第25話 解放

 どれほどの時が経っただろうか?

 総也の時間間隔は既に破壊されていた。

 だが、そんなことはどうでもよかった。

 最早、どうでもいいのだ。


「ん……?」


 急に、俄かに地上の方から喧噪が聞こえてくる。

 看守の男が何やら慌てて牢獄の外に出ていった。

 それを聞いて、総也は(ああ、やっと始まったのか)と思った。

 その頭は急速に冷静さを取り戻してくる。


「さて、どうしたものかな」


 脳をフル稼働させ始める。

 レイプをされたショックもあった。

 あったが、ここまで総也は敢えて思考することを放棄していたのだ。

 それにより、精神面でのリソースを極力消耗しないよう心掛けていた。

 とはいえ、できることは少ない。


「これが邪魔だな」


 魔法を封じるという手枷と足枷。

 これがある限り、どうしようもない。

 武器も当然ない。

 だが、看守がいない今は明確なチャンスだ。


「試す価値はあるな」


 注目したのは、手枷と壁を繋ぐ鎖だった。

 手枷と足枷の鎖は新品だ。

 だが、手枷と壁を繋ぐ鎖はところどころ錆びついており、耐久性に脆弱さが見受けられた。


「いけるか……?」


 総也は、監視の目がないことをいいことに「よっ」と体勢を入れ替えて足枷の下に壁の鎖が来るようにする。

 そして、自由の利かない手足を器用に用いてギリギリと足枷と壁の鎖を軋ませ始める。

 金属と金属がこすれ合う、不快な音が牢獄に響いた。


「よし、いけそうだ……!」


 やがて、手枷と壁を繋ぐ鎖の方がミシミシと音を立て始める。

 そして「バキッ」という鈍い音と共に壁の鎖に罅が入った。

 すぐに壁の鎖は砕け散り、彼は牢獄の中限定で動き回れるようになる。


「さて、次は――」


 まずは確認だ。

 自分が本当に魔法を使えなくなっているのか、総也は確認することにした。

 砕け、飛び散った鎖の破片に目を付け、それを宙に浮遊させようとイメージを形成する。

 ――だが、鎖の破片はピクリとも動かない。


「まぁ、これは仕方ない」


 手枷と足枷を嵌められた芋虫のような体勢のまま、総也は牢獄の入口の方まで這っていく。

 そして、牢獄の鉄格子を手で掴むことによって立ち上がった。

 鉄格子に顔を近づけ、周囲の様子を確認する。


(鍵束は……あった)


 よほど慌てていたのだろう。

 看守は牢獄の鍵束を持って牢獄の外に出るべきことを忘れていたらしい。

 だが、いかんせん距離が遠すぎる。

 何か棒のようなものがあれば、あれを取ることもできるわけだが……。


(何もない……か。ここまでかな)


 牢獄の中には、水洗トイレ以外の何もない。

 トイレの周りなどもくまなく探してみたが、鍵束を取るための細長い棒のようなものは見当たらなかった。

 だが――。


「ん……?」


 牢獄内を探していると、細い針金が落ちていた。

 何かの作業の折に落としていったものだろう。

 どうやら、天は総也に味方しているようだった。


(いける……!)


 今一度、総也は鍵束を見る。

 牢獄の鍵は古臭いRPGに出てくるような簡素なもので、1ヵ所だけで錠をかけているものだった。

 総也は針金の先端を曲げ、鉄格子に手を突っ込むようにしてその針金を牢獄の錠に差し入れる。

 いくばくかカチャカチャとピッキングをしていると、やがて牢獄の錠は外れた。

 扉が開く。


「バカどもめ……!」


 魔法使いたちを小馬鹿にしながら、総也は牢獄から外に出る。

 他に囚われている者はいない。

 だが、ついでだしということで牢獄の鍵束もくすねておいた。


「こっちはどうかな……?」


 期待はしないままに足枷の錠に針金を突っ込んでピッキングを試みた。

 が、こちらは複雑な構造をしているらしく、総也のピッキング技術ではどうしようもない。

 手枷の錠に関しても同様だった。

 仕方なく、足枷が嵌められたまま、すり足で総也は牢獄の外を目指す。

 そして、総也は牢獄の入口の木戸に耳を押し当てて、聞き耳を立てた。


 地上からは銃声と爆発音と怒号が響いてきた。

 どうやら、助けが来たようだった。


 実は、総也の軍服には超小型の発信機が付けられている。

 流石に、コンクリート製の密室に閉じ込められたりしたら不可能だが、隙間さえあるなら地下30mからでも総也の居場所を知らせてくれる最新式の発信機だ。

 こんな木戸程度、地下1~2階程度に閉じ込められた程度では、発信機を遮ることなど不可能だった。


 総也は、すぐ外に敵がいないことを把握すると、木戸を開ける。

 牢獄の外には用具入れと階段があった。

 総也は、ひとまず用具入れに姿を隠す。

 何か使えるものを探して、彼は掃除用の柄付きブラシを手に取った。


「正直心もとないが……」


 ないよりはマシだ。

 鍵束とブラシで何ができるかを考えつつ、総也は用具入れで息をひそめる。


 ――やがて、ドタドタと上の階から足音が聞こえてきた。

 やはり、総也は天に愛されている。

 足音は1人分だった。

 恐らく、要監視対象を放置していたことを上司に叱られたか何かで、戻ってきた牢獄の監守の男だろう。


(今さら遅いんだよ、バーカ)


 内心でバカにしつつ、総也はタイミングを計る。

 足音がやみ、木戸が開くギィッという音がした。


(今だ……!)


 総也は用具入れの扉を開け、ブラシの柄で看守の背中をどつく。

 完全に不意を打たれた看守は、うつ伏せに牢獄の石畳の上に倒れ伏した。

 総也はそのまま、柄付きブラシの柄を構え、彼のうなじに狙いを定める。


「悪く思うな……!」


 そう口にしながら、総也は躊躇することなくブラシの柄の先端を彼の頸部に突きつけた。

 ゴキッという嫌な音と共に、看守の男の身体がビクビクと痙攣を始める。

 ……やがて、彼は動かなくなった。


「俺も人殺しに慣れたもんだな……」


 自嘲しながら、総也は男の死体を検め始める。

 武器になるようなものはない。

 恐らくは、魔法の杖と思われる短い棒が1本あるだけだった。


「チッ……」


 舌打ちする。

 枷の鍵があるのがベストだったが、そんな幸運に恵まれることはなく。

 仕方なしに、彼は看守の死体を引きずっていき、牢屋の一番手前にある牢獄にそれを閉じ込めた。

 かなり無駄な時間を使わされた。

 彼は今一度、牢獄の外の用具入れに身を潜める。

 足枷が嵌められている現状、階段を登るという行為はリスクが大きすぎた。

 仕方なしに、ここで助けを求めることにする。


 ――やがて、その声は聞こえた。


「総也くーん?」


 勝手知ったる、婚約者の声。

 助けが来たことを知った総也は、しかし冷静に用具入れの中で息を潜め続ける。

 カツカツという音と共に、足音が牢獄の階まで降りてきた。


「総也くーん。……うーん、聞き出した話によると、牢屋はここのはずなんですが」


 真理亜と思しき少女が木戸のところまで降りてくる。

 総也は、用具入れの方の扉をコンコンッ、コンコンコンッと、2回に引き続き3回叩いた。

 扉の外で、少女の息を飲む声が聞こえる。

 そして、少女はコンコンコンッ、コンッと3回に引き続き1回用具入れの扉を叩く。

 そこで総也は、用具入れの扉を開いた。


「ダーリン……!!」


 真理亜は総也の姿を見るや否や、満面の笑顔となって彼に抱き着いてくる。

 総也も笑顔を返しながら、真理亜に囁いた。


「真理亜、再会を祝したいところではあるんだが、まずはこれを何とかしてくれ」


 顎で手枷を指し示す。

 真理亜はそれを視認すると、拳銃を取り出そうとして、思いとどまった。


「銃で破壊するのは危険ですね……」


 跳弾が総也や真理亜を傷つける可能性がある。

 真理亜は別の方法を試すこととした。


「ちょっと熱いと思いますけど、ダーリン、我慢してください」


 真理亜が目を瞑る。

 すると、俄かに手枷の金属が熱を持ち始めた。


「アチッ! 真理亜っ! これ熱いって!!」

「すぐ終わらせます! 目を瞑ってください!」


 言われた通り、総也は目を瞑る。

 途端、金属が急速に冷える。

 同時に、急激に収縮を強要された金属は、その負荷に耐え切れずに砕け散った。

 破片が飛び散り、総也の手を傷つける。


「いっつ……これ、銃の方がマシだったんじゃないか……?」

「銃弾よりはマシです。金属片の飛行速度が段違いですから」


 冷静に考えればそうだ。

 いくら速いとは言っても、手枷の金属片の砕け散る速度が音速を超えることはないだろう。


「足枷も砕きます。もう一度、我慢してください」


 すると、今度は足枷が熱を持ち、冷却され、砕け散った。

 同じく彼の足首を金属片が傷つけるが、今は文句を言っている場合じゃない。


「治療します。じっとしててください。神さま――!」


 真理亜が神への祈りの言葉を紡ぐ。

 すると、傷を負う過程を逆再生するかのように、総也の傷は瞬く間に塞がった。

 いつ見ても、魔法とはすさまじい奇跡だと感心する。


「真理亜、ありがとう。では、状況を簡潔に教えてくれ」

「はい。既にこの建物は制圧されています。今は、転移魔法で送り込まれてくる増援をお義父とうさまが迎え撃っているところです。私たちは、ダーリンの捜索を命ぜられました」

「親父は1人で増援を迎撃しているのか……」

「はい。……改めて、凄まじい方ですね。お義父とうさまは……」


 相も変わらず既に結婚した気になっている真理亜の言葉は無視して、総也は情報共有を行う。


「地上に出て、加勢する。……真理亜。拳銃を」

「はい。こちらをお使いください」


 真理亜は、サブウェポンとして所持していたもう1本の拳銃を総也に渡す。

 手早くそれの安全装置を外すと、総也は真理亜と共に階段を駆け上がった。


 ――確かに、建物は完全制圧されていた。

 辺りに転がっているのは、多くは感電死した魔法使いの死体。

 恐らくは、そのほとんど全ては七也が手をかけたものなのだろう。

 ところどころ、左胸に大穴を空けた死体や、射殺されたと思しき死体、爆死したと思しき死体が混じっていた。


 それを見て、総也は婚約者が自分のために殺人の罪を犯したことを悟った。


「真理亜……」

「なんですか?」

「……いや、なんでもない」


 壁際に身を潜めて奥の様子を窺いながら、総也は真理亜に声をかける。

 だが「何人殺した?」などと野暮なことを聞く気にはなれなかった。

 安全の確認が取れ次第、2人は外を目指して駆け出していく。


 ――やがて、彼らは桐崎 七也を発見した。


 その光景は、まさに無双という言葉で形容されるべきものだった。

 様々な形の転移魔法により、新たな魔法使いの軍勢が送り込まれてくる。

 ある者は七也から離れた位置に、ある者は彼がいるのとは隣の部屋に、また、ある者は彼の真後ろに、転移してきていた。

 それを、現れた片っ端から雷で感電死させていく。

 攻撃の暇は与えない。

 背中にも目が付いているとしか思えなかった。


 七也の真上に空間の歪みが生まれる。

 七也は当然のようにそこに雷を打ち込む。

 だが、感電死した魔法使いの死体は、ナイフを直下に構えたまま自重につられて落下してきた。


 ガキィィィン!


 いつぞやに聞いた、金属が何か壁のようなものとぶつかる音がする。

 落下してきたナイフは、しかし空中でその動きを静止した。

 落ちてきた死体も、空中で床にぶつかったかのように静止している。

 七也がおもむろに横に歩くと、死体とナイフは彼の足元にずり落ちた。


(あれは、なんなんだ……?)


 恐らくは、あれが彼の絶対の自信。

 絶対の防御の要なのだろう。

 だが、その仕組みが分からない。


 総也は、父親が無双する姿を、呆然と見つめていた。


 ――やがて、転移魔法による増援がやってこなくなる。

 戦力の逐次投入は無駄に過ぎないと、向こうも悟ったということだろう。

 桐崎 七也は殺せない。

 その事実が、改めて魔法使いたちに突きつけられた。


 恐らく、魔法使いたちは最初小躍りしたはずだ。

 七也の息子を捕らえたら、本命の七也が自ら乗り込んできた。

 まさに、彼らの思惑通りとなったわけである。


 だが、彼らは七也の力量を改めて見誤った。

 七也が、強すぎたのである。

 総也を牢獄などに放り込んでおくのは悪手の極みだった。

 彼らは、いつでも総也に手をかけられるように、手元に置いて人質とすべきだったのである。


「親父……!」


 増援が来なくなったのを確認してから、総也は父親に声をかける。

 七也は、息子の姿を認めるとフッと微笑んでみせた。


「総也か。真理亜くんが見つけてくれたようだな。改めて、ありがとう」


 同時に駆け寄った真理亜に、七也は感謝の言葉を告げる。


「さて、総也の無事が確認できたなら、最早ここには用はない。さっさと撤退するに限る」

「待ってくれ!」


 帰り支度を整えようとする父親に、総也は静止の声をかける。


「なんだ、総也?」

「探してほしい人がいるんだ。恐らく、ここのどこかに。……高遠 明日香によく似た、彼女の妹だ」

「……ああ、このまえ言っていた」


 総也は小さく頷く。


「コールドスリープで眠らされている。ここにはいないかも知れないが、ここの可能性が高い。……人質にしよう」

「いいだろう。手分けするのは愚策だな。一緒に探すか」


 そして、3人は魔法使いの根城を探索し始めた。

 途中、玲奈と一輝が合流する。

 5人は一緒になって探索をしていたわけだが……。


「他の奴らはどうしたんだ? 全員殉死か?」

「いや? 最初からこの5人だけで乗り込んだのだよ」

「マジかよ……」


 確かに、狭い建物に乗り込む上で、大人数で作戦を行うというのは愚策だ。

 だが、それにしたって5人というのは少なすぎる。


「大規模な作戦を行うには手続きが面倒でね。すぐに集められる戦力だけで乗り込んだ次第さ。ちなみに、絵里子くんは記憶を失った花梨くんに付きっきりだ」

「そうか……」


 総也としては、途方もない時間を牢獄で過ごしていた気になっていたが、実際には違ったらしい。

 彼の父親は、彼を助けるために最短の時間で部隊を編成してくれたのだ。

 そのことに対しては、感謝の気持ちしか湧かなかった。


「ちなみに、今って何時だ?」

「兄さんが捕まった翌日の午前2時よ。兄さんがここにいた時間は約3時間ということになるわね」

「……なるほどな」


 合流した玲奈が、父親の代わりに答える。

 総也は、改めて自分が大して長い時間拘束されていたわけじゃないことを知った。


「ちなみに、ここ長野県。軍用ヘリを飛ばして1時間で来ました。移動に使ったヘリは今ごろ長野の自衛軍基地に駐留中でしょう。感謝してよね」

「……そうか、ありがとな」


 総也は、改めて皆に感謝の言葉を述べる。

 迷惑をかけた。

 その分は、取り返さなければならない。


「僕、初めて魔法で人を殺しましたよ。いやー、あれなかなか気持ちいいですね!」


 一輝が興奮気味に言う。

 総也は、彼のことを怪訝そうな眼で見た。


「お前、いつの間に魔法を?」

「ふふふ。僕は天才ですからね! ビームで魔法使いたちの心臓を貫いてやりました!」


 総也は、先ほど見かけた左胸に大穴を空けた死体のことを思い出す。

 あれは恐らく一輝が殺ったのだ。

 恐ろしい奴がまた一人増えてしまった……総也は感じた。


 ――やがて彼らは、他とは違う鋼鉄製の扉によって隔離された密室を見つけた。

 明らかに警備レベルの度合いが違う。

 ここが目当ての場所だと推測するのは容易だった。


「一輝くん、鍵を破壊しろ。……やりすぎるなよ?」

「了解しました♪」


 一輝が右手をかざす。

 すると、その右手から光の帯が――ビームが放たれた。

 それは、鋼鉄の扉とその鍵の部分に着弾し、大きなクレーターを作る。

 鋼鉄が焼け爛れていた。


「おい、どうすんだよこれ。ドアノブまで焼いちまってるじゃないか。ていうか、ドアと壁を溶接してないだろうな?」

「ならばこうする」


 七也が鋼鉄の扉に近づいていき、その焼け爛れていない部分に右手をかざした。

 そして、その右手を引っ張っていくと、それにつられて鋼鉄の扉も開いていく。


「磁力か……」

「そういうことだ」


 かくして、彼ら5人はその部屋に入っていった。

 一輝が手の上に光球を作り出し、暗い部屋を照らす。


 ――部屋の中央には、物々しい機械があった。

 それは、今も駆動し続けている。

 そして、その中央のガラス窓からは――。


「未来……」


 高遠 未来が、安らかに眠る姿が見えていた――。

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