真理亜の章

第6話 決意

→立ち上がり、真理亜を抱き締める。


 ソウはよろよろと立ち上がり、少女をふわりと抱き締める。

 それだけで、感極まったかのように、少女の頬を涙が伝った。


「ありがとうございます……! ありがとうございます、総也くん……!」


 そして、彼女もソウの背中に手を回し、その肩に顔をうずめて静かに泣き出し始めた。


「私、この日をずっと、うっ、夢見て、ぐすっ……ふぇえ……」


 少女が、ソウの胸の中で子どものように泣きじゃくる。

 女性としては比較的大柄な彼女だったが、しかし今のソウにはその姿は酷く小さく見えた。


(もう、後戻りはできないな……)


 泣きじゃくる少女を抱き締めながら、ソウは心の中でそう呟く。

 この悲しい少女のことを、命を懸けて守っていこうと誓ったのだった。


「こんな時になんだけどさ。みんな困ってると思うから、他の奴らをログアウトできるようにしてやってくれないか? 大丈夫。もう二度と、お前のことを離したりなんかしない」


 少女が顔を上げる。

 その顔は、涙でぐちゃぐちゃで、でも、どこか嬉しそうな雰囲気を纏っていて。


「はい! もちろんです。総也くんも、他の皆さんも解放いたします。――本当にご迷惑をおかけしました……!」

「謝るのは俺に対してじゃなくて、あいつらに対して直接、な?」


 嘘ではないだろう。

 チラッと設定画面を表示したら、ログアウトプロトコルが実行可能になっていた。

 故に、ソウは素早く仲間たちにメールを送ったのだった。


********************


 カースがちょうど管理サーバーにハッキングを仕掛けようとしていた時、そのメールは届いた。


「待って、カースくん! ソウちゃんからメールが届いた! えっと……『みんな、ログアウトできるようになったから、各自ログアウトをしてくれ。俺が犯人を説得した。俺はしばらくログアウトしないだろうけど、無事だから安心してほしい』だって!」


 その瞬間、皆の顔に希望の色が差す。

 レイアですらも、設定画面を開いてログアウトが可能になったことを確認すると、笑顔を綻ばせた。

 ……ただ一人、カースだけは渋い顔をしていたが。


「……つまり、ソウさんは犯人――来音 真理亜の要求を飲んだということですね」

「あっ……」


 カースの言葉に、最初にレイアが反応を示す。


「大方『私と付き合って欲しい』『二度と他の女に色目を使うな』『結婚しろ』――この辺りでしょう。で、ソウさんがその要求を受け入れたから、僕らは解放されたわけです。おめでとうございます、カリンさん。ログアウトできますよ?」


 そう言って、カースはニヤニヤとカリンに笑いかけた。

 意地の悪い笑みを向けられたカリンは、途端に表情を曇らせる。


「そ、そうだねー。あはは、うれしいなー。はは……」


 露骨に意気消沈していた。

 はぁ、とレイアが溜息をつく。


(今、私に言えることはないわね……)

「まぁ、後は当事者たちに任せて私たちはログアウトしましょ。あー疲れた」


 ぐぐっと伸びをして、レイアがログアウトプロトコルを実行する。

 瞬間、レイアの姿は光の粒となってかき消えた。


「俺らもログアウトするか。……はぁ、明日からどんな顔して来音さんに会えばいいんだろ」


 次にシドがログアウトする。

 続いて「また明日」と言ってオームがログアウトした。


 そして、ギルドの大広間にはカリンとカースが残される。


「総也さんのことは残念でした。ですが、人生は長いんです。いつか彼が来音さんと別れることも起こるかもしれないし、別にいい男が見つかることもあるでしょう。あんまり引きずり過ぎないことです。それでは」


 そう残して、最後にカースもログアウトした。

 広い大広間に、カリン独りが残される。


「はぁ……」


 景気の悪い溜息をついて、カリンはその場に体育座りをした。

 そして――。


「うっ……総ちゃん……うぇ……」


 誰もいない大広間で、静かに声を殺して泣き始めたのだった……。


********************


 しばらくの間、互いの心を落ち着かせるようにして少年と少女は抱き合っていた。


「明日、ちゃんとみんなに謝るんだぞ?」

「はい……ぐすっ」


 頭をポンポンと撫でながら、ソウは改めて念を押す。


「あー、そういや、お前のことはなんて呼べばいいんだ? 真理亜じゃ本名だから色々まずいし、まさか『神さま』なんて呼ぶわけにもいかないだろう?」


 少しおどけた様子でソウは問う。

 なんにせよ、共にゲームを遊ぶなら名前は重要だった。


「……それでは『メアリー』とお呼びください。私のキャラクターネームです」

「Maryか。なるほどね」


 Mariaを英語名にしたらMaryになる。

 安直だが妥当なネーミングだろう。


「しっかし、メアリー。俺なんかのどこが良くてそんなに好いてくれてるんだ? こう言っちゃなんだが、俺はなかなかのクズ男だと思うぞ?」


 すると、メアリーは泣き笑いのような表情を浮かべて答えた。


「だって、今だってこんなにも私のことを想ってくれています。こんな酷いことをした私のことを許してくれています。あなたは優しくて、そして誠実な方です。私のことを裏切るようなことはしないでしょう。――それだけでも、私にとっては十分ですわ」


 情熱的な告白を受けて、しかしソウは気難しい表情を見せる。


「だが、俺はお前の言う通り、明日香のことを花梨に黙っているような男だぞ? いつお前のことを振るかなんて分からんだろう」


 その言葉に、メアリーは首を横に振る。


「いいえ。あなたは『こう』と決めたことについては、絶対に諦めない方です。私のことを一度抱き締めた以上は、あなたは私のことを一生抱き締めてくださると、私はよく知っています。――高遠さんのことに関しては、あなたは単に春日野さんに嫌われたくなかっただけですよね? なら、今のあなたなら、高遠さんのことを春日野さんに話せるはずです。だって、私一人を選んでくれたのですから」


 そう言って、メアリーは勝者の笑みをソウに見せつけた。


「参ったな……全部お見通しか」

「ええ。あなたのことなら、私は何でも分かります。だって、愛してますから」


 ソウは後頭部をかく。

 総也はまだ、強い恋愛感情を真理亜に抱いているわけではなかった。

 だが、一連のやり取りで、この子には一生敵わないだろうなというのは重々理解していた。


「あ、今すぐに高遠さんのことを春日野さんに話せ、と言っているわけではないのですよ? 頃合いを見て、お話しください。もちろん、ずっと黙っていても私は一向に構いませんけど、黙ったままは総也くんが一番辛いでしょう?」


 そして、メアリーは背伸びしてソウの耳元に唇を寄せる。


「今は春日野さんも傷心してるでしょうから、ね? わざわざ追い討ちをかけることもないでしょう」

「お前ホント性格悪いな……」


 ソウは苦笑する。

 そして、わしゃわしゃとメアリーの銀髪を撫でた。


「わわ! やーめーてーくーだーさーいー!」

「悪い子にはお仕置きだ! このこのっ!」


 そう言いながら、今度はわき腹をくすぐる。

 あははははは、とメアリーが年相応の笑い声を出した。


「はぁーっ、はぁーっ、もうっ、総也くんは酷いです!」

「そうだぞ。俺は酷い男なんだ。傷心した婚約者を今までほっぽっといたくらいなんだからな」

「ほんとですよぅ……」


 どこか恨めしそうな表情で、少女が頬を膨らませてみせる。

 そういった年相応の反応が、ソウにはどこか新鮮に感じられた。


「そうしてればかわいいのに、なんでお前はそう色々めんどくさいんだろうな……」

「あぅ……めんどくさい女でごめんなさい……」


 かわいいと言われて、メアリーの顔面がトマトのようになる。

 チョロいなこいつ、とソウは感じた。


「んっ……」


 もう一度、背中に手を回されて、ソウは強く抱き締められる。

 メアリーはソウの肩に顔をうずめて――。


「大好きです、総也くん……」


 そう告白した。

 ソウはそれに何も答えず、ただ抱き締めたメアリーの頭を撫でる。


「もう……そこはお世辞でも『俺も好きだ』って言うところですよ?」


 顔を離して、メアリーが頬を膨らませる。

 そんな仕草にソウは苦笑することしかできなかった。


「すまないな。その……まだ自分の気持ちがよく分からないんだ。真理亜のことは好きではあるけど、それは恋愛感情のそれとは違う気がしてな……」

「んっ……『好き』って言ってくれたから、今はそれでもいいことにします」


 そう言って、メアリーは静かに目を瞑り、唇を突き出した。

 それの意味するところを理解し、今度こそソウは困惑する。


「その……それはまだちょっと早いんじゃないか……?」

「なに言ってるんですか。私は5年も待ってたんですよ? これでもまだ不安なんです。私一人を選んだという証を、ここにください」


 そして、もう一度目を瞑る。

 ここに至って、ソウもようやく覚悟を決めた。


「ん、ちゅ……」


 目を瞑り、唇を重ねる。

 メアリーの唇はしっとりと濡れて、柔らかかった。


********************


 目を覚ます。

 すると、ヘルメットのバイザー越しには心配そうにこちらを見つめる玲奈の姿があった。


「兄さんっ!」

「ああ、玲奈か。ずっと待っててくれたのか?」

「心配したんだからっ! バカッ! すぐにログアウトしなさいよぅ……!」

「すまないな。ちょっと犯人と交渉をしていてだな……」


 よく見ると、玲奈の頬は涙に濡れていた。

 よほど心配をかけたのだろう。

 心が痛む。


「隠さないでもいいわよ。今回のことの犯人って来音さんでしょう?」

「お見通しか。その通りだ」


 ヘルメット――ブレイン・アクセサーを取り上げて、よっこいしょとベッドに起き上がる。

 布団の上であぐらをかき、玲奈と目を合わせた。


「……真理亜と正式に付き合うことになった」

「そんなこったろうと思ったわ」


 義兄のベッドに腰掛けた状態で、玲奈が深々と溜息をつく。


「兄さん、ほんとにいいの? あの子、とてもじゃないけどいい女とは言えないわよ?」

「いいんだ。俺が決めたことだ」

「そ。ならいいわ」


 そう言って、玲奈は立ち上がる。


「お幸せにね、兄さん」

「せいぜい努力するよ」


 ふふっと苦笑してみせると、玲奈はフッと鼻で笑ってから――。


「それじゃ、おやすみ、兄さん。今日はいい夢見れるんじゃない?」

「だったらいいな」


 そう言い残して、部屋を出ていった。

 総也は、もう一度ベッドに寝そべってひとりごちる。


「いい夢か。見れるもんかね、明日香……」


 そう呟いて、総也は目を閉じた。

 今日は色々なことがありすぎて疲れた。

 少し眠ろう。

 すると、程なくして総也の意識は眠りの世界へと落ちていったのだった……。

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