第173話 玲愛と首輪XⅣ
『200m自由形水泳、最終組が今スタート! トップは11番レーン、続いて7番レーンの女性、勢いがある! 1番レーンは我らが主催水咲月様、泳ぐ姿も美しい! ぜひ頑張ってほしいです!』
めっちゃ贔屓する実況の声を聞きながらレースがスタート。
『おっと、20番レーン出遅れてしまったか。序盤でかなり引き離されているぞ』
必死に体を動かしているのに、力ばかり入って前に進んでいない。たまにいるよね、めちゃくちゃバタ足凄いのに、全然進んでないやつ。
完全に集団の中から一人だけ遅れている俺に、観客の視線が集まる。
「あの子ペアなしで泳いでるぜ」
「確かバレーで美人のお姉さんと手錠で繋がってた子だろ?」
「えっ、私さっきそのお姉さん見たわ。別の男の人といたけど……」
「あーあ可哀想に、お姉さん違う男にとられちゃったんじゃない?」
「あの子、必死だけどおっそ」
訳も知らない連中が妄想と憶測で適当な事を語る、でもそんなの関係ない。俺は俺の戦いをする。
必死な犬かきみたいな泳ぎは、傍から見ればさぞかし滑稽に映るんだろう。
息継ぎの時に俺を見て半月型に口を開く観客が見える。
みっともなくて笑いものでも、水を蹴り、手を前に伸ばせ、前進しろ、1メートルでも1センチでも前に進むんだ。
俺から全力で離れていこうとする玲愛さんを追いかけるには、一ミリでも前に進んで追いかけなきゃいけない。
『50メートル通過! ここで1番レーン水咲お嬢様から叢雲藤乃にペアを交代! お嬢様の遅れを挽回していくぞ!』
その声が聞こえたのは何秒前か、俺が50m丁度の折り返し地点についたとき、周りにはほとんど誰もいないことに気づいた。先頭ははるか先、二回目の折り返しに入ろうとしている。
「皆速い」
いや、俺が遅いのか。しかし今は嘆いている場合じゃない、ペアがいない分一人で200mを泳ぎきらなければならない。きっと最後は俺だけが泳いでいることになるだろう。
きっとみんなに頑張れと励まされながら泳ぐ最下位はさぞかし惨めなことだろう。しかし次のゲームに進むには、どれだけ笑われようが降りるわけにはいかないんだ。
再び水に潜り、懸命に泳ぐ、まだ100mも泳いでいないのに息が苦しい。
序盤無茶をしたせいで手足は重く、肺は酸素を求め、脳は酸欠の危険を感知して、体全体に苦しさや痛みを伝える。
お前にこの距離は無理だ。諦めろと言っているように思える。
バクバク鳴る心臓が耳障りだ、邪魔をするな、今だけは破裂してでも動け。
折り返してきた参加者達が、俺の隣を通り過ぎていく。相当離されてる、勝ちの目はないが、足はつきたくない。
もうじき100m地点へ到達しかかったとき、足に強い痛みを感じた。
極端に鈍くなる体に鞭をうって泳ぐが、100mまで残り10mくらいのところで左足がつる。
(マズイ足をつく!)
激しい筋肉の痛みが襲い、姿勢制御ができない。
(沈む!!)
「悠介さん頑張って!」
「ダーリン、あと少しだから!!」
誰かの声が聞こえ、俺はもがくようにして前に進む。
畜生、諦めてたまるか!
「動けぇぇぇぇぇ!!」
俺の伸ばした手は100m丁度の折り返し地点につく。しかしそこが限界で、気づいた時にはもう遅かった。
ゴボゴボと泡を吐き溺れかけた俺は、プールの底に足をついてしまっていた。
あっ終わった……。
無駄な頑張りだった。
火恋先輩に後押ししてもらい、玲愛さんに真剣に勝負を挑み勇んで飛び込んでみればこの様だ。
まるでお前の力は所詮その程度で、夢はどれだけ頑張ろうが届かない、身の程をわきまえろと言われた気分。
呆然とした、その後すぐに悲しみの感情が襲いかかってきて、足がガクガクと震えだした。できるなら今この場で泣きたい。
例え気持ちや覚悟があったとしても、能力がついていかない。俺こんなんばっかだなと、情けなさに足元がくらんだ。
だが俺の絶望を打ち消すように、俺の頭上を飛ぶ少女の姿があった。
「20番レーンペア交代!」
「えっ?」
一瞬ポカンとした後、慌てて誰が飛び込んだのかを確認すると、そこには白色のビキニを着たギャルが、しなやかに力強く水の中を滑るように泳いでいった。
「き、綺羅星?」
『20番レーンここでペアを交代! 最下位脱出なるか!』
実況が何か言っているが耳に入ってこない。一体何が起こったのかさっぱりわからず、バカみたいな顔でポカンとしていると、頭上から手が差し伸べられた。
「えっ?」
見上げると、そこには水に濡れた雷火ちゃんの姿があった。
「ごめんなさい」
「???」
唐突な謝罪に訳が分からずにいると、彼女は俺の腕を掴んで引き上げてくれた。
「本当はわたしが助けたかったんですけど、わたし、そのカナヅチなんで……ビート板ないと泳げないくらい遅いので……」
雷火ちゃんは申し訳なさそうに、俺に向かって頭を下げる。
「いや、えっ? 君たちは自分のペアが……」
「いえ、綺羅星のペアは天さんが泳いでたから、綺羅星はまだ泳いでなかったんです。わたしが無理言ってペア変更を頼みました」
「いや、俺足ついちゃったし、しかも競技中にいきなりペア変更なんて……」
「ペア交代時に足をつくのは大丈夫ですし、競技中にペア変更もルール的にはOKだそうです」
い、いいのか……。
「姉さんと戦う為に戻ってきたんですよね?」
「う、うん……」
「姉さんのことだから、わたしに勝ったら認めてやるみたいな、ラスボスっぽいこと言ってたんじゃないですか?」
流石姉妹、言うことが完全にバレてる。
「朝の悠介さんヘナヘナでどうなることかと思ってましたけど、わたしきっと立ち上がるって信じてましたから」
「う、うん。そのつもりで意気込んできたんだけど、俺運動神経悪すぎて、俺一人じゃどうしようもなくて」
「大丈夫です、”我々がついてますから”。あなたに一位とらせますよ」
雷火ちゃんは不敵な笑みを浮かべプールを見やると、そこには怒涛の勢いで他の参加者をごぼう抜きしていく綺羅星の姿があった。
50m程度のハンデなんぞ覆してやるわと言わんばかりの爆進。
「き、綺羅星はえぇぇ……」
「これだけ美味しいシュチュエーションなんです。あの恋愛脳が本来の100%以上の力を発揮しないわけがありません」
俺の泳ぎは一体なんだったんだと言いたくなるような速度で折り返すと、恐ろしい事にトップ集団を捉えた。
未だに現実の事と思えず、俺の目はパチパチと瞬いていた。
『20番レーンが怒涛の追い上げ! モーターボートばりの脚力で差を一気に縮めていくぅ!』
「いけぇぇ、綺羅星! 根性見せなさいよぉ!」
雷火ちゃんとは思えない、腹から出る大きな声で綺羅星に声援を送る。
「ほら悠介さんも!」
「き、綺羅星! 頑張れぇ!!」
彼女はその声に応えるかの如く、更にスピードを増していく。ってよくトップ集団を見たら、あれ天と火恋先輩と藤乃さんじゃないか? 皆超はぇぇ。
「きっと皆テンション上がってるんですよ。やっと”本当のレース”が始まったって」
雷火ちゃんはにこやかに人差し指をたてて、よくわからないことを言う。
『残り30メートルで20番更に加速! 彼氏の声援がきいたか? これはトップに喰らいつくぞ!!』
「「「負けるかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」」」
全員が気迫の泳ぎを見せ、ゴールフラッグが揺れる。
『ゴーーーーーール!! 先頭は1番レーン叢雲藤乃! 2位7番レーン伊達火恋! 3位11番レーン水咲天! 4位20番レーン水咲綺羅星!』
トップ集団はそのままの順位でゴールして、結果はアナウンス通り。綺羅星は最下位からの大健闘を果たした。
ザポンと水面から顔をだした綺羅星は、開口一番に喋ったのが喜びでも悔しみでもなく
「藤乃テメー手ぇ抜けよ! 何主催者が何度も一位とってんだよ!」
とヤンキーのような怒号だった。
他のグループと総合すると、俺たちのグループはレベルが高かったようで、タイム順に並べると1位月×藤乃ペア、2位内海×玲愛ペア、3位火恋×雷火ペア、4位天、5位俺×綺羅星ペアとなった。
またしても主催者が1位となり、ポイント結果は月のペアが総合10ポイント、内海ペアは総合8ポイントに玲愛さんがペア変更をした為、ボーナス5点追加で13ポイント、火恋先輩と天のチームはバレーと水泳で順位がいれかわった為同着3位の総合7ポイント、最後に5位が俺と綺羅星で1ポイントとボーナス加点で6ポイントとなった。
ポイントで順位を見ると――
1位 内海×玲愛ペア 13pt(ペア変更ボーナス有)
2位 月×藤乃ペア 10pt
3位 火恋×雷火ペア 7pt
3位 天 7pt
5位 俺×綺羅星 6pt(ペア変更ボーナス有)
となった。
水泳が終わり、火恋先輩、雷火ちゃん、月、綺羅星、天が、水を滴らせながら俺の前に並び立つ。
「み、みんな……」
「まぁ伊達の長女が勝手に自滅してくれるのはあたしにとってはありがたいことだけど、空気悪くして逃げたのが気に食わないわ。だから水咲はあんたに協力したげる。打倒伊達玲愛って面白そうじゃない?」
月は自慢のツインテを揺らし。
「なんかダーリン、昨日ずっとなよってキモかったけど、今はあーしを助けにきたダーリンと同じだね。だからあーしも手を貸してあげる。だからあーしのこともっと好きになってもいいよ」
綺羅星は先ほどの戦果に胸を張る。
「ボクも玲愛さんがいなくなってくれるのは嬉しいけど、兄君をくれてやるって言ったことは謝ってもらわないと」
天は少し怖い笑みを浮かべ。
「ホント、自分の姉ながら情けないことこの上ないですけど、伊達と水咲が全力でサポートするんだから、負ける要素がないですね」
雷火ちゃんは自信たっぷり。
「私は君に頑張れと言ったが、私たちが頑張らなくていいわけじゃない。歩き出した男に力添えするのが女の甲斐性というものだろう」
火恋先輩は微笑みをこぼす。
「ユウ君の野望のために私たちも頑張る!」
なにか勘違いしている静さんと、成瀬さん、真凛愛さん。
「あ、あの全員が協力してくれるって言ってくれて嬉しいんだけど、いいのかな皆に頼ってしまって……」
「いいに決まってるじゃないですか。姉さんダメって言ったんですか?」
「いや、もてる全力でかかってこいって言ってたけど」
「なら問題ないじゃん。あーしらはダーリンの力だし、ドラクエもパーティー組んで魔王倒しに行くじゃん」
それだと玲愛さんはりゅうおうになってしまうのだが。
「兄君、ボクらは君だから協力するって言っているんだ。それに玲愛さんは綺麗ごとで勝てる相手じゃない。ボクら全員でかかっても勝算は五分ってところじゃないだろうか」
確かに……。
「まぁもし勝てたら、それなりの褒美は要求するかもしれないけどね」
そう言って天はイケメンスマイルで俺の顎を撫でる。
その光景に、伊達姉妹の背にボッと黒い炎が灯った気がした。
「皆さんごめんなさいね、伊達家のことに付き合わせてしまいまして。”式”には必ず呼びますから」
「別にいいわ、貸しにしとくから。コレくれたらチャラにしてもいいけど」
俺を指さす月と、笑顔で眉間に怒筋を浮かべる雷火ちゃん。
「フフフ、水咲さんってほんと面白いですね」
「フフフ、別に冗談でもないけどね」
ウフフフ、オホホホと牽制しあう伊達水咲姉妹。
結束したはずの仲間の空気が悪いのですが、どうしたらいいでしょうか。
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