第34話 逃亡劇
その日の夜、総也はメイワルで遊んでいたわけだが、彼は突然
彼をアボートさせたのは、メイドロボのノエルだ。
もちろん、楽しくゲームをしていた総也からすれば溜まったものではない。
総也は不機嫌そうな眼でメイドロボのことを睨んだ。
「来音 真理亜さまがお見えです」
そして、その知らせは更に総也の機嫌を損ねるものだった。
「あいつのことは家に入れるなと命じたはずだ」
その言葉に、ノエルは首を横に振ってみせる。
「お坊ちゃまの入力されたプロトコルは、既にご主人様によって書き換えられております。ご主人様は、真理亜さまが家を訪ねられた時は最優先でお通ししろ、と」
「あんの、クソ親父め……」
総也は、家にいない父親に対してメラメラと怒りの炎を燃やしてみせる。
とはいえ、家に上がられたものは仕方ない。
丁重にお帰りいただこう――そう考えたところで。
「加えて、
「史紋くんが……?」
史紋は真理亜の弟だ。
顔は互いに知っている程度の仲だが、何の用だろうか?
「それで、用件は?」
そう、ノエルに尋ねると、彼女は総也をアボートさせてまで呼び出した理由を述べた。
「『かくまって欲しい』とのことです。どうやら大変焦っておいでのようでした」
その言葉に、総也は手早く拳銃を用意する。
尋常ならざる事態であることを彼は察した。
「ノエルは玲奈をアボートさせろ! あと、すぐに地下シェルターを開放! 俺が2人を地下にかくまう!!」
運が悪いことに、玲奈も総也と共にメイワルをプレイ中だった。
今ごろ玲奈は、総也が急にログアウトしたことに何事かと騒ぎ立てているはずだ。
まずは、彼女をアボートさせ、戦力の増強を図る。
そして、頑丈な地下シェルターに真理亜と史紋をかくまう。
それが彼の作戦だった。
大急ぎで1階に降りると、そこは既に戦場と化していた。
辺り一帯を氷の霧が覆っている。
その中を、ドタドタと走る足音が四方から響いていた。
チッと舌打ちすると、総也は熱風で氷の霧を払いながら、魔法の発生源を探す。
――果たして、逃亡者を見つけるのは総也の方が一足早かった。
地の利に秀でていたのが良かったのだろう。
総也は、真理亜と彼女に手を引かれる銀髪の美少年――史紋の姿を視認すると、彼らを自分の背に隠して足音の方角を向く。
瞬間、総也はドタドタという足音をおとりにして、音もなくこちらに忍び寄る影に気づく。
反射的にサバイバルナイフを抜いた総也は、その影と剣戟を舞った。
「くっ……あなたが、なぜっ!?」
それは、エプロンドレスに身を包んだメイドだった。
このエプロンドレスには見覚えがある。
来音邸で採用されているのと同じものだ。
だが、彼女は更に異様な出で立ちをしていた。
両手には包丁を持ち、更にはその頭部には何やら物々しいゴーグルのようなものを装着していたのだった。
「それは赤外線カメラですっ!! 総也くん!!」
「なるほどなっ!!」
真理亜が、いま最も欲しい情報を提供してくれる。
2か月の間、離れ離れになっていても、真理亜は総也の良き相棒のままだった。
メイドは、赤外線カメラで氷の霧の中でも熱源を探し出してみせたのだ。
無用の長物どころか、総也に対する邪魔にしかならないと察知した真理亜が、ダイヤモンドダストを解除する。
氷の霧は一気に水の霧へと融解し、やがて消え去った。
その間も、総也はメイドとナイフでの剣戟を続けている。
総也が短いサバイバルナイフで二刀流のメイドと打ち合いを行える理由は主に2つ。
筋力の差と、実戦経験の差ゆえだった。
それを加味しても、相手の方が手数が多いというのは総也にとって不利に働いた。
だが、隙を見て総也はメイドの腹部を蹴り飛ばす。
軽いメイドの身体は、容易に宙を舞った。
その好機を逃す総也ではない。
「真理亜ッ! こっちだッ!」
融解した水に全身を濡らしながらも、総也は真理亜を先導する。
真理亜たちは無言で総也についてきた。
まずは地下シェルターに真理亜たちをかくまう。
その後は籠城戦だ――となったところで。
総也は己の甘さを呪った。
「先を越されてたか……!」
地下シェルターへの階段の入口には、既に来音邸の執事やメイドたち、黒服のSPたちが待ち構えていた。
急に開いた地下への入口で張っていれば、いずれは主人たちが現れると、彼らは踏んでいたのだろう。
それにしても大人数だ。
真理亜と史紋を追うためだけに、どれだけの戦力が動員されているというのだろうか?
「くっ……」
向こうがこちらに気づく。
敵は拳銃をこちらに向けるだけだ。
総也は反射的に真理亜たちを通路の死角に押し込み、自分もそこに身を隠した。
「桐崎 総也さま。史紋お坊ちゃまと真理亜お嬢様をこちらにお渡しください。そうすれば、あなたには危害は加えないことをお約束します」
「当然だが断るッ! 今の物騒なお前らに真理亜は渡せない!」
「ならば、無理やり奪い取るしかありませんな」
野太い声が返答をする。
この声には聞き覚えがある。
確か、執事長兼用心棒の――。
「
カツカツと足音を立てながら、こちらに歩いてくる偉丈夫。
総也は彼我の戦力差を鑑みて、即座に逃走を選択した。
「真理亜、こっちだ」
総也が小声で真理亜に言うと、真理亜は小さく頷いた。
が――。
「うっ……!」
途端、真理亜が気分悪そうに口元を押さえる。
それは、吐き気を我慢しているかのようだった。
(まさか、つわりか……?)
仮にあの日に妊娠をしたと仮定するなら、今の真理亜は妊娠10週程度のはずだ。
つわりが最も酷い頃合いだろう。
総也は半ば強引に真理亜をおぶると、史紋に声をかけた。
「走るぞ。ちゃんと俺についてこい」
史紋は、それにコクリと頷く。
それを確認して、総也は駆け出した。
「うぁ……そうや、くん……!」
「吐きたいなら全部吐け。気道に胃液が入るくらいなら、盛大にぶちまけろ。揺れるからそれも難しいだろうがな……!」
「ごめん、なさい……」
真理亜は辛そうに答え、総也の背中にゲロゲロと胃液を吐き出した。
背中に感じる生暖かい液体の感触に苦笑しながら、しかし走り続ける。
「待っ、て……!」
角を曲がったところで、少し後方から史紋の声が聞こえてくる。
少し速く走り過ぎたか。
総也は真理亜を降ろすと、そこで史紋のことを待ち受けた。
「真理亜、今の内に胃の中を空にしておけ。これからお前をおぶって走ることになる」
「は、い……うっ」
真理亜が自分の喉奥に指を突っ込み、胃液を無理やり吐き出す。
それと、史紋が追いつくのは同時だった。
「真理亜お姉さま……」
史紋が、床にびちゃびちゃと嘔吐する姉の姿を心配そうに見つめる。
そして、キッと総也のことを睨んだ。
「総也さまは、どうしてお姉さまがこんなに苦しんでるのに側にいてあげなかったんですかっ!?」
「……すまない」
総也には、謝ることしかできなかった。
恐らく、詳しい事情は話していないのだろう。
史紋が総也を恨むことは、無理からぬことだった。
「史紋、やめて……。何度も言ってるけど、悪いのは
顔を上げた真理亜が、史紋を嗜める。
史紋は尚も総也のことを睨みつけていたが、やがて不承不承ながら引き下がった。
総也は真理亜の吐しゃ物が付着したシャツを脱ぎ捨てると、その背中に再度真理亜をおぶった。
「ひとまず外に出る。そこから先のことはそれから考える」
そして、真理亜をおぶった上で史紋を抱きかかえると、総也は疾走を始めた。
抱きかかえる2人の身体は、どちらも病的なまでに軽いものだった。
真理亜は心なしか痩せたように見受けられた。
恐らく、食事を満足に摂れていないのだろう。
妊婦が食事を摂らないというのは赤ん坊にとって百害あって一利なしだ。
この逃走劇が終わったら、何か美味いもんでも食わせてやろうと総也は考えた。
史紋も史紋で、非常に体が軽い。
身長は決して低くないが、その体躯は病的に痩せていた。
二次性徴前の少年ということを加味しても、その身体は軽い部類に分類されただろう。
総也は事情を知っている。
史紋はクラインフェルター症候群だ。
簡単に言えば、彼は染色体異常によって女性的な特徴を兼ね備えた少年なのだった。
その体幹と手指は女性のように細長く、その顔も小さくほっそりとしていた。
今の状況は、女子どもを2人背負っているだけに等しい。
それで走れなくなるほど、総也はやわな身体はしていなかった。
「ノエルッ! 38番の窓を破壊しろッ!!」
「了解いたしました」
その部屋に入ると、この状況でも呑気に部屋の掃除をしていたメイドロボ――さっき総也をアボートさせたのとは別の個体だ――に総也は命じた。
途端、ノエルの手首がカコンという音と共に折れたかと思うと、その奥から銃口が現れる。
ノエルは、両腕に格納されていたサブマシンガンで、ガラス戸を容赦なく銃撃、破壊したのだった。
その音に、外に待機していた来音邸の従業員が気づいたのだろう。
何人かの敵がガラス戸の外の庭に集まってくるが……。
「ノエルッ! スタングレネードッ! あと、全ノエルは戦闘態勢に移行――!!」
すると、集まってきた敵に向けて、ノエルの腹部からスタングレネードが投射される。
総也はノエルの後ろにその身を隠し、目を瞑った。
途端――。
閃光。
爆音。
真理亜をおぶり、史紋を抱きかかえたままでは耳を塞げない。
響く耳鳴りに平衡感覚を揺さぶられながらも、総也は砕けたガラス戸から外に飛び出し、裸足のまま庭を駆け出した。
砕け散ったガラスの破片や、庭の砂利が総也の裸足の足底に容赦なく突き刺さる。
だが、彼は歯を食いしばってそれを気合で耐えながら、屋敷の外へ向けて走り続けた。
(屋敷の中が戦闘状態なのに、なんで他の
頭の中だけでそんな悪態をつきながら、総也は2人を抱きかかえたまま春の夜の住宅街に駆け出した――。
********************
高級住宅街――白銀台。
その中を総也は縦横無尽に駆け回る。
彼我の戦力差は圧倒的だ。
だが、フィールドが広ければ広いほど、逃げる側が有利となるのが鬼ごっこの性質である。
やがて、彼は人気のない路地裏に飛び込むと、追っ手を撒けたことを確信した。
「はぁっ……はぁっ……!」
荒く呼吸をして、酸素を取り込む。
薄汚い路地裏に史紋と真理亜を横たえながら、崩れ落ちるようにして総也は腰を降ろした。
「総也、くん……その、足……!」
真理亜が、総也の血塗れになった足底に気づく。
「あ、ああ……これか……。気に、するな……」
「待ってください、すぐに治療いたします……! 天におはします私たちの父なる神さま――!」
真理亜が祈りの言葉を天に捧げる。
すると、真理亜の身体が光輝いたかと思うと、その光が総也の足に集束し、総也の足底は見る見るうちに快復していった。
「助かる……! 真理亜、簡潔に状況を教えてくれ」
遠くの方から「何かあっちの方が光ったぞ!?」「お嬢様かもしれない! そっちに行けッ!!」などと声が聞こえてきた。
ここが見つかるのも時間の問題だった。
「はい。発端は、父が急性の心筋梗塞を発症したことです――」
真理亜が、事情を話し始めた。
心筋梗塞を発症した
心臓が半分壊死したようなものだ。
身体が必要とするだけの血液の拍出は、心臓からではすぐに得られなくなり、現在は人工心肺のような装置で血液を体外に収集、酸素化し、体内に戻すというのを続けている状況だった。
「父は今、意識不明の重体――その場合、屋敷の従業員たちは、父を救うためにあるプロトコルに沿って行動することになっているのです」
それは、想像を絶する残酷なものだった。
「史紋は、父のクローンのような存在です。最も、父はKlinefelter syndromeではありませんが……。史紋は、父のクローン胚に、別の方のX染色体を移植して生まれた存在です。確か、クローン特有のテロメア短縮を防止するために、その方のX染色体を移植する必要があったとのことでした」
その辺の詳しい話は真理亜も聞かされていないらしい。
とにかく、史紋は人為的に生み出されたクラインフェルター症候群の患児であり、それに加えて、彼は藍殿のほぼクローン体であるということを総也は把握した。
3人は追っ手に見つからないように、そろそろと移動をしながら話を続ける。
「史紋が生まれた事情は、この際あまり関係ありません。重要なのは、史紋が父のクローンであるということです」
即ち、このような重篤な状態に藍殿が急速に陥った時、史紋に求められている役割というのは――。
「史紋の臓器ならば、拒絶反応は100%発生しません。屋敷の従業員たちは、史紋のことを捕まえて……彼の心臓を父に移植させようとしているのです」
死ぬ、ということに他ならなかった――。
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