成就
当初の目的地だったラブホテルが近づくに連れて本当にこのまま向かって良いものなのか疑問が沸いてくる。元々鈴に手を出すのは避けていたわけだし。やっぱり本当の愛を求めるならもっと時間をかけて精神的な繋がりを大切にするべきなんじゃないだろうか。俺はまだ自分を完全には納得させられていない。
「今までの彼氏は優しくなかった?」
気を紛らわすようにそんな質問をぶつけてみる。自分より下を見て安心したいのかもしれない。鈴がおもむろに口を開く。右手で左の手首を掴んでいた。
「そうですね。本人たちは優しいつもりだったのかもしれないですけど」
「ありがた迷惑ってやつ?」
「そうかもしれません。私が面倒な性格なのも良くないんですけどね」
善人のつもりでいる者のありがた迷惑な振る舞いはよくある話だと思う。菜桜を亡くした頃の俺の周りにもそういう人たちがたくさんいた。彼らは俺を元気づけようとする優しい人間の気分でいるが、実際には落ち込んだ俺を前向きに作り直したという手柄が欲しいに過ぎなかった。やたらアドバイスをしたがってお前のためを思ってみたいなことを言い出す奴は多いが、他人の人格をリフォームすること、あるいはリフォームした気分になることは快感をもたらす。鈴はそういう人間を引き寄せてしまうのだろう。鈴を精神的にも肉体的にも自己満足の道具にしようとする人たち。
「俺も自信が無いんだよな」
鈴が俺を見上げ小首を傾げた。
「こうやって鈴ちゃんと一緒にいて、今までの彼氏と同じにならないっていう自信が無いんだよ」
吐露した不安が夜の街に溶けていく。あの、と小さな声が聞こえた。本当に聞こえたのかも疑わしくなるくらいか細い声だった。
「これからも一緒にいてくれるんですか?」
「それもわからないけど」
「えっと……私は梅比良さんが一緒にいてくれたらそれだけで嬉しいです。今日だけでも……だから、このまま連れてってください」
鈴の瞳は怯えていた。掴みかけた俺の存在が離れていくことに、だと思う。
「いいの?鈴ちゃんが憧れてた兄妹みたいにいられなくなるよ」
「私には梅比良さんに必要としてもらえることへの憧れの方が大切なんです」
たぶん鈴の恐怖は俺が感じているそれより深かった。だから俺は踏み出す努力をしなければならない。鈴を犯して性欲を満たした以外の結果が得られないことへの恐れを振り切らなければならない。鈴が感じられる必要とされていることの確証が肉体的なものだけならそれを与えなければならない。愛は心の繋がりが大事なんだよなんて綺麗事で説得しようとするのはきっと、鈴を再構築してやろうとする人たちとそう変わらない。結局は俺も身体で愛することしか知らないだけなのかもしれないけど。
ホテルの一室で椅子に座ってラッキーストライクをくわえる。火をつけて煙を吸い込み、鈴からの視線に今気づいたと言わんばかりに微笑み返す。
「幻滅した?」
鈴が慌てた表情で首と両手を振って必死に否定した。
「そんなことないです。煙草吸うのは知らなかったからびっくりしましたけど」
自分で吐き出した煙に視線を向ける。
「でも本当は嫌でしょ。妹のためとか言って好青年ぶってるのに煙草をやめられないプロ野球選手」
「嫌じゃないです。煙草はただの嗜好品だし妹さんのことと何も関係ないですよ」
「そうかな」
「そうですよ。煙草吸ってる梅比良さんもかっこいいし」
いやいや。かっこいいとか。思わず吹き出しそうになって煙が変なところに入ってしまう。げほげほうえっ。
「だ、大丈夫ですか」
「平気。かっこいいなんて言うから」
「変ですか?」
「変じゃないし嬉しいけど。でも煙草吸ってたら誰でもかっこいいわけじゃないじゃん」
「それはそうですよ。梅比良さんだからかっこいいんです。すごく似合ってますし」
「似合う?」
「似合います」
俺は煙草と鈴を交互に見つめた。鈴も俺を見つめ、それからハッとして口元を手のひらで覆った。
「すみません。煙草のことで褒められても嬉しくなかったですか?」
穏やかにかぶりを振って否定する。
「そんなことないよ。鈴ちゃんにそう言ってもらえて気が楽になった」
自分で吐き出した白煙をぼんやり見上げる。煙はなぜだか視線を引きつける。線香とか。
「プロ野球選手もイメージ勝負みたいなところあるじゃん。アイドルみたいな。俺には妹の病気を知ってもらうっていう目標があるし、そのためにも健気な好青年みたいなキャラでいきたいとは思ってるんだよ。だから人前では吸わないようにしてるんだけどね」
鈴を見つめて笑いかける。
「も、もちろん誰にも言わないですよ」
「知ってる。知ってて鈴ちゃんに甘えてんだね」
俺は肺の奥まで煙で満たし、それを吐き出して自虐的に笑う。
「憧れてた自分はこんなんじゃなかったのに」
いくら未来に憧れてもそれを掴めるとは限らない。そのチャンスすら訪れないこともある。俺は掴める人間のはずだから現状が虚しい。鈴に甘えて期待通りに励ましてもらっている自分が情けない。
「梅比良さんは憧れに近づいてますよ。プロ野球選手になって、そのおかげで私は妹さんの病気を知れました。これからもっとたくさんの人にも知ってもらえます。そしたらたくさんの人を救えます。梅比良さんはすごいです。だから少しくらい自分に負けたり誰かに甘えたりしてもいいじゃないですか」
弱った心に鈴の言葉が染みていく。俺は唇を噛んで鼻から息を抜けさせた。そうやって自分の世界を飲み込もうとする波に耐えている。耐えなければならなかった。耐えるだけの能力もあった。長男だから。なんつって。
「鈴ちゃんはこんな俺でも応援してくれる?」
「しますよ」
「俺を応援することが少しでも鈴ちゃんのためになってる?」
「なってます」
我ながらやることが卑怯だった。こんな風に訊けば答えなんか決まってる。でも手段を問わずに決まりきった答えが欲しかった。鈴に証言してほしかった。だから俺は満足する。煙草を灰皿にぐしゅっと押し付けて鈴においでと言って呼び寄せてぎゅうぅと抱きしめる。柔らかい。いい匂い。暖かい。俺がずっと求めていたものが腕の中にあった。それは愛だった。どの女を抱いても感じられなかったものだった。菜桜を失って欠落した幸せな感覚。鈴は菜桜じゃないし菜桜にはなれないけどそれでも良かった。俺は鈴への確かな愛を感じていた。
「ひとつお願いしてもいい?」
「はい」
「四季って呼んで」
「……四季さん」
さんはいらないけどね。でもそんなことは些細な問題でしかないから鈴を見て頷く。鈴が顔を赤くしてキスを求めてきて今したらヤニ臭いよと止めるけど、気にしないと言ってきたのでキスをする。舌も入れる。鈴をベッドに連れ込み服を脱がす。彼女の腕にいくつも切り傷が刻まれていた。それを見て鈴の表情を窺うが触れてほしくなさそうなので何も言わず彼女と交わる。首筋や脇腹や乳房を触ると可愛らしい反応が返ってくる。鈴に自分のものを突き立てて深くまで潜り込む。俺はたまらない心地良さを得る。肉体が快感を貪る。何より重要なこととして精神がそれ以上に満たされていく。
俺は赤ん坊のようにやっと見つけた愛の甘さを味わい尽くそうとして、一度だけじゃなく何度も何度も何度も鈴と交わった。肉体の壁を超えてひとつになっていく感覚を初めて知る。自分を制御できなくなった俺を鈴が嬉しそうに受け入れてくれていた。
その日、寮に帰った俺は3年目で初めて門限破りの罰金を支払うことになった。加えて反省文の提出と一週間のトイレ掃除。そのペナルティをこなす俺は頭の中でずっと鈴と過ごした濃密な夜のことを考えていた。
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