第293話 白煙

「まぁ(居土)幹也が辞めたらこうなるよねって感じね」


 対面に座る神崎さんも大分無理しているようで、薄らと目の下にクマを作っていて徹夜明けのOLのようだ。

 切り揃えられた横髪も何度かくしゃくしゃと両手でいじったのか、頬に張り付いた髪が疲労感を感じさせる。

 彼女はシュボッと音をたてて、オイルライターに火をつけタバコをくわえる。


「タバコ吸うんですね」

「やめてたわよ。お酒もほしいところだけど、勤務時間中だからタバコとコーヒーで我慢してる」

「相当やさぐれてますね。居土さんが辞めること聞かされてなかったんですか?」

「ええ、完全に寝耳に水よ。禁煙くらい解禁しないとやってられないわよ」

「その……よろしかったら居土さんのこと聞かせてもらえないですか?」


 神崎さんはタバコに赤い光を灯らせると、思い出すようにして話してくれる。


「……あいつと知り合ったのは6年くらい前かな。私と御堂は歳は違うけど水咲にきたのは同じで、幹也……居土はずっと水咲でやってきた古株」


 居土さんが先輩なのか、全員同期かと思ってたから意外だな。


「水咲に移るまで私はブラックなソフトウェア会社で勤務してて、いい加減この業界やめてやるって毎日思ってたわ」

「ゲーム関係者って離職多いですよね」


 それだけ過酷な職場なのだろう。


「水咲に入って上司になったのが幹也。その時あいつはディレクターチーフで、お前には情熱がないからいいものは作れない、負け犬根性が染み込んでいる、義務クリエーターめってボロカス言われまくったの」


 あの人、昔から女性でも容赦ないんだな。


「私頭にきて、死にものぐるいで仕事してあいつと同じポジションにまで昇進したの。でも、その時にはあいつは主任に昇進してて、新しいプロジェクトを任されてた。今では携帯ゲームの部署だけど、以前はオンライン事業部っていう、ネットゲームの主任だったのよ」

「ネトゲ部署があったんですね」

「まぁネット事業部は、大きいゲームがコケちゃってうまくいかなかったんだけどね」

「もしかしてファイナルファイアオンラインですか?」

「よく知ってるわね」

「ゲーマーから評価されてたけど、外注がちょっとやらかしたところですよね」


 いいゲームだったが、途中でアイテム名が急に英語になったり、中国語になったりと変なバグが続出して炎上した。


「あれも外注っていうか、その時協力会社だったヴァーミットがやらかしたんだけどね」

「ヴァーミットが?」

「いくら幹也が主任と言っても、大きなゲームを全部見きれないでしょ? 言語翻訳とかフォントの監修はヴァーミットがやってくれてたのよ」

「なるほど」

「あとから実はヴァーミットが足引っ張りにきてたとか、いろいろ憶測がとんだけど証拠はないしね。幹也は夢の一つを折られちゃったの」

「居土さんも何もそんな因縁のある会社に移動しなくてもいいのに」

「ほんと自分勝手よね……ゲームのこと以外何も考えてないのよ」


 神崎さんはタバコを深く吸い込むと、白い煙を天井に向かって吐き出す。

 その表情には、寂しさとどこか諦めに似た感情が入っているように見えた。


「情熱情熱って宗教地味てるくらい言ってたのに、しれっと金につられていなくなるんだから。他人の気持ちなんかなんにも考えてない。一言くらい言ってから行きなさいよ……私ってその程度なの……」


 鈍い俺にでも、神崎さんが居土さんに特別な感情を抱いていることはわかった。

 俺は彼女の目が充血しているのに気づいて、そっとハンカチを手渡した。


「紳士ね」

「気の利かない男よりはいいかと」

「変に場馴れしてるより、何も気づかない子の方が君くらいだと可愛いわよ」

「すみません」

「あいつにもこれくらいの気回しがあればよかったのに……」


 神崎さんは俺の痛ハンカチを広げて涙を拭う。


「いいハンカチね」

「去年のコミケで買ったリリカルサザンカさんハンカチです」

「泣いてる女に堂々とこれを出せる君が凄いわ」

「自分オタクなんで」

「そうだバイト君、コミケでゲーム出すんでしょ? 絶対負けちゃダメよ、あんな奴に」

「は、はい……。でも素人集団が居土さんに勝てるかと言われると、かなり難しいのではと」


 グラウンドイーターなどのソフトで、何百万本ものヒットを出した優秀なクリエーターだ。それに素人が対抗しようなんて、おこがましいにもほどがあるだろう。

 俺の弱気なセリフに、神崎さんはタバコの火を灰皿に押しつぶすようにして消す。


「幹也が敵の指揮官になるなら、私が君たちを指揮してあげたいところだけど、水咲は見ての通りガタガタだから私は身動きとれない。正直会社としてもバックアップするのはかなり苦しいわ」


 この状況ならしかたないことだろう。

 多分コミケ用ゲームなんて本来中止した方がいいレベルで、今の水咲は切羽詰まってる。


「でもね、安心して。いかに幹也が優れた指揮をとったとしても、相手チームがそれについてこれなかったら意味がないわ」

「確かに居土さんのしごきはきついですしね」

「しかも摩周代表の息子たちが、プロジェクトの中核に入るんでしょ? 断言する、あの子じゃ絶対幹也についていけない。バイト君、全然勝機はあるわよ」


 神崎さんに励まされ、俺はコクリと頷く。


「君は自分の面白いと思うことを信じなさい。聞いたけど、ゲーム制作経験はないけどプロ顔負けのメンバーが集ったんでしょ?」

「は、はい、一応」

「極論言うと、ゲームなんて絵と音楽とプログラムさえあれば勝手に出来上がっちゃうのよ。君はブレずにメンバーに指示を出し続けなさい。司令塔が制作物に不安をもつと、それはメンバーに伝わるわ」


 ブレてはダメか……だから主任たちって、我道を行く人が多いのかもしれない。


「私からアドバイスを2つするわ。1つはミスを恐れちゃダメ。最初から完璧なものなんて作れない。人間っていう生き物は、ミスしてそれを修正してより良いものを作るようにできてるの。2つ目は変にクリエーターを気取らず、わからないことはどんどん仲間に聞きなさい。プライドは成長に一番邪魔なものよ」

「はい」

「心にも残らない冷めたいゲーム作っちゃダメよ。攻めて攻めてプレイしたユーザー達に牙を残しなさい」

「わかりました」


 それこそ居土さんの言っていた、情熱を形にするってことだろう。

 俺は神崎さんにアドバイスを貰い、居土さんのいなくなった水咲本社ビルを後にした。

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