第2話 一触即発
「誰にも、渡しませんから」
その言葉に総也は怪訝な視線を真理亜に向ける。
明らかな敵意。
それも、危険なそれを感じたのだった。
「何が言いたい」
「いえ? なんでもございませんわ」
先ほどの冷たい雰囲気はどこ吹く風といった風に、柔和な微笑みをたたえる。
それでも、彼の警戒心は解けない。
「しらばっくれるな。場合によってはお前といえど容赦は――」
「おうおう総也ー。なんだよおめー、こんな美人の彼女がいるとか聞いてねーぞー!」
空気を読まずに話しかけてきたのは、クラスメイトの
小学生の頃からの親友で、ここまでずっと同じ学園に通っていた。
成績はお世辞にもいいと言えない奴だが、よくもまぁ月野に入学できたものだ。
「彼女っていうか? 婚約者なの? いつから? 聞いてねーぞマジでよー。なぁ修?」
「まったくだ。我々童貞トリオから一人だけ抜け駆けしようなぞ、言語道断」
眼鏡をかけた少年がそれに続く。
彼は
「黙れバカ共。お前らと一緒にするな。あと俺は誇り高き童貞だ」
「「そんなバカな! こんな美人の婚約者がいて食ってないだと!?」」
無駄にハモる。
「あのー、ちょいちょいお三方? 女の子もいるんだから『どーてー』がどうこうとかいう話はやめてよ。ほら、来音さん? も困ってるじゃない」
3人のアホすぎる会話に、たまらず花梨がツッコミを入れる。
見ると、真理亜は顔を俯かせて真っ赤になっていた。
「あー、えっと。来音さん……で、いいかな? 私、春日野 花梨と言います。よろしくね」
フォローのつもりなのか、花梨が真理亜に話しかける。
誰にでも気さくに話しかけられるというのは花梨の長所だ。
総也自身、助けられたこともあった。
花梨が握手をすべく、手を差し出す。
アメリカから帰ってきたという真理亜に対する、彼女なりの敬意なのかも知れなかった。
「こ、こちらこそ! あ、えっと、来音 真理亜と申します。よろしくお願いしますね、春日野さん」
差し出された手を、真理亜が握り返す――瞬間、ビクッと身体を震わせて、花梨が手を引っ込めた。
「つめたっ!?」
凍傷を温めるかのように、花梨は両手をすり合わせる。
「手、つめたっ!? どうしたの、病気じゃない!?」
「失礼しました。よく言われるんですよ。体温が低いって」
「いや、いやいやいやいや。それにしたって冷たすぎだよ! 氷みたいだった! 大丈夫? 保健室行く?」
慌てた様子で花梨が心配の言葉をかける。
「いえいえ、体質ですから。ご心配は要りませんわ」
そう言って、真理亜が花梨に微笑みかける。
そこには、敵意のようなものは感じられなかった。
「どれどれ……? ん? 普通じゃん。別にそこまで冷たくないぞ?」
真理亜の手を取る。
確かに多少は冷たい。
だが、それは病的なそれでは決してなかった。
「心配し過ぎだよ。真理亜も困ってるじゃないか。花梨は戻った戻った」
「あれー? 確かに冷たかったんだけどなぁ……」
「まぁいいや」と花梨が席に戻る。
周りを見ると、クラスメイト達が呆然と総也たちの方を見ていた。
彼が自然と真理亜の手を取ったことに驚いていたのだろう。
「いや、でも、婚約者? だもん。このくらい普通だよ、ね?」
クラスの内の誰かが言う。
それを機に、クラスメイト達が大挙した――ところで、高田先生の声が彼らの動きを制する。
「あー、お前ら。来音さんのことが気になるのはよく分かるが、これから入学式だからな? 時間もないから、さっさと廊下に並ぶように。あと、桐崎、佐藤、鈴木。お前らは後で指導な」
「「「はぁ?」」」
恐らく、先ほどの言葉遣いのことで何か先生の気に障ることがあったのだろう。
3人は各々に不平を口にしたが、先生が意見を翻すことはなかった。
********************
入学式と始業式は無事に終わり、学生指導室でセクハラをこっぴどく叱られた後、総也、義人、修の3人は部屋を出る。
「ったく、あの程度のことでカッカすんなよなー」
開口一番、そう不平を口にしたのは義人だった。
往々にして一番バカなのがこいつである。
「つーか? そもそも俺童貞って口にしてないじゃんか! 叱るなら総也と修だけにしとけっつーの!」
「バカを言うな。我々3人は生まれた時は違えど、童貞を捨てる時は同じ風俗でと誓った穴兄弟じゃないか。こういう時は一蓮托生だ」
「俺は一度もそんなこと言った覚えはねーぞ……」
バカ2人のバカな発言に、総也は思わず溜息をつく。
中に聞こえたらどうすんだ、と言わんばかりだ。
「とにかく、購買部でも行こうぜ。午前中だけだったはずなのに、お陰様で腹ペコペコだわ」
見れば、既に正午は回っていて、学園内には学生の姿はほとんど残っていない。
一部の部活をやってる学生が、グラウンドで声を上げている程度だった。
「そうだな、パンでも買うか」
義人が総也の意見に同意し、修もそれに続く。
そうして、彼ら3人は購買部で各々パンを購入し、教室に戻ってきたのだが――。
「お前ら、なんでまだ残ってんの?」
教室では、真理亜と花梨の2人が総也の席を挟んで未だに座っていた。
「や、その、来音さんが総ちゃんのこと待つって言ってたから、その……」
しどろもどろといった感じで、花梨が言い訳をする。
いや、言い訳になってない。
真理亜はその横で、俯いて顔を真っ赤にしていた。
「いや、じゃあなんでお前が残ってんだよ……」
「あ、どーぞどーぞごゆっくり。俺ら別んとこで食うから、じゃーなー!」
冷やかしているのか、義人は修の背中を押して別の教室の方へと出て行ってしまった。
2年1組には3人だけが取り残される。
「いや、その、えっと……」
いよいよ言い訳ができなくなったのか、花梨が口ごもる。
(分かりやすすぎんだよ……)
そんな彼女の姿を見て、総也は内心でそう思う。
別に、彼はひどく鈍感なわけではない。
花梨の好意には気づいているつもりだ。
自分が平均以上には容姿が優れている自覚はあるし、成績も優秀。
自衛軍の軍人仕込みなだけあって体力もある。
控えめに言っても、モテない要素はそのおちゃらけた性格くらいだ。
にもかかわらず、今まで彼が特定の恋人を作ってこなかったのは、ひとえに婚約者である真理亜に気を遣ってのことである。
別に婚約者に操を立てているわけではない。
単に面倒なだけだ。
何故なら、特定の恋人を作ったら、彼女との婚約を解消せねばならなくなる。
親同士が取り決めた関係に過ぎず、当人たちの反対があれば即解消できる性質のものではあるのだが、それでも親の体面などの問題があるのは事実。
そういう厄介ごとは極力起こさないようにするのが彼のスタンスだった。
(もっとも……)
もし、花梨の方から彼に告白するようなことがあれば、彼は受け入れることだろう。
別に嫌いなわけではない――というより、むしろ彼自身、花梨のことは好きな方だ。
恋愛感情に近いものを抱いていないわけでもない。
単に、自分から動く気はないというだけである。
(クズってそしられても言い訳できねーな)
フッと自嘲し、口を開く。
「あー、じゃあ3人で一緒に帰るか? その前に飯を食わせてほしいけど」
「「ええっ!?」」
2人の少女の声がハモる。
「どうしてこの子と一緒なの!?」という心が透けて見えるようだった。
「や、だって……待ってたなんて言われて、もう片方を置いてったらかわいそうじゃんか……」
他にどうしろと言うのだ。
「じ、じゃあ俺一人で帰……」
「「それはダメ!!」です!!」
「「あっ……!」」
またハモる。
実はこいつら仲が良いのではないだろうか?
「はぁ……とりあえず飯食うから、その間に結論出しといてくれ……」
自分の席に座り、美少女二人を両手に花状態にしながら昼食を取り始める。
すると、パンを見て花梨が目を輝かせる。
「総ちゃん、1個ちょうだい!」
「ごくりっ……別にいいけど、どれがいい?」
「じゃあそのコロッケパン!」
花梨が100円玉と引き換えにコロッケパンを受け取る。
と、そこで総也は右からの視線に気が付いた。
「なんだ? お嬢様もおなかを空かせていらっしゃるのか?」
「い、いいえ! 違います!」
口ではそう言ってるが、空腹を我慢してるだろうことは明白だった。
「多分お嬢様のお口には合わないと思うぞ?」
「だ、だから、要らないと言っているではありませんか!」
顔を真っ赤にして否定する。
さて、どうしたものか……。と言ったところで、総也は折衷案を思いつく。
「悪い、花梨。今日は真理亜と帰る。久しぶりの再会なんだし、別にいいだろ? あと、この余りのパンは全部やるわ。金は要らない」
「え? えっ? あの、ちょっと待って……」
「さ、真理亜。行こう。エスコートするよ」
「あの、総也くん? これはいったい……」
最初に手を付けたパンを胃に押し込み、荷物と真理亜の手を取って席を立つ。
こういう時は、有無を言わさずにグイグイ事を進めた方が無難だ。
そして、片手でスマホを操作してリムジンを学園まで呼ぶ。
後ろでは、花梨が「えー」と言いながら不満そうな視線を総也たちに向けていた。
「あの、総也くん? これはどういう……」
手を握られて恥ずかしかったのだろう。
顔が真っ赤だ。
教室を出たところで、しかし、しっかりとこちらの手を握り返しながら、俯きがちに問う。
「ああ、ランチをご馳走するよ。せっかくの機会だしな。まぁ、フィアンセとの久々のデートだと思ってくれ」
思わせぶりにウインクしてみせる。
すると、真理亜の顔面は火を噴いたかのように爆発した。
「そんな言い方、ずるいです……。アメリカにいた時は、手紙の一通も、電話の一本もよこしてくれませんでしたのに……」
ぶんぶんと手を振りながら拗ねてみせる。
かわいいものだ。
「どうして……」
「ん?」
「いえ、なんでもありません。さ、エスコートお願いします」
腕を取って、むにゅりと身体を寄せてくる。
む、胸が……でかい……。
「おまえ、結構あざといよな」
「お慕いしておりますから」
「正直重いんだよ……。つーかこんなとこ教師に見つかったらどうするつもりだ?」
「うふふ、私と総也くんに口答えできる人間がここにおりまして?」
「あのなぁ……はぁ、もういい」
昔からその気はあったが、今日の様子を見る限り、一段と症状が酷くなっている。
何かあったんじゃないかと勘繰りたくなるほどだ。
校舎内を歩きながら、色々と思案する。
総也と真理亜の出会いについて語ろう。
最初に彼らが出会ったのは、有力者たちのパーティでのことだった。
もう、何年前のことだったろうか?
『自己紹介しよう。私はレイン・コンツェルン会長の
『来音 真理亜ですわ。よろしくおねがいいたします、ソーヤさま。上のお名前は?』
『僕? 僕は桐崎 総也だけど……。あの、よ、よろしく』
記憶の中の自分たちが握手する。
そういえば、この頃から年の割に胸の大きい子でドキドキしてたっけ。
『2人はねぇ、将来結婚するんだ。だからこれから仲良くしなさい』
『ケッコン……ええええええええっ!?』
『はあああああああ!?』
握手していた手をお互い突き飛ばすように放す。
そして、互いに相手を指さして罵り始めた。
『ど、どーしてわたくしがこのような見知らぬ男とケッコンしなければならないのですか!? おとうさま、ご説明ください!』
『そ、そうだよ。おとうさーん! なんかこの変なおじさんが、僕がこの女の子とケッコンしなきゃいけないとか言ってるー!!』
思えば、この時点で気が合ってたような気がしてならない。
その時、総也の父――七也はワイン片手に他の政治家たちと談笑していたのだが、息子の声に気づいてこちらへとやってきた。
『おお、総也。別に彼は間違ったことは言ってないぞ。お前はこの子と将来本当に結婚するんだ。あと、彼のことをおじさんとか読んではいけない。ちゃんと藍殿さんとお呼びしなさい』
そして、幼い真理亜の方に目を向けて言ったのだった。
『久しぶりだね、真理亜ちゃん……とは言っても、昔のこと過ぎて覚えてなどいないか。こんばんは、桐崎 七也だ。息子の総也のこと、よろしく頼むよ』
『そんなこと急に仰られても困りますわ……』
その後は互いに罵詈雑言を飛ばす大喧嘩となった。
実際に何を言い合ったのかはほとんど記憶にないが、英語で随分と口汚く罵られては、そのたびに真理亜が言葉遣いを藍殿に叱られていたことは覚えている。
最終的には、真理亜が大泣きして会場中が大混乱に陥って事態は収束? したのだった。
とまぁ、出会いからして相当酷いものだったが、今ではこの通りだ。
あの後、紆余曲折があって、結果的に真理亜は総也にベタ惚れしてしまったのだった。
無言で廊下を歩き、昇降口を出て、校門でリムジンを待つ。
程なくして車は到着した。
「乗ってくれ。あー、ノエル。近くのレストランで、ランチが取れるところ。予算は1人前5,000円以上10,000円未満で頼む。検索してくれ」
『かしこまりました。――検索完了。ご案内いたします。ご乗車ください、お坊ちゃま』
「お前の口に合うかは分からないけど、学生の食事だと思って我慢してくれ」
「い、いいえ。お気持ちだけで十分です……」
2人でリムジンに乗り込み、しばらくは互いに無言を貫く。
2人きりの環境だと思ったら、互いに気まずくなってしまった。
「そ、そういえば、こんなこともあったよな」
「こんなこと、とは?」
「ほら、2人して密室に閉じ込められて脱出ゲームをやらされてさ……あ、すまん」
「ああああああああ!! あの時のことは思い出さないでくださいまし!!」
なかなか仲が進展しない2人に痺れを切らした親2人がお手製の脱出ゲームを作成。
その密室に幼い2人を閉じ込めたのだった。
放送だけで『2人で力を合わせて鍵を見つけ出して外に出るんだ』と言われた時の絶望感は酷かった。
何せ、その時2人は互いの手を手錠で繋がれていたから。
お互い知恵を振り絞って少しずつ手掛かりを集めていた時はまだよかった。
だが、大人が大人気もなく本気で考えた脱出ゲームを小学生2人がクリアできるはずもなく、程なく詰みの状況になった。
すると、必然的に時間だけが経過していくことになり……幼い真理亜はトイレを我慢できなくなったのだ。
不幸中の幸いで、そういう時のためにトイレ自体は用意されていたのだが、何せ互いの手が手錠で繋がれている。
つまり、真理亜はおしっこをしているところを総也に丸見え、丸聞こえされる羽目になったのだ。
『もうお嫁にいけません、うわああああああん!!』
『僕が貰うことになるんだから別にいいじゃないか……』
『そういう問題じゃないんですううわああああん!!』
結局、大泣きを始めた真理亜を慰めるために密室は外から鍵を開けられ、藍殿は娘から罵詈雑言を浴びせられることとなったのだった。
とはいえ、吊り橋効果で2人の仲が急接近したのもまた事実。
その日以来、真理亜は『こうなった以上は意地でもそーやさまにはわたくしを貰っていただきます!』と豪語するようになったし、総也自身も『まぁいいか』と諦め気味になったのだった。
「私には貴方様しかいないのです」
意識を現在に戻すと、真理亜が頬を朱に染めながら、こちらを見つめていた。
これで分からない男はいないだろうという程のメス顔である。
写真に撮って見せたら羞恥で顔面が爆発するだろうことは想像に難くない。
「重い……」
「重くて結構ですわ。私はあなたの足枷となりましょう」
「やめてくれよ……」
顔を手で覆って天井を仰ぐ。
そうこうしているうちに、目的のレストランに到着したのだった。
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