第340話 高度な情報戦()

 俺たち参加者は突撃ー! っとコミケ会場内に入ると、目的のブースへと向かって走る。


「悠介さん、わたしこっちなので!」

「あーしこっちー」


 雷火ちゃんは岐阜県アベンジャーズのグッズを買いに秀英社ブースへ、綺羅星は予定通りフィギュア、ガレキブースへと走る。

 俺はお目当てであるサザンカちゃんグッズを買うため、アニプレのブースへ全力で走る。


「ここから先は戦場だ、オオカミ達の狩場、子羊ちゃんは帰りな」


 俺の隣を並走していた、推定40代くらいの中年太り男性が突如呟きだす。

 アニメの絵が描かれた痛法被を着た男性は、こちらを見てニヤリと笑みを浮かべて見せた。

 なんだこの人? と思ったが、今は変人に構ってられるほど暇ではない。


「オレが新兵にコミケの恐ろしさを教えてやる」


 法被おじさんは、黄色いメガホンを取り出すと、前方と後方に向かって叫ぶ。


「サザンカ完売!! サザンカ完売!!」


 なっ!? この男まさか!?

 ”完売”に惑わされたオタクが、まさか……と思い一瞬足が鈍る。コミケ常連ほど、サザンカちゃんグッズ目当てのモノが買えなかった時の、別ルートを考えているだろう。

 俺ももしサザンカグッズが買えなかったら、即座に第2優先Bルートへシフトしている。

 

「サザンカ完売! 正午より再販!」


 明らかに数人のオタクの足が遅くなった。

 間違いない、この男高度な情報戦を仕掛けている!


 いや、普通で考えたら開場直後に売り切れはおかしいのだが。


「マジかよ、サザンカちゃん完売かよ早すぎだろ!?」


 後ろの方から聞いたことある嘆き声が聞こえてきた気がする。名を相野なんとかって言う……。あの男、コミケに来てたのか。


「教えてくれた人ありがとうな! 俺は別ブースへ行くぜ!」


 まんまと騙された相野は、サザンカダッシュ組から外れて第2優先へと向かう。

 俺は慌てて後ろに向かって「騙されてるぞ!」と叫ぶも、もういなくなってしまったようだ。


「あのバカ、高度な情報戦()にまんまとハマりやがって」

「へへへ、オレはなこうやって嘘をばらまいて、他のオタクを撹乱し目当てのものを手に入れてきた。しかし今では妨害するほうが楽しくなってきて、無意味にデマを流している」


 いい歳して最悪だなこのおっさん。段々新人潰しのトソパに見えてきたぞ。

 たどり着いたアニプレのサザンカちゃん列は既に尋常ではない長さに達しており、グッズを購入できるかどうかはかなり怪しいラインだ。


「最速で来たけど、もうこんなに列が出来てる。大丈夫かな」

「ゼェゼェ、やはり毎年ここに来るオオカミは猛者揃いだぜ」


 トソパ(仮名)は、大声でホラ吹きまくっていたのでヒューヒューと息が上がっていた。

 しかも俺の真後ろに並ぶもんだから、息が半端なくうるさい。


「ハァハァハァハァハァハァ」


 熱中症の犬かと言いたくなるくらいの息の乱れっぷりだ。


「うっ……心臓が」


 唐突に胸を押さえて、しゃがみこむトソパ。

 これで死んだらあまりにも因果応報すぎて、ざまぁとしか言えない。


「だ、大丈夫ですか」

「うぐ……苦しい……持病が」


 持病があるならなんでダッシュなんかしたんだ。

 トソパは俺の肩を掴んで立ち上がると、一歩、二歩と前にでた。


「……あの、シレッと順番抜かしするのやめてもらっていいですか?」


 このおっさん具合悪いふりして、俺の順番抜かしやがった。


「少年、ここはオオカミたちの狩場だってことを忘れたか? お前はもうオレに食われたんだよ」

「ってことは持病は」

「ねーよそんなもん。糖尿病以外健康だ」


 それ、わりと重い持病だぞ。

 俺がオジサンともめそうになっていると、前から販売スタッフの声が聞こえてくる。


「サザンカちゃんグッズ、抱き枕カバー残り300です!」


 300か……かなり微妙な数字だ。

 前方に並ぶオタクの人数は丁度300人程。最悪ギリギリで売り切れてしまう。


「ざっと前をカウントしてみたが、丁度オレが300人目だ。悪いな少年、抱きまくらカバーはオレがいただく」

「ちょ! それなら尚更抜かさないで下さいよ!」

「いい顔をしてるぜ少年、ククク」


 なんて性格の悪いやつなんだ。

 トソパはリュックから水の入ったペットボトルを取り出すと、ゴキュゴキュと一気に飲む。


「生き返るぜ……うっ、腹が……」


 トソパはまた膝をついて、演技を行う。

 こいつまた順番抜かししようとしてるな。

 俺は慌てて、トソパの前の人に声をかける。


「その人、体調不良を装って順番抜かししてます。掛け合っちゃダメですよ!」


 俺の言葉で、前の人はトソパを見ても無視することにしていた。


「ちぃ……少年余計なことを」

「卑怯なことするからですよ」


 するとトソパは、更に声を大きくして痛がり始めた。


「ぐおおおお痛い、腹が!!」


 ちょっと心配になる声だが、どうせここで心配したら「騙されたな、ここは狼の狩り場だ」とかわけわかんないこと言って、順番抜かしするのは目に見えている。


「やばい、マジで痛い、ぐぉぉぉぉぉ!」


 おじさんの迫真の演技が続くも、こちらは白けた雰囲気だ。


「腹が……水にあたったか……」


 5分ほど経過したが、このおっさんまだ続けてるぞ。

 仮病だと思っていたが、顔色が青くなっておりこちらに聞こえるくらい腹からギュルルルルルと酷い音がする。

 どうやら仮病をしていたら本当に腹が痛くなってきたらしい。

 おっさんが虚ろな目で立ち上がると、順番抜かしした俺に振り返る。


「あの……少年、トイレ行ってくるんで場所とっておいてもらっていいか?」


 などと厚かましいことを言い始めた。


「やだよ」


 なんで順番抜かしした奴の場所取りしなきゃいけないんだ。


「そこをなんとか……」

「ヤダ」

「このままだと大変なことになるぞ! (ギュルルルルル)」

「漏らす前にトイレ行って下さい」

「この人でなしめ!」


 トソパは逆ギレすると、今度は前の人に同じ様に頼み込む。

 しかし前の人は、俺たちのやりとりを聞いていたようで振り返りすらしなかった。

 捨てられた犬のように、トソパが俺の方見てるんですけど。


「少年……」

「サザンカさんをとるか、人間の尊厳をとるかですよね」


 俺がそう言うと、おじさんも覚悟を決めたのか、尻を突き出しながらもこの場に居座る態勢に入った。


「そこまでしてサザンカちゃんグッズが欲しいんですか?」


 俺は、グッズを意地でも求めるおじさんにちょっと同情しかかってきていた。


「いや、少年に抱きまくらを買わせない為に、オレはここに残る」


 どうやら俺に嫌がらせしたいから、トイレを我慢するようだ。

 俺は心置きなく、このおっさんを見捨てる覚悟ができた。


 15分ほどして、ゆっくりと列が動き始めた。

 その間おじさんは歯を必死に食いしばり、赤くなったり青くなったり「ふぬぅー!」っとやたら高い声を上げたりしている。

 いやほんとにやばいんじゃないかこれ。俺歴史の目撃者になるのヤだよ。

 ちょっとずつ前に進み、ようやく販売ブースが目視できるまでの距離になってきた。

 しかしながらトソパは限界のようで、顔が土色になっていた。


 そしてこの人がごった返す中、不幸はおきた。

 狭い通路で買い物を終えた男性の肩が、限界トソパの体に当たる。

 軽くぶつかる程度の衝撃だったが、おじさんは落雷に打たれたかのように青くなると、急に全てから解放され悟りを開き切った表情になる。


「……ふぅ」


 その瞬間周囲の人間がさっと離れ、おじさんの周りだけ円形の空白ができる。

 なんであそこの列だけ異様にあいてるんだ? と近づいてきた人はすぐに異変を察知して、無言で足早に立ち去っていく。

 尊厳を失ったトソパオジサン笑顔で硬直である。


「戦死しちゃった」


 それだけ言い残して、オジサンはコミケスタッフにどこかに連れて行かれた。いや、多分トイレだろうけど。


「嫌な……事件だったね……」







――――――――――――

今回のトソパは、脚色してますが私がコミケで本当に出会った人がモチーフになっています。

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