第16話 自覚

 朝。

 2人とも全裸でシーツにくるまりながら、しかし互いに真剣な表情で今後のことについて話し合う。


「思い出したくないことだと思うけど……」


 そう前置きをしてから、総也は切り出した。


「以前、肉体的ないし精神的ショックが魔法使いへの覚醒のきっかけになると言ってたよな? でも、魔法の発動には『自分が魔法使いである』という自覚が必要なはずだ。ショックを受けた段階ではそんな自覚は持ってないと思うんだが、そこんとこってどうなってるんだ?」


 総也の疑問に、真理亜はしばしの間、目を瞑って思索する。


「これは仮説ですが……魔法の発動には、必ずしも『魔法使いの自覚』は必要ではないのだと思われます。ですが、魔法の『制御』のためには、強く『自分は魔法使いである』と念ずる必要がある。恐らくは、そのこと自体が自身と自身の魔力を制御することにつながるのだと思われます」


 そして、真理亜はどこか憂いのある表情で続けた。


「あの時、私はとにかく『力が欲しい』と願いました。逃げ出したい。助かりたい。――そのための力が欲しい、と。……そして、最後には『あの男を殺したい』と憎悪しました」


 真理亜が、まるで寒さに震えているかのように、ぶるりと身を震わす。

 総也は彼女の肩をそっと抱き寄せた。


「恐らくは、その願いを神さまが聞き届けてくれたことで、私は魔法を使えるようになったのだと思われます。ですが、神さまが私にくださったのは、あくまで『力』であって『魔法』ではありませんでした。だから、私は魔法を制御することができなかった。父に『お前は実は魔法使いなんだ』と教えられることによって、私は自分の力が何なのかを自覚することができるようになったのです」


 真理亜はぎゅっと総也に抱き着く。

 総也は向かい合って、彼女を抱き締め返した。


「恐らく、子どもが言葉を学んでいく過程に似ているのだと思われます。子どもは、最初に覚えた言葉の意味を理解していません。ただ『マンマ』と言えばママがやってくるから、次第にその言葉がママを意味するのだと何となく自覚していく。そして、いつしか言葉を組み合わせることによって自分の意思を表現できるようになるのです」


 真理亜が総也を押し倒し、そのまま彼の上に乗っかる。

 豊満な胸部がむにゅりと横に押し広げられた。


「私の場合は、無意識の内にぬるくなったジュースを冷やせるようになりました。これが、最初の言葉を覚えた段階に相当します。ですが、それはあくまで無意識。自分が何をしているのかは分かっていません。分かっていないから、制御ができない。ですが、父に『私は魔法使いである』と教えてもらったことで、私は自分の力を制御できるようになったわけです」


 真理亜は、総也の肩に頬ずりをしながら、彼の鎖骨を指でなぞる。


「複雑な魔法を行使できるようになるためには、自分が魔法使いであるという自覚を持つことは必須だと思われます。恐らくは、それがない状態での魔法の行使は、ただの力の暴走にしかならない」


 鎖骨を撫でた指が、胸板を、腹筋を辿っていき、そこに辿り着く。


「この話の流れでどうしてそうなる」

「どうしてと言われましても……ダーリンとこうしてたらそういう気分になってしまいます」


 結局、2人はその後1発いたし、一緒にシャワーを浴びてから学園に向かったのだった。

 時間がなかったので、朝食はリムジンの中でサンドイッチを食べる形になった。


********************


 朝の学園は大混乱になっていた。

 もちろん、総也と真理亜がイチャつきながら登校してきたからではない。

 というか、この2人がバカップルなのはこの2週間で公然の秘密と化していた。


 混乱していた理由は、当然件の所信表明演説ゆえだ。

 朝から興奮して暴れまわっている者、何やら机に突っ伏してぶつぶつ呟いている者、そもそも学園に来ていない者と様々だった。

 総也は、事の重大性に、教室へと入ってようやく気付くこととなる。


「総ちゃん総ちゃん総ちゃん!!」


 その声は、どこかとても懐かしいものに聞こえた。

 教室に入った途端、すぐ傍らに絡みついている真理亜のことは無視して花梨が総也の下に駆け寄ってくる。

 ここ最近は、真理亜に遠慮してこういうことはなかったにもかかわらず、だ。


「お母さんもクラスのみんなもおかしくなっちゃったんだよ!?」

「花梨! いきなりどうした!?」


 もちろん、傍らの真理亜は面白くない。

 面白くないが、総也の前で不平を言うことはしなかった。

 真理亜はするっと総也の腕から離れる。


「お母さんがね! 『花梨は実は魔法使いなのよ』とか言うの! クラスのみんなも魔法がどうこうって話で持ち切りだし、みんなおかしくなっちゃったよぅぅぅ!!」


 その言葉に、総也と真理亜は同時に目を見開いた。


「花梨……お前、例の映像は見てないのか……?」

「見たよ!! でもあんなの手品みたいなものじゃん! なのに、みんな騙されちゃってさ! みんな総ちゃんのお父さんに騙されてるんだよ!! あっ……」


 そこで、花梨は自分がとんでもないことを言ってしまったことに気づき、申し訳なさそうな表情をする。


「総ちゃんごめんね? 総ちゃんのお父さんのこと悪く言うつもりじゃなかったの……。ごめんなさい……」


 だが、花梨の謝罪はまるでピントのズレた内容だった。

 ここにきて、ようやっと総也は状況に気が付く。

 ――花梨は、まるで現実が見えてなかったのだ。


「花梨……」


 妄想に囚われている花梨に対し、総也は何も言ってやることができない。

 安易に否定すれば、花梨は「総ちゃんまでおかしくなった!」と言い始めるだけだろう。

 かといって、肯定すれば余計に状態を悪化させるだけだ。


「ねぇ、総ちゃん……。総ちゃんまで『魔法はある』なんて変なこと言い出さないよね……? それとも、総ちゃんはやっぱりお父さんの味方なのかな……?」


 花梨が悲しそうな瞳で総也のことを見上げる。

 総也は、返答に窮した――。


 ――と、その時。


「静まりなさいっ!!」


 教室に、凛とした声が響く。

 瞬間、教室のざわめきは鳴りをひそめ、視線が教壇の方に集中する。

 それは、真理亜だった。


「今から、皆さんに現実をお見せします。まずは正しく現実を認識すること。これが大切なことだと思われます。魔法は、実在するのです。皆さんとは、まずこのことでコンセンサスを取っておきたい」


 総也の腕から離れた真理亜は、いつの間にか教室の教壇の方まで移動していたのだった。

 恐らく、花梨の様子を見て思いついたことなのだろう。


(真理亜……やめろ……!)


 総也は、そう心の中で感じるも、口に出すことはできない。

 荒療治は有効かもしれない――そんな希望を、抱いてしまったから。


「Clear Water Vapor becomes White Diamond Dust」


 真理亜の口が、祝詞を紡ぐ。

 瞬間、大気中の水蒸気が昇華し、教室の空気は文字通り凍り付いた。

 視界が白に塞がれる。


「なに……これ……?」


 花梨が、どこか絶望を孕んだ声で小さく呟く。

 それに対し、総也は何も言ってやることができない。

 クラスの仲間たちも、再びざわつき始めた。


「なんだ、これ……寒い……!?」

「なにも見えないよぉ……」

「これが……すごい……!」


 などといった様子だった。


「総ちゃん、そこにいるんだよね!? 何がどうなってるの!? これは何の手品!?」


 すぐ近くにいた花梨が、総也に縋りついてくる。

 寒さの中で感じられる彼女の温かみは、ひどく懐かしく、そして遠くの世界のものに感じられた。

 ――瞬間、氷の霧が晴れ、教室中は融けた水によってしっとりと濡れる。

 かすかに髪の濡れた花梨の姿は、やけに色っぽいものに見えた。


「……これが、現実だ。今のが、魔法だ」


 花梨が目を見開く。

 そして、全身の力が抜けたようにして、ストンとその場に膝をついた。


「なに……? なんでそんなこと言うの……? 総ちゃんまで、おかしくなっちゃったの……?」


 口では否定の言葉を口にしながらも、花梨は激しく混乱しているようだった。

 無理もない。

 今しがた、視界を白に奪われ、その肌で冷気を実感したばかりなのだから。

 テレビの映像とはわけが違う。

 魔法としか、説明のしようがなかった。


「そうだよ……。こんなの、おかしい……」


 震える声で、花梨がなんとか言葉を絞り出す。


「そうだ……! そうだよ! ここはメイワルの中なんだ! みんなして私のこと騙そうとしてる!! みんな酷いよ!!」


 花梨は、自分の知る範囲で現状に辻褄が合う可能性を無理やり見つけ出し、自分を納得させる。

 その瞳は焦点を見失っており、どこか訳の分からない方角を見つめていた。


「花梨ッ! 落ち着けっ! ここがメイワルの中ならログアウトできるはずだっ!!」

「それはっ……! っ! 来音さんだっ! 来音さんがまた悪いことしたんだよ! やっぱり、酷い人……!!」


 総也は跪いた花梨のことを抱き締める。

 が、花梨はそんな総也のことには目もくれず、教壇にいる真理亜のことを睨みつけた。


 対する真理亜も、総也が花梨を抱き締めている状況というのは面白くない。

 鋭い視線で花梨のことを睨みつけていた。

 ――だが、それが逆効果だった。


「あの顔……全ッ然反省してない……! やっぱり、悪いことしたんだ……!」


 花梨が総也の腕を振り払う。

 そして、つかつかと教団の方へ歩いていった。

 それを総也は、後ろから羽交い絞めにする。


「花梨ッ! 落ち着けっ! 頼むから落ち着いてくれっ!!」

「総ちゃん離してっ! 私が……私が何とかしないと……!!」

「「なっ……!!」」


 総也と真理亜は同時に目を見開いた。

 ――花梨の手には、1本の日本刀が握られていたのだ。


「あはっ♪ やっぱりここはメイワルの中なんだ……。じゃなきゃ『装備』なんてできるわけがないッ!!」


 総也に羽交い絞めにされながら、花梨はその切っ先を真理亜に向ける。

 教室中の人間が、壁際まで後退りしていた。

 刃を向けられた真理亜自身も、思わずたじろぐ。


「花梨、すまない……!!」


 咄嗟に、総也は花梨の頸動脈を絞める。

 ふっと花梨の全身から力が抜け、彼女は昏倒した。

 ――同時に、花梨の右手から、彼女が現実に顕現させた刀が滑り落ち、地につく前に消え失せる。


「図らずも、仮説の実証になってしまったな……」


 倒れこんできた花梨を抱きかかえながら、総也は自嘲気味にそう言った。

 「メイワルは、魔法使いを育成するための訓練場である」「自分が魔法使いであるという自覚がなくても、強く力を欲すれば魔法を発動させることはできる」この2つの仮説が、皮肉にも魔法の存在を否定した花梨の手によって証明されてしまったのだ。


「俺は花梨を保健室に連れていく。みんなは授業を受けていてくれ」

「待ってください、総也くん。――ここで蹴りを付けましょう」


 教室から出ようと皆に背中を向けると、その背中に真理亜が声をかけてきた。


「真理亜……しかし……」

「私に考えがあります」


 既に予鈴は鳴っている。

 できることは少ない。

 だが、総也は真理亜の作戦に賭けてみることにしたのだった。


********************


 本鈴が鳴り、しばらくしてホームルームのために担任の高田たかだ先生が教室に入ってくる。

 そして、彼はすぐにその異様な光景に気が付いた。


「春日野……? それ、何があった……?」


 花梨は、ハンカチによる簡易的な手枷、足枷によって椅子に縛り付けられ、その口にはやはりハンカチによる猿轡が噛まされていた。

 涙目になりながら、必死の形相で花梨は真理亜を睨みつけている。

 彼女が暴れ出したりしないように、あと、他の学生が怖がらないように、総也が教室の後ろの方で彼女を押さえつけているのが現状だった。


「先生。彼女のことは気にせず、本日のスケジュールについて説明してください。私が父から事前に聞いていた話が正しければ、これから『説明』があるはずです」


 真理亜は、飄々とした面持ちで、何事もなかったかのように言った。

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