第327話 チワワ
俺が目を覚ました時刻は午後2時過ぎだった。
本当なら絶望するような寝坊だが、多分寝落ちしたのが午前10時くらいなのであんまり寝た感はない。
座って寝ていたせいか、腰と背中が痛い。ゆっくりと伸びをしつつ欠伸を一つ。
寝ぼけ眼をこすりながらベッドを見やると、そこにはもう一式の姿はなく綺麗にベッドは整えられていた。
自分の部屋に戻ったのかな? と思いつつPCデスクを見ると、サンドイッチが作り置きされていた。
『昨夜は一晩中不慣れな自分をご指導いただき、ありがとうございました♡ 一式』
とメモ書きが置かれており、ハートが意味深な感じになっている。
食欲に任せて卵サンドを頬張ると、パンも卵もまだ暖かく作りたてのようだ。
「悠介さーん起きてますー? Unityの本とか持ってません? あとネットワーク言語系なんてあったりしたら最高なんですけど」
大福を抱っこしながら部屋に顔を出す雷火ちゃん。
ダボタボのロンT姿で、黄色い下着が薄っすらと透けている。
部屋着なのは全然いいのだが、いささか無防備すぎでは?
「えーあったかな、unityはあった気がするけどネットワークはなかったと思うな」
「普通ないですよねー」
「買ってこようか?」
「起きたばかりで申し訳ないのでいいですよ」
「いや、目覚ましがてらに行ってくるよ。指定とかあれば聞くよ」
「そうですか?」
俺は雷火ちゃんから、参考資料のメモを受け取る。
こういうごつい資料って、電子書籍になってないのが多いんだよな。
「そういや一式知らない?」
「さっき出ていきましたよ? なんか慌ててたみたいでしたけど」
「そうなの?」
急用でも入ったのかな。
「すみません、お願いします」
「あいよー」
雷火ちゃんはUnityの本を受け取ると、シャっと廊下に引っ込んだ。
俺は首をコキコキ鳴らしながら出かける準備をする。
「一式にメールだけしとくか」
『本屋に買い物行ってくる。1、2時間で帰る』と文を作って送信すると、何故かベッドから着信音が。
まさかと思い整えられた布団を漁ると、白いスマホが転がり落ちた。
「一式、スマホ持たずに外出たのか」
画面をタッチすると、着信履歴に俺のメールと弐式からのメールが入っているのがわかった。
彼女のスマホをデスクに置こうとすると、丁度のタイミングで着信音が鳴る。
しばらく鳴り続けるので放置していたのだが、一向になりやむ気配がない。着信主はセカンドとなっている。
「鬼のように鳴り続けるな……」
よっぽど何か伝えたいことがあるのか、切れたと思ったらまたすぐに着信音が鳴り響く。留守電に繋がった瞬間、すぐに切ってまた繋ぎ直しているようだ。
ここで俺が「一式だよ、きゃぴるーん☆」って通話に出たら、顔面に空中飛び膝蹴り喰らうんだろうな。
いつまで鳴るんだ? とスマホを眺めていると、弐式からの着信は10回を越えようとしていた。
「しょうがない」
ケガしたとか緊急だとまずいので電話に出ることにした。
「もしもし」
『もしもし、ってなんであなたが電話に出るのです』
どうやら声だけで俺と理解したらしい。
「いや、一式スマホ忘れて外出してるんだ。何か緊急の事件だとまずいと思って」
『そう……じゃあいいですわ』
「何かあったのか? めちゃくちゃ鳴らしてたけど」
『あなたには関係ありませんわ。なんにでも首突っ込もうとするのやめてくださる?』
「これでも御主人として心配してるんだ」
『あなたを主人と思ったことは一度もありませんわ』
「知ってる」
『イラつきますわね』
「お前ほんとに大丈夫か? 困ってるなら話聞こか?」
『身内ヅラするな。死ね』
シンプルな悪口と共にブツッと切れてしまった。
「嫌われてんな俺」
電話越しからでも凸指を立てているのがわかる。
わりと毎回ボコボコに言われるが、実は弐式構うの好きだったりする。
まぁこの様子なら別に事故にあったというわけでもないだろう、さっさと買い物に行こう。
◇
駅前本屋での買い物が終わりチャリに乗ると、ゲームショップが目に入る。
「うわぁ
買って積んでもいいけど、気になって集中力が落ちると困る。作業をする上で一番良いのは、誘惑するものを手の届く範囲に置かないことである。
「開発が終わったらやろう。開発が終わったらやろう」
そう自分に言い聞かせつつ、後ろ髪引かれる思いでゲームショップ前を通り抜ける。
こうやって時間がなくて欲しい物を我慢しているうちに、オタクを卒業するんじゃないかと若干不安になってきた。
誘惑を振り切ってチャリをこぐと
「…………」
さて問題です。今喫茶店に入ったのは一式と弐式どっちでしょうか?
答えはストッキングが黒いので弐式。ちなみに一式は白。
「打ち合わせでもしてんのか?」
それにしては、何か雰囲気が重々しい。パワーストーンや変な壺買わされかけてるのか? いやそんな連中、弐号機なら蹴り飛ばすだろう。
内容が気になるところだが、俺嫌われてるしな。
さっきも首突っ込むなって言われたとこだし、邪魔して飛び膝蹴りなんかされたら嫌だ。
よし、帰ろう。帰って開発進めよ。
◆
「悠坊、何コソコソしてんだい?」
「シーッ」
「客として来たなら何か頼みな」
「じゃあコーヒー」
「単価が一番安いコーヒーね」
俺を安客と判断した婆ちゃんは、さっさと厨房へと入っていく。
おかしい、帰ると言ったはずなのに、何故か喫茶店に入って弐式の真後ろの席に座ってしまった。
これでは聞き耳を立てているようにしか見えないが、猛烈に眠気が襲ってきてカフェインをいれなければいけなくなったのだ。
ここでコーヒーを飲んでいなければ、チャリの居眠り運転で事故っていた可能性すらある。
くだらない言い訳はやめよう、さっきスマホがリンリン鳴ってた件と繋がってんじゃないかと思って一応確認しにきたのだ。
後ろをチラ見すると、体重100キロ以上ありそうな中年男性と、胸板の厚い体育会系の男性が並んで座り、対面に弐式が座っている。
「これは君にとってもチャンスなんだよ弐式君」
「せやで、またとないチャンスや。人間好機は逃したらあかんで」
「ですが……」
オジサン二人の声に、珍しく歯切れの悪い弐式。
「お嬢ちゃん、この業界で生き残っていきたいんやったらもっと前でんとあかんで」
「君はスキルもあるし、独立するというのは悪い話じゃないと思うよ。一式君が一人でやるというのなら、君も一人でやっていかないと」
あー、なんとなくこの少ないやりとりで何やってるか見えた。
このウシガエルみたいなおっさんと体育会系オジサンが、弐式に水咲から離れてウチからデビューしないかって話持ちかけてるんだろ。
一応水咲に所属している弐式からすると引き抜きってことになると思うのだが、実力のある人間がヘッドハンティングされるのは珍しい話でもない。
「こりゃ弐号機本人の問題だな」
彼女がどこに移籍するかなんて、彼女の自由だ。
聞き耳を立てたことを若干後悔。
コーヒー一杯飲んで帰るか。
そう思ったが、弐号機があまりにも肩を小さくして、怯えたチワワみたいになっている。
「…………」
俺の頭に、真下パパの言葉が浮かび上がる。
弐式の方が臆病で気弱と。
「もしかしてあいつ、俺以外の前だとチワワなのか?」
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