第337話 居土(兄)

 仕事を21時過ぎに終え、神崎さんを開発室に残したまま本社ビルを出た。

 俺が御堂さんに連れられてやってきたのは、カウンター式の焼き鳥屋だった。

 ねじり鉢巻きをしたオジサンがパタパタとうちわを振って、鳥と醤油が焦げた香ばしい匂いを店の前に拡散させ、行き交うリーマンの足を止めさせていた。

 店内に入ると、カウンター席に893の若頭みたいな風貌の居土さんが枝豆をかじって待っていた。


「おつかれぃ、すまんな遅くなった」

「うっす」


 御堂さんがでかい手でドンっと背中を叩くと、居土さんは顔をしかめながらも枝豆を食い続けた。


「水咲、忙しいっすか?」

「お前が抜けたせいじゃろうが」


 プライベートでは居土さんは御堂さんに敬語のようだ。

 確か社歴は居土さんのほうが上だが、年齢は御堂さんの方が上なんだよな。

 退社したから、社歴の関係はなくなってしまったんだな。

 御堂さんの陰に隠れていた俺が顔を出すと、居土さんの眉が少しだけ動いた。


「お前もいたのか、ご苦労さん」

「お久しぶりです」


 真ん中に御堂さんを挟んで、俺は左側の席に腰を下ろす。


「生、ジョッキで三つ持ってきてくれ」


 御堂さんが指を三本立てる。


「おいおい、御堂さんコイツはまだ飲めねーぜ?」

「何言っとんじゃい、三杯ともワシが飲むんじゃ。駆けつけ三杯って言うじゃろ」


 御堂さんがあっけらかんと言うと、居土さんは肩をすくめる。


「こりゃ病室に帰るのは早そうっすね」


 次は痛風あたりで病院の世話になりそう。

 言った通り、御堂さんは運ばれてきたビールをあっという間に飲み干すと、焼き鳥の串を3本一気に掴んで一口で食べる。


「このビールの後に、塩分をしこたまぶちこむのがたまらんな。ガハハハハ!」

「アンタほんとに病み上がりかよ。仮病だったんじゃねーの?」


 居土さんが疑惑の視線を向けるが、俺もそんな気がしてきた。

 すると、御堂さんは急にしんみりした表情になり小さく首をふる。


「まぁワシももう長くないからな……。最後に好きなもん飲み食いしてきてもええって、医者からの粋なはからいじゃ」


 えっ、もう長くないって……。まさか


「先の入院で見つかったんじゃ。ワシの体は度重なる重労働で、もう修復不可能なところまできておる。……もう助からんのじゃ」


 そ、そんな。だから無茶して明るくしようと……。


「あぁ気をつけろ悠介、全部嘘だから」

「はっ?」

「医者が最後に飲み食いしていいなんて言うわけないだろ」


 居土さんの忠告に、俺が呆気にとられていると。


「うん、全部嘘じゃ、ガハハハハ、ひっかかったの! これにひっかかったのは麻美以来じゃ」


 なんなんこのオッサン。


「気をつけろ、このおっさんの与太話まともに聞くな。8割創作だからな」


 それもうほぼ嘘では?

 それからしばらく飲み食いタイムが進み、酒の種類がビールから焼酎や日本酒にかわってきた頃に御堂さんがぶっこむ。


「して、居土よ。なして水咲を辞めた? よりにもよってヴァーミットなんて胸糞悪いところに移りよってからに」

「そろそろ移動しようと思ってただけっすよ」

「嘘じゃ、ワシより長く水咲でやってきたお前が、そんな適当な理由で辞めるわけがない。海外スタジオに栄転とかならわかるが、あの守銭奴ヴァーミットじゃ。社長なんか金数えることにしか興味がない、強欲の摩周じゃぞい」

「…………」

「麻美も悲しみのあまり怒り狂っておった。毎日が女の子の日みたいになって、こっちは手を焼いておる」


 今の話を神崎さんの前でして蹴り飛ばされてほしい。

 居土さんは苦笑いしながら、焼酎の入ったグラスを傾ける。


「あいつが怒り狂ってるのはいつものことでしょう。ほんと大した理由じゃないっすよ」

「あーわかったぞ、お前さては麻美を振ったか振られたかしたなー!」


 閃いたとばかりに御堂さんは大声を上げる。


「お前、女で会社辞めるとかワシどうかと思うぞ。ちょっと引く」

「いや、振ってもないし、振られてもないですから」


 的外れの閃きに、居土さんは苦笑いになる。


「そうかぁ、核心をついたと思ったんじゃが。それならやっぱ実家の話か?」


 居土さんのグラスを持つ手が、ピクリと止まる。


「ほんとバカのふりして聞いてくんのやめて下さい」

「お主が辞める理由なんて、それくらいしかないからな。ワシとお前の仲じゃ、話してくれてもええじゃろ」

「悠介もいますし」

「小僧なんか地蔵の置物とでも思っておけ」


 酷い扱いである。

 居土さんは酒の匂いがする息を吐くと、本当の事情を話してくれる。


「ウチの実家でやってる病院がかなり苦しくてね。もう病院を畳むことは決定してるんすけど、でかい借金があるのと、弟の学費くらいは出してやろうと思ってね」


 俺は居土さんの話を聞いて、猛烈に嫌な予感がしていた。

 実家が病院、弟がいる、名字が居土、これもしかして居土先輩の話じゃ。


「あの、居土さん……もしかして弟さんって、俺と同じ学校に通ってませんか?」

「そうだ、お前と伊達の許嫁関係で揉めた奴だ」

「……知ってたんですか?」

「知ったのは水咲辞めてからだがな」


 俺たちが話していると、御堂さんはキョロキョロとこっちを見渡す。


「なんじゃお主ら、裏で繋がっとったんか?」

「つながるとかそんな話じゃないっすよ」

「わかるように説明せんか」

「オレの弟が、こいつと許嫁コンペをやったんですよ。しかも相手は伊達の娘」

「伊達って、あの世界の伊達か?」

「そうっす」


 居土さんは、俺と居土先輩が火恋先輩の許嫁の座を賭けて戦っていたことをかいつまんで話す。


「だけど途中で弟がやらかして、悠介にその座は奪われた。挙句の果てに逆ギレして、許嫁相手に殴りかかって関係を悪化させた」

「なんでそんなことをしおったんじゃ」

「弟は真面目でプライドが高すぎたんだ。適当に遊んでりゃいいのに、親父の言う事ばっか聞いてるから」

「結果的に、俺が選ばれたせいで居土家は苦しくなったんじゃ……」


 俺がそう言うと、居土さんは不快そうに眉を吊り上げる。


「自惚れんな。ウチの病院はもとから経営が悪化していた。伊達家は関係が悪化しても水面下で支援を続けてくれたし、お前は一切関係がない」

「…………」

「それどころか伊達のトップは回収できないとわかってて金回してくれてたから、相当お優しいと思うぜ。まぁ最後は赤(字)から抜け出せなくて沈没したけどな」

「…………」


 居土さんはそう言ってくれるが、やっぱり居土家の崩壊には俺も少し関わっている気がする。


「オレは結局金でヴァーミットに買収された人間だからな、夏コミで遠慮なく叩き潰してくれて構わないぞ」

「そうじゃ、お主のとこの開発はどうなっとるんじゃ? ブレイクタイム工房とかいう同人の監督をやっとるんじゃろ?」

「まぁオレが監修してるんで、世に出しても恥ずかしくないものにはなってますよ。そういや悠介、テメーの作ってるゲームどうなってんだ? 時間もうねぇのに、こんなとこで油売ってていいのか?」


 俺は言われてギクリとしてしまう。


「まぁその……大変でして……」


 俺は居土さんに、開発室がパンデミックな現状を話す。


「ほー奇跡を待つか、妥協するか、開発中止か」


 話を聞いてニヤニヤとする居土さん。


「そんな嬉しそうな顔しないでくださいよ」

「いや、別にお前らの破滅を願ってるわけじゃねぇよ。ゲーム開発でめちゃくちゃ多い悩みだからな」

「もうほとほと困り果てて、次は誰に頭を下げればいいのか……」

「ガッハッハッ苦労しとるな、ワシも若いころ似たような経験いっぱいあったぞ」


 開発主任の二人は、新人プランナーの悩みに対して俺たちもそんな時代あったと昔を懐かしんでるようだ。


「御堂さんが水咲に来てすぐくらいの頃、便所でいきなりリストカットして自殺してる奴とかいましたね」

「おったおった、死んでる場合じゃないだろうと胸に正拳突きして蘇生させた思い出がある」


 壮絶すぎるだろゲーム業界。


「何締切間際にくたばってんだ、くたばるなら締切終わってからにしろって全員に怒られてたの笑いましたわ」

「それどうなったんですか?」

「そいつの手首止血して、そのままゲーム作らされとった」

「つかあの程度で自殺とか、メンタル弱すぎなんだよ」

「全くじゃ、そんなんでいちいち自殺はかっとったら、ワシも居土も麻美もとっくに土の中じゃ」


 もはや社畜を通り越して、激戦をくぐり抜けたサイヤ人を見ている気分になる。段々、ナッパとベジータの会話に見えてきた。


「悠介、アドバイスしてやる。お前に今求められているのは誰かに頭を下げることじゃねぇ。何かを切り捨てるか、誰かに死ねと言うかのどちらかだ」


 そう言って居土さんは、グラスに入った焼酎を一気に飲み干す。


「使えるもんは全部使え、コネは使ったら恥ずかしいなんて考えるな」

「一番恥ずかしいのはゲームが完成しないことじゃからな」

「逆境ってのはわりとチャンスなんだよ、トラブルを解決するために突飛なアイデアが出たりする」


 突飛なアイデア……。


「ガッハッハ、あまり深く考えるな小僧。何事も決めてしまえばなんとかなってしまうもんじゃ。一番よくないのは決断せず、くよくよしていることじゃ」

「時間がないからとか、人がいないからなんて言い訳を盾にするんじゃねぇぞ。テメェが決めてテメェがケツ持つんだ、それがリーダーの務めであって、そのリーダーと共に死ぬのが下っ端部下の役目なんだよ」


 段々任侠ものの話に聞こえてきた。


「トラブっちまったもんはしょうがねぇんだよ。それをどう乗り越えていくかがプランナーとディレクターの務めなんだ」

「お主も、トラブルが起きてリーダーがずっとオロオロしてたら不安じゃろ?」

「……はい」

「トラブルをなんとかしてもらう為に、誰かに頭を下げるのがお前の役目じゃねぇ。トラブルをアイデアで覆せ。妥協しなきゃいけないなら、そのマイナス分を別のプラスで補うんだよ」


 トラブルをアイデアで覆す……。

 俺はガタっと立ち上がる。居土さんの言う通り油売ってる場合じゃねぇ。


「支払はおっさんがするから、テメーはとっとといってこい」

「えっ、支払ワシなの?」

「すみません、失礼します! ありがとうございました!」


 頭の中がクリアになり、自分のやるべきことを見つけた。

 俺は勢いよく焼き鳥屋を飛び出した。

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