第233話 クラウド

 それから俺は病院に運ばれ、警察から事情聴取を受け、結局解放されたのは夜0時頃だった。

 その間、真下さんはずっと待ち続けてくれていて、俺と一緒に病院を出た。

 もう遅いのでタクシーに乗って帰宅、と見せかけて水咲本社ビルへと向かう。

 こんな時にどこに行くって? バイトだよ。


「あの三石様、暴行を受けた後も帰社しなくてはいけないのですか?」

「スマホに怖い通知がいっぱい入ってたからね。社畜は辛いよ」


 額にガーゼを張り、包帯を巻いた俺を心配げに見やる真下さん。

 幸い見た目より酷くはない。


「助けてくれてありがとうございました」

「いや、こちらこそ真下さんがいなかったら、ボロ雑巾のまま転がされてたよ」

「あの店舗は月お嬢様と警察に報告しておきました。恐らくすぐに摘発されると思います」

「そりゃ良かった」

「「…………」」


 俺は真下さんの正体を知ってしまい、それを口にしていいのかわからず沈黙する。

 向こうも同じようで、しばし無言が続く。

 しかしながら見てしまったものを見なかったことにはできないので、触れないわけにもいかないだろう。


「……ごめんね、声優のこと隠してたのってわけありだったんでしょ?」

「いえ、こちらこそ今まで黙っていてすみません」

「メイドと声優、どっちもやってるって解釈でいい?」

「はい、自分実は声優を目指すと言ったら親の大反発にあって、実家を飛び出してきた身でして」

「大人しそうなのに、意外と行動力あるね」

「メイド業は声優業がうまく軌道にのるまでのつなぎ……のつもりだったのですが」

「売れっ子になったのに未だに続けていると」

「声優業もありがたいことに沢山お仕事を頂いているのですが、どちらの仕事も好きで……」

「いいんじゃないかな、俺の義姉も美容師とマンガ家やってるし、他にもMutyuberとミュージシャンやってる人もいるから。二兎を追うもの二兎とも獲ればいいんだよ」

「…………三石様には、励まされてばかりな気がします」


 キッとブレーキ音をたてて、タクシーが水咲本社ビルの前で停まり、俺は車を降りる。


「じゃあ、また今度。君の正体については絶対口外しないから」

「ありがとうございます。あ、あの!」

「どうかした?」

「上着」


 真下さんが指さすのは、小脇に抱えられたボロボロの上着だ。チンピラ共に破られ、今や上着といっていいかもわからないが。


「自分が修復しましょうか?」

「えっ大丈夫? もうこれ雑巾になる以外使い道ないと思うけど」

「一応挑戦してもよろしいですか?」

「じゃあ直せなかったら、そのまま捨ててくれていいから」

「頑張ります」


 上着を渡してから扉を閉めると、タクシーは真下さんを自宅に送るために発車する。

 赤いテールランプを眺めつつ、俺はさて仕事するかとビルの中へと入った。



 一式はタクシーの中で、自身のスマホを操作しカラオケ店で撮影したハニトラの画像を呼び出す。

 彼女は何の躊躇もなく削除ボタンを押すと、その画像を消去した。


「こんなの必要ないんです」


 爆弾を自らの手で消した一式は、ボロボロになった上着を抱きしめると安堵の表情を浮かべていた。



 水咲家、遊人の私室にて――


 水咲アミューズメント代表取締役社長、水咲遊人は薄暗い部屋で自身のPCに映し出された画像を眺めていた。

 そこには一式と悠介が添い寝するシーンが映し出されている。


「元画像を消しても無駄だよ。君の持つ社用のスマホは、クラウドを経由してすぐに僕のPCに保存されることになっている」


 一式が本社に送るか悩んでいた画像は、実は撮ったその日のうちに遊人のPCに自動で送信されていたのだった。


「良い写真だよ本当に。一般人でもこの写真なら示談金100万はとれるね」


 これを見れば、伊達家頭首は両手をあげて喜ぶことだろう。

 人気声優とのスキャンダル、許嫁を解任するには十分すぎるほどの理由になる。

 この件はもみ消しておくので口外しないようにと釘を差しておけば、一式の経歴に傷がつくこともない。

 ほぼノーリスクで、伊達に借りを作ることが出来た。


「一番怖い玲愛嬢は海外に渡った。彼女がいると黒いものも白にひっくり返されてしまうからね」


 今三石悠介を守る者は誰もいない。追放するのであれば絶好の機会。

 遊人は黒い笑みを浮かべながら、スマホで電話をかけるのだった。



 翌日――

 デスマーチも佳境に入ってきた第三開発室はいつも通り慌ただしく、電話やタイピング音にゲームBGM、阿部さんの奇声に居土さんの怒声が鳴り響いていた。

 そんな中俺は、ひたすらにゲームのフローチャートと、各イベントシーンをチェックしていた。


 俺は結構酷いケガをしていたにも関わらず、開発室の人はまるでそのケガが見えないかのように仕事を投げてくる。

 過去にデスマーチに耐えられなかった社員が、トイレで自殺未遂を起こしたことがあったらしく、その死にかけの社員を無理やり叩き起こして仕事させた経験があるらしい。

 そりゃ自殺しようとしても働かされるのだったら、ケガくらいで騒がれんわと思った。


 俺はPCの画面に表示される、ゲームのイベントシーンを絵コンテにしたものをまじまじと見つめる。


「ラスボスが変わるんだったら、やっぱこのシーンはおかしいよな……」

「うわーん、三石君助けてほしいでふー」


 暑苦しく抱き付いてくる、ドラいもんみたいな体型の阿部さんに俺は顔をしかめる。


「なんですか、血糖値でも上がったんですか?」

「それはいつものことでふよ。ファ○キュー健康診断ノーシュガーノーライフでふ」

「糖分の化け物みたいなこと言わないで下さい。じゃあなんですか?」

「この前ラスボスの代替えが浮かばないって言ったの覚えてる?」

「あぁ、動かないラスボスにしたいけど、何にしたらいいかわかんないって言ってましたね」


 確かあの時は、巨大な蛇の絵を描いてたはず。


「主任はモデルを作る時間がないから早くしろって言ってくるけど、なーんにも浮かばないでふ」


 この人まだスランプ脱してないのか。


「じゃあ俺がこんなの描いてほしいとか言えばいいんですか?」

「いや、君に絵に関しては期待してないでふ」


 なにげに頼っておいて失礼な人だな。


「ぼくと一緒にアイディア降臨ダンスをやってほしいでふ」

「あの雨乞いですか?」

「そうでふ」

「嫌です」

「酷いでふ!」


 びえーんと泣く阿部さんを放置していると、居土さんから声がかかる。


「おい三石、お前の家族が開発室の前まで来てるらしい」

「えっ、家族ですか?」


 静さんには説明しているはずだが。

 言われて開発室の外に出ると、にこやかな笑顔をしたアマツと、申し訳無さそうな真下さんが立っていた。


「やぁ兄君」

「三石様すみません、昨日の今日で……」

「二人共どうしたの?」

「どうしたじゃないよ、彼女から聞いたよ。アキバで暴行を受けたって。学校で話聞こうと思ったら学校来ないし」

「そりゃすまんかった。って言っても解決してるから、そんな話すことないんだよ。多分真下さんから聞いた情報で全部だと思うぞ」


 というわけで時間がないので俺は仕事に戻る。

 開発室の扉を閉めようとすると、天がそこに足を滑り込ませてくる。


「兄君最近冷たくない? 仕事が忙しくなると妻に興味がなくなっちゃうタイプかなぁ!?」

「誰が妻だ。そういうわけじゃないって、今だけだ」

「ボクわりかし好きな人の行動全部把握したくなるタイプだからさ、何してるのかすごく興味あるんだよ! 逆に君がいないととても落ち着かない!」

「急にヤンデレみたいなこと言い出すのやめろ!」


 こいつ力強いな。全然扉閉まらない。

 開発室の前でバタバタしていると、当然ながら居土さんから怒声が飛ぶ。


「三石ぃ! いつまで遊んでんだ、今は猫の手でも切り落として使わなきゃいけないんだぞ!」

「はい、すみません!」


 猫の手切り落としたら使えないと思うが。


「兄君のバイトって人手不足なの?」

「まぁなデスマーチ中だ」

「じゃあボクも手伝うよ!」

「手伝うって、お前これめちゃくちゃ専門職だぞ。そんな簡単に手伝えるわけないだろ!」

「じゃあテストしてテスト!」

「そんな時間あるわけないだろ! 大体お前ゲーム職で何やるつもりなんだ!?」

「絵が描ける! 絵、絵ならボク自信ある!」


 その話を聞いていた阿部さんが俺の肩を叩く。


「三石君、その子のテストを認めるでふ」


 この人アイデア浮かばないから、とにかく何か閃きそうなことしようとしてるな。

 開発室に入った天は弘法筆を選ばずなのか、ペンタブを使ってモンスターデザインを行う。


「こ、この子は天才でふ……可能性の獣でふ」


 描き上がったユニコーンの絵を見て戦慄している阿部さん。

 さすが芸術を極めた女。俺が見ても超うめぇや。


「即戦力のグラフィッカーとして採用でふ!」

「やったぁ!」


 こうしてあっさりバイトとして採用された天は、一瞬で俺より重要なポジションについた。

 世の中才能なんだなって痛感した。

 あと真下さんもアシスタントとして、シレッと採用された。

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