第321話 おとうたま

 真下浩三さんと二人きりの談話室に、ピリっとした空気が流れる。

 父親からすると、娘がメイドとして仕えている相手なんて、見ているだけで気分が悪いだろう。

 それが同年代の男と来たらなおさらだ。

 俺が逆の立場なら「貴様が娘にメイドプレイを強いている男か! 許さんぞ!」と激怒していてもおかしくない。


「あ、あの真下さん、今日は穏便なお話ですか?」

「なんだね、私が君のことをぶん殴りにきたのかと思ったのかね?」

「いや、まぁその……」


 俺が口ごもると、浩三さんは口を大きくあけて笑う。


「ははは、そんなことするわけないだろう」

「よ、良かった」

「君が伊達、水咲から懇意にされているとわかっているからね。私も彼らを敵に回したくない」


 伊達、水咲がついてなかったら、ぶん殴られていた可能性があるってこと?


「別に文句を言いに来たわけじゃない。私は娘の様子が気になってるだけだよ」

「娘さんとあまり交流はないんですか?」

「恥ずかしい話だが、もう何年も会っていないな。娘を預けてる水咲さんからは、写真や給料明細などは送られてくるのだが、二人が今何をやっているかよくわかってなくてね」

「まぁそうですよね」


 50過ぎたオジサンに、アフレコだのライブの仕事だの言われてもさっぱりだろう。


「弐式は特に人見知りだから、ちゃんとやれてるか心配なんだ」


 お父さんからの意外な評価。どちらかと言うと心配になりそうなのは一式なのだが、弐式の方が気になるらしい。


「弐式さんはわりと快活な方だと思いますが」

「いやいや、引っ込み思案な子だよ」


 そんなバカな、俺の知ってる引っ込み思案は、スピニングバードキックなんか習得していない。


「弐式はお姉ちゃん子でね、ずっと一式の背中を追いかけて歩いていた。弐式が中学になる前くらいかな、一式は抜けてるところがあるからカポエラを学びたいと言い出したのは」

「カポエラ? 数ある護身術の中でカポエラ?」

「やりたいって言うからね。他にもジークンドーやテコンドーなんかもやってたかな」

「あぁ、蹴り技が強い格闘技ばかり……」


 なんでそこで許可を出してしまったのか。そのせいでサワムラーキックの鬼みたいになってしまっている。

 浩三さんと話していると、グラスと缶コーヒーを持ったオヤジが帰ってきた。

 オヤジは自分と浩三さんのブランデーをグラスに入れると、俺には缶コーヒーを手渡す。


「冷蔵庫に入っていたものだが、お前はそれでいいだろ」

「あぁ、ありがとオヤジ」

「話の腰を折ってすみません、私に気にせず続けて下さい」


 オヤジが促すと、浩三さんは囲炉裏の火を反射するグラスを見つめながら続ける。


「高校に入る前くらいに、一式がオーディションに合格してから生活がかわった。急に歌手になりたい、声優になりたいと言い出してね」

「反対されたんですか?」

「ああ、その時はきつく叱ったよ。まず大学を出なさい、そこから将来について考えるべきだと。でも、それでは遅いと言われてね」

「そうですね、アイドル声優とかだと10代でデビューも当たり前ですし」

「そのことが原因で、一式は家を飛び出すことになってしまった。弐式も姉を一人にさせられないと後を追った」


 浩三さんはブランデーを一口飲むと、小さく脱力した。


「まだまだ子供だと思っていた娘から、いきなり夢を語られても私の方がついていけなかったんだ。見た目通り厳格な父をやってきたが、よかれと思ったことは全て裏目に出てしまった」


 浩三さんは自嘲するような笑みを浮かべる。

 さっきまでの貫禄あるビジネスマンはどこかに消え失せ、年相応のくたびれた父親の姿がそこにあった。

 ウチのオヤジも「そりゃお辛いでしょ」と、ちょっともらい泣きしかかっている。


「今でも一式さんの夢には反対してるんですか?」

「ああ、反対だ。偏見かもしれないが、歌手なんてもので一生食べて行けるわけがない。……そう思っていたんだが、君は間違ってると思うかね?」


 浩三さんの目は本当に自信なさげで、純粋に答えを求めているようだった。

 親として、成功確率が低い将来を反対するのは正しい行為だと思う。

 成功すればいいけど、世の中そんなにうまくはいかない。無責任に「じゃあやってみなよ」と背中を押すだけが応援ではない。


「……間違ってないと思います。でも……一式さんたちの人生ですから、今しかできないことに挑戦したい気持ちも間違ってないと思います」

「そうか……私は少し過保護なのかもしれないな」

「あの、失礼ですが一式さんたちのお仕事って見たことありますか?」

「いや、勇気がなくて見れてないんだ」

「じゃあちょっと待って下さい」


 俺はスマホを取り出しMutyubeから、真下さんが登場しているアニメを表示する。


「これなんですけど」

「これが……」


 画面にはガンニョムEXEのオープニングが、アニメ映像付きで映し出される。一式の疾走感のある歌が、ガンニョムの重厚感ある世界観を演出する。


「上手いもんだな」

「売れっ子ですから。俺は同い年で、これほどのお仕事ができる真下さんを尊敬しています。並々ならぬ努力で、ここまで登ってきたのだと思います」

「……今一式も弐式もここで働きながら、アニメの仕事もしているんだね?」

「そう、ですね。ただ一式さんちょっとスランプに入っていて、声優のお仕事を休止されていますが」

「そうか……じゃあ、私からもう少し頑張ってみたらどうだと伝えてくれないか?」


 浩三さんの言葉は深い優しさにあふれていた。

 本当は反対したいであろう仕事を、もうちょっと頑張ってみなさいって応援してくれている。

 これは並の価値観でできることじゃないだろう。


「わかりました。しっかりと伝えておきます」

「あと一式はわかったが、弐式はどの役をしているのかね?」

「弐式さんはその、一式さんと交代しながら役をしていると言いますか」

「アニメではそれが普通なのかね?」

「いえ、特別だと思います」

「あの子はまだ影武者をやってるのか……。なら、あの子にはもう一式は守らなくて良い、一式は君が守ってくれると言っておいてくれ」


 まっすぐ俺を見て「君」という浩三さん。


「あの、そのお言葉はとても勘違いを生むと思うのですが」

「私にはわかる。君は一式と付き合っているのだろう?」

「義父様、それは違います」

「隠さなくていいんだ。一式が男と半同棲のように暮らしていると聞いて驚いたが、今ではその理由がわかる」

「義父様、ちが――」

「大丈夫だ。君も婚約者がいるという話だが、本当は一式のことが好きなんだろう?」

「義父様」

「いいんだ。私はもう止めないことにした。若さゆえの過ちも教育だと思う。好きにしたまえ、私は君のことを気に入った」

「義父たま」

「三石さん、あなたはとても良い息子をお持ちだ。どうです、今から寿司でも行きませんか?」

「いいですな」


 オヤジは真下(父)さんと立ち上がり、俺の両腕を掴んでズルズルと引きずっていく。まずい、このままでは義息子親公認にされてしまう。


 その後寿司屋で、浩三さんのまるで娘の結婚式が終わった後みたいな、絡み酒につきあわされるのだった。

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