第254話 月はオタク嫌い Ⅴ

 俺は月の手を引いてアキバ駅前へと戻り、マママップ前へとやってきた。店舗の前は、凄い数の黒ジャンパー、眼鏡、リュックサックのオタク達の列ができあがっている。

 オタク嫌いの月には辛い絵面だろう。


「大丈夫?」

「これ以上接近しなければ……」


 と言いつつも彼女の顔色は悪い。

 なぜこれだけ人が多いのかというと、人気声優市村ゆかりサイン会が店頭で実施される予定だからだ。


「すごい数だな」

「人の通りが悪いわね、整理できてなくて参加者が入り口で広がってる……。一般客が入れなくて引き返してるじゃない」


 月は険しい表情で、グダっている行列を眺めている。


『整理券28番でお待ちのお客様いらっしゃいませんか! 28番のお客様!』


 拡声器を持ったマママップの店員が、列を正すために整理券順で客を呼び寄せているが、来てない人も何人かいるみたいでうまくいっていない。


「整理券を配ってるなら、何人来るか予測はたてられたはずでしょ。それなのになんでこんな狭いとこでやってるのよ」


 様々なイベントを主催したことのある月は、主催側の不手際を見ると許せないタイプのようだ。


『サイン会を開始致します。整理券をお持ちで、まだ列に並べていない方は最後尾にお願いします。横入りはしないようにして下さい!』


 グダりつつもサイン会が始まると回転は早いようで、サインをもらったオタクたちは順次はけていっている。

 そんな中、幸せそうな顔でサイン色紙を抱きしめている見知った顔を見つけた。


「うひょー、ありがとうゆかりん! オレ次のアニメも絶対見るよ! ゲームも全部買うよ!」


 舞い上がっている我が悪友こと、相野伝示。

 興奮する限界オタクにアイドル声優も苦笑い、そして俺も苦笑いである。

 色紙を抱きしめながらスキップで帰ってくる相野。


「よう」


 目と目があって、俺は軽く手をあげて挨拶する。


「なんだ悠介も来てたのかよ。最後尾向こうだぞ」

「今日ここでサイン会やるのは知ってたけど、別に参加しに来たわけじゃないんだ」

「なんだそれ、お前市村ゆかりだぞ? ゆかりん帝国の女王だぞ」


 そういや最近のアニメ、市村ゆかりの名前ばっかりでてるもんな。少女から大人までこなす実力派声優で、ネットでゆかりんファンは帝国民と呼ばれている。


「俺水城奈七派」

「奈七様は、ほぼ歌手だろ」

「っぱフェイトちゃんよ」


 俺と相野の声優宗教話に耳を傾ける月。


「やはり市村さんと水城さんはニーズが高いわね」


 何やらスマホにメモを残す月。


「何してるんだ?」

「今度あたし原作のアニメが決まってて、そのヒロイン役をどちらかにお願いしようかなって」


 俺たちとはレベルの違う視点で見てらっしゃった。


「お前もサイン貰った方がいいって、こんなチャンス滅多にないぜ」

「いや、整理券も色紙もないしな」

「色紙は予備があるが、整理券はどうしようもないな。予約列が終わったら自由参加あるみたいだし、そこで貰ったらどうだ?」

「あの列さばききるのに1,2時間かかるだろ。声優さんも大変だろうし遠慮しとく」


 そんな話をしていると、何やら怒鳴り声が聞こえてきた。


「お前オレの方が先だろうが! オレ28番だぞ!」

「そんなこと言われても、あなた呼ばれたときいなかったでしょ……後ろに行ってくださいよ」

「ふざけんな、ちょっとコンビニ行ってただけだろうが!」


 何やらフランス国旗みたいなカラフルな髪色をした中年オタクが、気の弱そうなひょろひょろオタクに突っかかっている。


「なんか喧嘩してんな」

「あぁ、多分整列したときにいなかったやつが戻ってきたんだろ。意識が低いんだよ、オレなんか12時間前から待機してたのに。帝国民の恥晒しめ」


 お前は帝国の犬すぎるだろ。

 確かにいなくなった方が悪いと思うが、グダグダ整理券システムにした店側にも責任があるのでなんとも言えない。

 触らぬオタクに祟りなしと思っていると、俺の隣りにいたはずの月が忽然と消えている。


「あんたいい歳して、こんなところで大声出して恥ずかしくないわけ?」


 嫌な予感は当たり、金髪お嬢がトラブルに首を突っ込みにいっていた。


「あちゃ~やりおった」


 そういうのは店員に任せればいいのだが、今更言っても遅い。


「なんだ女、お前には関係ねーだろ、うせろ! 他の奴らも見てんじゃねーよ!」


 あたりかまわず喚き散らすアレな奴。これは悪いオタク。

 やめろやめろ、そんなことしたらサイン会中止になって、誰も幸せになれんぞ。


「とにかく列の外に出なさい、いい歳して大声で威嚇するなんて迷惑なのよ!」

「バカにすんなよ女! オレは女でもぶん殴れるんだからな!」


 フランス頭が月に手を伸ばす。

 月の目は冷静で、私に触れた瞬間、顎に掌底を入れて巴投げのカウンターを入れると物語っている。

 いかん、このままではフランスが地面に叩きつけられてしまう。

 俺は月のコートの後ろ襟をつかんで、無理やり後ろに下がらせる。


「ぐえっ、ちょっとなにすんのよ!」


 急に前に出てきた俺を見て、フランス頭は顔を歪める。


「んだテメェ?」

「これ俺のツレなんで、ぶん殴られると困ります」

「じゃあお前がかわりにぶん殴られっか?」

「まぁまぁ落ち着いて。店員も遅れてきた方は最後尾に並んで下さいって言ってましたし、ここは歳上が矛をおさめていただけると丸く収まりますので。子供相手に歳上がめくじらを立てるのも――」

「歳上歳上って言うな、オレはまだ43だ!」


 30代くらいかと思ったが、想像以上に歳上だった。

 43でフランス国旗頭で、帝国民は結構痛い。

 何より良識がないのが一番痛い。


「落ち着いて。あなた声優オタなんでしょ? ゆかりんの前で、そんなめちゃくちゃなことするんですか?」

「…………」


 血の気の多かったフランス頭(43)は、ゆかりんの名前を出されて急に大人しくなる。

 声優オタにとって推し声優は神も同じ。

 神の前で狼藉を働くことは、例え神が許しても帝国民が許さない。

 フランス頭は後ろを振り返ると、列をなすオタクたちの冷ややかな視線とスマホのカメラに気づく。

 これで折れるか、それとも逆ギレするかによって今後が大きく変わる。

 声優オタ続けるならここで折れとけ、今はSNSとか怖いものがあるんだぞと思っていると、そこに一人の天使が舞い降りてきた。


「皆他のお客さんの迷惑になるから、喧嘩しちゃダメだぞう」


 ばっちりのアニメボイスで割って入ったのは、市村ゆかり本人だった。彼女はフランス頭にサイン色紙を配ると、天使の笑顔を送った。


「順番抜かしはしちゃいけないんだぞぅ。今度から何かあったらお店の人を呼んでね」

「はい……すいませんした」


 完全に毒気をぬかれたフランス頭は、幸せ気分で去っていく。

 さすが女王陛下、仲裁能力半端ない。

 俺も水城教から、ゆかりん教に入信しそうになった。

 ゆかりんは月にもニコッと笑みを浮かべる。


「君もサインを取りに来てくれたのかな?」

「い、いえ、あたしは違……」

「でも喧嘩の仲裁してくれたんでしょ?」

「そ、そうだけど、整理券も持ってないし」

「そう? じゃあサービスしちゃう、何か書いていい物持ってる?」

「いいですいいです! あたしが順番抜かしみたいになっちゃいますし!」


 月は慌てて首を振るが、市村さんは列に向かって声を張り上げる。


「みんなー、この子にサイン上げてもいいよねー!」

「「「いいよー!!」」」


 野太い返事。さすが帝国民、よく訓練されてる。

 俺は相野に頼んで、すぐさま予備の色紙を渡そうとするが。


「こ、ここにお願いします!」


 月はコートを脱ぐと、ブラウスの背中部分をゆかりんに見せる。


「おー、気合いはいってるねぇ。じゃあちょちょいっと」


 さすがサイン慣れしている声優は、あっという間に色紙に書かれているものと寸分違わぬ精度でサインしてくれる。


「あ、ありがとうございます」

「いいよ~、あっ最近CDでたから良かったら買ってねぇ~」


 ロックバンドのファンみたいに、背中にサインを貰ってきた月は、幸せ気分で俺の元に帰ってきた。


「ちょ、ちょっと見たオタメガネ!? 市村さんがあたしの背に!」


 今してもらったサインを嬉しそうに見せる、こういうところは年相応だと思う。


「お~良かったな」

「ええ!」


 声が弾んでおり、一時はどうなるかと思ったが全てゆかりんのおかげで丸くおさまった。

 彼女の凄いところは、マナーの悪いフランス頭も救ってしまったことだろう。

 さすが女王は慈悲深い。


「彼氏ぃ、彼女の為に前に出たのはカッコよかったぞぅ!」


 サムズアップして笑顔をこちらにくれる市村さん。


「サインありがとうございます!」


 店舗前から離れると、月は肘で俺をドンっと押す。


「あんたなんで割ってはいってきたのよ。危ないじゃん」

「お前足震えてたからな。オタク嫌い治ってないのに無理すんな」


 中年のおっさんが怒鳴り散らしてきたら普通に怖いもんな。

 月はカウンター狙ってたが、足が震えていた。


「……すぐカッコつけるんだから」

「惚れた?」

「黙れオタメガネ」


 月は後ろ髪を弾くと、しばらく俺の方を見てくれなかった。

 その横顔はほんの少しだけ赤かった。

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