第243話 TUNDEREIA Ⅰ

 時は伊達家での許嫁解消事件から少し遡る。


 カナダ北東部――


「寒いな、ここは」


 玲愛は車窓から見える白銀の街を見て、はぁっと小さく息を吐いた。

 陰鬱とした空気が送迎用のリムジン内を覆い尽くし、同乗していた部下の三島と、お付きである巴美鈴ともえ みすずもその雰囲気にのまれつつあった。


 玲愛は今回の海外での仕事にあたって、現地人の付き人を用意していたのだが、雇用した人間が初日でバックれるという奇跡をおこして困っていたところ、偶然大学の友人巴と出くわしたのだ。

 この地に親戚がいて土地勘があるという巴がガイドを申し出てくれたので、急遽付き人として雇用することになった。

 玲愛は歳の近い巴に文句を吐きながら仕事をこなし、数週間経った今では女二人カナダ旅行みたいになっていた。


「玲愛、ため息つきすぎ」


 巴の呼び方も伊達さんから玲愛にかわっており、それは本人が望んだことだった。

 友人にいつまでも苗字プラスさんづけで呼ばれるのはおかしいと思っていたので、まして巴は旅行中に自分の手伝いをしてくれているのだ。

 そこで気まで使わせるのは、良識ある社会人暴君としても気が引ける。


「私のことはいい、それより本当に旅行は良かったのか?」

「それもう三度めよ。旅行と言っても叔父がここにいるから、毎年冬場にきてるだけ。もう新鮮味も何もあったもんじゃないわ」


 巴の話を聞きながら、玲愛はリンゴマークのスマホをふる。


「スマホ振ったってメールは来ないわよ」

「個人用のスマホがこっちに来てから調子が悪い。故障かもしれない。りんご社に訴訟を起こしたほうがいいかもしれん」

「彼ぴからメールが返ってこないくらいで怖いこと言わないで」

「彼ぴ言うな」


 玲愛が陰鬱な空気を放っているのは、その手に握るスマホのせいだった。


「彼ぴからのメール、もう一週間も来てないの?」

「7日と18時間32分だ」

「はいはい、ほぼ8日ね。その細かい時間は神経質な女っぽいから言わないほうがいいわよ」

「私に無視とか一番効果的な攻撃だ。鬱で死にそうになる」


 巴は玲愛の変化に驚いていた。

 あの鉄面皮、氷の女帝とまで言われた彼女が、たかだかメールが返ってこない程度で、これほどまでに気分を沈ませているのだ。


「すっかり乙女になっちゃって。まぁ元からその気はあったのかもね」

「何か言ったか?」

「なにも。(一ノ瀬)涼子から話は聞いたけど、まさかあの手錠の男の子が良い人だとは思わなかったわ」

「私が極度のブラコンというのは認識している」

「弟というわけではないのでしょ?」

「セックスできる弟みたいなものだ」

「どうしてそんなに性癖歪んじゃってるのよ」

「金持ちなんか大体変態だぞ。お前も人のことより、内海のことはいいのか」


 巴は一ノ瀬と内海を取り合っていた仲だが、先日一ノ瀬と結ばれたと知って傷心していた。


「あ、あたしのことは別にいいのよ。内海君のことなんか別になんとも思ってなかったし」

「そうか……夜にワインでも奢ってやろうか」

「玲愛に気使われると、人として終わってる感あるわ。今日のパーティーが終わったら帰国よね?」

「ああ、今日でこっちでの仕事は終わりだ。帰ったら私を無視した罪を徹底的に償わせてやろう」


 口元を邪悪に釣り上げる玲愛。


「ほんと彼ぴのこと以外じゃ笑わないわね」


 二人はここカナダで最後の仕事として、異業種交流会パーティーに呼ばれていた。

 目的は様々な業種のトップが集まり、そこで会食をすることで関わり合いのなかった分野と、コネクションを形成することである。


 玲愛に関してはここでいくつかのエネルギー産業を起ち上げようと思っている為、水咲のようなパートナー企業を探しているところだった。

 しかしながら参加者から目ぼしい事業主も、新規参入企業も見つからなかった為、本当に付き合いのレベルで行くつもりであった。


「ねぇねぇ、会社のトップってことは社長ばっかり来るんだよね?」

「基本的には取締役クラスがくるな」

「イケメンのオジサマとか多いんじゃないの?」

「それなりに場数をこなしている人間ばかりだからな、風格はあるさ」

「やっぱり、羨ましい」

「一緒に行くか? 私の付き人ってことにしてれば入れるし、ドレスも予備がある」

「い、いいの?」

「構わん」


 財界のトップを見るのは良い経験になると思うし、そこで何かしらコネクションができるのなら巴にとって有益だろうと玲愛は考えた。


「到着しました」


 運転手の三島が、近くに教会の見える大きなホテルの前で車を停める。

 セント・レイク・プリズンと書かれたホテルは、日本にある帝国劇場のような外観をしており、古さの中に歴史と気品を感じる造りだった。

 しんしんと降る真っ白な雪が、ホテルの一部のようにとけこみ、芸術的な美しさを感じる。


「ありがとう」


 ロングコートの前を閉めながら玲愛が下りると、三島は大きな衣装ケースを持って巴と共に中に入る。



 衣装室で玲愛と巴はパーティー用のドレスに着替えを終え、ホテルマンに案内されながら会場へと向かう。


「ちょっとこのドレス胸の部分が空きすぎて、ずり落ちるんですけど!」

「知らん、パッドでもつめろ」

「これにあわせたらパッド何枚つめなきゃいけないのよ!? これだからデカパイは!」


 怒る巴を無視して、既に会食が始まっているホールに入っていく。

 玲愛は軽く顔見知りの事業主たちに挨拶をして回る。勿論愛想の類はなく、氷の女帝の異名に恥じない塩対応である。

 一番遅くやって来たくせに一番早く挨拶を終えると、もう仕事は終わったと言わんばかりにテーブルにつき、足を組んでワイン片手にスマホを振って遊んでいた。


「すごい顔ぶれね、あっちのスピル銀行の会長じゃない……。あれ有名な映画監督にオペラ歌手だし……えっ、俳優までいるの?」

「異業種交流だからな、芸能関係がいることも珍しくない。ここが日本でなくて助かった」

「どうして?」

「日本だと私が挨拶される側だからだ。次から次にヨットや自家用ジェットが話かけてくる」

「ヨット?」

「3億のヨットを買っただの、5億のジェットを買っただの心底くだらん。金持ちに金持ってるアピールとかバカじゃないのか? 女を金以外で口説いたことないんだろうな」

「さすがね。あたしは1000万の車でいいから乗りたいわ」

「私と悠の許嫁発表もジョークだと思っている人間が大多数で、ユーモアがあるなんてふざけたことを言ってくる」

「あたしもテレビ見たけど、あんなの誰だってギャグだと思うわよ。9人同時結婚で、しかも妹と一緒にでしょ? 完全にネタよ」

「年賀状に婚約しましたと書いて、私と悠のツーショット写真をばらまいてやろうか」

「妹さんが怒らないならそれでもいいんじゃない?」

「絶対怒るな。他にも怒りそうなのが何人かいる」


 玲愛は小さく笑い、ワイングラスに口をつけた。


「ミス玲愛?」


 自分の名前を呼ばれ振り返ると、そこにはスーツ姿で白熊のような巨体と白髪白鬚の男性が手を広げていた。


「フェードル先生、来てらしたのですか?」


 玲愛は立ち上がり握手する。


「おー、大きくなって。私が見た時はティンカーペルくらいだったのに」

「それは言いすぎですよ」


 大人のジョークに小さく笑みを返す玲愛。


「この人どなた?」


 小声で巴が聞くと「昔私をこの地に招待してくださった方だ。今はこの国の大手貿易企業の会長をされている」と説明する。


「本当に美しくなったよミス玲愛。私が後30年若ければ交際を申し出ているところだ」

「ありがとうございます」


 フェードルの大げさな身振り手振りに、昔からかわらないなと玲愛は笑みを漏らした。


「丁度いい、君に紹介したい人物がいるんだ。つい最近こちらに来て企業パートナーを探している子なんだが、それがなんとモルデイブムカチャッカ共和国の第二王子なんだよ」

「王子ですか? すごいですね」

「彼はビジネスと共に婚約者を探しているのだが。君にぴったりではないかと思う」

「先生、私にはフィアンセが……」

「来たまえ、デネブ君」


 玲愛の言うことを全く聞かずにフェードルは王子を呼んでしまう。

 昔から人の言うことを聞かない人物だったので、その点は諦めてさっさとあしらってしまうことにしようと考えた。


「はい」


 フェードルに呼ばれた王子は、筋肉質な体を真っ白いスーツに包んだ高身長の青年。浅黒い肌に彫りの深い、まるで映画俳優のような美形。

 恐らく年齢は玲愛より一つか二つ下で、ワイルドな顔に人懐っこい笑みを浮かべる。


「ヨットの次は王子か」



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