第21話 訓練開始
翌日午後より、本格的な魔法の実習が始まった。
担当は高田先生だ。
「とにもかくにも、魔法を発動する上で重要なのはイメージだ。『このような魔法を使いたい』『自分にならできる』この2つのイメージを強く持つことにより、魔法は発動できる。来音さん、他に何か補足はございますか?」
「……」
真理亜は今日、始終うとうとしていた。
何せ昨日の今日だ。
セックスの疲れが溜まっていたのだろう。
「……来音さん?」
「……っ! あっ、はい! えっと……すみません。よく聞いてませんでした……」
先生が苦笑する。
それを見て、真理亜は顔を真っ赤にする。
そして、隣の席の総也を恨めしげに睨んでみせた。
普段真面目な彼女が居眠りしていた事実に、教室がざわつく。
「まぁ、さして重要なことではないのでいいです。みんな、鉛筆かシャープペンシルを1本机の上に出してみてほしい。そして、それが宙に浮かぶ様子を想像して、魔法で実際に浮かせてみるんだ」
みなが半信半疑ながらもシャーペンを取り出し、必死に念じてみせる。
……が、真理亜以外、それに成功したものはいない。
「お疲れ様。やはり、みなできないよな。それが普通だ。初見でできる者がいるとは先生も考えてはいなかった」
そう言いながら、先生が電子ホワイトボード用のタッチペンを手に持ち、それを宙に浮かせてみせる。
タッチペンはふわふわと宙に浮き、教卓の上まで移動して、ポトリと落ちた。
「私は今、どうやってこのタッチペンを浮かせたと思う?」
当然、答えられる人間はいない。
「分からないよな。当然だ。先生も、答えられるとは思っていなかった。……あー、そうだな。来音さん、あなたの考えを言ってみてください」
「はい」
そう言って、真理亜が立ち上がる。
「私には、先生が実際にどのような方法でタッチペンを浮遊させたのかは分かりません。ですが、私は机の面とシャープペンシルにマイナスの電荷を与え、電磁力によってシャープペンシルを浮遊させました」
我が意を得たりといった表情で、先生が頷く。
「流石ですね。満点の回答です。ちなみに、先生は空中に引力を発生させることでタッチペンを浮かせた。よくよく観察した人だったら、私の服の袖などが空中に引っ張られていたことに気づけた人がいたかもしれない」
おー、と教室に感嘆の声が湧く。
つまり、先生が言いたかったことはこういうことだ。
「ただイメージするだけでは、何事もうまくはいかない。大切なのは、どのように世界の物理法則に干渉するのかということを、具体的にイメージすることだ。だから、昨日総理大臣が仰っていたように、物理学を修めることが重要なんだ。世界の物理法則とは、即ち物理学だからね」
そして、先生は再び真理亜の方を向いて言う。
「時に、来音さんは冷却に関する魔法を扱うのを好まれると伺いました。その理由を聞いてもよろしいですか?」
それに対し、真理亜は再度立ち上がって答える。
「はい。簡単に答えますと、冷却はコストパフォーマンスが良いからです。まだ仮説の段階ですが、世界には既存の7種類のエネルギー概念に引き続いて、魔力エネルギーと呼ばれるべき第8のエネルギー種が存在するという説があります。私の『冷却』は、物体が持つ熱エネルギーを強引に奪い去る、またはその熱エネルギーを魔力エネルギーに変換させて消失させるという理屈によって為されるものです。熱エネルギーを周囲の魔力エネルギーに変換させれば、変換させた魔力エネルギーを取り込むことによって次の魔法を使うことに利用ができます。そういう理由でコストパフォーマンスが良いため、私は冷却の魔法を愛用しております。また、もう一つ、効果の面でもコストパフォーマンスが良いという点があります。同じエネルギー量だけ熱量を変化させるに当たり、より効力が大きいのは過熱よりも冷却です。100
左隣を見ると、花梨がちんぷんかんぷんという顔をしていた。
無理もない。
今の説明を1回聞いただけで理屈を理解できる学生の方が少ないだろう。
「なるほど。ありがとうございます。よく分かりました。――えー、以上のように、使いたい魔法についてイメージをする上で重要なことは、その方法について理屈をつけることだ。屁理屈のようなものでも構わない。何かしらの理屈をつけることによって、諸君らは自分の魔力に対してアクセスをしやすくなるというわけだ」
そこで一拍おいて、先生はクラスのみんなを見回してから続ける。
「何か質問がある者はいるか?」
「はい」
総也が手を上げる。
「では、桐崎」
「先生。先生は来音さんには敬語を使われるのに、僕には敬語を使われないですよね」
クラス中がどっと沸く。
先生はバツが悪そうな顔をした。
「桐崎くん、その場のTPOに合った質問をしなさい……」
「重要なことです。確かに、
「総ちゃん……本当に軍人さんなんだ……」
真横で、花梨が確かめるように呟く。
どこか遠くの世界の話のように、彼女は総也の話を聞いているようだった。
「あー、分かった。今後は来音さんも他の皆と同じように扱うことにする。ご意見ありがとう」
「いえいえ、それで肝心の質問の方ですが……」
「前振りだったのか……」
先生が難しい顔をした。
してやったりという笑顔を浮かべて、総也は真理亜の方を横目で見る。
横で、真理亜はくすくすと小さく笑っていた。
「先生は、理屈を考えることで魔法を使うことが簡単になると仰いました。ですが、魔法を使おうとするたびにいちいち屁理屈をこねるというのは、なかなかに面倒です。先生は魔法を使う時、毎回毎回その物理的な理屈についてイメージをしているんですか?」
ふむ。と先生は数瞬考えてみせる。
「なるほど、こちらはいい質問だな」
またも、クラス中がくすくすと笑う。
総也も、はっと鼻で笑って先生の言葉を流した。
「結論から言うと、先生は毎回理屈をイメージしている。というのも、先生も魔法使いとしてはまだペーペーでね。1ヶ月ほど前から、自衛軍の軍人さんの下で訓練を受け始めたばかりなんだ。この月野学園の他の魔法使いの先生も、ほとんどが同じ立場だと思う。魔法協会から引っこ抜かれたという先生は数えるほどしかいない」
なるほど、魔法協会からヘッドハンティングされた者は少ないというのは、単にそれは魔法協会を裏切ることになるからだろう。
総也の父親は、月野学園の学生だけではなく、講師陣も魔法使いとしての才能がある、しかし魔法使いではない者を集めていたということだ。
「つまり、先生もまだ、理屈を頭で考えながらでないと、魔法をうまく使えないということだ。逆に言えば、来音くらい魔法に慣れていれば、いちいち頭で理屈をこねなくても魔法を扱えるようになるんじゃないか? どうだね? 来音くん」
「はい。先生の仰る通りです。私は、先ほどシャープペンシルを浮遊させた時も、その物理的な理屈までは頭で考えていませんでした。後からそれを説明することができたのは、単に初めの内は物を浮かすだけでもそうやって頭で考えていたからです」
真理亜が座ったまま答える。
うむ、と先生は得心したように頷いた。
「ありがとう。桐崎も、今の説明で納得がいったかな?」
「はい。ありがとうございます」
「では、他に質問がある者は挙手するように。……いないようだな。では、各自鉛筆を浮かせられるよう挑戦してみてくれ。今日は、浮かせられた者から帰ってよろしい。その場合は、先生の前でやってみせるように。何か挑戦している途中で質問が生まれることもあるだろう。その場合は自由に先生を呼んでほしい。あるいは、来音にアドバイスをしてもらってくれ。では、始め!」
それから、無謀な挑戦が始まった。
クラス中が皆の唸り声で満ちる。
なにせ、どれだけ念じたところで、どれだけ屁理屈をこねたところで、シャーペンはピクリとも動かない。
「そういえば総ちゃん」
「なんだ? 花梨」
隣の席の花梨が、総也に小声で尋ねてくる。
「総ちゃんって本当に軍人さんなんだよね?」
「……ああ、そうだな」
総也的には、花梨には出されたくない話題だった。
この無垢な幼馴染みには、あくまでただの仲の良い友人として接してほしかったからだ。
「じゃあさ……」
花梨が、どこか戸惑いがちに続ける。
総也は、嫌な予感がするのを直感した。
「総ちゃんは、人を殺したこと、あるの?」
「――!!」
そして、その嫌な予感は当たってしまう。
総也は返答に窮した。
その総也の表情を見て、花梨は気づいてしまう。
そして、彼女は悲しそうな顔をした。
「ごめんね。嫌なこと聞いて。こんなこと聞いた私が馬鹿だった。本当にごめんなさい」
「いや……黙っていた俺の方が悪い。いつかは話そうと思っていたことだったんだ。本当にすまない」
お互いに、バツが悪そうな空気が流れる。
そんな中「できた!」という声が教室に響いた。
それは、義人の声だった。
「おお、佐藤。早いな。お前にしては珍しい。どれ、先生の前でもやってみせてくれ」
「先生~。『お前にしては』は余計ですよ~」
茶化すと、教室中に笑いがあふれる。
いいタイミングだった。
花梨との微妙な空気が緩和される。
「ほら、先生。見てください」
「おお、よくできたな。ちなみに、どんな理屈で浮かせてみせたんだ?」
「来音さんと同じ……なのかな? マイナスの電荷? って奴をペンと机に持たせてみた」
「なるほど。おめでとう。今日は帰ってよろしい」
「やったぜ!」
義人が早速荷物をまとめ始める。
「じゃ、またメイワルでな」と総也たちに声をかけて、義人は退室した。
「俺も負けてられないな」
総也は親友に先を越されたことで気合を入れ直す。
そして、頭の中で理屈のイメージをこね始めた。
(俺は、桐崎 七也の息子だ。親父は、電気に関する魔法が得意だった。なら、順当に考えれば、俺自身も電気に関する魔法が得意なはずだ)
「総也くん、頑張ってください」
横から恋人がエールを送ってくれる。
それもやる気の源になった。
(シャーペンと机の上面の両方にマイナスの電荷を持たせる……真理亜と同じやり方が俺には向いてるはずだ。マイナスの電荷……つまり電子を与えればいい。電子ってことは静電気だ。……よし、イメージはしやすい)
そして、総也は手をシャーペンに向けて掲げてみせる。
その瞬間、ステンレス製のシャーペンは、ふわりと机から1mmほどだけ浮いてみせた。
それはふわふわと浮遊しながら、カタカタと机の上面にぶつかりつつ、机の外側の方に逃げていってしまう。
そして、机からポトリと床の上に落ちた。
「すごいです! 総也くん! クラスで2番目ですよ!」
真理亜が歓喜の声を上げる。
その声に、先生も反応してみせた。
「桐崎、お前もできたのか。どれ、やってみせてくれ」
「はい。ですが、浮いたまではいいんですが、シャーペンが机から落ちてしまって……」
総也が、もう一度先生の前で実演してみせる。
確かに、シャーペンはほんの少しだけ机から浮いてみせた。
だが、やはりシャーペンはふわふわと机の外側の方に向かって移動を始めてしまい、やはり床の上に落ちてしまう。
「なるほど。ちなみに、どういう理屈でシャーペンを浮かせてみせたんだ?」
「はい。来音さんと同じく、シャーペンと机の両方にマイナスの電荷――電子を持たせてみました」
「なるほど」
すると、先生が数瞬考えた後に、総也がうまくいかない理由について仮説を立ててみせた。
「恐らく、机の面に与えたマイナスの電荷の量が理想的な状態になっていないからだろうな。たとえば、机の面全体に均一に電荷を与えると、ちょっとした要素でシャーペンに運動エネルギーが加わった途端、そのまま机の上を滑るようにしてシャーペンが移動していってしまう。机の面に与えた電荷に偏りがあるなら、偏りに沿ってシャーペンは同じく移動をしてしまう。机の外側の方には強いマイナスの電荷を、内側の方には弱いマイナスの電荷を与えるんだ。そうすれば、シャーペンには外側から斥力がかかるから、空中にバランスよく浮いていられるようになる」
なるほど。
確かに、物理学的にはそうなる。
近いところで言うと、天文学のラグランジュ点のL4とL5はバランスが取れているが、L1からL3はバランスが取れないという話に近い。
「ありがとうございます、先生。……先生、物理の方が向いてるんじゃないですか?」
「ははは。実はこれに近いことは物理の
「なるほど」
「どうだ、桐崎? 帰ってもいいが……」
「いえ、僕はもう暫く挑戦してみます。うまく浮かせられるようになりたいので」
「分かった。頃合いを見て帰ってよろしい」
先生が総也の席を離れる。
左横では花梨が鉛筆と睨めっこをしており、右横では真理亜がニコニコと笑っていた。
「そういえば、真理亜はいつ帰るつもりなんだ? 先生の話なら、いつ帰ってもいいように感じるんだが……」
「いえ、私は総也くんと一緒に帰るつもりでしたから」
「あー……」
総也の目が泳ぐ。
相変わらずのラブラブっぷりに、ほとんどの男子と一部の女子から怨嗟の視線が飛んできた。
「ああ、来音は最後まで居残ってほしい。ちょっと先生も来音に聞きたいことがあるからな」
「分かりました、先生。では、私は皆さんのヘルプに回りますね」
そして、真理亜が立ち上がりながら、総也に微笑みかけてくる。
「総也くん、頑張ってください♪」
「ああ」
答えて、総也は再びシャーペンに手を掲げて、強く念じた。
「はぁっ!」
裂帛と共にイメージを炸裂させる。
すると、さきほどと同じようにして、シャーペンは宙に1cmほど浮いてみせた。
今度は、机の外側の方に強いマイナスの電荷を、中央付近には弱いマイナスの電荷を持たせるように、電荷の谷をイメージしてみせる。
すると、シャーペンはあっちへふわふわ、こっちへふわふわと移動しながらも、机の上に留まってみせた。
ふわふわと机の外側の方に移動したかと思うと、坂道を登って降りたかのように逆方向に移動を始める。
だが、なかなか安定してくれない。
「難しいな」
ふぅ、と力を抜くと、シャーペンはカタリと音を立てて机の上に落ちた。
これは先が長そうだ、と総也は苦笑した。
「外側に山を作ることよりも、内側に谷を作ることの方を強くイメージしてみましょう。多分、そっちの方が安定しますよ」
いつの間にか総也の机の近くに戻ってきていた真理亜が、そうアドバイスする。
言われた通りにイメージしてみると、確かに先ほどよりもシャーペンは安定した。
まだふわふわしているが、うまく空中に留まってくれている。
というか、今度は上下の運動が激しくなった。
「いいですね。では、今度はゆっくりと電荷を与えて、ゆっくりとシャープペンシルを浮かせられるようにイメージしてみてください」
「いいけど、お前ちょっと俺のこと
総也が苦笑する。
「あら」と真理亜は口を手で覆ってみせた。
そして、恥ずかしそうに頬を朱に染めてみせる。
「俺のことはいいから、他のみんなのサポートに回ってくれ」
「はい……」
そそくさと、真理亜は総也の机から離れていった。
それを見送ってから、総也は再びシャーペンと対峙する。
「ゆっくり、ゆっくりとだな……」
すると、シャーペンは数秒の時をかけてゆっくりと机から浮かび上がる。
そして、宙に安定して留まってみせた。
……やはり、1cm程度だったが。
「ふぅ……とりあえずは、合格点ってところか?」
力を抜くと、やはりシャーペンはカタリと音を立てて机の上に落ちる。
椅子の背もたれに寄りかかって、総也は深く息を吐いた。
たったこれだけのことなのに、酷く疲れを感じる。
――結局、午後の実習の時間内に鉛筆を浮かせられたのは、ほんの数人だった。
それも、なかなか上手にできたものではない。
総也も総也で、よりうまく浮かせられるように時間いっぱいまで練習をしていたのだった。
「義人の奴……実はめちゃくちゃ才能あるんじゃないのか……?」
物理の成績――というか、勉強は何をやっても学年の底辺の癖に、どうやら彼は魔法の才能だけは突出したものがあるらしい。
もしかして、魔法の才能だけで月野に合格したんじゃないのか、あいつ……と総也は彼の机の方を睨んだのだった。
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