第336話 妥協

 ゲームの完成が絶望的になった俺は、水咲本社ビルへと来ていた。

 当たり前だが、ゲームが完成しなければ水咲のデバッグ会社へと仕事を頼めない。

 雷火ちゃんのインフルエンザが治って、バグもすぐに直って納期に間に合うという可能性もあるが、現状手をこまねいて奇跡を待つわけにはいかない。

 今回の作品は水咲の推しサークルで参加することになっている為、ゲームが完成しない=水咲の顔に泥を塗ることになる。



 社長室にて、遊人さんに俺は今の開発状況を話した。

 彼もウチのメンバーが全員インフルエンザで倒れていることは把握しており、簡潔にどうするのかを聞かれた。


 1つはメンバーの回復を待ち、回復したらすぐに開発に戻り納期に間に合わせる。

 2つ目は、バグっているルートを封鎖オミットしたバージョンでゲームをリリースする。

 3つ目は、商品のクオリティを担保出来ないため、今回のコミケ参加は諦める。


 1は起死回生、2は妥協、3は開発中止、このどれかだろう。

 当たり前だが1が一番良いが、現状一番確率の低いこの選択を選ぶ論拠を遊人さんに提示しなければならない。

 俺はリーダーとして決断しなければいけないのに、カカシみたいに突っ立ったまま、どの選択も選ぶことができなかった。

 沈黙する俺に遊人さんは「プロジェクトのリーダーは君だ。君がどういう過程でどういう選択に至ったか、二日以内に僕に報告しにきてくれ」と48時間の猶予を与えてくれた。



 俺は社長室を出て、エレベーターに乗ると1階のボタンも押さずにその場で考え込む。

 コミケに出さなければいけないという性質上、発売延期はできない。かといって雷火ちゃん回復に賭けるのは無茶すぎる。


「妥協……で出すしかない」


 バグは直らないし、納期はずらせない、様々な人に協力してもらって作ったものを開発中止なんてのは論外だ。なら、もう完成しているところまでで出すしかないじゃないか。

 大きなため息をつき、自分の今の状況がグラウンドイーターを開発していた時と酷似していることに気づく。

 第3開発のリーダーだった居土さんも、こんな思いだったのだろうか?


 後二日か……水咲は、今回俺たちの作品を推し出すようにプロモーションしてくれる予定だったから、もしゲームが完成しないなんてことになったらコミケでの予定を全て変更しなければいけなくなるだろう。

 開発が頓挫することで、数百人位の人間に迷惑がかかると思ったら胃痛で吐きそうになってきた。

 大きなプレッシャーが背中に乗り、前傾姿勢でうつろな目をしているとエレベーターの扉が開く。

 すると切りそろえたショートカットに、スーツ姿の女性が目の前に現れた。


「あら、バイト君来てたの?」

「あっ、はい。ここは」


 第一開発室主任の神崎さんだ。ブラックの缶コーヒーを持っていることから、これから休憩かもしれない。

 自分がボタンを押さずエレベーターで考え込んでいたせいで、開発室階に呼ばれてしまったようだ。


「大丈夫、顔色悪いわよ」

「ちょっと今大変で……」

「あぁ鎌田から聞いたわよ。開発室でパンデミック起きちゃったって」

「は、はい」


 俺は一応鎌田さんに連絡して、状況を説明した後、なんとか雷火ちゃんのかわりにバグ取りをしてもらえないだろうかと頼み込んでみたのだ。

 しかしプログラムコードは書いた人じゃないと解読するのに時間がかかる為、仕事と並行しながらやるのは難しいと断られた。


「もうどうにもならなくなってしまって」

「手伝ってあげたいんだけど、ウチも今滅茶苦茶でね」


 確かに開発室前のあわただしさを見ればわかる。いろんな開発室の人たちが混ざりながら作業していて、もうどの開発室だとか関係ないようだ。


「ちょっと前に御堂が退院してきたから、少しは楽になると思うんだけど、あんまり無茶もさせらんないし」

「第二の御堂さん帰ってきたんですか?」


 第二開発室主任の御堂さんは、確か過労でぶっ倒れたと聞いていたが。


「えぇ、ピンピンしてるように見えるけど、多分相当ガタがきてるわね」

「そうですか……」


 助けを求めてやってきたら、相手がもっと重症で助けてと言えない状況だ。

 噂をすれば影と言うやつなのか、丁度御堂さんがトイレから顔を出してきた。

 山男のようにがっちりとした体型で、下あごからもみあげにかけて立派な髭に覆われた顔、イワヤマトンネルあたりでイワークを繰り出してきそうな風貌をしている。


「おぉおぉ、麻美。お前儂がおらん間に小僧とデキとったんか?」


 ぐっと親指を人差し指と凸指の間に入れる、最低なジェスチャーをする御堂さん。


「入院長くて脳みそ腐ったんじゃないの? セクハラで訴えて勝つわよ」

「ガッハッハッハ、セクハラでクビなんて儂らしくていいじゃろう!」


 豪快に笑う御堂さんに頭を抱える神崎さん。


「この男に頼らなきゃいけないなんて、死にたくなるわ」


 心中お察しします。


「アンタ今日はもう帰りなさいよ。退院してすぐ病院に送り返されたら意味ないわよ」

「儂の部下にも同じこと言われたわい。全くブラックなんだか優しいのか判断に困る会社じゃ」

「何言ってんの、回復させてコキ使うんだからブラックに決まってるでしょ」


 生かさず殺さずってやつですね、わかります。

 御堂さんは豪快にワハハハと笑うと、湿気た顔をしている俺に気づく。


「どうしたんじゃ小僧?」

「彼、納期直前に開発室でパンデミック起きちゃって、ゲームが完成しないみたい」

「ふむ、まぁよくある話じゃな……」


 御堂さんは俺の背中をパーンと叩くと、また豪快に笑う。


「小僧、暇なら開発を手伝え」

「えっ、でも俺やらないといけないことが……」


 家に関しては伊達のケアマネージャーさんと、水咲メイド隊が来てくれているので、看護の心配はないが。

 48時間以内に、ゲームの方をどうするか決めないといけないし……。


「そのやらなきゃならんことは、くよくよ悩んで解決することか?」

「…………」

「ちょっと、この子初プロジェクトリーダーなんだから、そんなきついこと言っちゃダメよ」

「なぁ小僧、作業があるなら今すぐ帰ってやれ。そうじゃないなら、もう一度現場を見るといい」

「…………わかりました」


 遊人さんが俺に時間を与えたのは、恐らく心に整理をつけさせる為。

 それなら何をしていても一緒だろう。


「そりゃ良かった。終わったらワシが飲みに連れて行ってやろう」

「俺未成年ですけど」

「細かいこと言うな。居土も呼んどるからな」

「「えっ?」」


 神崎さんと俺、両方で驚きの声が上がった。


「儂が入院してる間にシレっといなくなりおって、話つけんといかんと思っておったんじゃ。小僧にとって、居土は今敵の親玉じゃったな?」

「は、はい」


 俺の恩師でもある居土さんは、今摩周兄弟の運営するブレイクタイム工房というサークルの監督を行っている。

 俺も水咲のライバル企業ヴァーミットゲームに移籍した居土さんに、聞きたいことが山ほどあった。


「ちょっと、わたしもそれ行くわよ」

「神崎さ~ん、またバグでました~」


 奥の方から一之瀬さんの情けないヘルプコールが響き、神崎さんはキーッとなりながら開発室にダッシュしていった。第1開発も、まだ人材育ってないな。


 それから俺は御堂さんと共に久しぶりの開発現場で働き、水咲が想像以上にきつい状態であることを把握する。

 しかし「人がいない」「仕事量が多すぎる」「定時って何?」など、絶対誰もが思っていることを口にしている人はおらず、皆各々が自分のやるべきことを全うしている。


「現場で戦ってる人見ると、やっぱり勇気がでるな」


 どこの世界も立派に働いてる人って格好いい。それが自分の目指している世界の人達ならなおさらだ。

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