第10話 はじまり

 正式に桐崎 七也内閣が発足して、今日で3日目。

 今日は国会での所信表明演説の日だった。

 総也は万が一のための護衛として国会議事堂に召集されていた。

 装備の点検を行い、持ち場に着く。

 ――傍らには真理亜の姿があった。


「なんでお前が来ることを親父は許可したんだろうな……」

「うふふ。未来のお義父とうさまには感謝してもし切れませんわ♪」


 総也が父親の護衛任務に就くという話になった時、真理亜は彼と共に任務に就くことを進言した。

 もちろん総也はそれに反対したが、日本国の総理大臣である七也の許可が下りたのだ。

 事実上の最高司令官である七也の命令は、軍属である総也にとって絶対だ。

 父親の許可が出た以上は、総也はそれに反対することはできなかった。


「しかし、本当にいいのか? 万が一ということがあるんだぞ?」

「だからこそ、です。死ぬ時は一緒ですよ」


 一々重い発言をしてくる娘だった。

 今日何度目かの溜息をつきながら、総也は背中を真理亜に預ける。


「まぁいい。拳銃の扱いに関しては心配してないしな。だが、ここでは俺が上官だ。指示にはきちんと従ってもらう」

「もちろん構いませんわ」


 真理亜は確かに拳銃の扱いが得意だった。

 恐らくアメリカで練習していたのだろう。

 今回の任務に就くにあたって、真理亜は自衛軍所属となり、3尉の階級を与えられていた。

 もちろん、破格である。

 とはいえ、総也は2尉であるため、階級的には総也は真理亜の上官となるのであった。


 互いにスーツに身を包み、インカムを装着している。

 周囲には同僚の軍人が同じようにスーツ姿で持ち場に着いていた。

 もっとも、真理亜の美貌はその中でも一際目立っていたことは言うまでもないことだったが。


 ――そして、演説が始まった。


********************


『昨今の世界情勢を鑑み、我が国は国際社会の中で――』


 インカムからは父親の平坦な声が聞こえてくる。

 なんの面白みもない演説だった。

 前任の首相の汚点は改善することを約束しつつも、それ以外のことは今まで通りという、至極保守的な内容の政策表明だった。

 とはいえ、いつどこからテロリストが襲撃してくるとも分からない。

 総也は気を引き締めた。


 ――異変が起こったのは、その直後のことだった。


『ここからが本題だ』


 直前まで丁寧語で演説をしていた七也の雰囲気が変わる。

 その声には明らかな強固な意志が感じられた。


「なんだ……?」


 いきなりの父親の豹変に、総也は戸惑いを隠しきれない。

 背中を預けた真理亜も、困惑を示しているようだった。


『日本に在住する国民の諸君。諸君らは「魔法」の存在を信じているだろうか? 信じていない者が大半だろう。しかし、事実としてこの世界に「魔法」は存在するのだ』


「は……?」

「……」


 総也が気の抜けたような声を出す。

 だって、彼の父親が言い出したことは、あまりにも突拍子のないことだったからだ。

 魔法だと?

 ありえない。

 気が狂ったとしか思えなかった。


 ――対して、真理亜は緊張した面持ちを維持し続けていた。


『私が何を言っているのか、今は分からないだろう。――繰り返しになるが、この世界には「魔法」が存在する。証明してみせよう。今から私は私の身体から放電を行う』


 議場の方から、女性議員の悲鳴が響いた。

 インカムからは「バチバチ」という、まるで静電気が走るような音が聞こえてくる。

 意味が分からなかった。


『ご存じの通り、この演説は全国に生放送されている。議場の外にいる自衛軍の諸君。すぐに「魔法使い」たちの襲撃が来る。戦闘準備を行いたまえ。それこそが、この世界に「魔法」が存在することの証明となる』


 父親の言う通り、この所信表明演説は公共放送を通じて全国に放映されている。

 国民全員が見ているわけではないだろうが、少なくない数の国民が、自国の首相の狂った言葉を聞いていることは明らかだった。


 ――そして、父親の言っていることはすぐに実現した。


 目の前の空間が歪曲する。

 反射的に、総也は拳銃を抜いて安全装置を解除した。

 歪曲した空間はやがて穴を開け、どこか見知らぬ場所の風景をその中に映した。

 そこから、穴を乗り越えるようにして小さな影が姿を見せる。


「ばか、な……」


 拳銃を握る手が震える。

 だって、だって空間の穴から姿を見せたその小さな影は、記憶にある通りの――。


「どうしてお前が生きている……明日香ッ!?」


 桐崎 総也がその手で殺したはずの少女――高遠 明日香だったからだ。


 瞬間、銃声が響いた。


 撃ったのは総也ではない。

 後ろにいた真理亜だ。

 真理亜は、姿を現した小さな少女に対して、躊躇うことなく拳銃の引き金を引いたのだった。

 だが――。


「同じ手が通用すると思ったら大違いなんだよなぁ」


 対峙する少女がこともなげに言う。

 真理亜の拳銃から放たれた9mmルガー弾は、少女に届く前に闇の穴へと入り、消えた。

 空間にぽっかりと暗い穴が空き、銃弾はそこに吸い込まれていったのだ。


 目の前の少女は、これまた躊躇なく手にした拳銃を己のこめかみに当てる。

 反射的に、総也は相手の拳銃に狙いをすまして拳銃のトリガーを引こうとした、が――。


「撃てるわけないよね。君には撃てない。だって、そんなことをしてボクを殺してしまったら、後悔してもし切れないから」


 少女の言う通り、総也は拳銃の引き金を引くことができなかった。

 対する少女は、戸惑うことなく手にした拳銃の引き金を引く。


 乾いた銃声。


 しかし、少女の頭部から血と脳漿が飛び散ることはない。


 その代わり、影で出来た無数の腕のようなものが少女の身体から広がった。

 その全てが、総也と真理亜の2人へと襲いかかる――。


「ゆけっ、死神の手――」

「させませんっ!!」


 しかし、その黒い腕が、闇の触手が、2人に届くことはない。

 それは何かに阻まれていた。

 総也は気づく。


 氷だ。

 それは、青く透き通った、氷の壁だった。


「付け焼刃だね。中途半端にしか魔道を学んでいないから、その程度の魔法しか使えない」


 少女は謳う。

 途端、ピシリ、と氷の壁に罅が入った。

 見れば、影の触手はその先端部分を鋭い黒光りする刃へと形を変えて、易々と薄い氷の壁を斬り裂いてみせたのだ。


「くっ……」


 真理亜が不利を認めるように吐息を漏らす。

 対する総也は、未だに状況への理解が及んでいなかった。


「大丈夫だよ、総也。今日のことは忘れさせてあげるから。君の愚かな父親と、そこの出来損ないの女には死んでもらうけどね」

「なに――!?」


 その言葉に、総也の意識は一気に覚醒する。

 状況は未だに不明だ。

 今も、インカムの向こう側では自分の父親が、魔法がどうこうといった訳の分からないことを演説し続けていた。


 だが、いま目の前の「敵」は「真理亜を殺す」と宣言した。

 それだけで、総也が目の前の少女を「敵」と認識するには十分だった。


 迫りくる無数の影の刃を、同じ数の拳銃弾で正確に叩き落す。

 銃弾と相殺するようにして、影の刃は文字通り影となって霧散した。

 瞬間、痛そうな表情が「敵」の顔に差す。

 どうやら、この黒い影へのダメージは、行使している本体へのダメージとして置換されるようだった。


「悪く思うな」


 そして、続けざまに敵の心臓を狙ってダブルタップ。

 しかし、こちらは先ほどと同じように闇色の穴へと銃弾が吸い込まれていった。


「ならば――」


 ミリタリーナイフを抜き去り、敵に肉薄する。

 少女は再び、己のこめかみを拳銃で撃ち抜いた。

 影の触手が総也を迎撃し、彼はナイフで触手たちと打ち合いを演ずる。


「回り込め! 真理亜ッ!」

「――っ! はいっ!」


 真理亜が左前方に駆け出し、敵の少女の側方を取ろうとする。

 すると、総也と打ち合っていた無数の影の腕の内の1本が、側方を狙う真理亜の方に狙いを変えて襲いかかったのだった。


「させませんっ!!」


 先ほどと同じく、氷の壁が影の触手の突進を阻む。

 しかし、その先端をドリルのように変形させた影は、またもや氷の壁を易々と貫いた。


「Clear Water Vapor becomes White Diamond Dust」


 だが、真理亜が稼ぎたかった時間は、氷の壁によって影を阻んだその一瞬だけだった。

 その一瞬で、真理亜の口は祝詞を紡ぐ。


 瞬間、周囲が冷気に包まれた。

 視界が白に包まれた。

 真理亜を襲わんとしていた、総也と打ち合いを興じていた影の触手が、白い霧の中に凍り付く。


「……っ!! やるね! これは想定外――!!」


 やはり、幾分ダメージを負ったような声が、白い視界の中に遠く響く。

 同時に銃声が辺りに響いた。

 総也は、視界を奪われつつもその声と音がした方に突進した。

 そして、敵の首があるであろう高さで、躊躇なくサバイバルナイフを振りぬく――。


 ――が、ナイフは空を切った。

 手応えはない。

 彼の一閃は、空振りに終わったのだ。


 白い、氷の霧が晴れる。

 そこには、総也と真理亜の2人しかいなかった。

 目の前には空間の歪みが残されていたが、それは徐々に元に戻りつつあった。


「逃がしました、ね……。恐らくは、ここに来た時と同じ魔法を使って撤退したのでしょう」


 すっかり元通りとなった虚空を睨みながら、真理亜が言う。

 ようやく落ち着きを取り戻した総也が、状況を理解しているように見受けられる真理亜に問うた。


「真理亜? これはいったい……?」


 何も分かっていない総也の方を見て、真理亜は寂しげな笑みを浮かべる。

 2人の間には、見えない壁がそそり立っているようだった。


「あなたのお父さまが仰る通りですよ。この世界に、魔法はあるんです。そして――」


 真理亜は右の手のひらを上に向けると、その上に氷でできた美しい結晶を出現させてみせる。


「――私は、魔法使いなんです」


 氷の結晶は融けて水となり、真理亜の右手をビシャリと濡らした――。


『今も、魔法協会は魔法の存在を我々から隠匿しようとしている。自分たちだけが、魔法を使えるという利益を独占していたのだ。しかし、これからはそうはいかない。私は、この日本国を魔法によって新たな姿へと進化させていくことを、ここに宣言する』


 耳に付けたインカムからは、総也の父親の演説が未だに聞こえ続けていた――。

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