第213話 アイドル成瀬 後編
「無抵抗な奴踏みつけんのは楽しいかオイ?」
「ま、待ちたまえ、話せばわか――」
成瀬さんは、安井の言葉を待たず鋭い膝蹴りを鳩尾に見舞った。
更に下がった顔に鉄拳が突き刺さり、奴は鼻血をダバダバと噴出する。
プロの格闘家みたいな右フックで、美しさすら感じる。
「おごふ! な、成瀬君、君は何をやっているのかわかってるのか!?」
「お前があたしのツレボコってたことはよくわかる。どうせお前直談判に来たんだろ?」
「はは、なかなか話が平行線でして」
「ったく……」
「お前たち、こんなことしてただで済むと思っているのか!?」
成瀬さんは安井の胸ぐらを掴んで持ち上げると、奴の車に背中を押し付ける。
「よ、よせ、私はELEMENTの生みの親だぞ!」
「だからなんだよ……。こっちは曲とられるわ、弟分ボコられるわで死ぬほどイラついてんだ」
彼女は拳を振りかぶる。
「ひっ、や、やめろ!」
情けない声を上げる安井。彼女は奴の顔面真横の窓ガラスに拳を叩きつけた。
凄まじい打撃は『バキッ!』と音を響かせ、ガラスを貫通する。遅れて防犯ブザーがピーピーと鳴り響いた。
安井はその迫力に泡を吹いて失禁していた。
「アイドルは今日でやめる。じゃあな」
俺は成瀬さんに肩をかしてもらいながら駐車場を出る。
「弱っちぃくせに無茶すんじゃねぇよ」
「すみません、せっかくアイドルになれたのに」
「いいって。あたしも夢に手が届きそうと思って、頭バグってた。ってか警察沙汰になるかもしれねぇってわかってただろ?」
「もう最悪それでもいいかもって思ったんです。事件になって、そのことが原因で安井の悪事が明るみに出てくれればって」
「玉砕策かよ。お前は将来あんだからそんなことすんな」
「多少無茶してでも貴女を救わないと、安井に寄生されて成瀬さんの夢を全部奪われちゃうと思って」
「そんで体張って守りにきたわけか……」
「俺にできるのは土下座しかなくて、ほんとかっこ悪くてすみません」
「いや、お前はかっけぇよ。ダサいのはあたしだ。あんな奴の言いなりになるなんてらしくねぇ。もっかいサ胸釣りのなるるから出直すわ」
それは出直しというのだろうか。
「成瀬さんなら、あんな奴の手を借りなくても大丈夫ですよ」
「歳下が慰めてくんじゃねぇよバカ野郎」
成瀬さんは恥ずかしげに俯く。
「でも、これであたしもお前も安井に目つけられたな」
「多分、それは大丈夫だと思います」
「どういうことだ?」
「安井なんかと比較にならないくらい怖い人が動くと思うんで」
俺はヒビの入ったスマホを取り出し、録音音声を月と玲愛さんへと送信する。
◇
翌日、ELEMENT事務所にて――
鼻にガーゼをはった安井は苛立ちに満ちていた。
あの二人の人生をどうやって破滅させてやろうか。とにかく女は傷害罪で訴え、男も適当な罪をでっちあげ仲良く前科者にしてやろう。
二度と日の当たる道を歩めると思うなよ、そんなことばかり考えていると、事務所に二人の女性がやって来た。
スーツを纏った長身ロングヘアの威圧的な女性と、金髪ツインテの不機嫌そうな少女。
安井はそれが世界的大企業の伊達と、親会社の水咲だと気づく。
急な訪問に驚くが、TV局の大株主であるビッグスポンサーを歓待しない訳にはいかない。
安井は手もみしながら玲愛たちを迎え入れる。
「これはこれは伊達様に水咲様、現在少々立て込んでおりまして……」
「急で申し訳ないが、すぐに終わる。私のフィアンセの話でやってきた」
「フィアンセ? ご結婚なさるのですね、それはおめでとうございます。仕事ばかりしていて情報が遅いものでして」
この忙しい時に惚気けに来たのかこの女は? 頭おかしいんじゃないか? と顔をしかめる安井。
三人は事務所のソファーに対面になって腰掛ける。
「して、どのようなご用件でしょう?」
「昨日フィアンセがひどい怪我をして帰ってきた。どうやらこの近くで暴漢に襲われたらしい」
「はぁ、それは恐ろしい世の中ですな」
「ところで……このスマホに見覚えはないか?」
玲愛は画面にヒビの入ったスマホを取り出す。
それは昨日見た悠介の持っていたスマホである。
「これの持ち主が私のフィアンセだ」
「は、はは……」
「暴漢の年齢は60代くらい、スーツにマスク姿、恐らくこのスタジオ近くの関係者と思われる」
玲愛は録音された音声を再生すると、昨日のやりとりが流れる。
『――私は人殺したって無罪になるんだよ、金と権力があれば司法の外にいられる』
『――私をなめるなよ、お前の人生ぶっ壊すぐらい簡単なんだぞ!』
『――死ね、クソガキが! 死ね死ね!』
安井は言い逃れできない証拠に頭を抱える。
まさか蛆虫と罵りながら足蹴りした男が、日本経済を牛耳る伊達のフィアンセだとは夢にも思うまい。
「酷い声ね」
月が聞くに堪えない声に苦笑いをこぼす。
「私はこういう弱者に対して、権力を振りかざす人間が大嫌いだ。どうにかコイツを地獄に叩き落としてやりたい。地位も名誉も全て剥奪してブタ箱に叩き込んでやる。……絶対にだ」
首筋に氷を当てられたような冷たい声音。
安井は玲愛の目を見て察する。この女性は、はなから私を殺しに来たのだと。
◇
数日後の夜――
俺は流れてきたニュースに目を留める。
『次のニュースです。大手アイドルプロダクションELEMENTの代表、安井康夫が逮捕されました。容疑者は100作以上の盗作による著作権法違反と、10代男性に暴行を加えた容疑がもたれています。また暴力団組織とも繋がりがあり、恐喝を繰り返して候補生の作品を自分の作品として発表していた模様。また複数の余罪があると見られます。FNFでは証拠音声を入手しており――』
映像ではマスクをした安井が、警察の車両に乗せられていくシーンが映し出されていた。
「大変なことになってるな……」
安井は消えたがELEMENT在籍のアイドルは全員水咲のプロダクションに移ったみたいだし、特に大きな混乱は起きていないようだ。
その日、俺は成瀬さんに呼び出しを受けており、彼女の部屋へと向かう。
なんの断りもなく入室すると、部屋の中に部屋が出来ていた。
真っ白い壁で囲まれた部屋を見ていると、その中から成瀬さんが出てくる。
「おっ、来たな。見ろこれを」
「なんか昼間工事してましたね」
「とうとう買ってやったぜ防音室。中古だけど」
「いくらしたんですか?」
「120万」
「たっか」
「本当は倍以上するんだぞ。まぁおかげで金なくなったけど」
「大丈夫なんですか? Mutyubeサボってたでしょうに」
「いいんだよ、後に引けねぇくらいが面白い」
それでこそ成瀬さんって感じはするが。
「俺夜中聞こえてくる成瀬さんの曲、結構好きだったんですけどね」
「あ、あんがとよ。でも夜中ロックやるわけにはいかねぇからな」
「確かに」
「そんでよ、この前の詫びを込めてお前の前でライブしてやろうと思ってな」
「いいんですか?」
「あぁ、防音室のテストも兼ねてなんでも歌ってやる」
「じゃあ……」
◇
「おい……ビューティフルドリーマーZを歌うのはいいが、なんでこの衣装なんだ」
成瀬さんはFire128が着るチェックベストにミニスカートのアイドル衣装に、ギターを持って立っていた。(衣装は事務所辞める時に買い取った)
俺は法被を着て、サイリウムを両手に持ち成瀬さんの前で正座する。
「そりゃそれが正装ですから」
「そんでなんでお前は古のドルオタみたいな格好してるんだ」
「そりゃ正装ですから。では、お願いします」
「くそ、すげぇやりにくいぜ」
成瀬さんは照れを隠すようにギターを掻き鳴らす。
カッコいいロックが防音室に響き、こちらのテンションも上がる。
「~~♪~~♫」
「Hey Hey Hey! L・O・V・E・成・瀬! 世界で一番愛してる!」
「ぶははははは! 合いの手が強すぎる!」
「笑っちゃ駄目ですよ!」
「す、すまねぇ! ♬~~♪~~」
「あ~成瀬の瞳に恋してる! イェイイェイイェイイェイ!」
「♬~~♪~~♬~~♪~~」
「Wooo~世界で↑いっち番↑可愛いよ↑!!」
「ぶははははは! オタ芸やめろ!!」
「成瀬さん自分を世界一のアイドルだと思って歌って下さい! 恥ずかしさに負けちゃダメです!」
彼女はなんとかビューティフルドリーマーZを歌いきり、世界一可愛いスリーピースを決める。
アイドル一人、観客一人のライブは最高の盛り上がりを見せた。
◇
その様子をこっそり眺める静と真凛亞の姿があった。
「……なる先輩、防音室ドア開いてる。音ダダ漏れ」
「なるちゃん元気になったみたいで良かったわ」
「……ファンが一人でもいればアイドルだから」
「でも、そろそろ苦情が来そうだから、ドア開いてること教えてあげましょうか?」
「今行ったら、なる先輩恥ずかしさで自殺しそう」
数分後、成瀬の「ぎえー!」という悲鳴が響くのだった。
アイドル成瀬 了
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