第328話 契約書

 喫茶店内で、二人のおじさんのスカウトは続く。

 弐式に圧をかけるおじさんの話を、後ろの席で俺が聞くというよくわからない状況。


「君は今まで一式君の後追いを続けていた。君が今のまま水咲にいたら、その状態はかわらないと思うよ」

「せやで、まさか人気声優真下一式が姉妹二人でやってたなんて、おっちゃん知らんかったわ。おまけに顔も声もそっくりなんてびっくり仰天やな!」


 ガッハッハッハッと大笑いのウシガエルみたいなおっさん。

 話を聞く限り、この関西弁の方がヴァーミットの社長で、もう一人の筋肉質な方が、弐式のボイストレーナーのようだ。


「でも、今まで水咲にお世話になってきましたし……専属契約を結んでますから」

「何を言うとるんやお嬢ちゃん。水咲は今まで君のことを影武者扱いしてた悪徳企業やで。この前リリースしたガンニョムEXEの新曲、君らには一銭も入ってきとらんやろ?」

「それは……確かにそうですけど、キャラソンは印税入らないですし」

「そうやって泣き寝入りしたらあかんて。水咲っちゅー会社は若い子を扱き使って、報酬は全部自分の懐に入れとる。ほんまに金に汚いブラック会社やで」

「…………」

「お嬢ちゃんがヴァーミットゲーム声優事業部でデビューを了承してくれるんやったら、ワシんとこはちゃんと印税払うし、ロイヤリティも積むで。普通どんだけ売れてもアーティストには決められた分しか入らんのがほとんどやけど、ウチは売れたら売れた分クリエーターに還元するからな」

「それだけ社長に、才能を買ってもらってることを自覚するといい弐式君」


 聞けば聞くほどうまい話なのだが、この二人からは詐欺師特有のきな臭い匂いしかしない。


 よく収入面で、なんでこんなに売れてるのにクリエータ―にはお金が入らないんだ、事務所ネコババすんなと言われることも多い。

 しかし昔静さんに聞いたが、コミックス一巻あたり作者への印税収入が5~7%くらいでかなり少ない。残りの95%、製作費と人件費以外で何に使ってんだよって思うが、決して出版社はネコババしているわけではない。

 そのお金を使ってアニメコンテンツやグッズを制作したり、新刊を発売したけど、全く売れなくて在庫抱えちゃったって時でも補填してくれる。

 

 そうやって儲けた資金で新たなコンテンツを作り出すから、回り回ってまた自分に仕事がやってくるって言っていた。


「でも、その……移籍後のデビューネームが真下一式になってるんですけど……」

「お嬢ちゃん、今まで光の部分をお姉ちゃんにとられてたんやろ? それやったら今度は君が、お姉ちゃんの名前奪って表舞台に出たらええ。君が本物の真下一式になったったらええねん」


 ほーソロデビューで、給料倍ブッシュの上、真下一式乗っ取り計画ですか。

 確かに急に真下一式が二人世に出てきたら、どっちが本物かわからないだろう。


 ただ、そんなことしたらもう終わりだろうな。

 水咲からの契約解除は免れないし、真下一式を乗っ取ったらどっちかが消滅するまで殴り合うことになる。

 そして消滅する可能性が高いのは……。


「お前の姉ちゃん、多分お前に一式の名前くれるぞ」


 一式の性格からして、彼女は身を引き弐式が本物の一式になるだろう。

 それは本当にお前が望んだ未来か?


「弐式、それは悪手じゃぞ」


 俺はコーヒーを一口飲むと、苦さに顔をしかめた。

 水咲を裏切ってヴァーミットに行ったら、もうヴァーミット以外と仕事ができなくなる。

 今水咲を出ていくというのは、育て親に泥水をかけていくのと同じで、恐らく二度と水咲に関係のある仕事に携われなくなる。


 もしかしたらあのウシガエルみたいなおっさん、それをわかっていて、弐式を孤立させようとしてんじゃないか?


 しかしながらどっちにしても俺には関係のない話だった。

 結局は人の人生なので、辞めたい人間に部外者がとやかく口を出しても無駄だ。

 なにより俺は弐号機に嫌われているので、アドバイスなんて言ったところで聞いてもらえるわけがない。


「なぁお嬢ちゃん、この話ももう三回目や。そろそろオジサンええ返事がほしいんや。つか君があかんかったら、別の子にこの話を持ち掛けんとあかんねん」

「弐式君、ステップアップだ。このチャンス他人に渡しちゃいけない。世界に羽ばたいちゃいなよ!」


 大人二人に圧されて、弐式はペンを握り契約書にサインを始める。

 それは夢を掴むために移籍するって感じではなく、詐欺師に根負けし、解放される為にペンをとったって感じだ。


「いやー、よぉ決断してくれた。ほんじゃま、ここにポチっと判子押してな。なかったら拇印でもええで、ボインボインってな、お嬢ちゃんのボインで頼むで!」


 うははははっと下衆な下ネタで大笑いするおっさん。

 弐式は震える手つきで印鑑をとりだし、ゆっくりと紙に押印し……。


「なっ」

「やめとけ、姉ちゃん悲しむぞ」


 俺は弐式の手首を掴んでいた。


「何を……してますの?」

「そんな顔面蒼白でハンコなんか押すんじゃねぇ。大人の契約書ってのは、思ってるよりも怖いもんなんだぞ」


 突然の乱入者に、おっさん二人は驚く。


「な、なにしとんねん、このガキ。邪魔すんな!」

「弐式君、彼は誰だね?」

「奉公先の……主人ですわ」

「どうも、ウチの狂犬チワワがお世話になっています。こいつは水咲やめませんので、どうかお引取りください」


 俺が勝手に返事をすると、弐式は「はっ?」と怖い顔をする。


「何を勝手なことを言ってるんですの!? 何の権利があって、わたくしの人生に介入してくるのです!」

「権利はある。お前は今のところウチのメイドだからな。メイドが、勝手に悪い大人と契約しようとしてたら止めるだろ」

「兄ちゃん、黙って聞いてたら好き放題やな。ワシはええ話があるって言ってるだけで……」

「ちゃんとした話なら、こそこそ水咲から隠れるようにしなくていいでしょ。話聞いてたけど、ヴァーミットに声優事業部なんかないはずだ」

「あ、あるっちゅーねん。何言うとんねん」

「確かにヴァーミット韓国支部にアイドル部門みたいなのを持ってるけど、でかい赤字を出して4年以上活動を休止している」

「んぐ」


 俺は契約書にさっと目を通す。


「この契約後の活動拠点……韓国、中国、フィリピン、ベトナムとなってて日本がないように見えますけど」

「に、日本なんて当たり前すぎて書いてへんだけや」

「弐式、ここで契約したら、多分お前一式の偽物役でアジア諸国に飛ばされるぞ」

「なっ!?」


 海外だったら言語が通じない分バレにくいからな。

 そしてバレたら弐式に責任を押し付けて尻尾切りする。

 世論は当然、真下一式のふりをしていた弐式にバッシングが集中するだろう。

 事務所がこの名前でデビューしろって言ったんです、って言っても誰も聞いちゃくれない。


「普通いい話をしてるんだったら、一式を乗っ取れなんて言わないんだよ。才能があるって思ってんなら、弐式の名前で勝負させるのが筋だろ」


 一式の名声を利用しようとする詐欺師がよ。

 ヴァーミットの社長は不快げに立ち上がる。


「せっかくワシが売れるようにお膳立てしてやってるというのに! 後悔してもしらんぞ!」

「しゃ、社長!」


 捨て台詞を吐いて出ていくヴァーミット社長と腰巾着の男。


「図星つかれて怒ってやんの」


 弐式の方は、危うくアジアデビューしかけて呆然としていた。


「帰るぞ」

「……なぜ、止めたの?」

「ハンコ押そうとしたとき、お前が一式に電話かけまくってたのを思い出した。多分姉ちゃんに止めてほしかったんだろうなと思った」

「…………」

「あと……おっさん二人がかりで、お前いじめてるみたいで、なんか嫌だった」

「…………」









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