第195話 仮面

 イベント二日目の夜、伊達邸宅――


 娘たちが水咲のイベントでお泊りをしている中、伊達邸宅では家長たる剣心が自室で精神統一を行っていた。

 【泰然自若】と書かれた掛け軸に、木彫りのクマ、青い畳の和室にて正座する和服姿の剣心は、金粉の浮かんだ玉露茶をすすり深く目を閉じる。

 そこに黒スーツにサングラス姿の部下が、ノックと共に入室する。


「総帥、お話が……」

「……何事だ。ワシは見ての通り今夜と一体化している」


 全くでもって意味不明なのだが、部下は「申し訳ありません」と深く頭を下げる。


「それで何用だ?」

「玲愛様の許嫁絡みでトラブルがありまして。現在水咲家で開催されているイベントなのですが……」

「あぁ、あれか……確か今日で順位が確定するんだったな。まぁ順位なんぞ聞かなくてもわかるが、どうせ玲愛が一位なのだろう? あまりにも強すぎる娘というのも困ったものだ。しかしそれでこそ伊達と言えるだろう。ふはははは」

「…………それが」


 勝ちを確信して高笑いする剣心に、黒スーツの部下は滝のような汗を流す。


「玲愛様の最終順位は2位でございます」

「……えっ? バカなことを言うな。ケンブリッジ大学の教授から、レイアハマジデヤバイ天才ダ! と言われるほどだぞ。それが負けるわけがない」

「…………残念ながら……負けました。内海様とペアで参加されたのですが、最後で逆転を許し……」


 剣心の眉がピクリと動く。


「ふん、大方内海家に足を引っ張られたというところか。して1位は誰だ? 足手まといがいたとは言え玲愛を打ち負かした存在だ。男なら玲愛の婚約者候補として一考してみる価値があるやもしれん」


 玲愛を倒せるのは玲愛レベルの天才だろうと、剣心は玉露茶をグビリと飲む。


「それが……優勝したのは火恋様、雷火様の許嫁であらせられる三石悠介様で」

「ブッ!!」


 剣心はあまりに予想外な名前に、汚い緑の霧を吹き出した。

 サングラスを玉露まみれにされた部下は続ける。


「悠介様は対戦ゲームごとにペアを変更し、トラブルや逆境下でもペアの力を借りて勝利したようです」

「雷火と火恋か……」

「それ以外にも水咲家のご息女も確認されています」

「ぐぬぬ、女の手を借りるのが得意な男だ」

「剣心様、お言葉ですが雷火様も火恋様も一人で玲愛様に勝てる能力はございません。三石様と協力したからこそ勝利を」

「そんな少年漫画みたいな展開聞きたくないわ!!」


 勇気、友情、勝利なんかくたばれとちゃぶ台をひっくり返す剣心。


「剣心様、友情ではなく愛かもしれません」

「余計タチが悪いわ!! 何を考えとるんだ悠介は!?」

「剣心様がイベント前に1位をとってくるのだ! とご命令されたのでは?」

「それで本当に1位をとってくる奴があるか馬鹿者! こっちは玲愛が負ける可能性なんぞ微塵も考えていなかったのだぞ!」


 剣心はどないするんじゃコレと自室をウロウロと歩き回る。

 その様子はとても大財閥の頭首とは思えぬ、小物感あふれる行動だった。


「そうだ、トラブルと言ったな。どのようなことがあった?」

「先程終了した種目ですが、玲愛様チーム側が談合と不正を使って勝負を行ったようです。対する悠介様のチームは大半が戦意を喪失してリタイアしたのですが、悠介様と雷火様は最後まで諦めず戦い勝利しました」

「……ふむ、戦意喪失か……それは他の参加者が気の毒ではないか?」

「と、言いますと?」

「不正を使われ戦意を喪失してしまうのは当然のこと。もしかしたら戦意喪失した参加者の中には優勝を狙えた者がいたかもしれぬ」

「調査結果によると、リタイアした組の中で優勝の可能性があるものは0組で、既に補填も行っていると」

「い~や、勝負は何があるかわからん。ちゃんとした環境で実施されていれば、玲愛が勝っていた可能性もある」

「しかしそれは不正をしたにも関わらず負けたチームが、今のは自分達がインチキを使ったから負けたノーカンノーカン! と逆ギレしているような状態ですが……」

「だからなんだ? 水咲運営がその時点で中止しなかったのが悪いのだろう。そうだ、中止になっていたら玲愛は1位だったはずだ。そうだろう?」

「はい……確かに最終ゲーム直前まで玲愛様は1位でした」

「水咲に伝えよ。トラブルのあったゲームを無効試合にして順位を計算しなおせ。それが”公平”だと」

「しかし水咲はかなり悠介様に肩入れしていますが」

「フン、水咲のアミューズメント事業は伊達もかなりの額を出資している。遊人社長に直接圧をかけろ」

「かしこまりました」


 部下が去ると、剣心は「絶対に悠介との関係なんて認めんぞ」と苛立たしげに地団駄を踏む。


「念には念をいれておくか……」


 剣心はスマホを取り出すと、妨害工作の為どこかに連絡をとるのだった。





 風呂から出た俺は、内海さんに呼び出されなぜか二人で観覧車に乗っていた。


「あの……なんで野郎二人で観覧車に?」

「いいじゃないか三石君。大人になると子持ちにでもならない限り観覧車になんか乗らないからね」


 内海さんは、いつもどおりへらっとした軽薄な笑みを浮かべる。


「君こそ大丈夫かい? さっきパトカーに連れてかれそうになったって聞いたけど」

「ちょっと公然猥褻未遂で捕まりそうになっただけなんで」

「本当に未遂で良かったよ。僕に勝った人間が、その日のうちにそんな面白い罪で捕まってほしくないからね」


 二人でしばらく色とりどりの光を放つアリスランドを眺めつつ沈黙していると、内海さんは謝罪を口にした。


「悪いね、さっきのゲーム。ウチのツレがめちゃくちゃにして」

「……内海さんはその……一ノ瀬さんのこと好きなんですよね?」

「そうだね」

「それなのになんで玲愛さんと結婚を?」

「前にも言ったけど、僕たちってお金持ちじゃん?」

「めちゃくちゃ嫌な言い方しますね。俺は金持ちじゃないので頷けないですけど」

「金持ちってなかなか私情で婚約者を選べないんだよ。そうして好きでもない相手と結婚して浮気に走る」

「人のこと言えた義理じゃないですけどクソ野郎ですね」

「君の批判が気持ちいいよ。僕自身玲愛ちゃんと結婚したら一ノ瀬君に浮気するつもりはなかったけど、僕も男だし100%とは言い切れない」

「玲愛さんにバレたら多分コンクリ履かされて東京湾ですよ」

「彼女なら本当にやりそうで恐ろしいね。浮気がバレたときの玲愛君を想像するとゾクゾクするよ」


 ゾクゾクと言うか身の危険を感じるだろう。

 観覧車が頂点にさしかかろうとした頃、内海さんは大きく息をつく。


「僕はね、諦めた人間なんだよ」

「諦めですか?」

「そう、通いたかった学校も、やりたかった夢も、好きな女性も全部諦めてこの場にいる。ひょうきんな性格でいるのも、ライバル関係にある人間を騙しやすくする為、相手から情報を引き出しやすくする社交性仮面ペルソナって奴さ」

「……ペルソナ」

「一ノ瀬君はそんな諦めと嘘で塗り固められた僕に辛辣でね。毎回僕を見てるとイライラするって当たってきたもんだ。それが段々快感……じゃなくて不審に思えてきたんだ」

「ちょいちょいマゾの片鱗見せるのやめてください」

「もしかして彼女、僕のペルソナに気づいてる? ってね、まさか”敵”じゃないかと思っていろいろ調べてみたけど完全な白。彼女はまごうことなき一般ピーポーで、伊達やその他ライバル財閥と全く関わりはない。彼女は本当に素で僕の内側を見抜いたんだよ」

「そういうちょっと直感が鋭い人っていますね」

「一ノ瀬君になんでいつも僕に怒るんだい? って聞いたら、”内海君が一番無理してるから、つらいなら一旦全部積荷おろしちゃおう”って励まされてね。もうその時は顔が凍ったよ。言っちゃ悪いけど一番お馬鹿そうな子に、僕が隠してた核心を串刺しにされたんだ」

「一ノ瀬さんには見えてたんですね、内海さんの背負っていたものが」


 金持ちに生まれたからこその重圧、プライド、家の名、孤独。その他諸々の見えない積荷。


「セメント工みたいに剥がれ落ちる嘘を嘘で塗り固めている僕に、積荷おろせは何より必要な言葉だったよ。一ノ瀬君は僕より歳下なんだけど、初めてこの子は僕のママになってくれるかもしれないと思ったんだ」

「いい話から、いきなり鳥肌立つくらいキモい話にするのやめてください」


 この人がふざけるのってペルソナじゃなくて素だと思う。


「全部諦めてしまった僕なんだけどね……今度は諦めないようにしようかと」

「それって……」

「まぁ家から猛烈な反対くらうだろうし、出てけって言われるだろうけど、君を見てたら諦めちゃダメだなって思ったんだ。誰かを幸せにするにはきっと覚悟が必要だ」

「内海さん……」


 彼の顔はふざけたへらっとしたものではなく、決意を秘めた男の顔だった。

 きっと一ノ瀬さんを守り抜く覚悟をしたのだろう。

 観覧車はもうじき一周を終えようとしていた。


「内海さんはこれからどうされるんですか?」

「玲愛君に謝罪して、後は一ノ瀬君と駆け落ちかなぁ」

「駆け落ちって大恋愛の始まりじゃないですか」

「僕もね、少しだけワクワクしてるんだ。やっと親や家の傀儡じゃなく、内海慎二として物語がスタートしそうだって」

「今凄くいい目をしてますよ内海さん」

「やめたまえ少年。おじさん照れちゃうだろ」


 ゴンドラのドアが開かれ、内海さんと観覧車を降りると、彼は胸ポケットからタバコを一本取り出す。


「玲愛ちゃんのペルソナを外せるのは多分君だけだ。彼女にも僕と同じような解放感を味わってほしい。応援してるよ」

「俺も内海さんと一ノ瀬さんがうまくいくように祈ってます」

「ありがとう。対決していた僕が言えたことではないが、君が玲愛君を落とすところを期待している」

「あっ、一ノ瀬さんタバコ嫌いって言ってたからやめたほうがいいですよ」


 俺がそう言うと、内海さんは咥えていたタバコに火をつけ、残りのタバコをゴミ箱に捨てた。


「女のためにタバコやめるのも悪くない」


 初めてこの人をカッコイイなと思ったかもしれない。

 彼はタバコを赤く光らせ、白い煙を吐くとこちらに向き直る。


「三石君、もし君が玲愛ちゃんと上手くいって伊達姉妹三人と結ばれることになったら」

「はい」

「……4Pの体験談を聞かせてほしい」


 この人やっぱ最低だ。

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