第325話 イヤホン
一式がメンバーに正式加入して数日。
俺はスプレッドシートに表示された、作業遅延の項目を見て唸っていた。
横棒のグラフで表示されたサウンド項目は真っ赤に染まっていて、作業が進んでいないことを示している。
その項目の担当者は真下一式になっており、彼女に割り振った作業が一つも上がってきていない。
「一式、手こずってるんだろうな……」
音を作るのは弐式の仕事で、彼女は作詞がメインでわりとIT音痴って言ってたし。
心配して地下の一式の部屋に入ると、ミジンコでもできる
彼女が険しい表情でカチカチとマウスをクリックすると、スピーカーから『ボヨヨ~ン』と間抜けな音が鳴る。
勿論そんな面白い
しばらく見ていると、段々一式の頭や耳から煙が出てきてこれはダメだなと判断した。
「……一式」
「ひゃうっ!?」
声をかけると驚いて椅子から転げ落ち、M字開脚する一式。
俺は自分の顔を手のひらで覆いつつ、指の隙間から白のストッキングの先にあるレースのパンツをガン見する。
「も、申し訳有りません。粗末なものを」
「いえ、結構なものを」
赤面してスカートの裾をなおす一式。
「どう調子は?」
「あはは……無理です(∩´∀`)∩」
一式は乾いた笑いのあとに、お手上げ状態ですと苦笑いする。
「弐式が大体PCで音作ってくるって聞いてるけど、いつもどうやって音楽作ってるの?」
「自分が収録スタジオで、実際に楽器を演奏して録音したものをセカンドに渡すとできます」
「こんな感じでって目の前で演奏したら、ちゃんとした音楽ファイルにしてくれるってこと?」
「はい、翌日には」
何それ耳コピってやつですか? 天才怖い。
「譜面とか作らないの?」
「自分いつもノリで作ってまして……」
こっちも天才だからな。
一式が
ほんとこの子ら、うまく自分のできない分野を補い合ってるんだな。
「音楽制作でわからないところがあるなら、成瀬さんに聞いてみたらどうかな?」
「成瀬様は、多分今就寝中ですので……」
そうかあのダメ人間、今夜行性の周期なんだな。
「やっぱり弐式に協力してもらうのが一番いいかな」
「だ、大丈夫です! 自分やれます!」
「でも、遅延がなぁ」
「何曲かできてますし、一回聞いてみて下さい!」
一式はスピーカーにイヤホンを挿し、片方を俺に手渡す。
これ一式が耳に入れてたやつか……。
耳に入れてたやつか……。
PONY製のホワイトのイヤホンを持って、つい二回同じことを考えてしまった。
別に深い意味はまったくないんだけど、耳の中って粘膜なんだよな。
つまり同じイヤホンを使うってことは、粘膜接触とほぼ同義ってことで。
「あっ、すみません自分の使ってたイヤホン嫌ですよね? ヘッドフォンが今壊れてて……」
「いや、全然大丈夫(早口)」
俺は意を決して、一式のイヤホンを自分の耳に押し入れる。
するとメイド姿の少女は小さく微笑む。
「どうしたの?」
「なんというか、一つのイヤホンを二人で使うってカップルっぽいなと思って。今、”繋がってますね”」
清涼感あふれるピュアな一式に対して、粘膜接触と同義なんだよな(ゲス顔)とか思った自分を殺したくなった。
「では、依頼されたBGM”日常”を流します」
一式がPCを操作して音楽を流すと
『__キィィィィ(甲高いヴァイオリンの音)■■~◆▲~~シャンシャンシャン(激しいトライアングルの音)ドォンドォン(荒々しいシンバルの音)♬』
「一式止めよう」
「は、はい」
「一式、わりと包み隠さず言うとだね、かなり不快な音が流れてきている。これを日常というタイトルで流したら暴動が起きるレベルだ」
「はぅ……ですよね。他のも聞きますか?」
「いや、結構だ。多分大体これとおんなじ感じなんだろ?」
「……はい」
やっぱり、イラストレーターさんでも紙に描くと信じられないくらい上手いけど、PCで描かせてみるとツールを全然使いこなせなくてダメになっちゃうって人もいるもんな。
一式は多分それの酷い版だろう。
どうしたもんかなと考えていると、弐式がノックと共に部屋の扉を開ける。
「ファースト、出かけてきますわ」
「は、はい、行ってらっしゃい」
それだけ言い残し、俺のことを見ようともせず弐式は去っていった。
「セカンドまた出かけるんだ……」
「どこに行くんだろね」
「多分、ボイトレです。トレーナーの方についてもらって」
「なるほど。プロだし専属のトレーナーもいるよね」
一式はとても心配そうな表情を浮かべる。
「心配?」
「はい……セカンド、荒れてますから」
◆
弐式は下積みの頃から通っているボイトレ教室へと入り、一人で広々とした部屋を使わせてもらう。
1時間ほどかけてストレッチや腹筋などの筋トレを終え、体が温まってきた頃、横流しの前髪に、胸筋のある男性トレーナーが教室に入ってくる。
一見すると高校の体育教師にも見えるガタイの良い彼こそが、弐式のトレーニングを担当した
「弐式君、久しぶりだね」
「すみません、最近は家で自主練ばっかりしていまして」
「いやいや、君にあえて嬉しいよ……どうかしたのかな? かなり不機嫌そうだけど」
「いえ……問題ありません」
「じゃあ早速始めようか」
「はい」
否定する弐式だったが、大越とレッスンしていてもその不調さは隠せなかった。
「…………弐式君、一旦やめよう。今の君は精彩を欠いている」
「すみません」
「悩み事かい?」
「先生に話せないか?」
「………」
「……話せないのなら仕方ないけど、君とは付き合いも長い、何か力になれると思うんだが」
弐式は教室の壁を背にしゃがみこむと、ポツポツと自身の現状を語ることにした。
「……そうか、一式君が」
「わたくしはファーストの影、二人で一人の存在……今更それをやめろと言われてもどうしたらいいかわかりませんわ」
「一式君と分裂することを、水咲社長はどう言われてるんだい?」
「君たちがそれでいいならと……」
「そうか……。弐式君は、このまま水咲に残るのかい?」
「それもわかりませんわ……。今のわたくしは完全に目標を見失っています」
今まで主体的に動いてきたのは姉の一式で、弐式は守護霊のようにサポートをしてきた。
それを急に今日から一人でやっていきなさいと言われ、本当に体が分裂したような気分を味わっていた。
「一式君と少し距離を置いたほうがいいのかもしれないね」
「そう……ですね」
「もし今後に迷っているんだったら、僕が先生を紹介してあげよう」
「先生の先生ですか?」
「あぁ、摩周代表という方なんだけど、先生なら君のことを引き取ってくれるかも知れない」
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