鈴
電話口の向こうの鈴は俺が応答したとわかるやいなや母親が迎えに来た時の幼稚園児みたいな勢いで一気にまくし立てた。言葉の速射砲。ズガガガガガガガガガ。
「もしもし四季?今日の試合見てたよ。ピンチで出てきてもいつも通りのピッチングですっごくかっこよかった。やっぱり四季はすごいなって思った。それでね、四季に会いたくなったの。すごく寂しい。ねえ四季、今日は会える?」
会いたくありません。俺はそう言いたくなるのをどうにか堪えた。
「行かなかったら死ぬとか言い出すんだろ」
「四季が無理って言うなら頑張って我慢する。でももしかしたら耐えられないかも。そうなったらやっちゃうと思う」
鈴の口調はとても今年で25歳になる女性のそれとは思えなかった。彼女はどこかで成長を止めてしまっている。人が時の流れと共に成長できるという考え方自体が幻想なのかもしれないが。
「はいはい。ちゃんと行くから少し遅くなっても我慢しろよ」
今日も俺は死という脅しに負けてそう言ってしまう。こんなの勝ちを目指すだけ不毛だ。
「ありがとう。四季、待ってるから」
「へい」
「四季、好きだよ」
「あっそ。俺は好きじゃないよ。もう恋人でもないしそこは勘違いするなよ」
しばらくの沈黙があって、それからかすれそうな声でうんと言うのが聞こえた。他に話すこともないので電話を切る。スマホの液晶に表示されるものがロック画面に変わって幼い兄妹の写真が映し出された。俺はそれを一瞥してからポルシェを発進させる。
鈴は俺が高校を卒業してプロ入りしたばかりの頃からのファンで、かつては恋人だったこともある。今は違う。でもこうして彼女の方から連絡があれば律儀に会いにいく。そうしないとたぶん死なれるからだ。実際に俺が知る範囲では二度の自殺未遂があった。仮に会わなかったことで死なれても責任は無いと思っているが、少なからず罪悪感を覚えてしまうだろう。メンタルの管理も大切なプロ野球選手としてそれは避けたかった。だから死なれないために会って一発やってさっさと帰る。俺と鈴の関係はそういうものだった。
しばらく運転して俺が暮らすマンションがある浦安に辿り着く。鈴もこの浦安で暮らしていて、確か病院かどこかで事務仕事をしているはずだった。詳しいことは知らない。俺は彼女のことをよく知らなくて、休日にどんなことをしているかとかそういう知識も持ち合わせていない。以前やっていた資格の勉強は今も続けているのだろうか。俺が投げた試合のことはよく覚えているのでトゥンヌスの試合は観ているみたいだが、引っ越してきてからはあまり球場に行かなくなったらしい。知っているのはそのくらい。後は知らないし興味も関心も無い。
目的のアパートに到着して鈴の部屋へ向かう。このアパートは暗証番号式の電子ロックを採用しているが、俺はその番号を知らされているのでインターホンも鳴らさず部屋の扉を開ける。玄関に足を踏み入れるとラグビーのタックルみたいな勢いで突っ込んできた鈴に抱きつかれた。痛い。
「四季、会いたかった」
「わかったから中に入らせて」
鈴が過ごす洋室には俺が着用するユニフォームのレプリカや新人時代の俺が書いたサイン色紙や大きく“梅比良四季”とプリントされたタオルが飾られている。あとトゥンヌスのオフィシャルカレンダー。まだ5月なのに7月までめくられているのは俺の写真が使われているかららしい。こうして他人の部屋が自分の存在で満たされていると気持ち悪くなってくる。これでも前よりは少なくさせたんだけど。
部屋にふたつある座椅子のひとつに腰を下ろし、懐からラッキーストライクの箱を取り出す。その中の一本をくわえてライターで火をつける。本来ならこのアパートは禁煙らしいがこの部屋で吸っても怒られるのは鈴だ。その本人が許可しているので遠慮しないことにしている。
「えっと、明後日から仙台で試合だよね」
「ああ」
「四季の地元だね。頑張ってね」
「言われなくても頑張るけど」
「うん。そうだよね。えへへ」
何が面白いんだよ。鈴はこうやってよくわからないタイミングで笑うことがある。というかいつも散々な扱いをして他の女とも寝ている俺に笑顔を向けてくること自体がよくわからない。もっとまともな男と付き合えばいいのに。
煙草を吸い終えると鈴が俺の身体を触り始めるのでしばらく好きにさせてやる。こうしている時の鈴は幼く見えるが整った顔立ちをしているのもあって可愛らしく見える。それに無駄に付き合いが長いので俺の嫌がることとそうでないことを他の女以上に理解している。だから俺も少しずつ気分が盛り上がってきて寝かせた鈴に野性を曝け出す。鈴の柔らかい身体をさすって揉んで吸って、激しく腰を振ってベッドを軋ませる。脳が快感で潤っていく。愛は無いけど気持ちいい。気持ちいいけど愛は無い。
終わった後でラッキーストライクを吸っていると鈴がじっと見つめてきて、俺は何見てんだよと時代遅れのヤンキーみたいなことを言ってしまう。すると鈴は遠慮がちな口調で今度のオフに映画を観に行きたいと誘ってきた。そういうのは他の男と行けよ。そうだよね、ごめんなさい。鈴はしおらしく言って表情を曇らせた。俺と鈴は恋人じゃない。肉体関係があるだけのプロ野球選手とそのファンだ。俺は何度でもその事実をわからせなきゃいけない。
部屋を出る前にじゃあなとだけ言う。鈴は微笑んでバイバイと返した。次に呼び出されるのを想像するともう気分が重くなる。アパートの外に移動して月夜の空気を思いきり吸い込む。普通がいい。誰とでもいいから普通の恋愛関係を築きたい。心からそう思う。
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