神罰 ―死後実見―
アルタイル
プロローグ
第1話 目覚め
夢を見ている。
それは――毎日のように繰り返される悪夢。
闇の中によく知る香りが充満する。
世界で、最もよく知る香り。
……血の、香り……。
「ぼ、ぼくは……」
少年が抱きかかえているソレは徐々に温度を失っていき……。
「僕は……なんて、ことを……」
視界が徐々にクリアになってゆく。
少年は左手に抱えている重たいものに目を向けようとし……。
『やめろぉぉぉぉぉぉ!!』
だが、そこで誰かの絶叫が聞こえた。
いつもの、悪夢の終わり。
********************
ぴちゅ……ちゅん、ちゅん……。
「はぁっ! はぁっ、はぁっ……」
窓の外では今日も元気にすずめが朝を告げている。
柔らかい陽光。それは先ほどの悪夢とは打って変わって暖かいもので。
しかし、あの夢のおかげで、彼の寝覚めはすこぶる良い。
朝6時。
入学式始業式の日からこんなにも早起きする必要は皆無なわけだが、この時間に自然と目が覚めてしまうのだから仕方ない。
彼――
「おはよ」
抑揚のない少女の声が出迎える。
「おはよう、
「そだね。朝シャン浴びてから行くつもりだから」
寂しいダイニングには彼と彼女――義理の妹の玲奈しかいない。
彼らの父親は事務所泊まりだろう。
なにせ選挙が近い。
『解散総選挙の投票日が――』
テレビは朝のニュースを流している。
首相に付き纏う不祥事の疑惑の連鎖とそれに続く総辞職、さらに解散総選挙と昨今の政治情勢は目まぐるしく移り変わっていた。
学生2人の食事風景にしては、ダイニングは閑散としていた。
なにせ、なまじ家が広すぎる。
この和風の大豪邸――桐崎邸は高級住宅街白銀台ただ2つの巨大建築物の内の和の方だった。
その余りの広大さ故に、この高級住宅街の中ですら浮いてしまっているのが、欠点といえば欠点なのだ。
席に着き、もくもくと既に用意されていた朝食に手を付ける。
ブラックコーヒー。
食う。
ブラックコーヒー。
「……」
「……」
未だパジャマ姿の玲奈も黙々と食べる。
起きた時間はそう変わらないようだった。
「お坊ちゃま、かわりのコーヒーをお注ぎします」
キッチンから割烹着のメイドロボ――ノエルがおかわりのコーヒーを注ぎに来る。
一服ついたところで、彼は口を開いた。
「そういえば、玲奈。お前また夜遊びしてたみたいじゃないか。親父に迷惑がかかる。これを機に控えたらどうだ?」
すると、義妹は不機嫌そうに眉を顰め。
「別に……兄さんにもお父さんにも迷惑かけてないでしょ。仮に補導されても偽の身分証明書でごまかすんだから」
箸を置く。流石に今の発言はお説教せねばならないだろう。
「お前は本当にああ言えばこう言うな……。お兄ちゃんはお前のことを心配して言ってるんだから、素直に言うことを聞いてくれ」
「兄さんこそ、いちいちウザい。私が好きでやってることに口出ししないでよ」
「あのなぁ……はぁ、もういい」
言い争うだけ無駄だというのは、彼も長年の付き合いで重々承知している。
彼の義妹――桐崎 玲奈は、援助交際の常習犯だ。
金に苦労しているわけではない。御覧の通り、桐崎家は大金持ちだ。
男の彼には理解できない気持ちなのだが、女特有のセンシティブな何かがあるのだろう。
だとしても、義兄である彼にとっては看過できない話題ではあるのだが、言ったところでこの義妹が言うことを聞かないのは今に始まった話ではなかった。
「……じゃ、シャワー浴びてくるから」
早くに食べ始めたらしい玲奈は、食べ終わるのもまた早かった。
彼ら兄妹は仕事柄食事が非常に速い。
「おう、いってら。俺も筋トレしたら風呂入ろうかな」
「どうぞご自由に……ちゃんと私が上がってからにしてね」
幾分眠そうな声で、あくびをしながら義妹は大浴場へと向かう。これまた、一世帯が使うには余りにも広すぎる。
桐崎家の話をしよう。
彼の家は旧華族の出で、古くから政治家を輩出してきた。
この地に広大な土地を所有しているのは、先祖代々からの引継ぎである。
とはいえ、それだけではいずれ旧家というのは衰退していくもの。
今代――すなわち総也の父、桐崎
この大邸宅もその際に建て替えたもので、息子の彼が生まれる頃には今の大豪邸になっていたようだ。
と、その時、メイドロボ――こちらも件の大企業から購入したものだ――が彼に話しかけてくる。
「お坊ちゃま。ご主人様からビデオ電話です」
「あん? 珍しいな。まぁ当然通話で」
すると、先ほどまでニュースを放送していたテレビが突然切り替わり、ディスプレイには初老の長髪の男性――桐崎 七也の顔が映し出された。
「おはよう。やはり起きていたようだ。用件だけ手短に伝えよう」
薄い笑みを浮かべながら、彼の父は告げる。
「総裁選は必勝だ。無論、選挙の方も問題ない。間もなく私の内閣が誕生する」
「そりゃご苦労なこって。そっちに関しちゃ心配してねーよ」
ぶっきらぼうに答える。彼らの親子関係を暗示しているかのような応対だった。
「で、まさかそんなことを伝えるためにわざわざ電話をよこしてきたんじゃないんだろう? 用件は? 仕事か?」
「いや、違う。なに、私からのちょっとしたサプライズプレゼントさ。今日、お前のクラスに転入生が来るぞ。誰が来るかはひみつにしといてやるがな」
「はぁ……? それがどうした? どうしてあんたがそんなことを?」
「くくく……顔を見れば大体の事情は理解できるだろうよ。それじゃ、私は忙しいのでな」
というところで、通話は一方的に切られた。
いつも何かと忙しい身だ。
その程度のことを言うためにわざわざ電話まで寄越してきたというのに一抹の嫌な予感を覚えないでもないが、そんなこと今気にしたところで詮なきことだろう。
――と、その時、脱衣場の方から悲鳴が聞こえてきた。
「カメラーーーーーー!!」
どたばたと脱衣所から足音が近づいてくる。
パジャマ姿の義妹は顔を真っ赤に怒らせて、手に小型カメラ――彼が脱衣所に仕込んでおいたものだ――を持ってきた。
「兄さんのバカ! ヘンタイ! 死ねばいいのに!」
そして、愛しの義妹はカメラを義兄の顔面に投げつけてくる。
彼はそれを難なくキャッチして。
「おお、回収ありがとう。さて、何か撮れたかなー?」
「何も映ってないわよ! メモリぶっ壊しておいたから!!」
ぷんすこと怒りながら、玲奈が脱衣所へと踵を返す。
「そうカッカすんなって。俺様が愛する妹の訓練のために用意してやったちょっとした試練じゃないか」
「誰もそんなの頼んでないわよ! 油断してるとすぐこういうことやるんだから……。マジほんと死ね。死んじゃえ」
総也は、ことあるごとにこういう悪戯を義妹に仕掛けている。建前は妹の危険察知能力の訓練のため。もちろん本音はただのセクハラだ。
(この分だと、風呂に仕掛けた方も見つかっちまうな)
彼の予想通り「ふざけんなーーーー!」という悲鳴が風呂場に残響するのは、それから程なくしてのことだった。
********************
朝の筋トレを終え、風呂を浴び、未だにぷんすこしている義妹と一緒に総也は黒塗りのリムジンに乗る。
ちなみに隣には座ってくれなかった。
お兄ちゃんは非常に悲しい。よよよ。
リムジンは自動運転で、彼らを目的地の学園に連れていく。
国立月野学園。
総也が通う――そして、新しく玲奈が通うことになった学園だ。
普通に受験する分には非常に高難易度なこの学園に、彼らは特待生入学した。
彼も成績は非常に優秀だが、特待生入学ができなければもしかしたら入学試験に落ちていたかもしれない超難関校だ。
そこに、彼らは特待生という形で無試験入学した。
親のコネというものは得てして力を示すものだなぁと思わないでもない。
普通に受験をしていたら、義妹は確実に落ちていただろう。
校門前にリムジンを止めて、学園に入る。
今日の予定は入学式と始業式。その後にクラスでの交流会だ。
そして、配属されたクラスを確認し、その名簿の中にあった名前を見て、総也は天を仰ぎ見た。
朝、父親が言っていたことの意味を完全に理解したのだった。
「あんた……いや、あの人の差し金か……?」
顔面を手で覆いながら、彼は教室に入る。
新しいクラスの面々は、転校生の話題で持ちきりになっていた。
なにせ、名字が特徴的すぎる。
すぐに、転校生の彼女がどんな身分の御人なのかは知れ渡ったのだろう。
「あ、おはよー、総ちゃん! 今年度もよろしくね!」
満面の笑みで総也を迎えたのは、桐崎邸のすぐ近くに住む幼馴染の
茶髪に染めたボブカットが今日も眩しい。
琥珀色の瞳はニッコリと笑っていて。
「しかも席隣だよ! 運いいね!」
「あ、ああ。そうだな。今年もよろしく、花梨」
無邪気に笑うその笑みに、しかし彼は笑顔を返せない。
不自然に空いている隣の席。
そして反対側には幼馴染という構図。
何者かの作為が感じられてならなかったのだ。
恐らくは彼の父親か、それに近しい人物による――。
そして、その答えは程なくして証明されることとなる。
予鈴が鳴り、本鈴も鳴り、担任の先生が教室に入る。
そして、教室の入り口のドアの窓からは、その金色の影がチラリと見え隠れしていた。
「あー、クラスの諸君。今年度、2年1組の担任を務める
「はい」
凛とした声がドアの向こう側から聞こえてくる。
「おおおー」と沸き立つクラスの一同。
なにせ、飛び切りの――しかも金髪碧眼の美少女だ。
男子はもちろん、女子でさえもその美貌には目を奪われたことだろう。
そして、ただ一人机に突っ伏して頭を抱えるのはもちろん桐崎 総也その人であった。
「あれ? あの子って確か……」
左隣で、花梨が驚きの声を漏らす。
無理もない。
幼馴染という都合上、花梨にも彼女のことは話していたのだから。
高田先生が、ホワイトボードに「来音 真理亜」という名前を縦書きにする。
(ちなみに、電子ホワイトボードなので、先生は手元のタブレットに文字を書き込んだだけだ)
「来音さん、自己紹介をしてください」
自然、教師までもが敬語となってしまう。
恐らく、彼女が誰かを既に知っているがため、無意識に下手に出てしまったのだろう。
「
薄い笑顔を浮かべて自己紹介。
そして、ペコリと、日本人と変わらない所作で上品にお辞儀をする。
クラスが沸き立つ。
対して、総也は顔を手で覆ったままだ。
チラッと、真理亜の視線がこちらに向く。
そして、その視線は彼の左隣に向き、一瞬だけ表情を変えた。
「……そして、桐崎 総也くんのフィアンセを務めさせていただいております。日本語で言うと婚約者ですね。良しなに」
クラスが一瞬で静まり返る。
彼は天井を仰ぎ見た。
恐らくは、今の一瞬のやり取りで彼女は状況を察したのだろう。
嫌な予感がしてならなかった。
「「「えええ~~~~~~~~!?」」」
直後、クラス中から悲鳴が上がる。
彼らの視線は壇上の金髪の美少女と、後ろの席に座る総也に交互に向けられた。
教師ですらも目を丸くしている。
無理もない。
こんな大胆な告白が為されることなど、予想できようはずもなかった。
真理亜はしずしずと、上品に総也の右隣の席へと向かい、腰をかけた。
ふわりと長い金髪が空を舞い、心地よいシャンプーの香りが総也の鼻に届く。
が、そんな香りさえも彼の沈んだ気持ちを明るくさせることはなかった。
彼はすでに、この後の阿鼻叫喚へと意識が向かっていた。
「お久しぶりですね。総也くん」
優しい笑みをこちらに向ける真理亜。
それに対し、ぎこちない笑みを返しながら――。
「ああ、久しぶりだな。転入早々にやらかしてくれやがって……」
苦々しく、返事をする。
瞬間、真理亜が纏う空気が氷のようなそれへと変化した。
「そうはいいましても……」
肩越しに、彼女は酷薄な視線を花梨に向ける。
その鋭い視線には何の感情も宿っていないかのようで。
「誰にも、渡しませんから」
小さいが冷たいその声は、総也の耳にしか届かなかった。
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