第4話 神

 待ち合わせ場所は自分たちのギルドの大広間だ。

 ソウも基本的にはログイン地点をギルドの自室に設定しているのだが、前回のログイン時、時間の関係で、フィールド上でログアウトしたため、何もない――というかシンボルエンカウントの敵がうじゃうじゃいる野原のど真ん中にログインする羽目になった。

 ここから走っていくには待ち合わせ場所は遠すぎるし、移動中に何度敵と戦う羽目になるかが分からない。

 おまけに、ここらの敵はそれなりに強い。

 馬鹿正直に走っていくのは面倒なことこの上ないわけだ。


 というわけで、転移魔法を使う。

 待ち合わせ場所の大広間を強くイメージして、そこへと瞬間移動する自分の姿を強くイメージする。

 「自分にはそれができる」という自己暗示を強く執り行うのだ。


 次の瞬間、ソウの周囲の景色は切り替わっている――。


 ――ハズだった、のだが。


「おかしいな……?」


 転移魔法が発動しない。

 不審に思ってもう一度転移魔法を使ってみるも、やはり発動しない。


(厄介なバグにでも巻き込まれたか……?)


 そう思い、仕方なしに「すまない。転移魔法が使えなくなるバグに巻き込まれた。そちらに集合するまでに時間がかかりそうだ。なんなら先に始めててくれ。クエストに参加できない可能性が高い」と仲間にメールを送る。

 ついでに運営にバグ報告を送ってから、てくてくと敵ばかりの野原を歩き始めたのだった。


 次におかしいと感じたのは、数分の時が経ってからだった。

 メールの返信がないのだ。

 「おk」とか「りょか」とかそれくらいの返信あってもいいものなのに、一通の返信も来ない。

 というより、カリン――そのまんま花梨のキャラクターネームだ――からメールの返信が来ないというのがあり得ない。


 いよいよおかしいと感じ始めたソウは、単にバグ報告を送るだけにとどまらず、運営にコールを送る。

 ……が、何の反応もない。

 多忙なのもあるのだろうが、状況が状況だ。

 コールが繋がらないというのにも何か関連があるような気がしてならなかった。


 嫌な予感がした。

 それも、とてつもなく嫌な予感だ。


 慌てて意識をシステムメニューに移す。

 そして、ログアウトプロトコルを実行しようとしたのだが――。


 彼は、ゲームからログアウトすることができなくなっていた。


********************


 一方その頃。


「ソウちゃん、なんかワープできなくってこっちに来れないんだってー」


 カリンがギルドの大広間のテーブルに頬杖をつきながら言う。

 レイア――玲奈のキャラクターネームだ――がそれに答えた。


「知ってる。私のとこにもメールが来た。置いてっていいんじゃない? 確か、兄さんが前回ログアウトしたとこってフィールド上よ? 走ってくるならかなり時間かかるでしょ」

「うーん、そうなんだけどねー」


 カリンがピンク色に染めた髪を弄いながら言う。

 釈然としない何かを感じているかのようだった。


「なーんか嫌な予感がするんだよねぇ……」

「ふーん?」


 そして、カリンはパッと立ち上がって言った。


「決めた! 私、ちょっとソウちゃん探してくるから、レイアちゃんは前回どこでソウちゃんがログアウトしたか教えて!」

「えー? 私も詳しいことは分からないわよ? 確かノルドー草原の西の方だったと思うんだけど……」

「ノルドー草原ね! 分かった!」

「あっ、ちょっと待ちなさいよ!」


 そう言って、カリンが転移魔法を使おうとしたのだが――。


「あれっ?」


 何も起こらない。

 もう一度試してみる。


 ――やはり、何も起こらない。


「ねぇ、レイアちゃん……。私もなんかワープができない『現象』に巻き込まれたみたい……」

「なんですって? ……ほんとだ。私もできない」


 試しにレイアもノルドー草原に転移魔法を試みる。

 しかし、転移魔法はやはり発動しなかった。


「ちょっと待って……」


 レイアがそう口にした途端、レイアの姿が光の粒となってかき消えた。

 数秒後、光の粒が再度収束してレイアの姿がその場に現れる。


「他の場所には転移ができた。多分、ノルドー草原にだけ転移できなくなってるんだと思う」

「おいおい、そりゃどういうことだ? そんなピンポイントなバグ、起こりえるのか?」


 会話を傍で聞いていたシド――佐藤 義人――が、興味深そうに2人の会話に首を突っ込む。


「予定変更ですね。ソウさんを探しに行きましょう。恐らくは、厄介な事件に巻き込まれています」


 最後に、カース――星 一輝――が、そうまとめた。

 彼らにオーム――鈴木 修――を加えた5人は、当初の予定を変更してソウ探しをすることに決定したのだった。


********************


「おいおい。まさか無理やりアボートしたら『アクセサー』に高圧電流で脳を焼かれたりしないだろうな……」


 大昔にブレイクしたというVRMMOもののラノベに書かれていたことを思い出し、ソウは冷汗をかく。

 いや、ブレイン・アクセサーの安全性は担保されている。

 そんな事故ないし事件が起こったら、レイン・コンツェルンと言えどただでは済まないはずだ。

 だから、玲奈なり花梨なりが外から無理やりブレイン・アクセサーを取り外してくれれば、ソウは総也へとログアウトすることはできる。


 ――できるが、ただそれを座して待つというのはソウにとっては癪だった。


(フルダイブモードをウィンドウモードに移行……できない……)


 ゲームをウィンドウモードに変更して、別のタスクを実行しようとしたが、そもそもウィンドウモードにすることを許してくれない。

 ハッキングをして何とか状況を打開しようというソウの目論見は、最初の段階で打ち砕かれてしまった。


(いよいよ八方塞がりだな……)


 モンスター除けに入っていたほら穴で、彼は頭を抱える。

 彼は恐怖を感じていた。

 この感情を抱くのは何年ぶりだろう、と彼は思う。

 人に殺されるのにも、人を殺すのにも恐怖を抱かなくなっていたというのに――。


 誰の助けもなく、ネットの海にただ独り取り残されるという状況に、彼は恐怖を感じていたのだった。


(どういうことだ? 何が起こってる? どうして俺はこんな目に会っている……?)


 頭の中で疑問符の嵐が巻き起こる。

 よくない傾向だ。

 よくない傾向なのは分かっているが、彼の脳は焦りで思考停止をしようとしていた――。


 ――その時、彼の潜んでいたほら穴が光に包まれる。


「なんだっ!?」


 反射的に立ち上がり、ほら穴の入口に目を向ける。

 すると、そこには後光を背中にした銀色の髪の少女が立っていた。

 青い瞳はまっすぐとソウを見つめている。


「誰だお前は!? ……いや、この状況を作り出したのはお前だな!? 答えろっ!」


 銀色の髪の少女が、ふふっと笑ったように見えた。


わたくしは神です。そして、もう一つの質問の答えは”Yes”です。ご名答ですね、ソウさま」


 その瞬間、ソウの顔は怒りの色に染まった。


「『神』だと……? ふざけやがって! 俺をここから出せ! ログアウトさせろっ!」


 その言葉に少女――神は、小首を傾げる。


「それはできない相談ですね」

「なんだとっ!?」

「だって――」


 そして、神は天使のような笑みでこう告げた。


「ソウさまは、この世界でただ2人、ずっとずぅっと私と一緒に暮らすのですもの。ね?」


********************


 ノルドー草原の隣のエリアまで転移魔法で移動した一行は、てくてくと歩きながら目的地のノルドー草原西部地区を目指す。

 そして、ノルドー草原に入った途端――。


「「「「えっ?」」」」

「おや、これは参りましたね」


 カース以外の4人が、その「視覚」と「灼熱感」に絶句した。

 カース自身も、あまりのどうしようもなさに失笑するばかりだった。


 光と熱の奔流が、彼ら5人を襲ったのだ。


 次の瞬間、彼ら5人は共通のリスポーンポイントであるギルド本拠地に戻される。

 なんのことはない。

 単に彼らは、ゲーム上で「死亡」したのだ。

 死亡したため、リスポーン地点に戻された。

 ただそれだけのことだ。


 それだけのことだが――


「ど、どうしよう!?」


 ギルドの大広間に青い顔をしたカリンが飛び出してくる。

 同様にして、各々の部屋から他の4人が大広間に集まった。


「こりゃいよいよきな臭くなってきたな」

「危険な予感がする」

「兄さん……」

「ふふふ……」


 4人が4人、4人なりの反応を示す。

 そして、彼らは相談を始めたのだった。


********************


 目の前のふざけた「神」に対する怒りの感情が沸き起こる。

 暴走する。

 ソウは、しかしそれが爆発しそうになった瞬間に、そのことに気づいた。

 気づきさえすれば、冷静さを取り戻すのは容易だった。


「お前、真理亜だろ」


 一言、彼は銀色の少女に問う。

 瞬間、一瞬だけ、しかし明確に、少女に動揺の色が走った。


「何を仰っているのでしょうか。私は神だと言っているではありませんか」

「とぼけるな。俺に対してそんな動機でこんなことをしてくる奴が他にどこにいる。もっと言えば、お前にならそれを為すだけの権限がある」


 真理亜はレイン・コンツェルンの会長の娘だ。

 父親の権限を利用すれば、このくらいのシステム介入は可能だろう。

 フーダニット、ハウダニット、ワイダニットの全てが来音 真理亜ただ一人を指し示していた。


「言ったはずだ。場合によってはお前といえど容赦はしない、と」


 すると、少女は面白そうに問う。


「くすくす。私が仮にその『真理亜さん』だったとして、あなたはどうしてくれると言うんですか?」

「……じきに仲間が異常に気付く。なら、仲間の内の誰かが俺を強制的にログアウトさせればそれでこんな茶番は終了だ」

「あらあら。ですが、そのくらいのことは想定済みですわ」


 神はそう楽しそうに嘯いて。


「すでに、あなた様のお仲間の5人は、このゲームに捕らえられています」


********************


「あ、あれっ!?」

「おかしいわね……」


 どうしたものか? と相談していた5人は、まず総也のリアルボディの近くにいるはずの玲奈と花梨にログアウトをしてもらって、無理やり総也をログアウトさせることを考えた。

 しかし、実際に2人がログアウトプロトコルを実行しようとしたところ、ログアウトができないようになっていたのだ。


「困ったわね……。これはいよいよ事件性が出てきたわ。かりんとう、あなた、お母さんはあなたのこと『起こしてくれる』と思う?」

「うーん。お母さんも忙しいからなぁ。今日は夜遅くに帰ってくるから、あの人、私のことほっといてそのまま寝ちゃうかも」

「参ったわね……。ちょっと他のみんなも試してみてほしいんだけど、たぶんみんなログアウトできなくなってると思う」


 結論から言えば、レイアの言う通り他の3人も同様にログアウトができなくなっていた。


「困りましたねぇ。……レイア、このような『事件』を起こす人物に心当たりはありますか?」

「……あー、言われて気づいたわ。一人いるわね、やりそうな奴が」

「奇遇ですね。僕も同じ人物を思いつきました」


 レイアがその答えに行き着くことを確信していたかのように、カースが言う。

 そして、カースは「彼女」の名前、犯行動機、犯行方法について他の4人に解説を始めたのだった。


********************


「ふざけやがって……」


 ギリリとソウが歯軋りする。

 とはいえ、それも時間の問題だ。

 時間がたてば、いずれ仲間の内の誰かの家族が異常に気付いて、彼または彼女を強制ログアウトアボートさせるだろう。

 そうすれば、この状況も簡単に打破される。

 後は、七也と真理亜の父に事の次第を報告すれば、婚約の話は破談になってこの話は終了だ。


「くすくす。あなたが何を考えているのか、当てて差し上げましょうか?」

「なんだと……?」

「ええ、ええ。私は全知全能の神ですから。あなた様の考えていることなどお見通しですわ」


 至極嬉しそうに神は謳う。

 そして、実際にソウが考えていたことを言い当ててみせたのだった。


「認めましょう。確かに私は来音 真理亜です。ですが、私は同時に神でもあるのです」


 そして、続ける。


「私神である時点で気づいてしかるべきだと思うのですが、今回の件は既に父の許可は得ているのですよ?」

「なん……だと……?」


 ソウは耳を疑った。

 大の大人が、こんな子どもの悪ふざけに付き合ったというのか。


「それどころか、今ごろ父はあなたのお父様の協力すらも取り付けているはずです。何故なら、私たちの父はそれを熱望しているのですから」


 そう言いながら、神はしずしずとソウに近づいてくる。

 ソウは後ずさりしたが、すぐにほら穴の壁に背中をぶつけて、立ち止まった。

 ……神が、ソウにしなだれかかりながら、耳元で囁いてくる。

 ふくよかな胸が、ソウの胸板に押し付けられる。


「ねぇ、ソウさま? いいえ、総也くん。……結婚、しましょう?」


 甘い、恍惚とした声で、そう告げたのだった――。

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