第3話 メイガス・ワールド

 レストランで談笑しながら昼食を取る。

 昔話をしながら、顔を赤くしたり青くしたりする表情豊かな真理亜の姿を見るのは、素直に幸せな気持ちになった。


「そういえば――」


 と、話を切り替える。


「真理亜はやっぱり『メイガス・ワールド』はやってるのか?」


 メイガス・ワールドとは、レイン・コンツェルン傘下のゲーム会社がサービス提供しているVRMMORPG(仮想現実大規模多人数オンラインロールプレイングゲーム)だ。

 脳の神経活動を解析して仮想現実上での行動に反映させ、また仮想現実上での五感を神経活動にフィードバックして装着者の脳に感覚として実感させる、次世代フルダイブ・コントローラー「ブレイン・アクセサー」をレイン・コンツェルン傘下の企業が開発した。

 レイン・コンツェルンはこれを早速ゲームへと転用。

 全人類待望のフルダイブMMOゲームであるメイガス・ワールドが誕生したのだった。


 レイン・コンツェルンの令嬢である真理亜も当然プレイしているものと、総也は思い込んでいたのだが……。


「いえ……実は、アメリカにいる間は『メイワル』をできる環境になかったので、アカウントすら所持していないんですよ」


 メイワルというのは、もちろんメイガス・ワールドの略称のことである。

 メイワルの面白いところは、イメージによって魔法を発動するところにあると言ってもいい。

 MPマジックポイントはもちろん存在するのだが、それの消費だけでは魔法は発動できない。

 剣や弓を使うのに(神経を介して)仮想現実上の身体を動かす必要があるのに、コマンド入力だけで魔法が発動できるというのは何の面白みがないというのがコンセプトだった。

 イメージ次第で、プレイヤーはどんな魔法でも扱うことができる。

 人間のイメージといった漠然としたものでも詳細に解析できるだけの強力なウェブサーバーを所有しているレイン・コンツェルンだからこそ行えるサービスであり、メイワルに引き続いて数多生み出されたVRMMOには決して真似できなかったこの圧倒的自由度が、メイワルの最大の魅力だった。

 流石「魔術師たちの世界」というネーミングをしているだけはあるというわけだ。


「そりゃもったいない。とても楽しいから、ぜひ真理亜にもプレイしてみてほしいよ」


 彼女なら、すぐにゲームの雰囲気にも慣れることができるんじゃないか?

 総也にはそういう直感があった。


「……そうですね。総也くんがそう仰るなら、ぜひやってみたいと思います」


 真理亜は朗らかに笑う。


「それはよかった。みんなで歓迎するよ」


 途端、ピキッと真理亜の表情が固まる。


「みんな、とは……?」


 言ってから、しまったと後悔する。

 とはいえ、こんなことは一緒にゲームをプレイすればすぐにバレる話だから、遅かれ早かれといった話なのだが。


「あ、ああ。俺の友人は大体プレイしてるぞ?」

「そう……。たとえば、春日野さんとかも、ですか?」

「……まぁな」


 まずい。

 めちゃ嫉妬してる。

 どうしようこれ。


「……あんまり変なこと考えるなよ?」

「うふふ、まさか」

(絶ッ対悪いこと考えてる顔だコレ……)


 食事の手を止めて、頭を抱える。

 規約違反のことをされても、プレイヤーが管理会社のドンの娘とあっては見逃されるのがオチだろう。

 とはいえ、犯人と犯行動機が分かっているなら、犯行そのものを止めることは比較的簡単だ。


(まぁ、何かあったら俺が対処すればいいか……。真理亜は、俺の言うことなら聞くだろうし)


 そんな楽観は、即日、脆くも崩れ去るとは知らず――。

 彼らはランチを楽しみながらの談笑を再開したのだった。


********************


 昼食を終えて、リムジンで真理亜を自宅へ送る。

 すると、豪邸の入口ではメイドの大行列が待ち構えていた。


「それでは、失礼いたします。今日は本当にありがとうございました」


 最後にニコリと微笑んで、真理亜が降車する。

 彼女は、至極当然といった所作で彼女たちに荷物を預け、凛とした歩調で館の方へと向かっていった。


「性格さえ難がなければ、100人が100人振り向く美女なのにな……」


 そんなことをつぶやきながら、こちらもリムジンを発車させる。

 性格のことを言い始めたら、総也自身も変態のそしりを免れないだろう。

 同じ穴の狢だ。


「そういえば、今日はどうするんだろうな」


 半ドンだったし、今頃みんなはメイワルに集まっているのではなかろうか。

 スマホでみんなとみんなのメイワルアカウントにメールを送る。

 こうしておけば、みんなが「起きてても、寝てても」メールは届くという寸法だ。


「さて、と……」


 車を走らせながら、今日はどうしようかななどと考えていたのだった。


********************


 みんなからメールの返信が返ってきた。

 どうやら、夕食後からメイワルをやることで合意が取れていたらしい。


 というわけで、暇になった午後の時間を使って、総也は自宅のトレーニングルームで汗を流していた。

 筋トレは良い。

 余計なことを忘れられる。

 これで筋肉も鍛えられるというのだから、一石二鳥というものだ。


 と、無心になってベンチプレスをやっていたところ、ランニングマシンでのトレーニングを終えた玲奈がスポーツドリンクとタオル片手に彼の傍らにやってきた。


「これはこれはお兄様。今日は随分と災難だったようで。今朝のことで罰が当たったのではないでしょうか?」

「ふんっ……玲奈か。……ふんっ! どこでそれを。ふんっ……知った?」

「かりんとうがメールで教えてくれたわ。『総ちゃんのクラスに総ちゃんの婚約者が来た!』って。……あの子、兄さんに婚約者がいるって知ってたんだっけ?」

「ふんっ……昔。……ふんっ! 話した記憶が。ふんっ……あるな」

「ふ~ん、あっそ。……兄さんがかりんとうに告白されないのってそのせいなんじゃない?」


 玲奈がスポドリを飲みながら、総也の足元に腰掛ける。

 総也も、バーベルをラックにかけて一休みする。

 上体を起こして、玲奈の方を向いた。


「どうだかな。花梨が俺に惚れてるってこと自体、お前の思い過ごしの可能性もあるぞ?」

「あーやだやだ。あんたが一番確信持ってるくせに。これだからナルシストは」

「実際に告白されたわけでもないのに、確定的なことは言えん」

「……ナルシストなのは否定しないんだ」

「自覚はあるからな」


 ジト目で見られる。

 そんな視線は、ふっと鼻で笑って流した。


「で、どーすんのよ?」

「どうすんの、とは?」

「そんなん当たり前でしょ? どっちにすんの?」

「あー……」


 総也の目が泳ぐ。

 真剣に考えていない証拠だ。


「……そんなに結論を急がなきゃいけないことか?」

「当ったり前でしょう!? 時間をかければかけるだけ、あの子たちを傷つけるって分からない? かりんとうは言うまでもないことだし、来音さんだって昔のまんまならあんたにベタ惚れでしょーが」


 そこまで言われては総也も委縮するというもの。

 再度目を泳がせながら、ベンチに上体を倒して寝そべる。


「……俺の気持ちも考えろよ。誰が好きかって自覚もないのに、誰か1人を選べって言われても困る」

「やだ、クソ男」

「言ってろクソビッチ」


 お互いに溜息をついて、玲奈はスポドリを口に含む。

 しばし無言の時間が続いた。


「夕食後にメイワルに集合だとよ」

「聞いた。今日は暇だし私も参加する。一輝かずきくんも来るってよ」

「げ……あいつが来るのかよ……」


 玲奈の言う「一輝くん」とは、玲奈の同学年のほし 一輝かずきのことだ。

 玲奈と同じく孤児出身で、七也に事実上引き取られて以降、自衛軍の少年将校として訓練を受けていた。

 ちなみに、総也は彼のことが非常に苦手である。

 なにせ、何をやっても彼に後れを取るのだから、自信家の総也のプライドはズタズタである。

 本当に、何をやっても総也は一輝に勝てないのだ。


「そんな顔しないでよ。兄さんが一輝くんより弱いのは単に兄さんの努力不足でしょ?」

「玲奈……嬉々として兄さんを追い込むのはやめてくれ……」

「そんなん玲奈知りませーん。義妹いもうとの裸を盗撮しようとするお兄ちゃんなんて死んじゃえばいいと思いまーす」


 つーんとした表情で玲奈が言う。

 どうやら、今朝の一件のことを玲奈は相当根に持っていたようだ。

 そして「よいしょっ」と言いながら立ち上がる。


「私はもう上がるから、兄さんはそこで不貞腐れてなよ。どうせ今にそんなこと言ってられなくなるんだから」


 そう言って、てくてくとトレーニングルームを出て行ってしまった。

 ベンチの上に独り取り残されながら、総也は誰に言うでもなくひとりごちた。


「んなこた分かってんだよ。このままじゃいけないことくらい……」


 そして、雑念を振り払うかのように、今度は上体起こしを始めたのだった。


********************


 筋トレを終えた総也は、シャワーで汗を流した後、玲奈と共に夕食を取った。

 その後、自室に戻った彼は、何やら物々しい鈍色のヘルメットのような機械を手にしたのだった。

 これこそが、先に言った「ブレイン・アクセサー」である。

 そして、それを躊躇することなく頭にかぶり、総也はベッドに横になったのだった。


『Access』


 電子音声が脳に直接響く。

 と、同時に、総也の全身から緊張が虚脱した。

 ブレイン・アクセサーはフルダイブに伴い、肉体を半強制的にレム睡眠の状態に移行させる。

 即ち、中枢神経系からの神経伝達が肉体に伝わらないようにするのだ。

 人間が夢を見て脳が働いていても肉体が動かないのは、レム睡眠の間は脳からの神経伝達が肉体に伝わらないようになっているからだ。

 ブレイン・アクセサーは、肉体をレム睡眠の状態に移行させることによって、脳の活動を電子媒体上でのみ再現させることを可能としていた。

 今、総也の肉体はその状態へと移行したのだった。


『Full Dive』


 さらに電子音声が脳に響く。

 瞬間、総也の精神は電子の世界に解き放たれた。

 無数のグリッドが飛び交う青い宇宙空間の中、パソコンの中のアプリケーションが水晶のような結晶体となって宙に浮かんでいた。

 滑空するかのように総也は電子の宇宙を飛翔し、そのうちの一つに手を伸ばす。

 すると、今度は視界に牧歌的な草原の風景が広がった。

 地に足がつくのを感じる。


『Log in to the Magus World』


 パスコードの特有脳波による生体認証を受け付けて、総也は「メイガス・ワールド」にログインする。

 瞬間、彼の電子体は再構成され、漆黒のローブを身に纏う少年の姿が魔法の世界に降り立った。


 名を――「ソウ」と呼ぶ。

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