第17話 月野学園

 この緊急事態だ。

 自分の教室の学生に多少おかしなことが起きても異常とまでは言えない。

 そう考えたのだろう。

 高田たかだ 博信ひろのぶは、涙目で真理亜のことを睨みつけている花梨のことは無視して事務連絡を開始した。


「改めて自己紹介をしよう。君たちの担任にして、このクラスの今後の魔法訓練の一切の責任を引き受けることとなった高田 博信だ。よろしく頼む」


 教室がざわついた。

 この教師は、魔法の実在を当然のこととして受け入れているだけでなく、自分たちへ魔法の指導を行うと言っているのだ。

 驚かない方がおかしい。


「魔法は実在する。これは事実だ。魔法とは、いわゆる一般的に広く認知されている『魔法』と同じものと考えていただいて構わない。そして、君たち『全員』に、魔法を行使する者――魔法使いとしての素質がある。これは既に、君たちの入学時に確認していることだ」


 この発言には、教室の後ろで花梨を羽交い絞めにしている総也ですらも驚いた。

 ならば、この月野学園は魔法使いとしての素質がある人間ばかりを選んで入学させていたということになる。

 それでは、まるで真理亜から話を聞いていた魔法学校ではないか、と。


「色々疑問等はあるだろう。だが、時間の関係でその1つ1つに答えていくことはできない。本日13時から、講堂で桐崎総理大臣による講演会がある。その後に改めて、一人ひとり質疑応答はしていこうと思う」

(親父による講演だと――?)


 さらに驚きは続いた。

 父親がこの学園に来る。

 いよいよ非常事態が迫りつつあることを総也は実感した。


「加えて言っておくと、私は本日9時を以て軍属となる。自衛軍に、魔道軍という新たな軍団が新設されることとなった。私はそこに所属することとなる。階級は3等魔曹だ」


 そこで、高田先生は学生である総也と真理亜に敬礼をした。


「桐崎 総也2尉と来音 真理亜3尉は上官に当たりますね。職務の関係上、ご意見を申し上げることもあると思いますが、ご了承ください」


 総也と真理亜は一瞬目を見合わせるも、高田先生に対して敬礼を返した。

 どうやら、一般人と思い込んでいたこの担任の先生は、全然一般人ではなかったらしい。

 自分の見る目のなさに苦笑する。


「この月野学園に通っている全学生は、魔法使いとしての素質がある。君たちは、然るべき訓練を受ければ、実際に魔法を使えるようになるのだ。――本日より、カリキュラムが変更となる。基本的には、午前中は今まで通りの講義を行い、午後には魔法の訓練を行うこととなる。また、足りなくなるであろう単位の補填のため、これからは土曜日も午前中のみだが出席していただくこととなる。申し訳ない限りだが、了承していただきたい」


 先生は教壇の上で自分たちに礼をした。

 週10コマの魔法訓練に加えて、土曜日の4コマの出席。

 いきなりの過密スケジュールに総也は苦笑を通り越して失笑した。

 これではまるで軍属ではないか。


「対価と言ってはなんだが、卒業まで我々のカリキュラムに付き合っていただいた全学生には、防衛大学への無試験入学を認めるものとする。……身長が低い学生も、防衛大に入学できるということになるな」


 訂正する。

 まるで、ではない。

 完全に彼らは軍属として扱われていた。


「無論、他大学を受験する分には何も変わりはない。こちらからそれを止めることはしないし、普通に入学試験を受験してもらうこととなる。また、以上の説明でご納得いただけない場合は、ただちに転校手続きを行うため、職員室に申し出てほしい。以上だ」


 これはつまり、この月野学園の高水準な学習環境を今後も利用したいなら、学園側が提示するカリキュラムに従うことを求められたに等しい。

 「嫌なら出ていけ」と言われたのだ。

 もう無茶苦茶だった。


(なんてこった……)


 何も知らずに、日本最高峰の学園だからと受験した、あるいは親に受験させられた学生が不憫でならない。

 たまたまその学生に魔法使いとしての素質があったばかりに、こんな事態に巻き込まれてしまった。

 これを不幸と言わずになんと呼べばよいだろうか。


 そんな時、真理亜がスッと手を上げる。

 そして、高田先生の返事を待たずに話し始めた。


「先ほど時間の関係で質疑応答は認めないと仰られましたが、上官として問います。高田3曹の話では、この学園の全学生は、1年生から3年生まで魔法使いとしての素質があるようなことを仰られましたが、そのような『魔法使いとしての素質があるかどうかを試す』入学試験はいつ頃からなされていたのですか?」


 ふむ、と高田先生はしばし考えた後、口を開いた。


「お答えいたしましょう。5年前の入学生から、今日という日のために魔法使いとしての素質がある学生を集められていたようです。これは、当時文部科学大臣であった桐崎総理大臣の意向であったと思われます」


 そういえば、そんなこともあった。

 5年前の今ごろ、桐崎 七也は文科相に任ぜられていたのだ。

 ちなみに、7年ほど前と3年ほど前には防衛相に任ぜられていた。

 様々な根回しは、その時に済ませていたのだろう。

 父親の余りにも遠大な計画に、総也は舌を巻いた。


「よく分かりました。回答ありがとうございます」


 真理亜が座したまま高田先生に敬礼を送る。

 高田先生は真理亜に敬礼を返し、再び学生たち全体の方に向き直った。


「本日のホームルームは以上だ。午前の講義の後、12時50分までに早めに昼食を済ませ、教室前に整列しておくこと。それでは、失礼する」


 そう言い残して、高田先生は教室を出ていった。

 花梨は、いつの間にか総也の腕の中でおとなしくなっていた。

 総也は花梨の猿轡だけを解いてやる。


「なに……それ……」


 花梨が、絶望を孕んだ声音で呟いた。


「わけ、わかんない……。ここは現実リアルで、ここは月野学園で、魔法使いとしての勉強をしなきゃ卒業させられないって……そんなの、意味わかんない……」


 花梨は総也の腕の中で小さく震えていた。

 しかし、花梨の中で少しずつ理解が進んでいることが感じられた。


「花梨。ここは現実で、魔法は実在するんだ。分かってくれ」

「総ちゃん……」


 花梨が、肩越しに総也のことを見つめる。

 その瞳は、困惑に揺れていた。


「私、もう何も信じられない……。今までの私たちの人生で得た常識ってなんだったの……? 世界の方がおかしいの? それとも私がおかしいの?」

「世界がおかしいんだ。世界の方が、どうしようもなくおかしいんだ……!」


 後ろから花梨のことを抱き締めながら言う。

 花梨の反応は正常だ。

 むしろ、クラスの中で最も常識的な反応をしているとさえ言えた。

 だからこそ、こうして彼女を拘束しているわけだが……。


「現状を認識できたなら、まず最初にするべきことがあるんじゃないですかねぇ?」


 つかつかと、真理亜が花梨のいる教室の後方まで歩いてくる。

 そして、彼女の前に仁王立ちして、冷ややかな目で見降ろした。


「えっ……?」

「私にあらぬ疑いをふっかけた挙句に、日本刀の先端を向けられました。これを無礼と言わずなんと呼べばよいのでしょうか?」


 総也が目で真理亜を咎める。

 それに対し、真理亜はどこ吹く風という様子で受け流した。


「あれは……私がやったの……?」


 花梨は覚えている。

 手にした日本刀のずっしりとした重さを。

 柄の紋様の形容のしようがない触覚を。

 それはあまりにもリアルすぎて、確かに現実のものとしか思えなかった。


 故に混乱する。

 もし、これが現実なのだとしたら、自分はとんでもない罪を犯してしまったことを意味する。

 生来善良な性格であった花梨は、ひどく混乱した。


「あの……わたし……!」


 花梨はひどく憔悴していた。

 自分のしでかした罪の重さに、我を見失っていた。


「まずは『ごめんなさい』でしょう?」

「あ……」


 真理亜が、冷たい眼光で見下ろしながらも、諭すように言う。

 花梨は、その言葉を聞いて幾分か落ち着いたようだった。


「その……ごめんなさい……」


 手足を拘束されたまま、花梨は頭を下げる。

 そして、今度は大きな声で――。


「クラスのみんなもごめんなさい! その……怖かったよね……?」


 現実に生きる友人が、いきなり日本刀を取り出して暴れ出しかけたのだ。

 恐怖を覚えない方がおかしい。

 花梨は、段々と自分の犯した罪の重さを実感していったのだった。


「いいってことよ!」


 率先して、義人が声を上げる。

 すると、クラス中に賛同の声が広まった。

 それを聞いて、総也は安堵の笑みを漏らした。


「……もう拘束は解除していいよな?」

「ええ、もちろん。春日野さんも落ち着いたようですし」


 言われて、総也は真理亜と2人でハンカチによる花梨の拘束を解除していく。

 拘束が解かれると、花梨は立ち上がって、改めて真理亜に頭を下げた。


「本当にごめんなさい! クラスのみんなも、ごめんなさい!」

「いいって言ってるじゃねーか。なぁ? 修?」

「おう。ここにいる誰もが少なからず混乱していたんだ。春日野の反応は無理もない」


 花梨の再度の謝罪に、義人と修が改めて赦す。

 すると、花梨の顔に笑顔と涙が浮かんだ。


「みんな……ありがとう……!」


 花梨がみんなの方に駆け寄る。

 感動的な光景だった。


 ――それを、真理亜は冷ややかな視線で見つめていた。


「青春ですわねぇ……」


 しごくつまらなそうに言う。

 そんな真理亜に、総也は問うた。


「真理亜……高田先生の説明とか親父の講演のこととか、どの程度知っていたんだ?」

「父からメールで、おおよその概要だけは聞いておりました」

「何故、それを俺に言わなかった?」

「父を経由して、首相が命ぜられました。面白そうだから、総也くんには黙っていなさい、と……」

「あんにゃろう……!」


 真理亜の転入の際にも、サプライズを仕掛けてきたクソ親父だ。

 彼の考えそうなことだった。


 1限目の予鈴が鳴る。

 花梨の椅子を彼女の机のところに戻しつつ、総也はこれからのことを思って嘆息した。


「ところで総也くん?」

「なんだ?」

「先ほどは随分と長い間、春日野さんの身体を抱き締めていらっしゃいましたね……?」


 冷ややかな目線で、真理亜が総也の方を睨んでくる。

 「そうするよう仕向けたのはお前だろ!」と言いたいのをグッと飲み込んで、総也は答えた。


「……埋め合わせはするよ」


 真理亜は「やった♪」と小さくガッツポーズをした。

 総也は再び溜息をついた。

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