第350話 幻のブース

 現在時刻は午前9時58分。

 一般入場開始まで残り2分。俺は自身の頬をパンっと叩き、気合を入れてブースに立つ。


 サークル三石家の販売物である同人ゲーム【アームズフロントライン】(販売価格3000円)と、真下姉妹の新曲CD2枚、成瀬さんの新曲CD2枚(各1000円)を並べる。

 本当はゲームはもっと安くしたかったのだが、推しゲームコンテスト出場作品は、販売価格が決められているので値下げはできないのだ。


「さて、これが最終決戦だな」


 開場まで残り1分。興奮と緊張感が入り混じりながら、時がすぎるのを待つ。


『コミックコミケット三日目開場です』


 アナウンスと同時に、遠くからウォーっという声と地鳴りのような足音が響く。

 さぁ戦争の始まりだ。


 ズドドドと地響きをたて、ほんの数分で会場は参加者でいっぱいになっていた。

 見渡す限り人、人、人。ビッグサイトを埋め尽くすオタクたちの熱気が凄い。

 最もホットな夏を過ごせる場所、それがコミケ。


 俺達はヴァーミットブースの端っこで、最初のお客さんを待つ。

 待つと言ってもさすがは企業ブース、参加者が物凄い勢いで駆け抜けてくる。

 鬼気迫る表情でスプリントしてくる姿は正直言って怖い。

 それは隣に並ぶ雷火ちゃんと成瀬さんも、同じことを思ったようで苦笑いしていた。


「す、すごいスピードですね……」

「オタクやってないで、アメフトとかやったらいいんじゃねぇか?」


 確かに華麗なデビルバットダイブを決められそうな勢いだ。

 先頭を走る眼鏡集団はキラッとレンズを光らせ、力強く1000円札を掲げながら駆け込んでくる。

 一番最初にタッチダウンを決めたお客が、販売ブースで声を上げる。


「ファイファイ一つ!!」


 ファイファイとはブレイクタイム工房の新作、ファイナルファイティングなんとかっていうゲームの略称らしい。

 ヴァーミットブースでブレイクタイム工房の新作が発売されると摩周兄のLIVE配信で告知されており、ファンが押し寄せたのだった。


「ファイファイ一つ!」

「こっちも!」


 次から次へと客が現れ、コンパニオンさんがお金を受け取り商品を手渡していく。


「なんで企業ブースなのに、ブレイクタイム工房の新作ばっかり売れていくんだ?」


 普通企業ブースって、もっとグッズを買い求める人が多そうなものなのだが。


「ヴァーミットが企業として売り出してるのはキャラモノのハンカチとタオル、ボールペンにスマホケースくらいですから」


 雷火ちゃんが、ヴァーミットブースで販売しているスマホケースを俺に見せてくれる。

 手渡されたケースには、背面にヴァーミットGAMEとカッコよくロゴが書かれていた。


「なんかこう……ちょっと勘違いしてるロゴだな」

「ですよね、プロゲーミングチームが使いそうなギラギラ感が……」


 もっとこう、あるだろう自社のゲームのイラストとか……。


「他にはなにかある?」

「えっと、ベーゴマブレードがあります。ぶつかるとバラバラになるやつです」

「ヴァーミット、ブームに乗り遅れすぎてない?」

「あとハンドスピナーもありますよ」

「久しぶりに聞いたなハンドスピナー」


 ヴァーミットの商品センスの無さに顔をひきつらせている間も、ブレイクタイム工房の新作は凄い勢いで売れていく。


「あぁ忙しいわー、マジつれーわー」


 摩周兄がまだお客さんが一人もこない水咲側をチラチラ見て、勝ち誇った笑みを浮かべる。


「もうほぼ勝負決まっちまったなミッチー。オレ様が勝ったら合コンって約束忘れんなよ」


 そんな約束した覚えないが?


「というかダーリン客足悪すぎるっしょ、みーんなヴァーミットいっちゃうじゃん」


 綺羅星の言う通り、冗談抜きで人が来ない。未だ水咲の客は0である。

 閑古鳥状態のブースを見て、月は腕組みして唸る。


「おかしいわね、いくらなんでも人が来なさすぎよ。あれだけ広告うったんだから、100人くらい並んでもおかしくないはずなのに」

「やっぱ俺たちが無名サークルだからかな」


 始まる前に雷火ちゃんと売上予想してたけど、本当に売上0ってこともあるかもしれないぞ。


「違うわ、これはサークル三石家が無名だからって話じゃないの。宣伝ってのは必ずこれだけお金をかけると、これだけお客が来るってデータがあるのよ。それにゲームを目当てにするお客だけじゃなく、水咲で販売するグッズ、真下姉妹のニューシングルなんて売れないわけがないの」

「確かに……。真下姉妹のCDが売れないのはおかしい」


 水咲スタッフ全員で首を傾げていると、目の前に二人組の少女がきて「水咲ブースってどこにありますか?」と聞いてきた。


「もしかして、お客さん俺達と一緒で水咲ブースないぞってなってるんじゃ……」


 二人組の少女に水咲の物販はここでやっていると伝えると、少女達はキャラクターグッズを購入して去って行った。


「なぁ月、ヴァーミットブースで水咲の物販やってるって告知してあるのか?」


 月の方を見ると、彼女は引きつった顔でスマホを取り出し、アプリを立ち上げる。そこにはコミケ会場の地図が表示されていた。


「……ない。水咲ブースが」


 どうやら急遽ヴァーミットと合同でやることになったから、水咲ブースが消えたままで地図に反映されていないらしい。

 そりゃ誰もこないわけだ。

 月は血相をかえて、どこかに連絡する。


「わたしよ、コミケの地図から水咲ブースが消えてるの! すぐに修正して! ……できない!? じゃあ拡声器でもなんでも用意してブースの場所を告知して!」


 通話を終え月は即座にツイッターで告知を出すが、このバタバタしている中でどれほどの人が見てくれるか。


「あたしのミスだわ。地図から水咲が消されて、参加者がブースの場所がわからなくなってたのよ」


 合併直後だし、ヴァーミットと一緒になったって知らない人も多いもんな。

 月はごめんと深く頭を下げる。


「いや、ドタバタしてただろうからね、漏れることもあるだろう」


 場所を知らせる為に元水咲のスタッフたちが、拡声器をもって会場を歩き回る。その中には鎌田さんや一ノ瀬さんも混じっていた。


「鎌田さん、主任に昇進したのに下っ端みたいなことやらされてるな……」


 でも本人楽しそうだから、下っ端仕事が体に染みついているのだろう。


『水咲アミューズメントおよび、サークル三石家の物販はヴァーミットブース内で行っております。商品をお求めの方は、ヴァーミットブース右側販売席までお買い求めください!』


 拡声器の声を聞いた瞬間、参加者の一群が急遽方向をかえて押し寄せてきた。

 全員ここにあったのかと言いたげな表情で、人気がないから客が来ないというわけではなかったようだ。


「すみませんTシャツ4枚下さい!」

「CDください!」

「ゲーム下さい!」


 一瞬でヴァーミットの行列と同等の列がもう一列出来上がる。


「うぉ、一気に忙しくなった! 火恋先輩、綺羅星、列整理行ってきて!」

「わかった!」

「りょ!」


 次から次に飛んでくる注文を後ろにいる梱包班に伝え、お金を受け取ってから商品をお客さんに手渡ししていく。


「タオルにお風呂ポスター、新曲CD!」

「ゲームとタペストリー、クッション、スマホケース!」

「はい、ありがとうございます!」


 自身の制作したゲームが売れて、自然と顔がほころぶ。

 やばい、今かなり気持ち悪い人みたいになってる。


「ダーリン顔クソキモイ、ウケる」


 キャッキャッと嬉しそうな綺羅星だが、ちょっと傷つく。


 急激に回り始めた水咲ブースの様子を見て、摩周兄はぐぬぬぬの表情をしている。


 ここから絶対に巻き返してやるからな。

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