんも、よかったな」


 七也は史紋を地に立たせる。

 すると、彼は感極まったかのように真理亜に抱き着いた。

 そして、姉と抱き合いながらわんわんと泣き始めたのだった。


「こわかった……! こわかったよぅ……!」

「ええ、そうですね……。でも、あなたが無事で本当に良かった……!」


 真理亜は、史紋のことを抱き締めながら、その美しい銀髪を撫でていた。

 こんな顔もできるのだな、と総也は真理亜のことを見つめていた。


「玲奈も、何事もないようで良かった」

「お父さん……!」


 ファザコン娘が目を輝かせる。

 七也は剛の身を検め始めると、やがてそれを見つけた。

 それは、1本の鍵だった。

 恐らくは、玲奈の手枷の鍵なのだろう。


「待っていろ。すぐに外してやる」

「ありがとう、お父さん!」


 果たして、玲奈の手枷は簡単に外れた。

 手枷は地面に落ち、鈍い金属音が辺りに響いた。


 その頃には、先ほどの銃声に気づいたのだろう。

 周囲には野次馬が集まりつつあった。


「……面倒だな」


 七也はそう呟くと、先ほどと同じ赤い閃光を放った。

 しかし、今度は巨大なものだ。

 それが剛の死骸に当たったかと思うと――閃光が晴れた時には、剛の死骸は消滅しているどころか、それがあった辺りの地面はまとめてクレーターと化していた。

 七也は、証拠隠滅のために剛の死骸を消滅させたのだった。


「さて、4人とも。まずは私の家に戻ろうじゃないか。長居は無用だ」


 そして、七也は住宅街の自宅方面へと勝手に歩き始めた。

 七也が通ろうとすると、野次馬は勝手に道を空ける。

 5人は、その間を通って桐崎邸へと帰還したのだった。


********************


「しっかしひどいもんだな……」


 自宅に帰ると、七也は困り顔で周囲を見回す。

 先ほどの戦闘で、桐崎邸は荒れ放題だった。


「賠償金はレイン・コンツェルンに払ってもらうぞ?」

「構いません。今回の一件は全て来音の身内から出た錆。全額を保証いたしますわ」


 真理亜が七也の軽口にそう返す。

 とはいえ、桐崎邸は来音邸に勝るとも劣らない大豪邸。

 その修繕費が馬鹿にならないことは誰の目にも明らかだ。

 レイン・コンツェルン全体からしてみればはした金に過ぎないとはいえ、軽口で言い合うような内容の話でもなかった。


「それよりも、今後のことが問題ですね……。父の死が明らかになれば、レイン・コンツェルンの株価が暴落するのは火を見るよりも明らか。今後の我が社の経営が危ぶまれます……」

「まぁ、そこは現社長らに任せておけば、上手く取りまとめてくれると思うがね」


 レイン・コンツェルンは同族経営ではない。

 その長が創業者の来音 藍殿であるのは事実だが、彼らの子どもたちが経営に携わっているわけではなかった。

 創業者の死は確かに財閥にとって手痛いダメージだが、それが致命傷となることはあり得ないだろう。


「それよりも、親父……。なんで藍殿を殺してまで史紋くんを助けてくれたんだ? 藍殿は親父の親友なんだろう?」

「親友、ねぇ……」


 七也は、総也の言葉に遠い目をしてみせた。

 遥か昔のことを懐かしむような視線だった。


「単に、老人などよりは未来ある少年の命を優先させたかっただけだよ」


 その言葉に反論してみせたのは、救われた当の史紋だった。


「ですが、総理。お言葉ですが、僕に未来はありません」

「長い人生が残っているじゃないか」

「冗談はそこまでです。Klinefelter syndromeの僕に子どもは持てません」


 その言葉に、七也はフッと笑ってみせた。


「魔法がある」


 と――。

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