第26話 解凍

「ほう……これが、なるほど……」


 七也がどこか興奮した様子でコールドスリープ装置を見る。

 一輝の光球に照らされた部屋全体もくまなく見回していた。

 このような父親の姿を見るのは初めてだ。

 総也は新鮮さを覚えた。

 玲奈が部屋の電灯のスイッチを入れると、一輝は光球を消した。


「さて、これをどうしたものかな」

「解放してやってほしい。安全なら、だが……」

「解凍が安全じゃないなんてことはないだろう。私の予想が外れていなければ、だがね」


 七也が興味深そうにコールドスリープをしげしげと見つめている。


「どういうことだ?」

「なに。単に何度もこのコールドスリープと解凍は繰り返されているだろう、というだけの予想だよ」

「はいこれ。トリセツ」


 玲奈がいつの間にかコールドスリープのマニュアルを見つけていたらしい。

 七也がそれをパラパラとめくり、内容を斜め読みする。


「やはり、解凍する分には危険はないようだな。さて、どうしたものか……」

「なんだ? 解凍しない方がいいってことか?」

「いや、なに。このコールドスリープをそのまま持ち帰ることはできないだろうかと少しだけ考えていてね。ただ、周りにある諸々も装置の一部のようだから、それは難しそうかな、と」


 マニュアルに目を通した七也が、周囲の物々しい機械を見回す。

 あれもこれも、このコールドスリープ装置の一部ということのようだった。


「しかし、驚きました。我が社の技術でも未だ理論すら構築できていないコールドスリープが現実に存在していたとは……」

「うむ。これこそ正に科学と魔法の融合と言えるだろう。基礎理論は魔法によって組み立てられ、機構の維持は機械によってなされている。コールドスリープそれ自体のエネルギー源は魔力エネルギーだ。それの供給源を電気エネルギーとしているらしいな」


 七也が壁際の機械群に近づく。

 そこにはメーターやボタンなどが配列されており、どうやらコールドスリープの操作装置のようだった。


「それよりも、さっさと未来くんを解凍するぞ。どうやら、このコールドスリープは定期的に魔法使いによる調整が必要らしい。今は余剰電力から魔力エネルギーを生み出して術式を維持しているようだが、それも長くは持たん」

「なっ!? じゃあ早く……」

「まぁ、そう焦るな。このマニュアルによれば、向こう1日は大丈夫だ。のんびりと解凍作業を進めていこうではないか」


 焦る総也をそう嗜めて、七也はコールドスリープ装置を何やら操作していく。

 すると、ウィンウィンと音を立ててコールドスリープ装置が稼働を始めた。


「解凍には1時間はかかる。総員、防衛体制につけ。玲奈と一輝くんは部屋の外の警戒。総也と真理亜くんは私の護衛だ」


 七也が命ずる。

 それに従い、全員が散会した。


「真理亜……」


 玲奈と一輝が部屋から出たところで、総也が真理亜に声をかける。


「総也くん、なんですか?」

「後で、大事な話がある。2人きりで話がしたい」


 その言葉に、真理亜が絶望の表情を見せる。


「まさか……別れ話、とかじゃないですよ、ね……?」

「何を想像してんだ。安心しろ。違うから」


 その言葉に、真理亜は心底安心したかのようにホッと安堵の息を吐いてみせた。


「だが、あまり良い内容の話でもない」


 総也が眼を逸らす。

 真理亜は、それを聞いて悲しそうな表情をした。


「ここではできない話なのですね?」

「ああ、ここには親父もいるし、とにかくここではできない」


 総也がこちらを見ている七也の方を見る。

 七也は何やら全てを見透かしたかのようにニヤニヤとしていた。

 心底気分が悪い。


 ――結局、解凍している間、魔法使いによる襲撃はなかった。

 それ自体は幸運と呼べただろう。


********************


 コールドスリープ本体のコンソールが湯気を立てながら開く。

 七也が、ここに来る前に調達した魔法封じの足枷を、眠る未来に素早く嵌めた。

 ちなみに、未来は全裸で氷漬けにされていた。


 そして、やがて未来が目を開く。


「今日は、何年何月何日だい?」

「2052年4月27日だ」

「なんだよ、ボクは眠らされた日に早速起こされたってわけか……い……っ!?」


 身を起こし、周囲を見回した未来が、周りにいた3人に気づいて息を飲む。

 そして、反射的に飛びのこうとしたわけだが――。


「なっ……脚が……!」

「寝起きでそう急な運動をするものじゃないよ、高遠 未来くん。諦めて我々の捕虜になりたまえ」


 七也が無防備な姿勢のまま、未来に降伏勧告をした。

 最も、総也と真理亜は拳銃を未来に向けて構えていたが。


「くっ……」


 未来が七也、総也、真理亜を交互に見る。

 そして、どうしようもないと悟るや否や、溜息をついた。


「はぁ……ボクなんか捕虜にしてどうするつもりだい? ボクは情報になるようなことは何も知らない」

「何を言ってるんだね。捕虜という言葉が悪かったかもしれんが、私は君のことを我々の保護下に入れようと言っているんだ。そちらにとっても悪い話ではないと思うが?」


 その言葉に、未来は七也をキッと睨んで反論した。


「言っとくけど、魔法使いたちが本気になったら捕虜にすることなんてなんの意味もなさない。彼らに空間的な遠近は関係ないんだ」

「本当にそう思っているのかね?」

「なに……?」


 七也の言葉に、未来は目を見開いた。


「彼らは、自分のイメージにも湧かないような場所に、本当に転移魔法で転移できるのかね? と問うているんだ」


 その言葉に、その場にいる他の3人は目を見開いた。

 確かに、魔法の原則的にはそうだ。

 魔法使いは、自分の想像力――イメージの及ぶ範囲にしか転移魔法も行うことができないということになる。


「……確かに、あなたの言う通りだ。でも、ってことは、あなたはボクのことを……」

「そうだ。誰の目にも止まらない、一部の人間しか知りえない場所に閉じ込める」

「チッ……まぁ元よりボクに拒否権はない。好きにするがいいさ」


 そして、未来は総也の方に視線を向けた。


「総也……」

「……」


 それに対し、総也は未来に悲しそうな視線を向けるだけで、何も言わない。言えない。


「ボク、バカみたいだね。……みたいじゃなくて、本物のバカだ。君とお別れするつもりであんなことしたのに、こんなすぐに再会させられるなんてさ……」

「あんなこと……?」


 未来の言葉に、真理亜が鋭く反応する。


「あなた、私の総也くんに何かしたんですか? 内容によっては容赦は――」

「それについては、後で改めて話す。2人きりで、な」

「総也くん! ですが――!」

「俺の言うことが聞けないか? 真理亜」

「――!! くっ……!」


 それきり、真理亜は渋々と言った様子で黙りこくる。

 未来は、その様子を苦々しい笑みを浮かべながら見ていた。

 その目は「君はあんなことをしたボクのことを庇ってくれるんだね」と言っているかのようだった。


「ところで、何か着る物を用意してくれないかな? いい加減ハダカは寒いんだ」

「いいだろう。真理亜くん」

「……了解しました」


 真理亜が、やはり渋々と言った様子で部屋を出ていく。

 部屋には総也、七也、未来が残された。


「総也……」


 未来が、申し訳なさそうに総也に語りかけた。


「その……あのことは本当にごめんなさい。あと、さっきは助けてくれてありがとう」

「ふっ……」


 総也は、それを鼻で笑って流す。

 彼にとっては、当然のことをしたまでだった。


「でも、君にボクを助ける理由なんか何一つないはずだ。ボクは君の父親を殺そうとした。君の婚約者を殺そうとした。あまつさえ――」

「単に、明日香と同じ顔をした奴が二度死ぬ姿を見たくなかっただけだ。それ以上の理由はない。つまり、俺の単なるエゴだよ」


 総也は肩をすくめてみせる。

 そして、七也の方を向いて言った。


「それより親父、手枷が余ってたよな?」

「ああ、確かに足枷と手枷を1式ずつ持ってきたが……」

「それを俺に寄越してほしい」

「……なるほど。ふむ……」


 しばしの間、七也は考え込んでいた。

 が――。


「……いいだろう」


 七也は、総也に手枷とその鍵を渡した。


「なんだよ。既に足枷嵌められてるのに、この上手枷まで嵌めようっていうのかい? ずいぶん警戒されてるもんだね」

「いや、これはお前にかけるためのものじゃない」


 そして、総也は続けた。


「これは、真理亜にかける」


********************


 やがて、真理亜が1人分の女物の服とローブを持って部屋に戻ってきた。

 そして、それを未来に渡そうとしたのだが……。


「待て」


 総也が、真理亜に声をかける。

 真理亜は、首を傾げながら総也に従った。


「ちょっとそのままこっちに来い」

「はい……」


 真理亜が、服をその両腕に乗せたまま総也の方に来る。

 総也はその服を乱暴にかっぱらい――。


「えっ……?」


 躊躇なく手枷を真理亜の両手に嵌めた。


「あの……総也くん? これはどういう……」


 それに対し、総也は真理亜を鋭い視線で睨む。


「お前を未来に近づけたら、お前は未来の思考を読もうとするだろう」

「……っ!!」


 真理亜が目を見開く。

 図星のようだった。


「そういうわけにはいかないんだ。だから、魔法封じの枷をかけさせてもらった」

「総也くん……」


 自分が信頼されていないということに、そして、それ以上に「総也が未来に、真理亜が激怒するようなことをされた」という事実に、真理亜は悲しげな表情をしてみせた。


「そんな目をするな。お前ら2人のためを思ってのことだ」

「総也、くん……」


 真理亜が、その眼から涙を流す。


「あなたは、何をされたんですか……?」

「後で話すと、さっきから言ってるだろう」


 しかし、総也は取り合わない。

 それどころか、真理亜の腰から拳銃を奪い取ってみせた。


「私は、そんなにもあなた様に信用されていないということですか……?」


 真理亜が、涙をポロポロと流しながら総也に訴えかける。

 総也は、そんな真理亜の様子を悲しそうな表情で見つめるだけだった。


「未来、これを着ろ」


 総也は、真理亜からかっぱらった衣服を未来に投げて寄越す。

 そして、見ないでおいてやると言わんばかりに後ろを振り向いた。


「総也……ありがとう」


 未来はそう言いながら、服を身に纏い始めた――。


********************


「準備はできたようだな。では、撤退だ」


 七也が、ローブを身に纏った未来を抱きかかえながら、総也と真理亜に告げる。

 総也も真理亜も、それに無表情のまま従った。

 真理亜の涙は、とうの昔に枯れ果てていた。

 そして、コールドスリープ部屋を出たならば、外で待機していた玲奈と一輝を連れて歩き始めたのだった。


「既に、ここから300メートル地点の平地にヘリを待機させてある。それに乗ってさっさと撤退するぞ」


 果たして、建物から外に出てその距離を歩くと、そこには軍用ヘリが待機していた。

 パイロット2名が恭しく七也に礼をする。


「お疲れ様。まずは東京方面を目指してほしい」


 そして、彼らはヘリに乗り込んで飛び立った――。


********************


 ヘリに乗っているおよそ1時間の間、乗員はほとんど無言だった。

 時たま、七也がパイロットに指示を出すだけだ。

 総也と真理亜は、隣同士に座っていながらも目を合わせなかった。


 やがて、ヘリが来音邸のだだっ広い庭に着陸する。

 そして、パイロットと七也、未来を残し、4人をそこに降ろした。

 ヘリが再度飛び立っていく……。


「解散、だな。玲奈、一輝、ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」

「世話の焼ける兄貴を助けてやっただけよ」


 なんでもないという風に、一輝と玲奈は言う。

 玲奈はもちろんとして、一輝も味方でいてくれる限りは頼れる仲間だった。


「真理亜、とりあえずお前の部屋に行くぞ」

「はい……」


 対する真理亜は、今も手枷を嵌められたままだ。

 真理亜は、自分がこの2人よりも信頼されていないという事実に落胆した。


「お嬢様……!!」


 と、屋敷の方から1人のメイドが駆け寄ってくる。

 それは、真理亜付きのメイドのはるかだった。


「お嬢様! ……!! これは、どういったことですか?」


 手枷を嵌められた主人の姿を見て、遥が総也のことを睨みつけてくる。

 総也はそれに対し、乾いた笑いを浮かべてみせた。


「すぐに外すさ。それよりも、この2人のために車を用意してやってほしい」

「いくらお嬢様の将来の旦那様のお言葉とはいえ、この状況でそれは承服しかねます」


 だが、遥のその言を遮ったのはとうの真理亜だった。


「いいのです。遥。玲奈さんと星さんのためにお車を用意して差し上げなさい」

「お嬢様、しかし……」

「私の言うことが聞けないのですか?」

「……! はっ、ただちに!」


 真理亜が憔悴しきった顔で命ずる。

 すると、遥は名残惜しそうに、しかしすぐに屋敷の方へとUターンしていった。

 玄関口で待機していた何人かのメイドに話しかけると、彼女たちはサッと散会する。

 やがて、メイドの内の1人は、送迎の車を玲奈と一輝の前に付けた。


「お乗りになってください」


 メイドが促すと、車に玲奈と一輝が乗り込む。

 そして、その場には総也と真理亜だけが残された。


「じゃあ、部屋に行くか」

「……はい」


 そして、真理亜は手枷を嵌められたまま寝室まで総也に連れていかれていった。


********************


 寝室に入ったところで、やっとこさ総也は真理亜の手枷を外してやる。

 真理亜は、いくぶん怒りを込めた目で総也のことを見上げてみせた。


「いい加減、説明してください!」


 真理亜は今にも泣きそうだ。

 その美しい青色の瞳には、様々な感情が渦巻いているように見受けられた。


「ああ、説明する」


 外した手枷を軍服のポケットにしまいながら、総也は答えた。

 その声音もまた、真理亜に負けず劣らず様々な感情をないまぜにしたような色をしていた。


「まず最初に、なぜお前に魔法封じの枷を嵌めたか。なぜここまで手枷を嵌めたままにしていたか、だ」

「はい……」


 総也は、スッと目を細めて続けた。


「事情を知ったら、お前は確実に未来を殺していた。最悪、親父ごとヘリを撃墜していた可能性すらあった。だから、魔法を封じ、武器も取り上げた」

「……」


 真理亜が、無言のまま悲しそうな眼をする。

 その眼は、何かを総也に訴えかけているようだった。


「次に、何があったかだ」

「はい……」


 すると、いきなり総也は額を地に付けて真理亜に土下座をする。


「すみませんでしたっ!!」


 そして、全開の声で謝罪をしたのだった。


「そ、総也くん……!?」


 そのいきなりの謝罪に、真理亜は戸惑いを見せる。

 さっきまで自分のことを半ば拘束していた総也に土下座されるという展開に、真理亜は目を白黒とさせていた。


「あ、あの……顔を上げてください。何があったのかは知りませんが、そんなことをされては困りま――」

「俺は未来とセックスをした」

「え……?」


 その言葉に、今度こそ真理亜の表情は凍り付いた。

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