第27話 贖罪
真理亜の表情が凍り付いた。
時が止まったかのようだった。
やがて、真理亜は機械のようにぎこちない所作で、首を傾けてみせる。
「あの……総也くん? 仰ってる意味がよく分かりません」
総也が顔を上げる。
すると、真理亜は口元に微かに微笑を浮かべていた。
だが、その眼は笑っていない。
その青い眼からは、全ての色が抜け落ちていた。
「もう一度言う。俺は、未来と、セックスを――性行為をした」
「もう、ダーリンったらぁ♡ 冗談はよくないですよぅ♪」
猫なで声で、真理亜が総也のことを茶化す。
だが、その眼は何色も映さないままだった。
「事実だ」
しかし、総也は冷酷に宣言する。
すると、真理亜は笑顔をその顔に張り付けたまま凍り付いた。
しばし、無音の時が流れる。
「嘘」
無表情になった真理亜の口から、小さく声が漏れる。
「本当のことだ」
「嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘うそうそうそうそうそうそうそうそうそウソウソウソウソウソウソウソウソウソウソウソダアアアアアアアアッッ!!」
ピキ、ピキと空間が文字通り凍り付く。
部屋中の大気の水蒸気が昇華し、白い氷の結晶と化した。
総也の身体を極寒が襲う。
「私の総也くんが浮気ィ!? あんな小娘とセックスぅ!? ありえないありえないありえないっ! ア リ エ ナ イ ! !」
真理亜が否定する。
総也の言葉を拒絶する。
しかし、真理亜の魔力は暴走をしていた。
彼女は確かに怒り狂っていた。
「真理亜っ! 落ち着けっ! 落ち着いて俺の話を聞いてくれっ!!」
「総也くんが、総也くんがあんな小さな子どもに欲情するはずがありませんッ! ええっ、ありませんともッ! ありえませんッ!!」
「真理亜ッ!!」
総也が、氷の霧の中を真理亜に向かって歩み寄る。
たったの2歩が、とてつもない道のりに思えた。
だが、総也は真理亜の下に辿り着き、彼女を抱き締める。
「放セエエエッッ!!」
しかし、そんな努力も空しく、猛吹雪が総也を襲い、彼を寝室の壁に叩きつける。
部屋にあった小物が吹雪によって吹き飛ばされ、全てのガラスが砕け散った。
「ごほっ……!」
総也が口から血を吐く。
肺を損傷したらしい。
危険な兆候だ。
「ば、りあ……」
真理亜と言おうとして、しかし喉が潰れたのか声が出ない。
寒さに体力は奪われ続けている。
意識が朦朧としてきた。
(ああ、俺は、死ぬのか……。まぁ、真理亜に殺されるなら、それも悪くない……)
そう全てを諦めた時だった――。
『最期まで諦めてはなりません』
その声は胸の内から聞こえてきた。
どこか懐かしい思いを抱かせる声だった。
だが、それが誰の声なのかは思い出せない。
『祈りなさい。強く祈りなさい。そして、立ち上がりなさい。あなたにはその力と、想いの強さがあります』
その声に、しかし総也は肯定することができない。
(無理だ……。これ以上、頑張ることなんて……)
しかし、その声は叱咤激励する。
しかし、その声はどこまでも優しい色をしていた。
『あの子を愛しているのでしょう? 今、あなたがここで倒れたら、あの子は悲しみます。一生苦しみ続けます。そんな終わりで、本当にいいのですか?』
その声に、総也は眼を見開く。
「いいわけないだろッッ!!」
叫んだ。
同時に、肺から血液がせり上がる。
だが、総也はそれを吐き捨て、渾身の力を込めて足腰を奮い立たせた。
「死んでたまるか……! 真理亜に俺を殺させてなるものか……!」
立ち上がる。
そして、氷の霧の向こうにいるであろう真理亜に目を向ける。
見える。
彼女のことなら何でも分かる。
彼女はそこにいる。
(俺の中の誰か……! 俺に力を貸せ……!!)
無限の寒さを与えられるなら、それと同じだけの熱をぶつければいい。
無限の風が吹きすさぶなら、それと同じだけの風をぶつければいい。
真理亜の下まで無限の距離があったなら、それを踏破してこそ彼女の男と言えるだろう。
(無限の熱を……! 無限の風を……!)
吹きすさぶ猛吹雪に向けて、ぶつけるッッッ!!
――精神的なショックは、魔法使いの技能を飛躍的に向上させる。
真理亜が強姦されたことによってその魔法の才能を開花させたように、皮肉にも総也も強姦されたことによってその才能を開花させたのだった。
極大の熱が、極大の冷気を相殺する。
爆速の熱風が、爆速の吹雪を相殺する。
やがて、真理亜の寝室の氷の霧は、その全てが総也によって与えられる熱によって溶かされ、湯気と化した。
「あ……え……?」
魔力の暴走が無理やりに相殺されたことに、真理亜が一瞬呆ける。
やがて、湯気が晴れると、辺りは瓦礫の山と化していた。
そして、そこには血まみれになった総也が、今にも崩れ落ちそうな総也が、しかし確かな力で立ち上がっていたのだった。
「そう、や、くん……?」
他ならぬ自分が総也を傷つけたという事実に、真理亜は愕然とする。
そして、へたりとその場に膝をついた。
「はは……やっと落ち着いたか、馬鹿女が……」
総也が、その場に崩れ落ちた。
「総也くんッ!!」
真理亜が立ち上がろうとする。
だが、腰が抜けて立ち上がることができない。
――と、めきめきっという音と共に、真理亜の寝室のドアがぶち抜かれた。
「お嬢様、ご無事ですか?」
そこには、筋骨隆々とした
どうやら、吹雪で蝶番がひしゃげたドアを無理やりねじ開けたようだった――。
********************
「しかしまぁ、お嬢様も随分とやんちゃなようで……」
筋肉ダルマ(仮称)は総也を易々と抱きかかえると、彼を医務室へと連れていく。
真理亜はその後ろを申し訳なさそうについていった。
「ご迷惑をおかけします……」
真理亜はいくぶん冷静になったらしい。
医務室につき、筋肉ダルマ(仮称)が総也をベッドに寝かせると、真理亜は彼の手を必死に握ってみせた。
「すぐに医者を呼びます。場合によってはこのまま救急搬送することとなりますが――」
「いいえ、その必要はありません」
自分にはできるはずだ。
その確信が、真理亜にはあった。
総也の手を握りながら、真理亜は目を瞑って神に祈る。
すると、総也の身体に光の粒が集まっていく――。
「俺は……?」
やがて、総也は眼を覚ます。
左右を見て、真理亜を見つけると、総也はその眼を見つめ返した。
「総也くん……!」
真理亜が満面の笑みを浮かべた。
総也は、真理亜のその笑顔に苦笑を返す。
「それが俺を殺そうとした女のする顔か……」
「あっ……」
途端、真理亜がしゅーんとなる。
しかし、思い出したように彼女は総也を睨みつけた。
「総也くん! さっきの話、一体どういうことですかっ!?」
「どういうも何も……」
総也は、表情を改めて、真剣な表情になり――。
「本当のことだ。俺は、未来とセックスをした」
「あ……」
また、真理亜の眼から色が失われる。
いかん。
このままでは無限ループだ。
「落ち着けッ! 順を追って説明するからッ!!」
「そうですよ、お嬢様。まずは落ち着いて総也さまの仰ることに耳を貸すべきです」
「誰だアンタ……」
総也が、傍らに立つ筋肉ダルマ(仮称)に目を向ける。
こいつ、こんな存在感の塊みたいな姿をしてる癖に、今の今まで気配を消してやがった!
なんという凄腕……! と、総也は驚愕した。
「あ、紹介いたしますね。我が家の用心棒兼執事長を担当しております、
「お、おう……」
よく見ると、筋肉ダルマ――剛は髪の毛にしっかりと白髪を蓄えており、その顔面には深い皺が刻まれていた。
いい歳をしていることは容易に想像できる。
なるほど、執事長。
言われてみれば分からなくもない……が。
「とりあえず、剛とやら。俺はこれからあんたんとこのお嬢様と内密の話をしたいから、席を外してくれると助かる」
「どうやらそのようですな。また
「はい……。ご心配をおかけして誠に申し訳ございません、剛……」
すると、剛は音もなく部屋を辞す。
あまりに自然な動きに、総也は剛が瞬間移動をしているような錯覚を起こした。
次の瞬間には、剛の姿は消えている。
「すごい
「ふふっ、でしょう?」
2週間、この家に入り浸っていたはずなのに今まで存在を気付かせなかった気配遮断能力。
まさに忍者のようだった。
「で、先ほどの話ですが……」
真理亜が、総也の手を握ったままに話の続きを促す。
見ると、笑顔でいるようで、やはり目が笑っていない。
総也の口から乾いた笑い声が漏れた。
「まぁ、その、なんだ。俺は牢屋に捕まってたわけだが、その時に全裸の未来が俺にセックスを迫ってきたんだ」
「まさか……それに応じたんですか!?」
真理亜が軽蔑の視線を向けてくる。
「いやいや待て待て。応じるわけないだろう。そもそも俺はお前に操を立てている」
「ですよね。私のダーリンがあんなつるぺた娘に欲情するはずがありませんもの」
「お、おう……」
真理亜が総也の手をそのふくよかな胸に押し付ける。
こんなナイスバディの婚約者がいておいて、ロリータ娘で総也のちんこが勃つはずがないとでも言いたげだった。
「で、だ。あいつは魔法を使って触手を生み出した」
「しょ、しょくしゅ……?」
「うん。触手」
真理亜は、以前に見た未来の影の触手を思い出した。
あの、先端が刃にもドリルにも変わる便利な黒い触手だ。
「で、あいつは俺のケツを触手で掘ってきた」
「は……?」
真理亜が「わけがわからないよ」と言いたげな間抜けな声を出す。
「前立腺を責められて、思わず俺の息子もフルボッキした」
「……」
真理亜が、呆然とした表情で総也を見つめる。
「で、俺のちんこは未来の処女まんこに食われたってわけだ」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってください!!」
真理亜が総也の手をガックンガックン振りながら訴える。
「なんだ?」
「それでは、まるであの女がダーリンのことレイプしたかのようではありませんかッ!?」
「あー……」
総也の目が泳ぐ。
「まぁ、そうとも言う」
「……」
真理亜の眼から光が失われた。
どこかわけの分からない方角を見つめながら、真理亜が小さく呟く。
「アノオンナ、コロス……」
「おおおおお落ち着け真理亜! だからお前のことをあの時拘束したんだっっ!!」
総也はガバッと起き上がって、真理亜の肩を掴む。
ガックンガックン彼女のことを揺らしながら、必死に呼びかけた。
「シカモだーりんノ処女マデ奪ッテ……絶対ニユルサナイ……!」
「真理亜ああああああ!! くっ……!」
総也は意を決して――。
「ちゅっ……」
真理亜の唇を奪う。
その瞬間――。
「あ……」
真理亜の瞳に光が戻った。
ぱちくりと瞬きをすると、総也と目を合わせる。
「ダーリン……」
「とりあえず、落ち着いて俺の話を聞いてくれ、な?」
「はい……」
総也はベッドの上にあぐらをかいて、後頭部をかいた。
バツが悪そうな顔で続ける。
「ただ、そのだな。ケツを掘られてる内に俺もだんだん気持ちよくなっちゃってだな……」
「はぁ……」
真理亜が、あっけに取られたかのような表情のまま、総也の話を聞き続ける。
「最後には、俺も腰を振ってた。だから、あれはレイプじゃなくてセックスだ……」
「ダーリン……」
真理亜が悲しそうな眼で総也のことを見つめる。
そこには憐憫と、悲しみと、怒りと、憎しみと、嫉妬と、慈しみと、愛と――様々な感情がないまぜになっているようだった。
「だから、俺はお前のことを裏切った。俺は、最低のクズ野郎だ……」
「そんなことありませんよ、ダーリン……」
真理亜が、そっと医務室のベッドの上に乗り上がる。
そして、総也の身体を優しく抱き締めてみせた。
「真理亜……無理しなくていいんだぞ? お前は俺に怒っていいんだ」
「ダーリンこそ、無理しないでください。その……お辛かったですよね?」
いつの間にか、真理亜の頬を涙が伝っていた。
いつの間にか、総也自身の頬も温かい何かで濡れていた。
「ま、りあ……」
「ダー、リン……」
総也が、真理亜のことを抱き締め返す。
真理亜が、さらに強く総也のことを抱き締める。
そして――。
「ああ、ああああああああ!!」
「うえ、うええええええん!!」
2人は、2人して激しい嗚咽を漏らし始めたのだった……。
********************
2人してひとしきり涙を流した後、2人は互いに背中合わせになりながら語り合った。
総也の後ろで、医務室のベッドの上で、真理亜は膝を抱えている。
「あいつ、俺に告白してきたんだよ」
「そ、れは……」
真理亜の表情はうかがい知れない。
だが、不機嫌であろうことは容易に想像ができた。
「あいつは、今生の別れのつもりで俺のことを抱きに来たらしい。コールドスリープで眠らされて、いつ目が覚めるかも分からない。だから、最後に大好きな俺との思い出が欲しかったんだと」
「ふーん……」
露骨に真理亜は不機嫌そうな声を出した。
どんな顔をしているか容易に想像がついた総也は、思わず苦笑をする。
「ま、結果はご存じの通り、俺たちがすぐにコールドスリープを解凍しちまったから、別れてすぐの再会になったわけだが」
「ははっ、Fuck」
「おい」
およそお嬢様とは思えないその言葉に、思わずツッコミを入れる総也であった。
「まぁ、だから、あいつにも悪気があったわけじゃないんだ。いや、悪気自体はあったかもしれないけど、あいつなりの想いはあったというか……」
「ただの横恋慕ですけどね」
「うっ……」
総也が目を泳がせる。
真理亜は今にも死にそうな声で続けた。
「まーダーリンがどーしてもあの女のこと許したいみたいですから? 私としても吝かではないというか?」
「真理亜……頼むよ……」
「むぅ……」
不機嫌そうに真理亜が唇を尖らせた。……たぶん。
「あいつは多分、明日香だ。明日香本人だ。俺の幼馴染みの、な」
「ですが……!」
真理亜が言いかけて、口をつぐむ。
真理亜に「明日香さんはダーリンが殺したはずでは?」とは言えなかった。
「年齢の問題はコールドスリープで解決される。明日香はこの5年間、コールドスリープの中で眠り続けていたんだ」
「ですが、ですが、じゃあ……!」
「俺が殺したあの子が何者かは謎だ」
「ダー、リン……」
真理亜が、悲しそうに総也に声をかける。
総也は顔を手で覆った。
「あいつは、ずっと俺のことを想い続けていてくれたんだ……。冷たい氷の中で……」
「……」
真理亜には、最早総也にかける言葉がなかった。
憎い。
未来のことは憎い。
だが、それ以上に愛する人の悲痛な想いが身に染みて感じられてしまったから……。
「だから、頼む、真理亜。あいつのことを許してやってくれ。あいつはただ、子どもだっただけなんだ……」
「ダーリン……」
真理亜は、膝に顔を埋める。
悲しい。
悔しい。
憎い。
憎い。
でも……。
「私、やっぱりあの子のこと許せません。ですが……」
あの女が、あの子に変わった。
「殺すのだけはやめてあげます。他ならぬダーリンのお願いですから――」
「真理亜……!」
そして――。
「ありが、とう……!」
総也は泣き崩れた――。
********************
「時にダーリン?」
総也が泣き止んだのを見て、真理亜が総也のことを後ろから抱き締めてくる。
「なんだ?」
「えいっ♪」
真理亜は、総也の軍服のポケットから手枷を取り出すと、手早く総也の手に枷をかけてしまった。
そして、手枷の鍵も取り上げる。
「……あのー、真理亜さん?」
「それはそれとしてぇ、ダーリンにはやっぱり思うところはあるのでぇ、ちょっとオシオキしちゃいます♡」
「あー……」
総也の目が泳ぐ。
なんとなく今後の惨劇が目に浮かんだ。
程なくして、総也の叫び声が館に響き渡ったのだった。
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