オタオタ F

第339話 コミケ開幕

 東京有明で夏冬、年二回開催されるビッグイベント、それがコミックコミケット。

 その歴史は古く、一番最初に開催されたのは今から約50年も前に遡る。

 当初は小さな同人即売会だったものが年々規模を増し、昨年の来場者総数は75万人を突破した。

 三日間かけて行われるこのイベントは、今や素人だけでなく商業漫画家、ゲーム企業、玩具メーカー、レコード会社と様々なプロが参入し、この大イベントを更に盛り上げている。


 同人誌だけではなく、ゲーム、音楽、コスプレ、小説、グッズ、フィギュア、ガレキ、フォト、カオスとも思えるほどのジャンルが乱立し、中にはこんなん誰が喜ぶんだ? と言いたくなるものまであり、己が欲望性癖をこの祭典にぶつけに来ている。


 ――今年も熱い夏が始まる。今ここにコミックコミケット第1日目が始まろうとしているのだった。



「人、人、人、人いすぎなんですけどぉ!」


 見渡す限り人だらけの会場前で、軽く発狂する雷火ちゃん。

 始発ダッシュを初めて経験した、雷火ちゃん、綺羅星、成瀬さんは既に疲れた表情をしている。


「後から来るって言ってたママさんが賢かったかも~、化粧溶ける~」


 会場前列で日焼けクリームを塗りたくる綺羅星の言うように、三石家姉組は1stDAYは午後からの参加予定。

 静&真凛亞さんは二日目の出版社ブースでサイン本を出す予定なので、今日は様子見。

 真下姉妹も、二日目に水咲レコードの企業ブースでラジオをする予定らしく、今日は打ち合わせがあるとか。

 コミケは日にちによって開催されるジャンル、ブースが異なっており、参加者の目的によって気合を入れる日が違うのである。


「ウチの天姉と、火恋さんはなんで来なかったんすか?」

「いや、来てるよ。彼女たちは水咲の企業コスプレイヤーとして参加するから、一般で並ばなくていいんだよ」

「はぁ!? あーしらも企業勢っしょ!?」

「俺たちはゲーム販売がある最終日だけ並ばずに入れるよ」

「えっ、じゃあ明日も?」

「この列に並ぶ」

「終わってる、オタクマジで終わってる」


 ちなみに月と玲愛さんは、何故か急激に忙しくなったらしく、コミケが始まる数日前から姿を見なくなった。3日のうちどこかで顔を出すと言っていたので、さほど心配はしていないが何かあったのだろうか?


 テンション下がり気味の綺羅星に比べ、雷火ちゃんの方は目をキラキラと輝かせている。


「これがあの幻の有明ビッグサイトなんですね!」

「そうだよ、全国どころか最近は海外からも人がやってくるオタクの祭典」

「あぁ、こんなにも早くコミケに参加できるとは思っていませんでした」

「皆でゲーム作ってたじゃないか」


 俺が笑うと、雷火ちゃんは照れたように言葉を繋ぐ。


「いや、なんといいますかゲーム作ってる時は全く実感がなくて、コミケのイメージがわかなかったんですよね」


 確かに気持ちはわかる。出展の方に回ると自分が参加者として楽しむことより、自分の作品の心配ばかりしてそれどころではなくなってしまう気がする。


「販売は最終日、水咲アミューズメントの企業ブースと一緒にやるから、今日明日は楽しめばいいと思う。あっ、ちゃんと回るところとルート調べてきた?」

「はい、基本ですよね。始まったら即ダッシュで企業ブース回って、目当てのものを手に入れます」

「あーし、新しいガンプラほしい」

「ならフィギュア関係のブースだな」


 俺は綺羅星の持つ地図に、進行ルートを記入していく。


「ガンニョムの偽物つかまされないようにね」

「大丈夫、ちゃんとこれはどのガンニョムシリーズの、なんていうMSですか? って聞くことにする」


 ヨドバソの転売屋対策みたいだな。


「成瀬さんはどこ回ります?」

「あたしは知り合い回るのと、ツイッターにアップする用の写真撮影だな。あぁくそ、あっちぃ……」


 成瀬さんはぴっちりとした黒のタンクトップの胸元をパタパタと動かすので、爆乳がたゆんたゆんと揺れて目のやり場に困る。


「保冷剤ありますけど、いります?」

「くれ、ここに挿してくれ」


 成瀬さんは胸元をぐいっと開けてみせると、蒸れた胸の谷間が露出する。俺は谷間に保冷剤を差し込んだ。


「あぁ冷てぇ……心臓冷やすのが一番いいからな」


 かもしれないが、どう見てもパイzこれ以上はやめよう。

 周囲にいたオタクたちも気まずそうに視線をそらしていた。


「皆そんなに目当てのものは多くないし、人気サークルに行くわけでもないから昼までには回れるかな」


 雷火ちゃんだけは回るところが多そうだが、彼女ならうまく立ち回るだろう。予習もしっかりしてきてるみたいだし。


「皆現金持った? 水持った? タオルOK?」

「「「OK」」」

「地図持った? スマホの電池ある?」

「「OK!」」

「よろしい、ならば戦闘開始だ」


 まばゆい太陽がビッグサイトの逆三角形の建物を照らし、灼熱の光が降り注いでいる中アナウンスが始まる。


『これよりコミックコミケット112を開催いたします』


 そのアナウンスを聞いた瞬間、周りにいたオタク達が奇蹟のカーニバル開幕だと言わんばかりに「ウォー!!」と歓声を上げる。

 そして会場が開かれ、正月の福男選びのように物凄い勢いで人間がのりこめーっとなだれ込んでいく。


『押さないで、走らないで、コミケでエロ本買いにきて死んだら、ご家族が居た堪れない気持ちになりますよ!』と、ちょっとしたギャグのある会場アナウンスが響くが、濁流のようなオタクの波は止まらない。


 俺たちの列は最前列からかなり遠いので、開場しても動き出すまでまだ少し時間があった。


「皆、買い物が終わったらコスプレエリアで待って。人波に逆行しちゃダメだよ。波にのまれたら、もうそのまま波が途切れるまで流されて。階段は一番危険だから必ず手すりをもって、よろけそうになっても前の人や後ろの人掴んじゃダメだよ」


 俺は注意点を早口で皆に伝える。

 まぁ綺羅星と成瀬さんの身体能力なら怪我することもないと思うが、雷火ちゃんだけは少し不安だった。


「わたしが怪我するかもって思ってますね、意外と素早いんですよ」


 シュッシュとシャドーボクシングする世界一可愛い雷火ちゃん。

 頭を撫でてあげよう。


「あ、ありがとうございます」


 そんな光景を周囲からイチャついてると思われたのか、オタクたちの視線が厳しくなった。


(彼女連れでコミケ来てんじゃねぇよ……すぞ)

(お前の彼女はどれなんだよ……)

(ここは戦場ぞ)

(オタクに優しいギャル彼女ほしぃ)


 などなど、怨嗟のこもった視線だ。


「うっう~」


 なかなか前が進まないなと思っていると、急に後ろからおっさんのうめき声が聞こえてくる。

 振り返ると、俺たちから4、5人くらい後ろにいるマスクドヒーロー1号のコスプレをした男性が苦しそうに腹をおさえていた。


「おい、あれは大丈夫なのか?」


 成瀬さんの問に首をふる。


「いや、大丈夫ではないでしょう。ただの腹痛だと思いますけど、この長蛇の列に入ってしまったら進むことも戻ることも出来ませんからね」


 ただひたすら痛みに耐え続けるしかないのだ。

 先頭が走り始めているので、もう少し辛抱すればトイレに行ける。ただしトイレに行くには、一緒に走って会場内に入るしかない。

 さもなくば後続にボコボコ当たられて、大参事になることは必至だろう。

 そんなことを思っているうちに、俺たちの前が走り始めた。


「行くよ!」

「「「おー!」」」


 俺達がダッシュを始めて数秒後、うしろから後続組の悲鳴が上がった。どうやらあのマスクドヒーロー1号は、トイレまでもたなかったようだ。

 またコミケの歴史に、新たな一ページが刻まれてしまったようだね。

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