第22話 絶望の始まり

 結局、高田先生が真理亜を放課後まで残らせた理由は、自分にも冷却の魔法のコツを教えてほしかったからということらしい。

 真理亜がどうしても一緒に帰りたいというので、総也も放課後に居残ることになった。

 ついでに、先生と一緒に冷却の魔法のコツを習うことにする。


「じゃあね、総ちゃん!」


 花梨が帰り際、総也に満面の笑顔で声をかける。

 総也も、花梨を笑顔で見送った。

 真理亜は面白くなさそうな顔をしていた。


「来音くん、桐崎くん、入ってくれ」


 先生に招かれて職員室に入ると、大勢の教師が真理亜のことを出迎える。

 その全員が、真理亜に教えを請おうと待ち構えていたようだった。


「先生方、よろしくお願いします。早速ですが、ご指導いたします」


 真理亜が、ぺこりと頭を下げる。

 総也も余っていた椅子に座って真理亜の指導を受けることにした。


「冷却の本質は、熱エネルギーの移動または変換です。移動の場合は、冷却したいと思っているターゲットから、ターゲット以外の物体に熱エネルギーを移動させることを意識してください。また、変換の場合は、ターゲットが持っている熱エネルギーをその他のエネルギー――たとえば魔力エネルギーに変換させることを意識してください」


 そして、真理亜は冷却の魔法を使う時に意識すべき様々なことをレクチャーしてみせた。

 それは物理学であり、化学であり、屁理屈であった。


「先生方も最早お気づきになられていることだとは思いますが、魔法を使う上で重要なことは『自分を納得させること』です。どんなに無理がある屁理屈でも、自分を納得させることさえできれば魔法は行使できます。逆に、どれだけ理路整然とした理論を組み立てられても、それに自分の心が納得できていないなら、魔法が発動することはありません」


 真理亜が、自分の手のひらの上に氷の結晶を作りながら言う。


「『こんなことは無理だ。不可能に決まっている』と心の中で思ってしまった途端、魔法は使えなくなります。『できる』『自分にならできる』と信じ込むのです。そうすれば、神さまは必ずや答えてくれます」


 真理亜の話は、具体的な方法論から、いつの間にか根性論に変わっていた。

 だが、それも頷ける話だ。

 今までの話をまとめたら、究極的には魔法を使う上で求められるのは根性ということになる。

 とはいえ、理論や知力も求められるわけだが……。


「こんな感じでよろしかったでしょうか?」


 おずおずと、真理亜が先生方にお伺いを立てる。

 すると、どこからか拍手が生じ、やがてそれは職員室全体に広がった。


「よかったな、真理亜」


 自分も拍手をしながら、総也は真理亜に声をかける。


「……! はい♪」


 真理亜はそれに、満面の笑みを浮かべた。


********************


 総也と真理亜は共に学園を出る。

 真理亜を家に送り届けた後、総也は車で自宅に戻る。


「花梨から返事が来ないな……」


 今日も総也は、メイワルで遊ぶことにしていた。

 それで、仲間に何時に集合という話をしていたのだが、普段なら真っ先に返信を返してくるはずの花梨からの返信がない。


「ま、いいか」


 そんな日もあるだろう、と総也は軽く考える。

 昨日の今日で真理亜が悪さをしているとも思えなかった。

 そして、集合時間を決めた総也は、自宅のトレーニングルームで筋トレに勤しむのだった。


********************


「妙だな」


 今日もメイワルにログインしたわけだが、カリンが来ない。


「何か聞いてないか?」


 仲間たちに問う。

 だが、彼らも何も知らないらしく、首を横に振るだけだった。


「そうか……寝てるだけならいいんだが」


 たまにあることだった。

 花梨は家に帰って速攻寝落ちすることがごくたまにある。

 だとしたら、電話などかけるのは迷惑だろう。


「さて、今日は優秀な魔法使いになるためにイメージの練習をするぞ」


 ソウは集まった皆に声をかけた。


********************


 真夜中。

 総也が異変を知ったのは、散々メイワルで遊んだ後「さぁ今日の復習でもするか」と、勉強机の前でシャーペンと睨めっこを始めた時だった。

 机の上にシャーペンをふわふわ浮遊させていると、スマホが着信音を発する。

 発信元を確認すると、それは花梨の母、春日野かすがの 絵里子えりこだった。


「絵里子さんか……なんだろう?」


 総也は一抹の嫌な予感を感じつつも、電話を取る。


「もしもし!! 総也くん!?」


 絵里子が、かなり焦った様子で電話に出る。

 嫌な予感が続いた。


「はい。桐崎 総也です。どうなさいましたか? 絵里子さん」

「花梨が……花梨が帰ってきてないの!! そっちにいたりしない!? それとも、何か事情を知ってたりは……」

「っ!? いえ、僕は何も知りません。もちろんこちらにも来ていませんよ」


 嫌な予感は、どうやら当たってしまったようだ。

 ――花梨が消息不明になっている。


「そうなの……。あの子、何か事件に巻き込まれてなきゃいいんだけど……」

「すぐに玲奈と共にそちらに向かいます。絵里子さんも万が一の時のために準備の方をお願いします」

「分かりました。いつも頼りになるわね。今回もよろしく頼むわ」


 そこからの総也の準備は速かった。

 玲奈に事情を話した後、すぐに軍服に着替える。

 そして、装備を整えて玲奈と共にすぐ近くにある花梨の家に走っていった。

 玄関先では、既に絵里子さんがラフな格好で鞘入りの日本刀を携えて待機していた。


「春日野元1尉、指示をお願いします」


 絵里子は退役軍人だ。

 現在は他の省庁で国家公務員をしているが、自衛軍での最終階級は1尉だった。

 ゆえ、総也や玲奈にとっては立場上、上官ということになる。


「とりあえず車に乗って。まずは私が警察に行ってくる――」

「その必要はないよ」


 その妙に幼い声は、総也たちの背後から聞こえてきた。

 絵里子が目を見開く。

 無理もない。

 何故なら、そこにいたのは――。


「あなた……明日香、ちゃん……!?」


 明日香の妹を名乗る少女――未来だったのだから。

 総也と玲奈は咄嗟に振り向く。

 未来は、闇のゲートからこちら側に姿を現したばかりのようだった。


「も~、おばさん! ボクは明日香お姉ちゃんじゃないよ!? ボクの名前は高遠 未来。明日香の妹だよ」


 あっけらかんとした様子で未来が言う。


「未来!? お前、何か知ってるのか!? 花梨をどこにやった!?」


 総也が小さな未来に詰め寄る。

 肩を掴んで揺さぶった。


「もう~。そんなに焦らないでよ。ちゃんと会わせてあげるからさー」

「貴様……! 貴様の仕業かっ!? 花梨に何かあったら容赦しないぞ!?」

「やったのはボクじゃない」

「なに……?」


 その言葉には2つの意味が込められていた。

 1つは単に、花梨を誘拐したのは自分じゃないという弁明の言葉。

 もう1つは――。


「花梨に……何かあったのか……!?」


 ――花梨は無事ではない、という言外のニュアンスだった。

 絵里子さんが息を呑む。


「花梨に……私の花梨に何をしたのっ!? 魔法使い!!」


 今度は絵里子が未来に詰め寄る。


「だーかーらー、焦らないでって言ってるでしょ。ちゃんと会わせてあげるから、さ」

「あなた……!!」


 さっきから人を食った様子の未来に、いい加減絵里子も苛立っているようだった。

 そんな絵里子の様子などどこ吹く風といった調子で、未来は続ける。


「すぐに博物館横の公園に来て。そこで待ってるから」


 そう言って、未来は自分のこめかみに拳銃を当てる。

 絵里子と玲奈が息を呑む。

 それを、総也は手で制した。


「恐らくは、自分の頭を拳銃で撃つ――自殺するイメージを抱くというのが、この女の魔法発動のトリガーだ。黙って見ていればいい」

「よく気づいたね。明日香も、総也と対峙した時、本当は魔法を発動して攻撃しようとしてたんだよ。でも、お前が『明日香は自殺しようとしてる』って勘違いしたせいで、お前は誤射して明日香を殺した」

「くっ……! だが、なぜ貴様がそれを……!?」

「さぁ? なんでだろうね?」


 そして、少女は躊躇なく拳銃の引き金を引く。

 乾いた銃声が高級住宅街に響く。

 だが、彼女の頭部が吹き飛ぶことはない。

 代わりに彼女の背後に、先ほどと同じく空間の歪みと闇色のゲートが現れた。


「じゃ、ボクは花梨を連れて公園で先に待ってるから」


 そう言い残して、未来は後ろ飛びにゲートに飛び込んだ。

 すぐに、中空の闇は消え去る。

 追いかけることは叶わなかった。


「明日香ちゃん……いや、未来ちゃん……?」


 絵里子が、憔悴した様子でその女の名前を呼ぶ。

 玲奈が慰めるように絵里子の肩に手を置いた。


「絵里子さん。今はとにかく公園に向かいましょう。私たちを車に乗せてください」


 玲奈が絵里子を促す。


「……ええ。そうね。急ぎましょう」


 絵里子は、そう言いながら気持ちを切り替える。

 今は何よりも花梨の奪還が最優先事項だ。

 向こうが花梨に会わせてくれるというなら、従う他ないだろう。


「玲奈。一応、親父と一輝に事態の要約を伝えておいてくれ」

「オッケー。……来音さんは?」

「あいつは置いてきた。花梨のことになると、あいつは冷静に行動してくれる保証がない」


 つくづく、恋人に対する信頼が薄い男だった。

 3人は絵里子の車に乗り込む。

 そして、絵里子は博物館公園を目指して車をかっ飛ばしたのだった。


********************


 車を駐車場に停めて、3人は武器を携えて公園に向かう。

 真夜中の公園の中央、目立つ位置に未来はいた。

 確かに、花梨はその傍らに立っていた。


「「花梨……!!」」


 総也と絵里子が駆け出す。


「おっと、そこでストップだよ」


 未来が、花梨の頭に拳銃を向けた。

 反射的に足が止まる。

 あの拳銃は空砲だというのに……。


「懸命だね。ちなみに、そこから一歩でも動いたら、ボクは魔法を使って花梨を殺す。だから、大人しくこちらの言うことを聞くんだ」

「くっ……!」


 横で、絵里子が歯噛みする。

 花梨を人質に取られていては、迂闊な行動はできなかった。


 しかし、妙だ。

 花梨は、こんな状況だというのに妙に落ち着いている。

 普段の彼女なら、もっと取り乱していてもよさそうなものなのだが……。


「人質交換だ」


 未来が、残酷な宣告を下す。


「こちらが君たちに返す人質は春日野 花梨。だから、君たちは桐崎 総也を出せ」

「なん……だと……?」


 総也が思わず声を出す。

 つまり、花梨の身柄は返してやるから、代わりにお前が捕虜になれ、と未来は言っているのだ。

 理由は簡単に予想がつく。

 魔法使い側からすれば、人質の価値は総也の方が圧倒的に高い。

 総也の父である七也を脅せる可能性が圧倒的に高くなるからだ。


 それに対して、この場の決定権を持つ絵里子にしてみれば、最も大切な存在は当然花梨だ。

 人質交換に応じる価値は双方にあった。


 だが――。


「どうやって人質交換を行う? そちらが先に花梨を返してくれない限り、こちらはそちらには歩いていかないぞ」

「先に総也がこっちに来ない限り、花梨を殺すと言っても?」

「――その時はお前を殺す」


 すると、未来は見るも醜悪な歪んだ笑みを浮かべてみせた。


「やれるもんならやってみな。……と、言いたいところだけど」


 すぐに、未来は「やれやれ」とでも言いたげなつまらなそうな表情になる。


「こっちとしては、花梨のことはそちらに返したいんだよね。で、協会の上層部がボクに花梨を連れ出す条件として突き付けてきた依頼が、総也の身柄の確保だった。だから、ボクとしては何としてでもこの人質交換を成功させなければならない」


 こうして交渉をしている間、花梨は一言も声を発しなかった。

 ただ、こちらのことをぼうっと見ている。

 嫌な予感がした。


「ギアスだ」

「なに……?」


 その言葉に総也は思わず疑問の声を上げる。

 ギアス――強制を意味する言葉だ。

 未来は何をしようとしているのだろうか。


「花梨がそちらに戻ったら、総也はこちらに歩いてくるというギアスを、これから総也にかける。それで人質交換は成立だ」

「……なるほど」

「10秒与える。それまでに総也が答えを出すんだ」


 未来は己のこめかみに拳銃を当てながら言った。

 恐らく、ギアスの発動のためにも自殺のイメージが必要なのだろう。


「総也くん……」

「兄さん……」


 絵里子と玲奈が、心配そうに総也を見上げる。

 だが――。


「応じよう。……2人とも、俺なら大丈夫ですから」


 総也は即答した。

 理由は2つある。

 既に七也や一輝には連絡をしている。

 彼らなら、総也が人質になってもうまく対処してくれるだろうというのが1つ。

 そして、花梨ならともかく、総也が人質となるなら内部から交渉を行うこともできるだろうというのがもう1つだった。


「交渉は成立だね。じゃあ、まずは武器を捨ててボクらの間の中間地点まで歩いてきてほしい」


 彼我の距離は約10メートル。

 総也は、躊躇なく拳銃と荷物を捨てて、その間の5メートル地点まで歩みを進めた。


「スマホも捨ててよ」

「いいだろう」


 総也はポケットからスマホを取り出し、玲奈の方に向かって放り投げた。

 玲奈はそれをうまくキャッチする。


「兄さん……」


 玲奈が、心配そうな目で総也の方を見た。

 それに対して、総也は優しく微笑みかけてみせる。

 安心しろ。それよりもこれからのことを頼む――と。


「ありがとう。それじゃ、ギアスだ。総也は、ボクのギアスに対して了解してくれれば、ギアスは成立する。『強制する。桐崎 総也は、春日野 花梨が春日野 絵里子の下まで辿り着いたなら、手を上げて10メートル西に歩け。魔法を使ってはならない』」


 そして、未来が自分のこめかみを空砲で撃つ。

 銃声が公園に響き渡った。

 同時に、総也のちょうど西方向――未来がいる場所の近くに、3メートル程度の高さの闇色のゲートが空いた。


「了解した」


 声に出した途端、総也の身体に何やら重圧のようなものがかかる。

 心が何者かに掌握されたような感覚。

 他に表現のしようがない、異様な何かを感じた。


「さぁ、あの女の人のところまで歩いていくんだ」


 (これ、いま俺が南に歩いたらどうなるんだろうな)などと考えていたら、未来が変なことを言った。

 未来は絵里子を指さしている。

 さっきから黙りこくったままの花梨は、未来のその言葉にコクリと頷いた。


(妙だな)


 恐らく、同じ疑問を玲奈や絵里子も抱いたことだろう。

 未来が花梨に命じるべきことは「母親のところまで歩いていけ」なはずだ。

 にもかかわらず、未来は絵里子のことを「あの女の人」と表現した。

 まるで、花梨にとって絵里子が別人であるかのような表現だった。


「ああ、そうそう。総也は、そこから北や南に逃げても無駄だよ。その方向にゲートをスライドさせるだけだからね」

「……だろうな」


 花梨が歩き出す。

 そして、総也の脇を通り過ぎようとした。


「花梨……?」


 総也は声をかける。

 が、花梨は反応を示さない。

 妙だった。


「さぁ、ギアスの時間だ」


 花梨が絵里子の下まで辿り着く。

 絵里子が花梨のことをギュッと抱き締めた。

 途端、総也の身体は意思に反して両手を頭上に掲げ、花梨たちとは反対側に向けて歩き出す。


「花梨……! 無事でよかった……!」


 絵里子が、花梨を抱き締めたまま涙を流す。

 だが、異変が起こったのはその直後だった。


「あなたは、誰ですか?」


 そう言葉に発したのは、抱き締められた当の花梨だった。


「なにっ!?」

「えっ?」

「か、りん……?」


 3人が同時に声を上げる。

 その間も、総也の身体はどんどん西へ歩いていく。


「花梨はね……」


 総也の身体が、未来の真横を通り過ぎる。


「ボクが見つけた時には、記憶を全て失っていたんだよ」


 その悲しげな声音をした言葉が総也の耳に届くと同時に、総也の身体は闇の中へと沈んでいったのだった――。

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