第326話 匂い
弐式とのすれ違いが多くなってから約一週間。
シナリオは終盤、プログラムはADVパートはほぼ完成、SLGパートのアルファ版が出来上がってきたところ。
グラフィックは丁度5割くらいで、音楽の進捗だけが3割と、ここだけ遅延が大きい。
他と比べて開始が遅かったことと、一式がPC操作不慣れなことが原因で、想像以上に時間がかかっている。
また成瀬さんもオープニングテーマ作りが難航しており、順調な部門とそうでないところの差が大きくなりつつあった。
俺の役割はチェックと雑用がほとんどなので、現状は遅れているサウンド部門につきっきりになっている。
「やっと一曲できましたね」
「あぁ、BGM日常……完成……かな」
目の下にクマを作った俺と一式は、PC上に浮かぶ五線とオタマジャクシを眺めながら、感慨深い気持ちになっていた。
「めっちゃ疲れた……」
「疲れましたね……」
朝の5時にようやく完成した、BGM「日常」
なんの変哲もない日常会話に使われるものなので、再生時間は約二分程度しかない。それを二人がかりで5日もかかってしまった。
「一回通しで再生してみよう」
「はい」
出来上がった音楽ファイルを再生すると、ところどころ音が外れている気がする。
わかってるなら直せよと言われるだろうが、名画を修正して無茶苦茶になった事件があったのと同じく、一部分を直せばそれで全てうまくいくというわけではないのだ。
俺の脳内にはBGM日常が永久ループしており、この曲がかかるとストレスで体が緊張するようになってきた。
「一応聞けるよな……?」
「はい、完成と言っていいと思います」
「一式、このペースだとノルマこなすのに1年かかるぞ」
「はい、残りBGM15曲、挿入歌1曲、エンディング曲1曲です」
「一生かかる! 無理だ!」
残りの作業を確認して、椅子から転げ落ちそうになった。
ちなみに女子の部屋で永久に作業するのも悪いので、今現在俺の部屋で作業を行っている。
「二人で音楽制作本を開きながら、あぁでもないこうでもないと言いながら作り上げるのはわりと楽しかったけど、このペースでは全く間に合わないな」
「はい、自分がポンコツで申し訳有りません」
「いや、慣れない作業をお願いした俺が悪い」
今からでも成瀬さんに作業を戻すか? と思ったが、あっちも順調じゃないからな。
オープニング曲を制作するというプレッシャーで、かなり負荷がかかっている。
これもう外注に頼むしか無いな。
でも、せっかくここまで皆で作ってるんだから、全部俺たちメンバーで作り上げたいって気持ちは大きい。
寝不足で精も根も尽き、二人でがっくりとうなだれていると、弐式が部屋に顔を出す。
「貴方たち、まだやってますの? 昨日も徹夜してませんでした?」
「やってますとも、可哀想と思うなら弐号機も手伝ってもいいよ」
「全然思わないので、お断りしますわ」
予想通りの回答に少し笑ってしまう。
「何笑ってますの?」
「徹夜明けでナチュラルハイになってるんだ」
「というかファースト、男性の部屋に一晩中いるって、あなたの倫理観どうなってますの?」
「三石様は主人ですから、男性とはまた違います」
あぁ俺って、やっぱ
「そうだセカンド、これ聞いてみて下さい。今出来上がったばかりなんですけど……」
そう言って、一式は完成したばかりのBGM日常をかける。
弐式はしばらく渋い顔をしながら聞いた後、
「不快な音ですわね。音程とリズムが交互に狂ってて、耳に水飴突っ込まれて、棒でグチュグチュにかき混ぜられてる気分ですわ」
独特な表現で俺たちをこき下ろした。
プライドの高いプロからすると、聞いてるだけで不愉快になってくるんだろうな。
「ファーストを使ってこのデキとは、センスがないにも程がありますわ」
「お前さ」
「なんです? 本当のことを言われて腹が立ちました?」
「ほんと姉ちゃん好きだよな。毎日朝方様子見に来るし」
弐式はカッと顔を赤くする。
「そ、そんなんじゃありませんから! 精々勝手にやりなさい!」
清々しいほどの捨て台詞を吐いて、弐号機は部屋を出ていく。
「にゃろめー」
「すみません御主人様、セカンドも悪意はないんです。口が悪いだけで……」
「わかってるんだ。今のはうまく音楽作れない自分への苛立ち。逆にあれぐらいエグッてくれる方がユーザー目線で良い」
それにあれだけ酷評されたら、逆に燃え上がるってもんだろ?
そう言うと、一式はちょっと引いた目で俺を見やる。
「あの、御主人様って、もしかして打たれる方が好みとかありますか?」
「どうだろ、ゲーム制作に関しては
「困ります。性癖が被ってしまっています……」
「えっ?」
もうちょっと頑張るかと思い、俺は一旦コーヒーを取りに行ってから部屋へと戻った。
時刻は朝6時前、小鳥がチュンチュン鳴いてる。こっちの方がよっぽどBGM日常にふさわしいと思う。
空もだいぶ白くなってきて、オタマジャクシと向かい合うには集中力が足りない。
摂取したカフェインも大して役に立たず、瞼が下がってくる。
「ちょっと仮眠をとろう」
そう思い、ナマケモノのような遅さでベッドに向かうと、既にそこにはこてんと倒れた一式の姿があった。
今しがたまで話していたが、どうやら彼女も限界だったらしい。
「女の子が朝まで作業ってのはしんどいよな……」
フリルのついたニーソックスと、少し上がったスカートの裾にドキッとしながら俺は一式に毛布をかける。
「もうちょい頑張るか」
俺は寝ることを諦め、もう一度ヘッドフォンを被って楽譜に向かい合う。
◇
「んっ……」
一式が目を覚ましたのは昼前だった。スマホの時刻を見て慌てて上体を起こすと、いつもと見える景色が違う。
「ここ、御主人様の部屋……」
主人の姿を探すと、あれからも制作を続けていたようで、ヘッドフォンをつけたままデスクで腕組みしながら寝ている。
世を徹して力尽きている姿は、水咲で体験したデスマーチ中の開発室で見た光景と同じだ。
一式は自分にかけられている毛布に気づき、主人の気遣いに頬が紅潮していく。
「セカンド、自分はとってもいい主人に会えたと思うよ」
彼女はそのままベッドに頭をつけて、スーッと息を吸い込む。
「はぁ……いい匂い」
実際は洗剤の匂いしかしないのだが、想い人のベッドというだけで気持ちが昂ぶってくる。
うつ伏せのまま深呼吸を続けること10回。一式の脳内に大量のドーパミンと
頭の中に花畑が広がり、脳が溶けかけのゼリーみたいになっていると――
「一式ちゃ~ん」
いきなり静から声をかけられ、ベッドを飛び起きる。
そこにはいつも通り、優しげな表情を浮かべる三石静が立っていた。
「な、なんでございましょう!?」
「何をしているのかしら?」
「え、えっと、その……ゲーム開発を一緒に」
「ベッドに顔をつけて深呼吸するのが?」
「いや、その……これは」
「もしかして一式ちゃん……」
「は、はい……」
この感情がバレてしまったのではないかと緊張で固まる一式。
「……お洗濯の時期を調べてたのかしら?」
「…………そ、そうです。そうなんです!」
さすがおっとりた静。バレたのではないとわかって安堵する。
「なーんだ、そうなの。てっきり悠君のことが好きで、匂いを嗅いで興奮してたのかと思ったわ」
「イエ違イマス(棒読み)」
ばっちりバレていた。
「あの、静様どうかなされたのでしょうか?」
「そうだった、ウチのお婆ちゃんがね、喫茶店の方に一式ちゃんの妹が来てるって言ってたの。スーツ姿のおじさんと一緒だったって言ってるんだけど、何か聞いてるかしら?」
「いえ……自分は何も」
「そう? ちょっと雰囲気が重々しかったらしいから、一式ちゃんに聞いたら何かわかるかなって思ったんだけど」
一式は嫌な予感に胸がざわつく。
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